1

トントントン。

 カナが書類に目を落とし、たぶん読んでいないんだろうが、ペンで空のフォルダを叩いている。

 トントントトン。

 すこしリズムが変わった。回数は54回目。

 ニシは机を挟んで、カナと向き合っている。昔から、誰かに怒られている時、いつも相手の癖を眺めていた。足や手が動いたり、指先の動きに集中したり。そうこうしているうちにお説教タイムは終わる。高校を過ぎ大学を過ぎ、そんな幼い処世術を今使うことになろうとは。

 トントン。ペンの動きが止まった。ペンに書かれている「常磐興業」がはっきり見えた。来客用の粗品のペンをカナは使っていた。左手で握るペン。その腕にはニシと同じ乳白色の腕輪があった。

 GPSの埋め込まれた機械。核爆発さえ起こせる高度な魔導士を監視するための監視ビーコン。

「で、何、これ」

「それは、午前中の作業の報告書」

 簡潔に答えた。カナの目が報告書からニシに移る。

 しばし沈黙。遠くから第一分隊の筋肉だるま達の声が聞こえる。ここ第一監視基地の運動場でバスケットボールを楽しんでいる。あの程度の戦闘は些細なことなんだろう。

「だぁかぁらー、『D型怪異が現れるも、怪異がコケたため、逃走に成功』って何よ!」

「短すぎたか? それならもう少し書くけど」

「そーじゃなくて!」

 小さい声だが爆発寸前。核爆発より恐ろしい。

「不確定要素が多すぎる。何も報告できないよ、佐藤主任」

 カナは細く長く息を吐いた。同じ年/同じ魔導士、だけれど立場上は上司に当たる。友人としてのカナと、上司としての佐藤主任は、少し違う。

「はいはい、じゃあ、ここから先はオフレコってことで。何?」

 カナは粗品のボールペンを放おった。

「同じ魔導士として、思ったことを言わせてもらうと、妙だ。今までとは何かが違う。まるで誰かが怪異を操っているような、統率を取れた行動をしてる。それにあのD型怪異。通常のA,B,C,D型怪異は、融解した自我の結合体だが、あれは、なんというか、誰かに設計された感じがする。俺たちと戦うための」

 しかしカナは表情を変えなかった。

「誰が?」

「さあ、わからない。だから不確定要素だ、って言っただろ。しばらくは監視ポストのデータ確認と潰瘍の深部へ行かないようにするしかない。そうそう、リンは武器を上申するって言ってた」

「ああ、これね」

 カナは書類の束からフォルダを引き抜いた。

「『上位怪異討伐のため、以下の武器を早急に配給されたし。TOWおよび携行対戦車兵器、マルヒト型装甲車……』あー滑空砲が載ってるやつね。魔導セルが使えるようにうちの大学で設計してたわ『……強化外骨格APS装備の隊員、各小隊に10名ずつ…』強化外骨格APSが、1セットいくらするか知ってるのかしら、あのちびっこ隊長。『……戦闘ドローン、ロボット』研究中だっての」

「配備できるのか」

「できるわけ無いでしょ、これじゃまるで軍隊じゃない! 一応、民間企業なのよ。特に陸自の魔導災害特務部隊 M 6 6 隊 がだまっちゃいないわよ。防衛省を丸め込んで『俺たちが駐在する』って横槍入れてくるから」

「そんときは、常磐の契約社員をやめて、そっちの臨時公務員にでもなろうかな」

「お金、大好きね」

「子どもたちにご飯を食べさせなきゃいけないから」

 またしてもしばしの沈黙。

「まーいいわ。私が適当に取り繕って報告しとくから。所長にも、あのちびっこ隊長と口裏合わせておく。D型怪異も、たぶん本社の方から対策兵器かなにか送られてくるし。いざとなったら私も戦うし」

「マジで言っているのか?」

「ええ、マジよ。最高位の魔導士よ、私も。第一、戦闘要員として採用されたのよ、私。それが、あなたが来たから──」

 カナはなぜかそこで言葉が詰まった。

「俺のせい?」

「ううん、研究職とか大学院のほうに集中できるからいいのだけど。まあいいわ。なんとかなるでしょ」

「そんじゃよろしく」

 がらがらと、お説教用のパイプ椅子を壁際に畳んで戻した。

 一応、業務は一通り終わったので、更衣室で着替えて帰ることにしよう。

 旧大田区、がらんと更地になった工場の敷地にの外れに建てられた第一監視基地は、研究棟、訓練棟、待機棟のビルに別れている。更衣室は待機棟にある。運動場を隔てて反対側。

 エレベーターの呼び出しボタンを押す。魔導を使えば5階からでも飛び降りることはできたが、みだりに魔導を使うことははばかられた。社内規定第6条=それを守る律儀な魔導士。

 5階から1階へ降りていくエレベーター内で妙な気配がした。

 咳払い。姿勢を正す。

「ありがとうございました」

 ニシは抑揚のない声で、丁寧な礼を述べた。

「いやいや、どうってことないさ。君に呼ばれればいつでも駆けつけるさ」

 誰もいないはずの空間から返事があった。磨かれたアルミの壁に、大柄な男の姿が写った。浅黒い肌に長い金髪。身長は2m近い。さながら湘南のサーファーといった大男が白いスーツを着て、『VISTER』の札を首から下げている。

「一応、“神”に対しては礼節が大切かと」

「ははっ神。そう、我は神だ!」大男は思い出したかのように大仰に手を振る。「しかし、気づいてしまったのだよ、我は」

「何に?」

 その時、エレベーターは1階に着いた。2人と入れ替わりで若い女性の技術者がエレベーターに乗り込んだ。神、と名乗った彼はその女性にニコリと微笑んだ。

「あと、なるべくこの施設で現れないようにといったのに」

 ニシが釘を刺す。

「ヒトは見た目で善悪を判断をする。観察をしていて分かったんだよ」

「見ていた、と?」

「透過状態でこの次元にあられるなど造作もない」

「……つまり俺のマナを使ってこっち側に遊びに来ていた、と」

「この服、この札、そしてこの清々しい顔。これさえあれば誰にも疑われない。もちろん魔導探知を回避する防壁は何重もかけてある」

「じゃあ、こっち側で遊ぶ方法を気づいた、と?」

 ニシは運動場の入り口で立ち止まる。ここより先は人が多い。「彼」がいると分が悪くなる。

「俺、常磐には物質の召喚等ができる魔導士として入ってる。神が召喚できると知られたら、いろいろとまずい」

「ほう、魔導士の秘密主義というやつだな。一昔前もそういうヒトはたくさんいた」

「俺達にとって神代は一昔じゃない」

「ともかく、我は、気づいた。学んだのだよ。感謝という想いのすばらしさ、ありがたさ喜びを」

「感謝をするのは俺たちの方だ。あの状況でD型怪異と戦うすべはなかった」

「ちがうちがう、そうじゃない」 カグツチ=自称・神は、身をかがめて笑った。「『ありがとう』という言葉を言ってもらったときの気持ちさ。ああ、なんと素晴らしい!」

 大男は大仰に大手を振った。妙な人物だが、そもそも人の価値観で推し量れるものでもない。

「じゃあ、神様、感謝ついでのもう一つ。あのD型怪異、誰が作ったと思う?」

 ニシ=挑戦的な目。大男の目を睨む。玉虫色の神の瞳は、一層輝き、彼はニヤリと笑った。

「知らん」

「生まれてこの方、意思疎通をしてきた仲じゃないか。もったいぶるなよ」

「知らん。知らん、ということは君に教える必要がないということさ。それに、私にはわかる。君は人並み以上の魔導士だ。君自身の判断を信じるといい。神頼みせずにさ」

 再び笑った。渾身のダジャレのつもりなのだろう。

「つまり、俺たちだけの力でなんとかなる、と」

「いや違う。ヒトが悩み苦しむ姿も、見ていて面白い」

 彼はそう言い捨てると、反論を回避するかのように、ふっと姿が消えた。

 困った時の神頼み、とはよく言ったもので、その意味は「困っても結局は自力でなんとかしなければいけない」ということだ。

 ひとまず、誰にも見られていないことを確認すると運動場を横切った。

 古ぼけたコンクリートにサッカーやバスケットのコートがペンキで書いてある。元は古い工場のその敷地なので、隊員たちが各々自由に使っている。特に筋肉だるま達はここで汗を流している。

「よっ、おつかれ。でこちゃん、どうだった?」

 バスケットコートのその端で、ビーチパラソルの陰に座っている小さい影が手を振った。小柄かつ丸っこい童顔。しかし筋肉質でしなやかな体躯。さながら都会のクーガー肉食獣。そして強化外骨格APSの戦闘術の天才=リン。年齢、経歴ともに不詳。噂では空挺部隊にいたらしいが、常識的に考えたら身長が低すぎるので入れないと思う。

「でこちゃん?」

「佐藤女史のこと。おでこ広いでしょ」

 まあ、確かに。

「でも、別に、かわいくないか? おでこが広いの」

「うげーありえなーい。そーいう趣味」

 ちっちゃい隊長=リンがブーブー文句を言う。何かと対立しがちな2人。 

 ニシは観衆の輪の横に立って、筋肉たちのバスケットボールを見た。ハシがディフェンス、ヒロがボールをキープ。ヒロは足を揃えると、そのまま3ポイントシュート。

「お説教だなんて、ついてないね」=リン。

「嫌だけど、でも嫌じゃない」

「なにそれ? 実はMな体質?」

「そうじゃなくて。カナはエンジニアだろ。魔導を応用した工学の。なのに常磐の中間管理職をやらされてる」

「ふふ、それが社会ってもんよ」

 妙に大人ぶった言い方。見た目以上に歳上な気がする。もちろん、年齢を聞こうものなら、手加減なしの上段蹴りが飛んでくる。

「リンはどんなふうに報告書を書いた? 特にD型怪異について」

「別に、いつも通りよ」肩をすくめた。「修理した監視ポストの数、所要時間、撃破した怪異、使用した弾薬の量、エトセトラ、エトセトラ。テンプレを作ってあるから、あとは適当な数字を入れるだけ」

「適当って」

「そう。だれも報告書を隅々まで読むことなんてしないの。ただ、紙と文字があって、上長の印鑑を押す。それだけ。社会を生き抜くテクニックってやつね」

「じゃあ、大量の武器申請書は?」

「ああ、あれ。あれは真面目に書いたよー。とはいえ、全部が通るとは思ってないけど。たくさん書いて、その中で1番通りやすいものが通ればいいかな、と」

「何が欲しいんだ?」

多目的輸送車ハンヴィーの純正オプションの銃座とM2機銃。たしか本社の倉庫にあったはず。ほら、第三次世界大戦あの戦争の後、陸自やら米軍やらからもらったやつ。撃つの、楽しいよ」

「でも、俺は撃たせてもらえないんだろ」

「銃はね、正規の訓練を積まなきゃだめなのよ。それに、魔法が使えるならいいじゃない。普通、そっちのほうが珍しいんだから」

「魔導だ。で、その鉄砲で戦えるのか。特に例の怪異は再生能力が速い」

「鉄砲なんてものじゃないわ。50口径よ、50口径」

 そう言って、リンは人差し指と親指で輪っかを作ってみせた。太いマジックペンほどの直径がありそうだった。

「太いな」

「薬莢部分は、ね。でもね分かる? 装薬が違うのよ。人類の英知を込めた、最高で最強の威力。勝てないはずがないわ」

 トリガーハッピー=リンは、今日一番で嬉しそうだ。

「あっ、忘れるところだった」リンが言った。「はい、これ」

 リンはシワの付いた1万円札を差し出す。ニシは受け取って少し考えて思い出した。

 バスケットゴールの下でケンが腕を振っている。

「これ、ケンからあんたに渡して、って頼まれてたの。でこちゃんに報告し終えたら、ここ通るでしょ? 命を救ったお礼、だっけ」

「あれは冗談のつもりだったんだけど」

「いーじゃん、受け取りなよ。どのみち子どもたちのために使うんでしょ」

「あ、ああ。夕食はお惣菜のコロッケのつもりだったけど、ハンバーグに変更する。そうだ、うちに食べに来るか? 作るのを手伝わなくていい。子どもたちの相手をしてくれれば」

「そうね、いいわね。でも、パス。家族で楽しんで」

 カナは作り笑いを浮かべた。

「この前のこと、やっぱりショックだった? 中学生のおねーちゃんっていわれたこと」

「いいのいいの。若く見られるのは、いいことだから」またしても作り笑い。

「そんなもんか」

 フォローアップの言葉を思い浮かべたが、安っぽいものばかりなので、そのまま言葉を飲み込んだ。よく間違われるんだろうな。

「それにしても、筋肉……みんなは、あんな大変なことがあったのに、よく体を動かせるよな」

 適当な話題転換。

「これ? 大変だったから、体を動かしてるのよ。死神を振り払うために」

「死神だの、幽霊だのはおとぎ話に過ぎない」

「そうじゃなくて、なんというか、恐怖心ってやつ? 戦って死を覚悟して、でも生き残る。生き残ることが多いかな、ここの部署は。でもね、恐怖はずっと取り付いたまま」

「トラウマ、PTSDということ?」

「魔法使いなのに、科学が好きね。まあ、そんなかんじ。恐怖が残ったまま次の戦いに行くと、自分が死ぬか仲間を殺してしまう。だから、死神を振り払うために体を動かしてるの」

「それが軍隊の流儀?」

「そうそれ。あたしは軍隊じゃないけど」リンはニシを見上げた。

 彼らなりの流儀。身の処し方。魔導士と兵士。契約社員と社員。中肉中背と筋肉。相容れないのだが、違う生き方を教えてもらっている。魔導士は世界の理をかろうとするが、彼らは自身をわかろうとしている。それが生き物として本来の姿のような気がする。

 男子更衣室。「常磐興業」のワッペン付き戦闘服兼作業着を脱いで、私服に着替える。制服は会社が洗ってくれるので、リネン袋に押し込んでさよなら。

 リュックの中でスマホが光っている。施設内は、私物の通信機器は持ち込み禁止なので通知が溜まっていた。普段は、誰かが連絡をしてくるということはない。

 同じ名前、同じ番号の着信履歴とメール。

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