11

 目を開けた。白い天井。白色LEDの照明。清潔なベッドに横になっていた。

 ニシは思わず目を細めた。どうしてここに? 記憶がない。

 知らない天井ってこういう感覚なのか──思考が緩慢に回転しだす。

「鬼の怪異が!」

 不意に記憶が脳裏に再生された。ベッドから跳ね起きた。しかし両肩を強く抑えられた。

「落ち着いて! 少し混乱しているだけよ」

 ギュゥっと力を込めた指先が、肩に食い込む。

「ここは?」

常磐うち の系列病院。年度初めに検診に来たでしょ」

「入院してるのか」

「ええ。丸2日、寝たままだったのよ」

「2日?」

「落ち着いて。今、先生を呼ぶね」

 カナはナースコールのボタンを押した。それからベッドのリクライニングを調節して、ニシが座って話せるようにした。

「お腹、空かないものなんだな」

「余裕なのね。ブドウ糖を点滴しているからよ」

「そうか」

 垂直になったベッドに頭をあずけて、考えを整理する。

「それで、怪異はどうなった?」

「やっつけたわよ。私が」

「でも近くには」

「ええ、近くにはいなかった。10キロ先から見えてたの、望遠の魔導を使って。そしたら、ニシが大きい棍棒で押しつぶされたから、撃ったの」

 カナ=淡々と。

「じゃ、どうして俺は生きているんだ」

「さあ。とっさに魔導防壁でも展開したんじゃない? で、マナの使いすぎで昏倒した」

「そうか」

 ニシは頭を抱えた。マナの残量管理ができていないなんて情けない。

「待て、10キロ先から何を撃ったんだ」

 ニシが問いかけた。しかしカナは表情を変えない。まるで予想してました、という感じ。

「りんご、剥いてあげるわね。食べていいかどうかは先生に聞かなくちゃだけど」

「攻撃系の魔導が使えるのか」

 カナ/睥睨=りんごは空中でくるくる回転して、魔導の刃で皮が細く切り取られている。

「言ったでしょ。もともとは対怪異の戦闘要員で採用された、って。だからエンジニアリングはおまけよ」

 カナは白い腕環=高等魔導士を管理するGPSデバイスに触れた。

「何を?」

「私は、私の天賦の才は“光”。周りからは光の巫女みこ 、って呼ばれてるの」

 一体誰から──と質問を挟む余地なしに、カナが先に聞いた。

「ねぇ、光の神様、って知ってる?」

「光? 太陽や火ではなく?」

「ええそう。実は、光をつかさど る神は不在なの。存在しなかった。私、その光をまつ る神社の養子なの。どれもこれも、私の天賦の才が光を操れるから」

 カナは手のひらを上に向けて、小さな灯火を作ってみせた。光源のない純粋な光だった。

「だが、そのくらい、誰でもできるだろ。うちの子たちだってできる」

 しかし、ニシはそこまで言って、ハッと気づいた。「レーザー?」

「ええそう。てい に言えばね。厳密には、光とは粒子線のこと。粒子の密度や光の波長を調節したら、何でも焼き切れるの」

「レーザーで攻撃か、今まで思いつかなかった」

「なんでもかんでも、近接攻撃に頼るからよ。遠くから攻撃するほうがはる かに安全よ。バカね。心配ばかりかけて」

 カナは目を合わせてくれない。仕方なく皮を剥き取られたりんごを眺める。きれいな球形なったりんごは8等分に分かれた。

「種、取らないのか」しかしカナにジロリと睨まれた。「ごめん」

。私は心配してないし。ただ書類仕事が増えただけだし。最高位 の魔導士が簡単にくたばるわけ無いでしょ。あなたが寝ている間、子どもたちもお見舞いに来てたんだから」

「そうか」

「モモちゃん、しっかりしてるわね。あとサナちゃんも。一応、夕方に家へ行かせてもらったわよ。心配だったから。子どもたちが、ね」

「すまなかったな」

「こういうときは『ありがとう』って言ってほしいものね」

 サナは、グイッとりんごの載った皿を押し付けてきた。

「私の天賦の才を話したんだから、次はニシの番だよ」

 しかし、思案すべきことだ。常磐に言ってあるのは「物質の召喚魔導」だけ。余計なことを言ってしまうと妙な実験に巻き込まれるかもしれない。この会社は「社会の利益」と称して裏で何をしているかわからない。これはオジサンの言うような陰謀論ではなくて、組織の中にいるからこそわかる風の噂というやつだ。

「種取らないと食べられないぞ」

 はぐらかす。

「だから!」

 その時、病室の両開きのドアが開いた。

「目が覚めましたか。気分はどうですか」

 七三分けに丸めがね、というインテリを絵で書いたような医師。健康診断のときに見たことがある。その壮年の男性医師の後ろには、ずらずらと同じ白衣+ワイシャツの医師団が続く。

「私は、吉田。覚えていますか。何度かお会いしたんですけどねぇ」

「すみません、名前までは」

「いえいえ、構いませんよ。私は病理学専門で、肉体とマナの関係を医学面から解明しようとしていましてねぇ」

 解剖されたくないな、と思った。

「で、今から検査ですか」

「寝ている間に、実は検査は一通り済んでいます。おそらく目が覚めるだろうな、という予想があったので、佐藤主任を呼んだんです」

 カナがコクリとうなずく。

「魔導士の身体構造は、医学的には人と同じなんですが、は大きく違いましてねぇ。お二方がいちばん理解されているとは思いますが。従来の基準では判断が難しいので、いろいろな医師に来てもらっています。こちらから、外科、内科、精神科……2名」

 やはり精神科のほうが多いのか。

「それでですねぇ、どの先生からも退院の了承がでました。うちへ帰ってもいいですよ」

「それは、どうも」

「ただし、数多くの魔導士を診てきた私からの診断ですが、数日は魔導を使わないほうがいいでしょう。さもなくば、自我の境界が曖昧になって廃人になりますよ」

 実際に廃人になった人はいるんですか、とも聞けず、ニシはうなずくしかなかった。自我の境界が曖昧になる、は1000年以上前から古文書に記されてきたことで、ほんとうにそうなるかどうかはわからない。常磐は裏でそういう実験もしてそうな気がした。兵器としての魔導士の限界を知るのは、当然/しかし実験されたくないな、という矛盾。

 医師たちは各々、白衣を翻して病室から出ていった。今年の医学論文にしよう、とかもっと臨床試験をしたい、など言葉が少しだけ聞こえた。

「じゃ、着替えて帰るか。入院費は会社持ちだろ。あと、労災、下りるのか」

 あくまで拝金主義のニシ。

「ええ、下りるわよ。昼間でその処理が面倒だったんだから。紙に手書きで提出しろって総務にグチグチ言われたのそういえば、もう一つ用事があったの」

 カナはクリップボードを差し出した。細かい字、常磐の社章、サイン欄。しかし「金」という文字が目に写った。

「いち、じゅう、ひゃく……100万円!」

「112万5200円。もろもろの危険手当、臨時出動手当、そして会長からの特別報奨金よ。ほら、受け取りにサインして。印鑑はいらないから」

 もう一度速読して詐欺じゃないことを確かめる。銀行口座の番号も合っていた。

「これって、税金を払うのか」

「気にするとこ、そこ? 気になるなら明日にでも総務部に自分で行ってよ。朝イチでね、本社の保安部長から直々に電話があったの。広瀬所長は、ごちゃごちゃと挨拶を言っていたけど。潰瘍の抑制フィールドを魔導の鎖でつなぎとめたでしょ。そのおかげで旧関東エリア1000万人が避難せずに済んだの。もちろん、命もね。この金額じゃ安いと思うわ」

 カリカリと青いボールペンで名前を書いてカナに返した。

「とっさの判断だった。が、うまくいってよかった」

「今朝から抑制フィールドの修復作業しているけど、あのきん ? の鎖が切れなくてみんな困ってたわ。結局その外側から魔導セルの共振器を付けることになったわ」

 カナ=淡々と業務連絡。

「あれは、古代の魔導士が結界を塞ぐために使った技なんだ。知ってるか、かつて天と地はひとつだったんだ。神の作った天理の鎖でつながれていた」

「よくある創世神話の始まりね。だいたいどこの文明でも同じようなことを言ってる」

「その天と地は、金の鎖で縛られていた、と。そして最初の人がそれを断ち切ったことで世界が生まれた。俺が召喚したのはそんな鎖だ。そう簡単には切れない」

「でも、ただの神話でしょ」

「存在するから、人々は信じる、という因果を無視して召喚することができる。つまり存在したかどうかはわからないが、神代より数千年に、《《人々が信じていたから存在する》 》と仮定することで神聖物をも召喚できる。古代の魔導士も同じように召喚することができたし、マナが濃かったせいで結界とかいう大規模魔導も可能だった。あの抑制フィールドも同じ魔導のたぐいと思って」

「結界なんて、今の時代無理だものね。そう考えれば潰瘍の内包するマナを転換して結界を作っているとすれば、納得」

 カナ=合理主義。社員と言えど末端の魔導士/大学院生なので、会社の情報全てにアクセスする権限はなし。

 その時、再び病室のドアが開かれる。

「はっはっはっ、元気そうだな」

 白衣と入れ替わりで白スーツ/白ネクタイの大男が病室に入ってきた。浅く日焼けた肌にジェルで固められた金髪が映える。

 今サーフィンから帰ってきた、という感じの湘南男。身長は2m、だが身をかがめることなく病室に入れた。手にはピンクの派手な花束。首からは律儀に「VISITER」の名札。しかしそれは常磐興業の管理施設用ので、病院では本来不要なもの。

 不審者。

「あの、すみません。部外者は入れないです」

 勇猛果敢にも、カナは大男の前に立ちふさがる。

「はは、そこで寝ている病人の知り合いだ。部外者ではない」

「病気じゃないって」

 ニシは無視してりんごをかじる。種と芯が残っていて食べにくい。自称・神にとって生or死しか理解できない=病気/怪我の区別も微妙。

「誰? この人」

 りんごを噛みながら、トレンディドラマでこういうシーンがあったな、とぼんやり考えた。浮気が発覚する、よくある話。

 りんごを飲み込んだ。

「天賦の才だよ。俺の、ファンタジーっぽく言えば使い魔、自称、神。あるいは強力な神獣」

「そう、神だ! よろしく、お嬢さん」

 彼はカナの顔を覗き込んで、キザっぽい笑みを浮かべた。カナの目が丸くなった。

「待って待って! 神、神? ねえ、ニシ、神様を召喚したってわけ?」

「落ち着け。自称って言ったろ。勝手に3次元こっち に来ることもあるけど」

「確かに、神代はだったけれど、それはあくまで理解を超える自然への畏怖と敬意の比喩であって。でも、もしかして本当に神がいた?」

「自称、神、だ」ニシは4つ目のりんご片をかじった。「彼は高次元における思念体、というか人間の持つ言葉にそれを的確に表す言葉がないんだ。便宜上べんぎじょう 、神なんだけれど別に宇宙を創造はできないし、3次元こっち にいるかぎりの摂理の制約も受ける」

「そ、そう、なんとなく、わかったわ」

「カナも、あれだろ? 天賦の才は魔導を学ぶ以前から使えてた。くしゃみした瞬間に家を燃やしたとか」

「そうだけど、燃やしてなんかないわ」

「俺も、物心つく前から彼と会話をしていた。たぶん、生まれたときから。初めは会話すら成り立たなかったけど、今じゃ、湘南男こんな 感じ。3次元こっち に来て楽しんでる」

 彼は──そこになかったはずの椅子に座って──2人の会話をにこにこしながら眺めている。

「あの、お名前は?」

 カナが彼に聞いた。

「カグツチだ。よろしく、お嬢さん」

 キザな神様。ギリシャあたりにこんな人間臭い神がいたような気がする。

「カグツチ……様」

 神社の養子らしく、神を敬うというのは身にしみているようだ。

「ニシがつけた名だ。本来名前などないからな。神話の火の神の名だそうだ」

「名はてい を表す」ニシが言った。「何千年も神話で語られたことは、事実に等しいんだ。時代を超えて何百万人が夢想した結果、無意識下で集まったマナは、神の名に力を与えた。彼は最初は無標むひょう な存在だったが、神の名のおかげで実体と思考を持つことができた」

「じゃ、神様ってこんなにも……今っぽい?」

「それは、彼の趣味だ。最近、そういう見た目になった」

 カナはまじまじ彼を見た。

「お嬢さん、ニシは我がきちんと、家まで送ろう。仕事があるんじゃないのかい」

「え、ええ、そうね。あとはお願い。ニシ、明日は休んでいいから。潰瘍のことはわたしと、あのちびっこ隊長に任せていいから。詳しくはまたメールするから、よろしく」

 カナは、カグツチに深々と礼をして、病室を後にした。

「説教せなばならん」

 彼はそう言い放った。金髪大男の──しかし笑ったまま──すごみがある。

「よくやった、と言ってもらえると思ったが」

「あの巨大な怪異の最後の攻撃を防いだのは、われ だ」

「魔導障壁が使えるのか」

「造作もない」

「そうか、ありがとう」

「すべきは、感謝ではなく反省だ。死ぬところだったんだぞ」最近、生と死の概念を会得した神の言葉。「なぜ我を召喚しなかったんだ」

「公衆の面前で呼び出すと、後々厄介だからだ。常磐の実験台にされるかもしれないんだ」

「お前の命は、お前だけのものじゃない」

 神らしい、最もな言葉/映画で学んだ言葉=しかし反論はしなかった。

「反省するよ」

「そう、反省するべきだ。もし死んだら、子どもたちはどうなる」

「反省してるって」

「して、どう反省する?」

「どう、って。危ないことをしないよう、気をつけます」

 ニシは慇懃に言った。

「否、違う。我も人とともに戦おう」

 彼は「VISITER」の名札を掲げる。名札の文字が変わった。顔写真入りで名はカグツチ。ニシが普段使っている名札と同じデザイン。

「まじか」

「そう、まじだ。これなら、ニシが死なないよう、反省できるだろう」

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