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「俺が……前言撤回を?」
「もう呆れて愛想が尽きたのではない? 私はあなたを騙して」
「エレイン! 俺があなたを嫌うなどということは絶対にない! あなたが、信じてくれていないのはわかっているが」
「信じているわ。信じたいの。あなたは私を命がけで助けてくれたんだもの」
エレインはどこか呆然としているネイサンの手を、両手でしっかりと握り締めた。大きくて硬い手を口元に運び、男らしい指にそっと唇を押し当てる。
ネイサンはびくりと震え、手を引っ込めようとしたが、エレインはしっかりと手を握ってそれを許さなかった。
「私を愛してくれているのなら、追い払うような真似はやめて」
「エレイン……」
もう、ネイサンに対して自分を偽ったり、嘘を言うのはやめようと、エレインは思っていた。だから、ネイサンの側にいたいという自分の気持ちを隠したくない。例えネイサンが自分を望んでいなくても、拒否されるのを恐れて前に進むのをやめまいと思った。
まっすぐに見つめるエレインの視線から逃げるように、ネイサンはうつむいた。
「前言撤回したいのは、あなたのほうではないのですか」
「私?」
「俺はあなたにひどいことをした」
エレインは本気でネイサンの言う『ひどいこと』が思いつかなくて、眉を寄せた。
「一つは、あなたをあんな風に抱いてしまったこと」
「それは! それは、私が望んだことだわ」
「もう一つは、あなたを追い詰めてしまったこと」
「?」
「俺のひどい態度に、あなたがどれほど傷ついていたか、俺は考えようともしなかった。俺はあなたが誤解しているのを察しながら、なんのフォローも説明もしようとはしなかった」
ネイサンはじっとエレインを見つめてきた。エレインのどんな反応も、表情の変化も見逃すまいという感じに。
ネイサンもまた、不安なのだと、エレインは気がついた。きっと自分と同じように、愛しているという言葉を信じきれなくて、撤回されるのではないかと、怯えている。
どうしてネイサンほどの人が怯えるのだろうと、エレインは不思議に思う。ネイサンは恋愛経験も豊富で、何でも出来て、本当に完璧な人なのに。だがどう見ても、今目の前にいるネイサンは、エレインの言葉を不安げにじっと待つ、不器用な男性だった。
ネイサンがずっと冷たかった理由は、愛している気持ちを抑えられなかったからだと言われても、とても信じられなかった。マラカイもそう説明してくれたが、それでも信じられなかった。でも今、目の前にいるネイサンを見ていると、ようやく本当なのかもと思えてきた。
いつも完璧なポーカーフェイスで隠している素顔の中に、こんな不器用な一面があるのかもしれない。だがそれで、ネイサンに幻滅してしまうことはなかった。逆に、もっとネイサンが魅力的に思えて、もっともっと彼が好きになった。
エレインはネイサンを安心させるために、にっこりと微笑んでみせる。ネイサンが愛しくて愛しくてたまらず、彼の手を自分の頬に摺り寄せた。
「マラカイに会ったわ。ここに来ていると思っていなかったから、とても驚いた」
「俺が……」
「追い払ったんですってね? でも、ネイサンが正しいと思うわ」
ネイサンはきっと、マラカイを帰したことを責められると思っていたのだろう。エレインがそう言うと、驚いた顔をした。
「マラカイに話したの。私、好きな人ができたから、別れていたことを皆に話しましょうって」
「…………」
「彼、あなたに謝っていたわ。脅しみたいなことをして、本当に申し訳なかったって。マラカイのせいでネイサンの私への態度が最悪だったんだって、私にも謝ってくれた」
「すべてが、マラカイのせいだというわけじゃない。俺も馬鹿だった」
「でも、一番馬鹿だったのは、私よ」
否定しようとするネイサンを視線でとどめ、エレインは口の端をゆがめた。
「私がもっと早く、自分の気持ちに気づけばよかった。私、あなたにそっぽを向かれて、すごく不安だった。あなたは数少ない私の味方だって思っていたし、凄く心強い存在だったから。でもそれは、自分の中のネイサンの存在が父や兄のような感じだからだって決め付けてて。ずっと、自分の気持ちに気づけなかった。愛しているって」
「エレイン」
「気がついていれば、私、ずっと以前にマラカイに話をして、別れているってことを公にしてた。そうすれば、ネイサンだって……」
そっと、ネイサンの手に、キスをする。
「だから私、ネイサンにひどいことされた覚えはまるでないの。私、あなたを愛しているわ」
「エレイン」
ネイサンに引き寄せられて、エレインは大きな胸の中に抱きすくめられた。肩の傷に触れないように気をつけながら、エレインもネイサンの背中に両腕をまわす。
「私の側にいるって、私が欲しいって言ってくれて、とても嬉しかった」
あの時の、ぞくぞくするほどの幸福感を思い出して、エレインは吐息を漏らす。
「私ずっと、ネイサンに要らないって言われているようで、それが凄く怖かったから」
唐突に唇を唇でふさがれ、エレインは驚いて軽く目を見張った。ネイサンのキスは強引で、激しかった。エレインを求める気持ちを抑えようとしない、駆け引きもない、情熱的なキス。それは、エレインを欲しいというネイサンの気持ちを証明しているようだった。
ネイサンに愛され、求められ、エレインは自分が温かく満たされていくのを感じていた。
長く激しいキスに、瞳を潤ませ、息を弾ませているエレインを、ネイサンはじっと見つめた。
紅潮した頬にそっと触れ、柔らかな髪に指を絡めると、エレインもネイサンを見上げてきた。
「本当に、俺でいいのですか?」
ネイサンは、どうしてもそう聞かずにはいられなかった。
「俺はとても感情的で、あなたを滅茶苦茶にしてしまうかもしれない」
「あの山小屋での夜みたいに?」
エレインは冗談めかして笑っていたが、ネイサンはとても笑えるような気分ではなかった。
「俺は嫉妬深い。独占欲も強い」
「そうなの? 今までの恋人とは、そんな風に見えなかったけど」
「あなたは違う。今までの相手と、あなたは違いすぎる。俺はあなたを本気で愛している。こんなに愛した女性は、今までにいない」
嬉しそうに、そして満足そうに微笑むエレインは、怖いほど魅力的だった。ぞくぞくと背筋が震えるほどエレインが愛しく、そして今すぐ組み敷いて自分のものだと確かめたい衝動に駆られる。
「俺はきっと、あなたを束縛する。そうせずにはいられない。あなたはきっと、窮屈に思うだろう」
「そんなこと、わからないわ」
「わかる」
「それにそれでもいい。私、あなたに独占されていたいもの」
ネイサンは、エレインにキスしたい衝動を抑えることが出来なかった。強く抱きすくめて、きつく深く唇を重ね合わせる。
「エレイン。愛している」
苦しげに息をするエレインを、強く強く抱きしめてしまう。エレインはさらに息苦しくなるだろうとわかっていても、やめられなかった。
「どうか、俺と結婚してほしい」
さすがに、エレインは驚いた顔をした。
「俺はあなたに居場所をあげられる。俺と結婚すれば、あなたは認知のない王妹という中途半端な地位ではなく、俺の妻である公爵夫人として王宮に出入りできる。俺は女王のアンドレアほど、重い責任を抱えていない。しかし、マラカイよりはずっと多くのものを持っている。俺は、誰よりもあなたを大切に出来る。守ることが出来る」
「……そのためだけに結婚を?」
「違う。それはあくまで俺との結婚であなたが得られる特典でしかない。何よりも、俺はあなたを名実ともに自分のものにしたい。あなたに触れることの出来る、ただ一人の男だという権利をもらいたい」
「ネイサン……」
「駄目だろうか?」
エレインはじっとネイサンを見つめていたが、本気で必死に懇願していることを理解してくれたのか、にっこりと微笑んでくれた。
「条件が一つだけあるの」
「どんなことでも」
「今後、私に敬語を使わないこと。絶対に」
「それだけ?」
「そうよ。でも、ネイサンが思っているより、これはずっと意味のあることなんだから」
エレインの言う『意味』が、ネイサンにはわからなかった。それに、今はそんなこと、どうでもよかった。エレインが結婚に承諾してくれたことが、なによりも重要だった。
「愛している。一生、大切にする」
「私も。愛しているわ」
エレインを抱きしめると、そっとブラウスの前をあける。胸元には、ネイサンのつけたキスマークが散らばっていた。このキスマークが消えるまでは、エレインも他の男に抱かれようとはしないだろうと思い、きつく強くつけたのだ。
抱きたくてたまらない。今度はもっとエレインを優しくいたわり、共に絶頂へと駆け上がりたい。愛していると囁き、愛していると言ってもらいながら、隙間なく触れ合いたい。
だが、胸元にキスしようとしたネイサンを、エレインは強く押しのけた。
「駄目よ、ネイサン」
「なぜ」
傷ついた目をするネイサンに、エレインは呆れて少し怒ったように眉を寄せた。
「当たり前でしょう? あなたはついさっきまで瀕死の重傷だったのよ」
「大げさだな。あれぐらいで死ぬわけがない」
「世間一般では、命にかかわる怪我だったのよ」
あくまでネイサンはエレインを抱こうとしたので、エレインは断固としてネイサンの腕の中から抜け出て、ベッドから距離をおいてしまった。
さすがにネイサンもベッドからおりてエレインを捕まえる元気はない。恨めしげな視線を向けると、エレインは呆れた風に肩をすくめた。
「本当にもう。ネイサンって、本当に怪物ね」
ネイサンはその言葉にどきりとした。エレインを欲するがあまり、何をしてでも手に入れようとした自分の暗い衝動を思い出したのだ。
「……俺があなたを思う気持ちは、確かに、綺麗なばかりではなく、時に醜悪なほど強すぎるものだが」
「暗い顔して、なにを言っているの」
距離をおいていたエレインが、再び側に来てくれて、ネイサンの頬を指先でつついた。そして、ネイサンと目と目があうと、にっこりと微笑んだ。
「手術してくださったお医者様がね、あまりにあなたの術後の経過がいいので、こんな人は見たことがないって。化け物じゃないかって言ったのよ。あの怪我で私を背負って来たことといい、私、お医者様の言葉を否定出来なかったわ」
ネイサンは思わず吹き出してしまった。笑うと肩の傷が痛んだが、それでも身をよじりながら笑い続けてしまう。
エレインはネイサンが笑っている理由がわからずに、きょとんとしていた。
「変なネイサン。大丈夫?」
まだ笑いながら頷くと、水をくれるようにコップを指差す。エレインに水をもう一杯もらい、ネイサンはようやく笑いをおさめることが出来た。
「私、お医者様を呼んでくるわ。ネイサンが目を覚ましたら声をかけてくれるように言われていたの。忘れていたわ」
ネイサンの頬に軽くキスをすると、エレインは軽やかな足取りで病室を出て行く。にこやかなエレインを見送り、キスされた頬に手をあてると、ネイサンはほっと息をついた。
そして、ふと思う。
モンスターは、誰の心の中にもいる。自分の心は勿論、きっとエレインの心の中にも。
だがそれは、常に心を闇の中へと導くものではなく、より明るい場所へと向かう力にもなる。エレインを滅茶苦茶にして貶めたいと思ったのも、絶対に守り抜いて幸せにしたいと思ったのも、同じ自分なのだから。
「もう、二度と間違えない」
ネイサンはあえて声に出してそうつぶやいた。すると、その誓いを待っていたように扉が開き、エレインが姿を見せる。白い病室の中、光を浴びたエレインは、とてもとても美しかった。
にっこりと、エレインがネイサンに微笑みかける。
幸せそうなエレインに微笑み返せることを、ネイサンはこの上なく幸せに感じていた。
終
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。楽しんでいただけたでしょうか。読み終わって、幸せな気分になって頂けたらと願ってます。
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追記 MONSTERのキンドル本を作成しました。unlimitedなので、会員の方は無料でお読みいただけます。このお話の続編MONSTER2とエピローグも収録しています。amazonで「MONSTER KAI」で検索してみてくださいね。よろしくお願いします。
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