8
町外れの古びたアパート。その前に警察のパトカーとバンが停まっている。進入禁止の黄色いテープの後ろで制服の警官が立っている。
野次馬は数名/スマホでSNSを覗きながら事件を実況中。
「魔法使いライダーの到着だ」
ニシは路肩にバイクを停めて、黄色いテープをくぐった。
「お久しぶりです、刑事さん」
川崎署の刑事=新山が出迎えてくれた。ぱっと見、サラリーマンにも似ているが、
「わざわざ呼び出してすまんな」
新山刑事は、こっちだ、とアパートの二階の角部屋へ案内する。
「緊急、でしょう?」
「かもしれん。害者は30歳独身。今朝、ここに尋ねに来た交際相手が遺体を発見……あ、死体があるけど大丈夫だったか?」
「ええ、見慣れてますよ。
トラウマではない。でも、昔のことだと割り切っている。
「俺ぁ、原型をとどめている方が堪えるんだけどなあ。そこの若いのなんて、朝からゲーゲーしてた」
すれ違った若い警官が気まずそうにしている。
「我慢してみますよ。で、怪異と関係が?」
「普通の死体じゃないんで、一応、ガイガーカウンターで調べてみたら反応ありだったんだ」
「魔導の計測器のことですね。空の魔導セルが入ってる」
「といっても怪異を見たってわけじゃないから、市の方のも報告できなくてな」
アパートの室内へ入る。鑑識の警官に靴をビニールで包むよう促される。ドラマで見た光景。こういうのって、本当にあるんだな、と感心。
間取りはリビング/ダイニングと和室の2部屋。部屋を仕切る襖が破れ、和室へ引きずったような血痕が残っている。
凄惨な現場を見た。
「これだけ暴れて、目撃者とかいないんですか?」
「あいにく、下の部屋は空き家だった。隣の住人は、早朝に物音は聞いたらしいんだが。あれだ、若いカップルだからな。深夜や早朝にうるさい音がすることに慣れていたらしい」
「DVですか」
「おめぇ、わかってて言ってるだろ」
肩をすくめる/普通の若者らしい生活を送ったことがないせい。
ニシは遺体のそばにかがんで観察してみた。
「明らかに、怪異ですね」
「感じるか!」
「普通、こんなふうにならないですよ。頭が、なんというか、かじり取られてる」
頭の左上に大きな穴が開いていて、中が空洞だった。
「おい、遺体に吐くなよ」
「頭の中って、こうなってるんですね」
「冷静だな」
傷口は更にもう一つ。肋骨がもぎ取られていて、胸から背骨が見えている。
「これは、心臓が無くなっている?」
「ああ。まだ見つかっていない。持ち去られたんだろう。他に、気になる点は?」
「防御創がない! ってやつです。この前ドラマで見ました」
「それは、フィクションだろ」
「そうですか」
「ほら、ここ、見てみろ」
新山刑事は死体の周囲を指差す。
「血がほとんど残っていない。まるで、抜き取られたか、あるいは吸い取られたか。頭か心臓の傷口から吸い取ったんだろうな。注射の跡は見つかっていない。詳しくは、解剖してみないとわからない。で、魔法使いとしての所感は?」
「これは」ニシは真面目な顔で「嫌な感じがする」
「……それだけか。嫌な感じなら俺もするぞ」
しかし、たしかに怪異の仕業だった。わずかながらマナの残滓を感じる。そして持ち去られたか喰われたかした脳と心臓と血。
昔、近所の頑固じじぃの魔導士に色々教わっていた時、非主流派魔導の書物を読んだことがある。その本はじじぃの書庫の奥にしまわれていて「禁書」として読むことを禁じられいた。子供の好奇心でそれを手にとって読んだことがある、がすぐにじじぃに見つかって木刀で──ニシが魔導防壁を使うことを前提に──しこたま殴られた。
「たぶん、呪術的な魔導、そして怪異が関わっているんでしょう。ただ、普通、両者は相容れないし、自分は非主流な呪術はあまり詳しくないので」
「そうか。じゃあ、魔導災害として処理しておけばいいな。問題は、同様の被害が続くかどうか」
「常磐のアーカイブに、こういった魔導の資料があるかもしれないので、調べて後日、連絡しますよ」
「わかった、頼んだ」新山刑事は、ニシの肩をぽんと叩いた。「今回の礼は、こんどきっちり払うから」
「コンサルティング料ですね。安くしておきますよ」
ニシ=拝金主義。これも子どもたちの生活費のため。
「署の会計科と話して、いくらか振り込ませてもらう。来週ぐらいになると思うが」
「ええ、構いません」
しかし、その時、死体が予備動作なしに起き上がった。新山刑事=しわの奥の細い目が見開かれてぎょっとなる。ニシは反射的に声なき声の魔導詠唱=魔導防壁を展開。体の正面に鮮やかな緑の魔導陣が現れた。
死体の首は背中側に力なく垂れ下がっている=関節を無視した折れ方をしている。手足はジタバタと、痙攣に近い動きながらも自立できている。さながらホラーとスプラッター映画を混ぜて煮詰めて濃くしたような不気味さ。
「おいおいおいおいおい、どうなってる」怯える中年男性。
「これは怪異です! 気をつけて」
この狭い室内で、自分を守り、警官たちを守り、そして怪異を駆除する。死体に取り憑いた怪異は、もしくは窓を破って逃げるかもしれない。
想定されうる全てへの対応。
魔導詠唱。声なき声で身体強化。動体視力と運動能力を底上げ。チーターの如き俊敏さ。
先に動いたのは怪異だった。シューシューと人だった頃の名残で呼吸音が不気味さを一層増す。攻撃/逃走とも取れる跳躍でニシに飛びかかる。
一瞬。
魔導、
一閃。
振り抜いた。確かな手応え。
切るというより叩き割るといった豪快さで、頭から縦2つに両断する。
リビング/ダイニングまで吹っ飛んだ。半身それぞれの手足が、打ち上げられた魚のようにジタバタと動き続ける。
ドロっとした血が壁/床/天井を染め、ニシと新山刑事も血みどろに。ホッケーマスクをかぶれば、B級映画の悪役だ、と新山刑事を見て思った。たぶん、自分も同じような姿に。
悪夢のように蠢いていた死体は、ピタッと動きを止めた。同時に怪異の気配もなくなった。
肩を上下させて、息の荒い新山刑事。その後ろの若い警官は、すみません、と慌てて口を抑えて部屋から出ていった。そして遠くから聞こえる吐瀉の音。
「ああ、俺も吐きそうだ」と、新山刑事。さっき若い警官をおちょくったことを反省する。
「駆除完了。ということは、コンサルではなくて駆除の手数料を」
「血にまみれて、第一声が金か」呆れた様子。「まさか、その血まみれのスーツの買い替え費用まで請求するんじゃないだろうな」
「これ、ですか」
鮮やかな緑の光=魔導防壁解除=もちろん新山刑事に魔導の光は見えず。
体中の血のシミが消える。魔導防壁はいかなる攻撃も防ぐ。潰瘍の中の自我を溶かす瘴気も防げるしもちろん、血糊も防ぐ。
「くそ、便利だな。なあ、服をきれいにする魔法はないのか」
「魔法は万能かもしれませんが、魔導には限界がありますから」
「わかったわかった。だが、助かったよ。拳銃じゃ、アレには対処できなかった」
「後片付け、頑張ってください。解剖の手間が省けましたね」
「こういう現場の後片付けは専門の業者がやってくれる。俺ぁ、書類仕事だけだ」
無事、怪異は退治できた。しかし、妙な胸騒ぎは残ったままだった。人を殺してわざわざ喰う怪異は、見たことも聞いたこともなかった。これ以上問題が大きくならなければいいが。
ニシは急な仕事を終えて学校へ戻る。時間は12時。校内見学を終えてるころだろう。ポケットに入れたスマホが震えている。たぶん教頭か担任の教師から。
駐車場にバイクを停めて、学校の方へ。玄関で教頭とサナが出迎えた。
「おつかれさまです」
「すみません、遅くなってしまって」
「いえいえ。では、今日のところは終了です。明日から通常通り登校してもらいます。テストの方は、良好でしたねえ。勉強した覚えはないとのことでしたが、今から高校受験ができるくらい、優秀ですねぇ」
サナはうつむいたまま、しかしどこか誇らしげで嬉しそうだった。
「それを聞いて安心しました」
「部活は、まあ、ゆっくり決めてください。時間や予算がかかるのもあります。うちは部活動は強制はしない方針なので」
サナは行儀よくぺこりと教頭にお辞儀をして靴を履いた。
「どうだった、学校は?」
ニシはサナにヘルメットを渡す。
「うん、まだわかんないですけど。でも、なんだか楽しそうです」
「そう。それはよかった。友だちは?」
ニシは校舎の2階を見上げた。好奇心に満ちた顔、顔、顔がこちらを見下ろしている。今は、昼休みだろうか。
「それも、まだ。でも何人か話しかけてくれました」
「背伸びしないで」
「うん、背伸びしません」
「自然に」
「自然に」
「みんなに、手を振ってあげたらどうだ」
サナは、引きつったまま、しかし笑顔で、校舎から顔を覗かせる生徒たちに手を降った。何人か反応してくれる=主に男子生徒。
「お腹、空いた?」
「はい」
「どこか、ファミレスにでも行こうか。でも、モモたちには内緒で」
「はいっ!」
とりあえず今は、あの妙な怪異のことをを忘れることにした。記憶のないサナが、新しい楽しい思い出でいっぱいになれるように、尽くすだけだ。
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