プロローグ

東京潰瘍。旧世田谷区。

瓦礫と廃墟ばかりが立ちふさがる中、朽ちずに残っているモニュメント=SL公園。

「まだですかっ!」

 ニシ=インカム越しに問いかける。距離は50mほど。そのすぐ横の監視ポストに、防護服+強化外骨格APS に身を包んだ男×2がゴワゴワする手袋を器用にに動かして基盤を交換している。

ニシは防護服も強化外骨格APSも、銃さえ持っていない。作業着兼戦闘服/背中に大きな常盤興業ときわこうぎょう のエンブレム付き。普段着のみの場違いさ。

 高速詠唱。声なき声を唱える。召喚=虚空こくう から現れた無骨なマチェットを握りしめる。

 身体強化=詠唱済み。瞬時に目標との間合いを詰める。

 眼前=A型怪異×多数。潰瘍の薄暗い帳の奥にもまだたくさんうごめいている。すなわち異常事態。

 マチェットを振り下ろして、その質量でA型怪異を叩き割る。不気味な面と不定形の体がぐにゃりと倒れた。

 左=鋼鉄も穿つ速度でA型怪異の触手が伸びる/持ち前のスピードでかわす/叩き切る。

 右=体の反動を使って薙ぎ払う。

 正面=蹴る/間合いを取る。怪異の首と思しき部分に刃を叩き込む=そのまま手を離し、大きく後ろに飛んで距離を取った。

 高速詠唱。わずかに唇が動き、それが閉じた瞬間、敵陣に残しておいたマチェットが爆発四散した。マナを含む爆炎が怪異を焼き払った。

「もうすぐだ。持ちこたえられるか」

「A型とB型の怪異ばかりなので、なんとか」

 火炎の中から、ひとまわり巨大な影が現れる=不気味な面はA型と同様/しかし3本の足が地面を掴んで、突進の体勢をとった。

「B型、にしてはやや大物だな」

 ニシ=不敵に笑う。

 巨躯の怪異が地面を蹴った/同時に魔導陣が複数展開。エメラルド色の輝きが薄暗闇を割いた。

 高速詠唱。声なき声を唱えた。幾何学模様の中心からかえしの付いた3本のもり が高速射出=怪異の体を貫いた。さらに、銛の後端が地面と鎖でつながった。

 ガシャガシャと金属がやかましく鳴る=怪異が暴れる。しかし槍は外れない。口があるようなら不気味に吠えているだろう。

 ニシは何も持っていない手を振りかぶる。それが振り下ろさ得れる瞬間、鈍く光る斧が召喚され、怪異の体を引きちぎった=たちまち霧散する。

 ニシ=一息つく。いつにもまして忙しい。左腕に通している白の腕輪=最高位の魔導士を監視するGPSデバイスが揺れた。 

「ところで、反対側から来ている奴らはそっちで対処してもらわないと」

 マナを探知する術式は常時展開している。

「反対って、どっちだ」

「えっと、いち、にぃ、さん、、、4時方向です」

 ニシ=あくまで民間人。軍事用語には疎い。

「畜生、もっと早く言え」

 悪態=ケン。怪異にも負けない体躯がのそりと動いた。

 銃を構える。Mk.Ⅳマークフォー ライフル=元は戦争用/今は対怪異戦闘用に改造済み。

 潰瘍の薄暗い闇から怪異の顔……に見える部分が現れた。

 タタン、タタン、タタン。

 的確な3点バースト射撃が怪異を穿つ/途端に体が霧散する。

「おい、ジュン、まだ直らないのか」

「直すっていっても、これ新品を持ってきたほうが早いっすよ」

「応急処置だけでいい」

「んん、導線チェック──OK。通信機能と怪異の探知機能は動いています。でもこれ、壊れたと言うより壊されたとゆーか」

「ひとまず撤退だ。ニシ、そっちも、でかい花火を上げて時間を稼いでくれ」

 ケン&ジュン=ライフルを小脇に抱えて多目的輸送車ハンヴィー へ走った。

「了解。でもまた潰瘍内の地図を書き換えなきゃいけませんよ」

 高速詠唱。声なき声を唱えた。エメラルドの輝きが再び興る。

 そういえば、ここは公園だった。1度、通りかかったことがある。もちろん、潰瘍の起きる前の話だけれど。またしても平和な頃の町並みを消してしまう=僅かな憐憫れんびん

 光&風の圧力。やや遅れて爆轟が廃墟の町に興った。きのこ雲が赤黒い空に立ち上り、怪異も瓦礫もきれいサッパリ消えて、ぽっかりクレーターだけが残った。

 ニシ=爆心地から最も近く/しかし仁王立ちのまま。魔導障壁が爆炎&衝撃波&瓦礫の破片から守ってくれた。最高位の魔導士としてこのくらいわけない=ゆえに常磐ときわ 興業で怪異と戦う契約社員をしている。

 音もなく多目的輸送車ハンヴィー が真横に来た。ぴりりとした感覚を覚える=魔導セル仕様の電動エンジンのせい。

「ったく、やりすぎだ」

 ケン=後部ドアを開けてやりながらぼやいた。

「でかい花火って言ったでしょ」

 ニシはシートに座ると、行儀よくシートベルトを締めた=社内規定のうちのひとつ。 

「乗ったっすね。じゃあ、出発しますよ」

 甲高いモーター音が響き、滑るように発車した。そしてがらんと広い旧環状7号線に出た。遺棄された廃車や瓦礫はあらかた撤去してある。怪異の出現に備えてなるべく道路の真ん中をひた走る。

 運転手はジュンだった。助手席に彼のMk.Ⅳマークフォー ライフルが立て掛けてある。その銃口がぐらぐらと揺れて、ときどきニシを見ていた。

「こちら、Bブラヴォーチーム、作業戦工程を完了。合流ポイント1-30へ移動中」

 ケン=無線機で淡々と連絡を取る。元軍人の慣れた口調だった。

 しかし応答がない。ニシとケンは顔を見合わせ、ジュンもバックミラー越しにこちらを見てくる。

「無線機が壊れてます?」

「まさか」

 数秒の時間を置いて、回線が開かれた。耳をつんざく銃声に、思わず音量を下げた。

『こちら、Aアルファ チーム。怪異が多すぎる。でも、このまま突っ切るわよ』

 若々しい、少女のような声=リンが早口で答えた。

「あと、15秒で合流します。いやーケンさんのおかげっすね」

「何がだ?」

「今日の任務の前、じゃんけんしてBチームこっちにニシさんが同行してでしょ。いやはや、魔法使い様々ですよ」

 ジュンの軽口にケンがムッとなる。しかし、言い返す前に、

『ジュン、後で上段蹴りだから、覚えてなさい』

 そこで通信が切れた。

 車両が大きな交差点に差し掛かるとき、左から同型の多目的輸送車ハンヴィー Aアルファ チームが滑り込んできた。

 2台の多目的輸送車ハンヴィー は旧環状7号線を南へひた走る。ドーム状に空を覆う潰瘍も、末端に近づくほどその色が濃くなっていく。

「5時にボギー、数3。C型だ! 隊長、もっとスピードを」

 ケンが叫んだ。足元のトランクケースからひときわ大きな銃を持ち上げる=陸自から払い下げられたMINIMI機関銃。

 銃座から上半身だけ出すと、機関銃が火を吹いた。不規則なリズムで銃弾が発射される。焼けた薬莢がボトボトと車内に落ちる。

 返事を聞くか聞かないかで再び射撃。6本足の獣は足をもがれ道路脇に転がる。この薄暗い潰瘍のなかでは、どうなったかわからない。

 間近で銃声が響く。ニシは耳鳴りに頭を抑えた。防護服に強化外骨格をまとう“彼ら”とは違って生身にインカムを付けただけ。けたたましい銃声には未だ慣れない。

「そっちにニシが乗ってるでしょ。──ああもう、正面のA型なんて気にしない。跳ね飛ばして」

 左耳のインカムから、少女のようなキンキン声が聞こえた。

 たぶん、これ以上の加速は無理のようだ。“潰瘍かいよう ”が発生して5年。かつての環状7号線は、瓦礫はどけられても走りやすい道とは言えない。

「ほら、ニシ。お前の出番だ」

「銃で、なんとかならないです?」

「銃弾、高いからなあ」

 もごもごと、防護マスクの向こうで屈強な大男=ケンはぼやいた。この男は経費その他を気にする立場じゃないと思うのだが。

 大男は身をかがめて車内に入ってきた。手に持っている大きい銃は、他の隊員のものよりも大きい。ニシは銃に詳しくないが、あの戦争で使われたものだろうか。

 銃弾一つ一つに対魔導障壁貫徹の術式が丁寧にかけられている。だから値段が高いのだろうが、C型怪異を倒すほどの威力はない。そのくせ、常磐は知的財産とか言って、銃の術式の改造を許してくれない。

 ニシは車両の天窓から身を乗り出した。バサバサと風で髪がなびく。多目的輸送車ハンヴィー は悪路を走っているせいで、足を踏ん張っていないと投げ落とされそうだ。

 後ろにC型怪異が2体/足が6本のスピードタイプ。薄暗い潰瘍の中では遠くを見ることができないが、他にもいるかもしれない。距離は100メートル。コンクリート片を蹴り飛ばしながら切迫してくる。赤く光る眼、角のようなものもある。命あるものを刈り取らんとする意思を感じる。この潰瘍の中で、人は存在すべきではない、と。

 高速詠唱。声なき声を唱える。そして両手を左右に伸ばした。揺れる車内で、両膝で手すりを抑える。

 車両の両脇に緑に光る魔導陣が展開された。2つの魔導陣から光線が何重にも伸びてC型怪異を包み込む。

 光が解かれる=にわかに金属の細いワイヤー出現。ワイヤーが肉に食い込む/足を絡め取る/首を絞める。そしてバラバラに刻んだ。

 その後ろを走っていた別のC型怪異もバランスを崩して折り重なるようにして倒れた。そして薄暗闇の中に消えていった。

「ヒュー やるねえ。さすが魔法使い」

 ケンが囃し立てた。強化外骨格のボルトやらフレームが車内に当たってガチャガチャ音を立てる。

 ニシは、打ち付けた膝を擦りながら「タングステンのコードを物質召喚しました。マナを帯びているし、切断する威力もあるので。あと、自分は魔法使いじゃなくて魔導の術士です」

 物質召喚の魔導士=ニシはうんざりして答えた。

「いっしょでしょ、どっちも」

 ハンドルを握る隊員=ジュンは、振り返らずに言った。

 この2人の筋肉だるまに限らず、一般人から見れば魔導も魔法も言葉の綾くらいの違いしかない。が、魔導は魔法のような万能の奇跡ではない。

「向こうも、ずいぶんやりあってるな」

 向こう=先頭を走る多目的輸送車ハンヴィー の両サイドから隊員が身を乗り出して撃ちまくっている。左は、ここからじゃ誰かわからない。ハシかヒロのどちらか。銃の扱いが上手いのでたぶんハシ。

 その右側、小柄な影が動いた。弾倉を交換する瞬間にB型怪異が飛びついてきた。小さい影は素早くライフルを脇にしまうと、強化外骨格APSの腕に仕込まれた杭打機パルバンカー で怪異を貫いた。そして蹴飛ばして他の怪異を巻き込んで道路脇に蹴散らした。

「小さいから、ああ動けるんですか、隊長は?」

「ハハハ、もし俺が小さくても、ああは動けないっす」

「小柄な方が神経が短くて素早く動けるんだ」

 ケンが通信機のスイッチが切れていることを確認しながら言った。

「あの小さい隊長、元空挺ですよね」

「そりゃただの噂だ」元陸自のケンが言った。「単に前世が戦闘民族だったんだろ」

「ケンさん、通信機入ってますよー」ジュンが言った。「嘘ですけど」

 ケンがジュンの頭を小突く。

「余計なこと言ってないで運転しとけ。安全運転で」

「俺も銃を撃ちたいのに」

 元SATのジュンが不平を言った。

 潰瘍対策のため、常磐はあらゆる分野からヘッドハンティングしたらしい。元軍人や元警察といった経歴者が多い。とはいえ、魔導の嵐の潰瘍で、一般人は生きていけない。異常な作戦状況で戦ってるのは、これも異常な隊員たち。

 ジュンが多目的輸送車ハンヴィー のサイドミラーをちらりと見た。

「今、なにか動かなかったすか?」

 2人はさっと振り返る。相変わらず薄暗い視界。赤黒い天蓋が覆っている。

「何も見えないぞ。本当に見たんだろうな」

「今のはマジっす。照明弾でも打ち上げたらどうですか」

 ジュンがぼやく。今はさながらオオカミ少年のジュン。

 潰瘍の薄暗さは単に暗いというわけではない。次元の反対側から溢れ出したが立ち込めているせいだ。光の有無は関係ない。

「んなことしたって、で何も見えんだろ。あまり備品を使うと佐藤女史があとでぐちぐちうるさいから」

「書類仕事が嫌なだけですよ、あの人。根はいい人です」

 最高位の魔導士=常磐社員の佐藤カナは頭脳労働派で、筋肉派の隊員とは何かと相性が悪い。

 ニシは右の手を広げた。手のひらに青緑に光る陣が現れる。が、一般人のケンには見えない。

「何を?」

「索敵の魔導陣です。何かいれば、見えるはずです」

 にわかに発行する魔導陣が広がった。車両を包み、道路脇の瓦礫のその向こうまで、透過して広がった。

 脳裏に浮かぶ動く影。そののように見える反応が瓦礫の町並みを移動していた。

「リン、何かいるぞ!」

 ニシがインカムを掴んで言った。

『報告は、もっと、正確に』

「俺は、軍人じゃないからそういうのはわからない」

 隊長=リンの通信にノイズと、鼓膜が痛くなる銃声とが交じる。インカムを耳から少し離した。

「軍人って言うと怒られるっすよ」

「自衛隊、だな」

 ジュンとケンがたしなめる。

「じゃあ、やっぱり元空挺じゃないですか」

 妙な胸騒ぎのため別の魔導陣を展開した。手の上に映像が映る。今度はケンも見えるよう、マナを光エネルギーに変えた。

「便利だな、は」

 ケンにとっては、魔導の源=マナもそういう認識だ。

 薄暗い映像を最適化。さらに拡大する。古びた雑居ビルが吹き飛んで崩れた。そしてビルの屋根や壁伝いに巨大な影が近づく。

「まずいまずい」ケンが通信機に叫ぶ「隊長、こいつはD型だ。ずいぶんと速い!」

『この後のルートは?』

『今、旧318号線、この先緩やかな右カーブがあってから、潰瘍の出口ゲート だ』

先頭の多目的輸送車ハンヴィーの運転手=テツが早口で言った。

「別のルートは?」

『いや』隊長のリンは即座に否定した。『出口ゲート で待ち伏せされたら厄介だし、他の第三、第四出口ゲート まで20kmはある』

 三角関数ならそのくらいの距離。道のりはもっとある。

『どのくらいで追いつかれる?』

 全員のインカムからリンの声がした。ケンが目配せする。ニシは指で「1」を作った。同時にケンは「3」を作った。

「あと1分、もって3分」

出口ゲート までは?』

『8分、いつもなら』

 先頭車両の運転手=テツが苦々しく言った。

 多目的輸送車ハンヴィーのバンパーにA型怪異=かろうじてヒトの形を保った不定形の自我がとどまることなくぶつかる。攻撃をするわけでもなく、ただ進路に立っている。

「妙だな。怪異が連携をとっているように見える。こんなの今まで見たことがない」

 ケンが訝しむ。赤いラインの入った。弾倉をMINIMI機銃に差し込む。

「焼夷弾だ。こいつで吹き飛ばす」

「ちょっと」

 ニシは熱く焼けた銃身に指を近づける。そして魔導の声なき声を唱えた。光が数回点滅し、銃口に複雑な模様の魔導陣が広がった。

「何をした?」

 ケンには当然、見えていない。

「怪異の皮膚を貫いた後、爆発します」

「改造ってしていいのか?」

付術エンチャント のことは常磐社員には内緒で。爆発も、強すぎないように調整してあります」

「ああ、あれか。最高位の魔法使いは、原爆が作れるっていう」

「正確には、最高位の魔導士は、核爆発が起こせる、です」

 ニシの腕で乳白色の腕環=最高位の魔導士を監視するGPSデバイスが揺れた。

「来た!」

 ジュンがバックミラーを見て言った。ケンは天井から身を乗り出した。

「クソっ、なんだありゃ、まるでキメラだ」

 安全装置を解除。レバーを引っ張って弾を装填する。ガチン、と金属が合わさる音。

 ニシも振り返ってその姿を見た。伝説のキメラのごとく、獅子のような頭、意思を持つ尾、山羊の頭が背中ら生えている。しかし2足歩行で疾走する姿は、どちらかといえばミノタウルスに色々くっつけたような怪異だ。

「ケンさん、正確に生き物の体を模しています」

「それなら俺の得意分野だ」

 即座に銃が火を吹いた。爆発的な銃声が轟く。マナをまとった銃弾は青い線条となって、キメラの足を付け根に突き刺さると爆散した。

「ヨシッ!」

 だがキメラは体制を崩さなかった。失った足がすぐに生えてきた。そして失速を補うかのように走る速度を上げた。

「強力な身体補修能力。妙だなあ。いくら潰瘍内でマナを補給できるからと言って、ここまで迅速に補修できるとは思えない。それに、のキメラが潰瘍内で偶然 生成されるとも思えない」

「分析はいいから、どうればいい!」

 ケンが叫ぶ。

『2号車へ。こっちもボギーを確認した。そっちに擲弾筒は置いてなかったっけ』

「今日は単純な監視ポストの修理作業ですよ。持ってくるわけない」

『あーもう、上申書、出しておかなきゃ』

 リン=うだうだと不満を漏らす。

 ケンは再び発砲した。頭腕肘膝目、蛇のしっぽ全てに穴をうがった。

 しかしキメラの傷はたちどころに修復した。雄牛かライオンか、獣の鼻から蒸気が吹き出る。

「まずいぞ、追いつかれる」

 ケンは車内に戻って次の弾倉を掴んだ。

 ニシはその銃の熱気から顔を逸して

「自分が時間を稼ぎます」

「おいおい、まさか車から飛び降りるんじゃないだろうな」

「軍人じゃないのでそこまでの自己犠牲はできませんよ」

「じゃあどうやって」

「とりあえず、後ろを見ないでください」

「鶴の恩返しのつもりか?」

「ええ、そうです。強力な魔導には秘密がつきものでしょう。うまくできたら1万円くらいください」

「って、俺が払うのか」

「そのお金で、にハンバーグを作ってやれるので」

 ニシはもぞもぞと動いて、の天井から身を乗り出す。

 キメラはまっすぐニシを凝視した。有象無象の怪異とは違う。単純に魔導防御の高いD型怪異とも違う、意思を持つ存在だった。

 その敵に手をかざす。物質の召喚?いやだめだ。ロープだろうが鎖だろうが引きちぎってしまう。神聖物の召喚?いや、詠唱に時間がかかる。間に合わない。攻撃系魔導も、おそらくは防がれるか効果がない。となれば、やはり

「カグツチ!」

 声を伴う詠唱。しかも短く。短い光の点滅。足を止めるキメラ。

 出現=鎧をまとった上半身だけの骸骨/巨体。まだ腐り落ちてない右目がぎょろりと敵を見定めた。

 しかし、キメラの体が止まるより先に、それが動いた。空間が歪み高次元から現れた巨体は、手に持つ矛でキメラを切り飛ばした。

 ふたつの姿はもみくちゃになって、潰瘍の薄暗闇に飲まれて見えなくなった。

「おい、おーい、もう後ろを見てもいいよな」律儀なケン。「くそ、まじかよ、マジでやりやがった!」

 興奮すると言葉が汚くなる。

「隊長、オールグリーン。ボギーは排除した」

『やるわね。でも、あとで報告書をごまかすの手伝ってよね。D型怪異を簡単に排除した、なんて書けるわけないんだから』

 相変わらず余裕のリン。

 ニシは車内に戻ってシートベルトを締めた。常磐の教練で教わったことの一つ。

「よくゆうぜ、俺たちは危うく潰されるところだったのに」

「きっとこっちにはニシがいるからじゃないっすか。一番安全な所」

「買いかぶりすぎですよ、ふたりとも」

「んで、何をしたんすか。俺、運転しててよく見えなかったし。D型怪異を簡単に倒す魔法ってやっぱ、原爆みたいにすごいんっすか?」

 やたら饒舌なジュン。緊張の糸が緩んだせいか。

「秘密です。助かったんだからいいでしょう? それに魔法じゃなくて魔導です」

 旧大田区の出口ゲートが見えてきた。明るいサーチライトがこちらを照らし、観音開きの大きな門が、車両1台分ギリギリだけ開いていた。上下に配置されたCIWS自動防御システム が薄暗い潰瘍の空間を睨んでいる。

 出口ゲートをくぐった。とたんにまばゆい光に包まれて目を細めた。早朝に潰瘍に入ったのでたぶん今はもう昼過ぎ。潰瘍の中では昼夜を問わず薄暗いため、時間の感覚が麻痺してしまう。

『強化洗浄を行います。そのまま待機してください』

 通信機からのアナウンス/潰瘍を監視している軍用AIの無機質な声。

 隊員たちは、おとなしくじっと席に座ったまま。しかしニシは息を大きく吸って目を閉じた。

 その瞬間、多目的輸送車ハンヴィーの内外を細かい泡が包んだ。ほんの数十秒、しかし息を止めているニシにとっては永遠に感じる。

 一通り泡が行き渡った後、溶剤ですべて洗い流された。技術主任のカナ曰く、人体には影響がないらしい。妙に甘い匂いの溶剤はすぐに乾いた。

「少し口に入った」

 久しぶりの空気は、いつも吐き気を催すような気持ち悪い臭いだった。これは何度やっても慣れない。今度から一般隊員用のマスクを請求してみようか。

 信号機を横にしたような、そのランプは赤から緑に変わった。2重の防御壁が閉じられ、はやっと潰瘍の外へと出た。

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