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「暇っすねえ」

 気だるい伸びをする金髪筋肉だるま=ジュン。あの筋肉5人の中では比較的細マッチョな軽い男/しかし元SATの戦闘員。

「暑いっすねえ」

 ジュンは無意味に手をパタパタして風を送ろうとする。来週から梅雨という感じのどんよりとした空。湿気でむせ返りそう。

「魔法でなんとかならないんっすか」

「俺は魔導士です」

 ジュンは、節電設定セーフモード 強化外骨格APS+アンダーアーマーを身にまとっている。

 東京潰瘍かいよう第三ゲートの前での待機任務。本部は第一ゲートの手前にあるので、ここまで二十数kmの道のりをわざわざ多目的輸送車ハンヴィーで来た。

 ジュンの着ているアンダーアーマーは、魔導防護の身体保護、バイタルチェック、AEDを備えてるハイテクモデル。しかし夏は暑いし、冬は寒いと、隊員たちの評判は悪い。赤く薄暗い潰瘍の中では季節も昼夜も関係ないせいでそういう作りなのだろう。しかし、待機任務中では少々つらそう。

「今日は午後から雨らしいですよ」

 意に介さないニシ=軍用の作業着兼戦闘服。ただし背中には「常磐エネルギー興業」の刺繍。支給されたそれは、アンダーアーマーよりはマシな通気性だった。

 運動会で使うような、天幕だけのテントで初夏の太陽熱がじわじわと伝わってくる。潰瘍の拡大を防ぐ抑制フィールドはハイテク科学&高度な魔導の産物。それを監視する隊員の備品は、かなり安っぽい。もしかすると自治体のお古かもしれない。

「魔法で!」

「温度が下がるってどういう意味か、知ってます? ジュンさん」

「昔、理科で習った、ような気がする。知らなくはない」

 つまりは、思い出せない。

「ざっくりいうと、温度は分子の運動なんです。激しく動けば温度が上がり、おとなしく動けば温度が下がる」

「仕組み理屈がわかるんなら、よゆーっしょ。魔法は、それだけ理解できてるなら、できるって佐藤女史がいってましたー」

 佐藤女史=カナの意外な一面。筋肉主義な隊員とはいつも折り合いがつかないと思っていた。

「わかりました。じゃあ、それをとってください」

 ムーンバックス・コーヒーを指差す。その溶けかかったアイスコーヒーの、紙ナプキンを要求する。そして、ミネラルウォーターで濡らした。

「ちちん・ぷいぷい」

 子供じみた呪文=しかし魔導の光が濡れた紙ナプキンを覆う。ニシは、その紙ナプキンを渡した。

「えーいや、ぜったい、そんなの。なんか嫌なんすけど」

 ジュンには魔導が見えない。ニシはすかさず、紙ナプキンをジュンの首に貼り付けた。

「どうです? 涼しくなりましたか」

「おおっ、これは! 快適っす」

 魔導=水の温度を下げ続けるもの。至極単純でかつ、安全な魔導。

「体の温度を下げると、体の細胞が凍っちゃいます。このほうが体に丁度いいんです」

 ジュンはおとなしくなった。本当に元警察かと、疑いたくなるが、潰瘍内での戦闘で実力を見てきた。

「あれ、それスマホ?」

「いえ、電子書籍のリーダーです。ちゃんとカナに許可をとったんで」

「ふーん」ジュンが画面を覗き込む。「マンガ? それともエッチィやつ?」

 しかし、本の表紙は重々しいフォント=「宇宙物理学 基礎」

「さっき、言ったとおり、科学的な理屈がわかっていれば、魔導もまた実現可能。高度な術を組み合わせるためには、こういうのも読まなきゃならないんですよ」

「魔法使いなのに、物理学」

「魔導士だから、物理学」

 魔導は、魔法ほど万能ではない。もっとも、魔法はフィクションの存在。ことヨーロッパでは中世の魔女狩りで魔導が衰退。日本においても関ケ原の戦い前後に徳川側に裏切られたとかで、歴史の表舞台から姿を消した。そのおかげか、1度目と2度目の大戦では兵器利用されず、3度目の大戦では放射能除去で魔導の評価が上がった。

「昨日の映画、見ました?」ニシは唐突に「メイトリックス大佐が誘拐された娘を救うって話の。銃で撃たれても、ナイフで切られても、シュワちゃんは戦えてた」

「あー、あれ、あれは嘘っすよ。警察学校で、間違えて自分の膝を撃ったやつがいて。たかだか38口径の拳銃弾でも、当たれば痛いし運が悪ければ、動脈に当たって失血死。アドレナリンを加味しても、無理っすね」

 専門的。普段の軽い雰囲気とは少し違う。

「魔法も、同じようにフィクションなんですよ」

「あはっ、魔導に感謝っすね」

 ジュンは冷え続ける紙ナプキンをぺしぺしと叩いた。本当にわかっているのだろうか/飄々とした態度からは伺えず。

 第一監視基地は、常磐の保安部から3つの小隊が常駐している。監視と本部待機が3交代で行われる。潰瘍の中に点在する監視ポストを設置、補修する任務もあるが、ここ1週間、だれも潰瘍の中に入っていない。

 “だれか”によって監視ポストが壊されている。1ヶ月前は単なる噂だったが、今は本社からの指示で調査しているらしい。今もなお、稼働停止する監視ポストが増えているとも聞いた。そもそも、怪異は意思を持たないので、監視ポストは、外観を欺瞞をせず、堂々とビルの屋上や大きい交差点に配置している。悪意ある者が見つけて壊そうと思えば簡単だった。

「子ども、一人増えたんですっけ?」

 暇に任せて、ジュンが聞いてきた。

「ええ。もうすっかりうちにも学校にも慣れたみたいで」

 すくなくとも、サナは見える範囲では表情も増えているみたいだった。

「かわいいっすか。あ、やだなー変な意味じゃないっすよ」

「もちろん、かわいくない子どもはいないです。ときどきイライラしますけど。だけど、かわいいです。だから常磐でも、頑張って働こう、って思えるんです」

 沈黙。

「常磐が嫌い?」

「いや、別に嫌いじゃないですけど」

 陰謀論大好きオジサンが脳裏をよぎる。世界を牛耳る秘密の多い企業なので100%信用できないのは確か。

「ジュンさんは、どうして常磐に? 前は、おまわりさんだったんでしょ」

「SATっす。知ってます? SAT」

「警察の特殊部隊」

「そおっす。たしかに、潰瘍やらあの戦争やらで、犯罪は増えるし難民のトラブルも多いし、警察は大切っすけど、俺は怪異と戦うためにここにいる。5年前のあの時、俺の力じゃ誰も守れなかったから。それに──」

 めずらしく真面目だった。そういえば、志望動機なんて真面目な話を聞いたことがなかった。話すとすればいつも、戦術と仕事の愚痴と、あとは筋肉プロテイン昨日のサッカーの結果。

「──超巨大企業の私設軍隊って肩書は、女の子にモテるんっすよ!」

 さっきの敬意を返してほしい。

「他のメンバーも、理由はそんな感じですか?」

「たぶん。あの頃はまだ陸自に魔導災害特務部隊M66はいなかったねー。あでも、隊長のことは知らんっす。聞いてもはぐらかされた上にローキックされるので」

 それ、パワハラじゃないかと思ったが言葉を引っ込めた。体育会系筋肉部隊には、それがあいさつなのかもしれない。

「あ、ところで」ジュンが切り出した。「隊長のこと……」

 その時、重低音のアラームが鳴り響いた。東京潰瘍を封じ込める抑制フィールドのあちこちで、危険を示す赤色灯が点滅する。

「また怪異っすね」

 ジュンは強化外骨格APS節電設定セーフモード から通常モードへ切り替える。関節ごとに埋め込まれたLEDが、青から緑に光る。

 ニシが通信機に手を伸ばしたが、ジュンがその手を掴んだ。

「今、警報機これ を鳴らした部隊が報告してる最中っすから、ここから話して回線を使うのはだめっす」

 チャラ男の専門的かつ適切な指示。

 2人のいる第3ゲートは異常なし。潰瘍は赤黒い不気味な光を放ったまま静かなまま、厚さ数センチの抑制フィールドを隔てて、潰瘍内は隔絶状態なので、何があろうともこちらから様子をうかがうことはできない。

『全部隊へ!』リンの発令『第4ゲートに怪異が殺到している。内部のCCTVを見る限りA型怪異が“いっぱい”。それとまだ生きている監視ポストからのデータでD型怪異の接近も予想される』

「Dはまずいっすね。あそこ、資材搬入用の大型ゲートだからD型もラクラク通れるっす」

「そうなったら、この前のようにうまく排除はできないかもしれない」

 公衆の面前でカグツチの召喚の術を使うのは気が引けた。魔導士の奥義はすなわち弱点にもなりうる。できる限り通常の魔導だけで撃退したい。

『今、第4ゲートにいる第2小隊はそのまま待機。ニシは第4ゲートに向かって。なお、第1小隊はその場を離れないこと。敵が意思を持つ怪異であれば、これは何らかの陽動の可能性もある』

「こちらニシ。了解した。すぐに向かう」

 第4ゲートまで丸い円を描くような道のりで25kmある。すぐ向かうとすれば、多目的輸送車ハンヴィーを運転していくしかない。

「ほーら、早く!」

 ジュンはのトランクから擲弾筒を取り出して脇に抱える。数十メートル先まで小さな爆弾を飛ばせる携行火器。C型怪異くらいなら倒せる。

「でも、これに乗っていったら」本社から届いたばかりのM2機銃が使えなくなる。

「心配しなくても、戦闘訓練は積んでるっす」

 ジュンはニシの背中を押して、車のICキーを手に押し付けた。

 ニシは運転席に乗り込んだ。イグニッションスイッチ=on。サイドブレーキ=解除。ひとつずつ目視する。

「運転、できるっすよね?」

 ジュンは、バイクに乗るニシしか見たことがなかった。

「一応、免許はあります。左がアクセルで」

「右がアクセル。って本当に大丈夫なんっすか」

「わかってますよ。アメ車だから逆だと思っただけです。それさえわかれば」

 ニシはアクセルペダルを踏んだ=加減がわからず急発進した。車載のトラクションコントロールがすかさず介入=スリップを防ぐ。

「まあ、事故っても死なないっしょ。魔法があれば」

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