午前四時。

 ネイサンは一向に進行しない事態に焦れて、しんしんと冷えこむ中庭へと出てきていた。

 テロリスト達は勿論の事、自国の政治家達に対しても交渉の余地がまるでなかった。エレイン救出のため、テロリストが望んでいる仲間の釈放を認めるふりをするとか、釈放するふりをして罠をはるとか。一歩も譲歩しないことで、国はこれ以上のテロを抑制しようとしている。それはネイサンにもよくわかる。

 しかも、エレインは出国前に、こういう事態が起こりうることを承知していた。そしてそうなったときには、国のために命を捧げると明言してきているのだ。

 ネイサンもそれを知っていたが、自分がついていてこんな事態になるはずがないと、心のどこかで楽観していたのだろう。大理石のベンチに腰を下ろすと、膝の上についた両手の中に顔を埋めた。

 今この瞬間、どこかでエレインが一人、死を覚悟しているのだと思うと、気が狂いそうになる。まだ若く、美しく、そして孤独で寂しがり屋のエレイン。彼女はきっと、ネイサンが助けに来ることさえ信じてはいないだろう。


(俺は馬鹿だ)


 昨夜、自分のプライドや汚い本性など恐れず、エレインに告白出来ていたら。誰よりも、何よりも、エレインを愛し、欲しているとうち明けていれば。そうすれば今この瞬間、ネイサンが命を懸けて助けようとしていることを確信し、それを心のよりどころに待つことが出来たはずだ。

 だが、エレインが誤解しているネイサンという男は、救出よりも彼女の死を利用しそうではないか。それも喜んで利用しそうだ。

 ふと、誰もいなかった中庭に人の気配を感じる。

 ベンチに座っていたネイサンは、明るい室内からこちらへと歩み寄ってくる人影を確認し、警戒をといた。


「ひどく落ち込んでいるのね」


 クロウディアは肩にかけたショールをなおしながら、ネイサンの前に歩み寄ってきた。

 ネイサンが黙っていると、そのまま隣に腰を下ろす。誰かと話をしたい気分ではないネイサンは何も答えずにそっぽを向くが、クロウディアはネイサンの拒否など気にせず、話し始めた。


「そんな顔見るの、初めてだわ。本気なんでしょ。さっきはごめんなさい。からかったりして」


 クロウディアらしくないしんみりした口調に、ネイサンはようやく顔を上げて彼女の顔を見た。


「少し責任感じているのよ。エレイン様がこんなことになった遠因は、私があなたをからかったせいだから」

「馬鹿なことを言った俺のせいだ」

「……いつも冷静なあなたらしくなかったわよね。それだけ本気ってこと?」


 ネイサンはため息をつく。


「クロウディア。もう、やめてくれ」

「興味本位じゃないわ。ちょっと羨ましいのよ」


 彼女が何を言いたいのかさっぱりわからず、ネイサンは顔をしかめる。

 クロウディアは口元に小さく苦笑を浮かべた。


「私と付き合っていたとき、あなたは決してそんな顔を見せてはくれなかった。それが一つ。そしてもう一つは、本気で愛せる人を見つけたことかしら」

「?」

「うらやましい」


 どうやら、クロウディアはからかっているのではなく、本心からそう言っているらしい。


「……そんなにいいものじゃない」

「まあね。今のあなたはとても苦しそうだもの」


 くすくすと笑うクロウディアに、ネイサンは小さくため息をつく。


「行ってくれ。話をしたい気分じゃない」

「気になったことがあって、あなたを探していたのよ」

「手がかりを知っているというのなら大歓迎だが」

「そうじゃないわ。どうして、エレイン様を諦めようとしているの? 自分に嘘をついてまで。あなたらしくないと思う」

「だから、彼女にはもう決まった相手がいると」


 クロウディアは立ち上がると、白んできた空を見上げて伸びをする。

 そして、ネイサンの抗議を封じるように、こう言った。


「『人間、死ぬ気になって出来ないことはそれほど多くない。出来ないと嘆く前に、出来る限りの努力をするべきだ』」

「…………」

「あなた、よくそう言っていたわ。成功するかと思われたクーデターを転覆させた実績のある、あなたらしい言葉だと思ってた。それなのに、今回は戦う前から諦めているのね。らしくないじゃない」


 クロウディアは黙ったままのネイサンに顔を寄せると、そっと頬にキスをする。そして、まるで戦友にするかのように、肩を叩くと、何も言わず去っていった。


「ネイサン様!」


 そして、クロウディアと入れ替わるように、部下の一人がネイサンの姿を認め駆け寄ってきた。


「エレイン様の秘書官から連絡が入っています。手がかりが、つかめたそうです!」


 ネイサンは勢いよく立ち上がった。

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