第九章 父との邂逅、明かされる真実その二

 父の身体の崩壊が誘発させた、この辺り一帯を吹き飛ばした程の大爆発によって、札幌都市跡は一面見渡す限り焼け野原となった。

 走行していた露軍の戦車部隊は姿を消し、空を飛び交っていた戦闘機もすべて墜落してしまったのか、どこにも見当たらない。

 これで戦いが終わったのかは不明だ。しかし、生き残れたことに一息ついたまりんは、自分に覆い被さるカルジに声をかけた。


「カルジっ、まだ動けますか?」


「ああ、何とかな」


 さっきの爆発で、カルジが被っていたフルフェイスヘルメットは砕けていた。そして露わとなった彼の素顔に、まりんは息を呑んだ。

 サラサラの短い黒髪、長めの前髪にやや隠れた、憂いを帯びた青い瞳。儚さを感じさせるものの美青年と言ってもいい、端正な顔立ちであったのだから。

 これまで悪事を働いてきた彼への怒りはあったが、短い間とはいえ共闘関係にあったことで、ストックホルム症候群が発症したのかもしれない。

 まりんは頬を紅潮させて、慌てて彼の身体から離れて立ち上がった。カルジも遅れて、身を起こす。


「あ、あのっ……」


「どうした、東郷まりん?」


 まりんは依然、顔を朱に染めたまま、カルジから目を逸らして話しかける。そして緊張した面持ちで、続きの言葉を紡いだ。


「教えてください、何でどの国も札幌市を狙っているのか。それとさっきお前が言っていた、お父さんを怪物に変えた薬って、一体何なんですか?」


「……いいだろう、順を追って話す。事の発端は、お前が考えているよりも以前のことだ。実は札幌市に隕石が落ちる数年前、世界各国に、宇宙の彼方からあることを知らせる信号が送られてきていたのだ」


「信号っ……え、ええっ! う、宇宙からぁっ?」


 まりんは、素っ頓狂な声を上げてしまった。まさか話のスケールが、宇宙にまで飛び火してしまうとは、夢にも思っていなかったからだ。

 けれども、決して一笑に付さなかった。カルジの目は真剣そのものだったし、隕石が地球寒冷化の元凶ならば、地球外に話が飛んでもおかしくはなかったのだから。

 かといって、説明のすべてを鵜呑みにする気もない。真実か否かを見極めるため、引き続き、彼女はカルジの言葉に耳を傾けた。


「信号にあった指定の日時と位置に、隕石が落下し、地球が寒冷化し始めた。最初は半信半疑だった国も、衛星観測でこぞって調べたはずだ。隕石跡には高エネルギー源があり、それが怪物を生み出し、地球を冷却させているとな」


「じゃあ、当時、札幌都市跡に送り込まれた武装調査団の目的っていうのは」


「ああ、地球寒冷化の原因究明のためというのは、ただの名目。その実は、国連加盟国同士の高エネルギー源の奪い合いだ。なぜなら、気候を変える程の力を手中にすれば、その国は世界のリーダーになれるからな」


 カルジはそこで言葉を切って、歩き始めた。目指している場所は、露国や中国も狙っていた赤い光が地上から天まで伸びる隕石跡地のようだ。

 そして彼は指をくいくいと動かし、まりんについて来るように言った。


「続きは、あそこまで歩きながら話してやる。まだ露軍も中国軍も、壊滅したとは限らないからな。先を越される訳にはいかん」


「は、はいっ」


 まりんもカルジの隣に並んで、歩き始めた。カルジは決して急ごうとせず、ゆったりとした歩調で、これは体力の回復を促す意味もあるのかもしれない。

 その途中で、まりんは見事に平らになった札幌市の地表を前にして、ミリルと大佐の身を案じていた。

 口には出さなかったものの、生き延びていて欲しいと彼らの無事をただ願う。

 そしてまりん達が目的地を目指している道すがら、カルジの方から口火を切った。


「結局、高エネルギー源は、人間同士の争いを生み、どの国も目的を果たすことなく事態は深刻化してしまった。地球全体が凍り付いてしまうという最悪の結果でな」


「まるで人類同士の戦いを誘発させようとでもしたみたいですね……。それで隕石が落ちた理由とキャンサーの正体って、もう分かってるんですか?」


「キャンサー研究の第一人者の東郷ゼット博士は、仮説を立てていたようだ。真偽は不明だが、キャンサーとは隕石に付着した宇宙生命体のDNAを持つ、新たな極寒の地球環境に適応するように誕生した人造種で、その目的は地球侵攻の先兵だと」


 まったくの初耳だった。まりんは父が立てたという仮説を聞いて、実の娘でありながら、自分は何も知らなかったのだと恥じた。

 あえて家族に仕事の話をしなかったのかもしれないが、それでも悲しくなる。しかし、父が娘のために残してくれた研究成果があるのも事実だった。

 それはまりんの身に宿る、戦略レベルの力を持った極炎の能力だ。恐らくキャンサーを研究したことで開発された、キャンサーに対抗するための手段。

 実際、これまで何度も彼女は、父がくれたこの能力のお陰で救われてきたのだ。


「東郷ゼット博士は、キャンサーから抽出したDNAを人間に投与する研究を行っていた。当時、デストック社から派遣された俺も立ち会ったが、成功率の低い人体実験紛いの凄惨なものだったよ」


「じ、人体実験っ? う、嘘です! お父さんが、そんな非道なことをしていたっていうんですかっ?」


 まりんは、声を荒らげて聞き返す。父の性格を知る娘からすれば、その話は受け入れ難く、信じられなかったからだ。

 だが、続けてカルジは、父の名誉をフォローするように付け加えた。


「東郷ゼット博士の意向は知らんが、日本国政府からの要請だ。断り切れなかったのだろう。しかも、自分の研究の結果に世界の命運がかかっているとなれば、尚更な」


 まりんはしばらくの間、言葉を詰まらせてしまった。しかし、父が置かれた立場と、その立場故の葛藤を思えば、責めることもできない。

 そう考えていると、まりんは父をこの手で殺してしまった事実を改めて思い出してしまい、再び涙が零れ出てくる。


「じゃあ、その人体実験を繰り返したお陰で、お父さんの研究は完成したんですね。私の極炎とミリルの憑依能力に、お前のヒル達を操る能力といった形で」


「ああ、俺も博士にキャンサーのDNAを注射された。お前もきっとそうだろう。唯一違うのは、元同志ミリルだけか。あいつは博士と接点がないはずなんだがな」


「ミリルだけ違う? じゃあ、どうして……」


 言いかけてから、まりんは記憶を手繰り寄せた。もしミリルが十年前に東京で守ろうとしたあの男児だとしたら、父ではなく自分とは接点があるはずだ。

 そこにヒントがあるのではと、彼女は考えた。思い当たるのは、カルジとミリルが銀座で話していた会話内容だ。

 確か能力者からの血の投与により、同類を増やせると話していた気がする。まりんは、さっそくカルジに確認を取るために聞いてみることにした。


「血を人間に与えて強化兵士を作るって、前に言ってましたよね。なら、もし私の血液が付着、もしくは血中に入ったのなら、その人物は能力者になるんですか?」


「可能性でいえば、間違いなくなるはずだ。俺とミリルの血で三個大隊の部下を作ったように、キャンサーの異能を持った俺達の血には、そんな効果がある」


「やっぱり……じゃあ、ミリルの正体は」


 あの時、カルジに銃で後頭部を撃ち抜かれたまりんの血が、何らかの要因で側にいた男児の血中に混じっていたとしたら。

 性的接触で他人の身体を奪い取る、ミリル・ベーカーの誕生になり得たのでは。何しろ、男児とミリルにあった火傷痕の位置も、奇妙に一致しているのだ。


「カルジ、憶えてないんですか? 私は十年前、暴動が起きていた東京で、小学生ぐらいの男児を助けようとして、お前に銃で撃ち殺された女子高生ですよ。そしてあの時の男児が、現在のミリルなんです」


「十年前だと? 憶えて……いないな。あの頃は、色々あった。その一つ一つを、いちいち詳細に記憶し切れない程にな」


 カルジはそっけなく、そう答えた。だが、その返事が、まりんの怒りを誘う。

 たった今、彼から吐き出された言葉からは、一切の感傷が感じられず、反省の色も、興味すらないように思えたからだ。


「憶えていないっ? 私や大勢の人達を殺しておいて……それ、本気で言ってるんですかっ?」


「ああ、十年前のことなど。いや、当時の俺は……本当に東京になどいたのか」


 そう口ずさんだカルジは、どこか上の空だった。一体、どこを見ているのか、目は虚ろで、思案に耽っているかのようだ。

 本当に憶えていない。もしくは単にとぼけているだけだとしたら、この場で焼き殺してやりたい思いに囚われそうだった。

 しかし、まりんは彼の呆然たる表情から、何か引っかかるものを感じ取る。忘れたのではなく、もっと何か特別な事情があって、記憶にないのではないか。

 でなければ、あんな凄惨な出来事をそうそう忘れるはずがない。そんな一縷の望みが、どうしても頭から消えてはくれなかった。

 お人好しなのかもしれないが、そう思い始めると怒りも収まってくる。


「そもそも俺は……いや、俺達は……」


 それ以降、カルジは記憶が混濁しているかのように、独り言を呟き続けた。

 目的地へと歩きながら、まるで夢遊病者のようにも思える姿だ。その様子に大切な思い出をなくしてしまった、十年前からの自分みたいだとまりんは思った。

 父が開発した薬には副作用があって、きっと記憶にも影響を与えるのだ。今のカルジとは会話にならず、まりんは押し黙ったまま一緒に歩いた。

 あれから露軍の残存兵が、襲撃してくる気配もない。空からの雪も、さっきからずっと止んだままだ。

 辺りからは、緩やかな風の流れる音だけが、ただ聞こえてくる。それは今、ここら一帯には、二人だけしかいないことを知らせているようだった。


「そろそろ……か。もうすぐ到着するぞ。あそこにある高エネルギー源を破壊するか制御できれば、地球をかつての姿に戻せるかもしれん。試す価値はあるだろう」


 突然、カルジが正気に戻ったように、はっきりとした言葉で喋った。その目も、先ほどまでとは違い、焦点が定まっている。

 まりんは少し意表を突かれてしまったが、すぐに返事を返した。


「ええ、そうなれば、地球上の皆が救われますね。あの地上から伸びている赤い光が、その高エネルギー源から照射されてるんだとしたら、もしかしたらそれは隕石そのものなのかも……」


「行ってみれば、答えはある。道中、体力は回復しただろう。ここからは急ぐぞ」


「は、はいっ」


 カルジが走り出すと、まりんも慌てて後を追う。半径数百メートルに渡る広範囲から天まで続く赤い光に飛び込んでいき、その中を走って二人は進んでいく。

 爆発の余波はここにまで及び、一帯が吹っ飛んで更地になってしまっている。ただ気温は地球が凍り付く以前の温暖さで、植物が生えていた痕跡まであった。

 さっきの父が死んだ際のエネルギー暴発でそれらが消し飛んでしまっただけで、この土地だけ生物が生きていく上で良好な環境が築かれているのだ。

 それを見て、カルジの話に信憑性が出てきたと、まりんは確信し始めた。気持ちが逸り、足を動かすのが早くなる。

 十年前から探し続けていた行き先は、恐らくここで間違いない。そして世界を救える手段も、ここにはあるのだ――!

 やがて彼女が、世界の国々さえ求めたと思われるその場所の光景は、目の前に開かれた。


「こ、ここが隕石の……っ」


「ああ、その落下地点。そしてあれが、今も形を残した隕石そのものらしいな」


 そこにあったのは、大きなクレーターだった。そして大きく沈み込んだ中心部分には、十数メートル程度の大きさの鉱物があり、一定間隔で赤く明滅している。

 あの鉱物こそ地球を氷河期に追い込んだ隕石だと、まりんもすぐ理解した。

 明らかに、ただの自然物ではない。驚くべきことに鉱物からは、脈打つ無数の管が伸びており、周りの地面に突き立っているのだ。

 大地に深く根を張り、災いのエネルギーを送り込んでいるかにも見える。あれを止めさえすれば、地球全体は温まるのではないか――!

 そう思うと居てもたってもいられず、まりんはクレーターを駆け下りていった。そして隕石まで辿り着くと、そっと手で表面に触れてみる。

 瞬間、意識が吸い込まれるような感覚に陥り、頭に映像が流れ込んできた。驚いたものの、手が吸いついて隕石から離れてくれない。


「どうした、東郷まりんっ?」


「あ、あっ……」


 カルジが背後から話しかけてきたが、まりんは映像から目を背けられない。

 いや、見ているというより、脳内でそのまま再生されているのだ。

 その映像は、比較的廃墟などが原形を留めて残っているものの、場所は今いるここと同じようだった。

 赤く明滅している隕石がある。そして今のまりん達と同様に、その隕石を前にして何人かの人間が集まっていた。

 まりんは、意識をより凝らす。そこにいる人間の一人は、生前の父だった。しかし、側には、他にもまだ二人いる。

 二人目は、露軍のセルゲイ・ヴィクトル少将だ。そして最後のもう一人は……。


「記憶に干渉する薬と同じ成分の、隕石に付着したDNAに触れた作用か。何を観た、東郷まりん」


「お父さんと、露軍のセルゲイ。それと……」


 カルジがまりんの肩に手を置き、再び呼びかける。だが、彼女は困惑していた。

 その人物は、まりんも見知っている人間だったのだから。なぜあの人が、父やセルゲイと一緒にこの場所にいたのか、また何をしていたのか。

 疑問に思うと同時に、怖くなる。あの人が今までこの事実を秘密にしていた理由と、腹の中で何を考えていたのかと想像してしまったことで。

 まりんは呼吸を荒くし、ようやく隕石から手を放すことができた。


「おい、他にも誰かが見えたんだな。そいつは誰だ?」


「あの人は……う、あ、あああっ。あ、頭が……! これって!」


 まりんはその場で頭を抱えながら、がくりと膝を突いた。意識が遠くなる感覚と、動悸が激しくなる興奮が同時に襲ってきたことで、立っていられなかったのだ。

 これらの感覚は前にも体験したことがあった。あれは確か……と、まりんが思い出そうとした時、背後から声がかかる。

 何度も耳にしてきてよく知っている、明るく高らかな女の声だった。


「まりんちゃん、カルジなんかと仲良く一緒にいちゃ駄目でしょ。ほんと君って、誰にでも気を許すんだから」


「ミ、ミリ……ルっ」


 まりんが屈みながら振り返ると、そこで笑っていたのはミリルだった。いや、彼女だけじゃなく、まだもう一人。

 露軍将校のセルゲイ……血だらけで、どう見ても死んでいる、その彼の首根っこを掴んだまま煙草を燻らせているのは、大佐だ。

 愉快そうに服の襟を手を下ろし、首元の火傷痕を見せて笑っているミリルと違い、彼はこの状況にどこか興味がなさそうにしているが。

 カルジは二人を見定めると、腰の鞘から刀をすらりと抜き放った。


「不覚にも気付かなかった。貴様ら、いつから後をつけていた?」


「うーん、貴方達が、あの厄介で強いキャンサーを倒した後からかなぁ。知ってたはずだよね、カルジ。私は他人の精神に干渉することができるって。やろうと思えば、視覚と聴覚から私と大佐だけを認識できなくさせる芸当も可能なの」


「なるほど、俺は貴様の能力を読み間違えていた訳か、元同志ミリルっ!」


 カルジが片足でタンと地を踏むと、姿ごと彼の気配が消失した。

 途端、彼がいた場所とミリルとの間の地面が、左右に裂ける。そして一秒にも満たない間に、彼女の眼前に再び現れた彼は、刀身をその首元に突き付けていた。

 後姿からだが、その全身からは怒気が放たれているように、まりんには見えた。しかし、対峙しているミリルの表情には怯えがない。

 依然、にこやかに微笑んだまま、カルジの刀を見つめているだけだった。


「世界は誰かが救わなくちゃいけないよね。でも、特にあんた達、デストック社にだけは、あの隕石は渡せないの。今まで大佐と一緒に苦労してきたんだから。ねえ、私達の世界救済のために死んでくれるかな、カルジっ」


「っ! な、にっ……力がっ」


 ミリルは、何も動いていない。カルジは自分で、背中から転倒したのだ。そんな彼の腹部を、すかさずミリルは右足で踏みつけた。

 その目には、蔑みが込められている。他にも、憎悪や怒りが。そしてミリルは取り出した拳銃で、容赦なくカルジへと発砲した。

 胸部を撃ち抜かれ、血が飛び散る。続けて次々と発砲され、その度に何度も。


「やっと終わるね、大佐。私達の長い戦いが、ここでっ!」


「ミ、ミリル! や、やめてくださいよ! 一体、どうしたんですかっ?」


 見かねて、横からまりんが制止するように訴えた。しかし、あの怒りに満ちた目を見れば、言うことを聞いてくれる訳がないことも分かっている。

 かといって、自分でこの一方的な暴虐を止めようにも、カルジと同様に身体が思うように動いてくれない。

 十中八九、これはミリルの特殊能力による影響だ。彼女の首元にある火傷痕から発されている力で、精神を支配されかかっている。

 ただこの状況はどうにもならないが、まりんはミリルの興味を自分に向けることになら成功したようだった。

 ミリルは横たわったカルジを放置して、今度はまりんの方に歩いてくる。そして蹲るまりんの口元に、自分の靴先を近づけた。


「まりんちゃん、君はデストック社とは関係ないよね。だから、どうしようか迷ったんだけど、あんな奴の味方をした罰だよ! 反省して、私の靴を舐めなさい」


「はい、ミリル様」


 今の言葉は、まりんが自分の意思で言ったのではない。口と身体が勝手に動き、本当に舌を出してミリルの靴を舐めている。

 屈辱で涙が流れ出そうになるが、堪えた。しかし、疑問はある。なぜミリルは、ここまでカルジとデストック社に異常な程、怒りと憎悪を燃やしているのか、と。

 最早、ただの個人の好き嫌いの問題ではない口ぶりだ。またそれだけではなく、なぜ急にこれだけ態度を豹変させたのかも分からない。

 結局の所、ミリルの目的もやはり高エネルギー源なのだろうか。

 今、行われている暴力を鑑みれば、彼女と大佐は隕石をまりん達から奪おうとしているのは明らかだ。

 もし悪用しようと考えているのだとしたら、抗うしかない。今は無理だが、いずれ反撃の機会が訪れた際に、全力で爆発させるべく、怒りを静かに蓄え続けた。


「ねえ、さっき貴方達の会話を盗み聞いてたんだけど、まさか君が十年前、私を助けようとして殺されたお姉ちゃんだったなんてね」


 やっと事実が判明したようだ。ミリル本人の口からも、ついに語られた。まりんが予想していた通り、あの時の男児が、ミリル・ベーカー本来の姿だったのだ。

 まりんは、堪らなく世の無常を感じた。怯えた顔でまりんに縋りついてきた幼気な男児と十年を経て、こうして敵対しなくてはならなくなった時の流れの残酷さに。

 隙あらば理想の身体を奪おうとし、お姫様願望が強いとはいえ、集落の人達をあれだけ真剣に守ろうとしていた善性だけは本物だと信じていたのに。

 それとも彼女には、ここまでしなくてはならない何か理由があるのだろうか。


「あの時のお姉ちゃんが、どうしてカルジなんかと仲良くなっているのかなっ!? ねえ、どうしてなのっ!」


「ミ、ミリ……ルっ」


 まりんは靴先を舐めるのを止め、精一杯の反抗的な顔をミリルに向ける。それを見て、ミリルは表情を強張らせた。


「でも、君に恨みはないからね、お姉ちゃん。黙って見ていて。私はこれから隕石の力で精神干渉の能力を増幅させて、集落の平和を守るんだよ。皆以外は必要ない。争いが好きな奴ら、何よりデストック社の連中は廃人にしてやるんだから」


 ミリルはまりんに顔を近づけてそう囁くと、明滅する隕石の方に歩いていった。そして隕石の表面に手を触れると、赤く明滅していた光が彼女に流れ込む。

 集落の人達以外を廃人に? 本当にミリルが望んだ通りの力を隕石は与えてくれるのだとしたら、このままでは世界は破滅してしまう。

 地球が凍り付いても尚、人間同士の争いが絶えないことを彼女が嘆いていたのは、集落で聞かされていた。だが、ここまでいくと常軌を逸している。

 止めなくては……そう焦るものの、やはり全身が見えない力で抑えつけられているようで自由に動いてくれない。

 さっき靴先を舐めるのを中断したのだって、やっとのことだったのだ。


 ――あ、ああ、ああああぁっ!


 どんなに気合いを入れても、炎は出てこない。叫ぼうにも全然、声にならない。しかし、ここで反撃に出なくては、世界はこれまでと別の意味で大変な事態になる。

 今、今、今、戦わなければ――! 地面にうつ伏せになりながら、ミリルの後姿を睨んで、まりんは嗚咽を漏らす。

 そんな彼女の脳裏に、声が響いた。カルジの声だった。


(東郷まりん、そのままだ。その体勢を維持したまま、動くなよ)


「カ、カルジっ……?」


 何か作戦があるのだろうかと、まりんは声を抑えた。もしカルジに手があるのなら、今、妙な真似をして気付かれる訳にはいかない。

 ミリルの背後を見据えつつ、今度はこれまでの試みとは逆に動くのを止める。すると、一瞬だけ額に痛みが走り、そこから何かが撃ち出された。

 それは弾丸ではない、ごく小さな一匹のヒルだ。射出されたヒルは、ミリルの後頭部、長い銀髪に直撃する。


「あれ、は……」


 まりんは、思わず呟いた。あれはカルジに残された、能力の最後の一匹だ。

 米軍厚山基地から出発した旭川空港行きの固定翼機での航行中、まりんの指先から入り込んだヒルが今、切り札となってミリルに着弾した。

 見事に命中した土壇場の希望は、そのまま頭皮を喰い破り、頭蓋骨に侵入する。

 その際に痛みを伴ったのか、彼女は頭部を手で押さえて呻いた。


「いっ……な、何なの。頭がぁ……」


 隕石から手を放し、その場に尻餅をついたミリルは、頭を抱えて絶叫を上げる。あのヒルが、きっと彼女の頭蓋骨内で暴れ回っているのだ。


「いだぁっ! いだい、何が起きたの、私にぃ!」


 この時には、まりんの見えない呪縛は解かれていた。全身が、隅々まで動く。彼女は立ち上がると、ミリルの元へと歩きながら、身体の各所から炎を立ち昇らせた。

 背中を見せたまま苦しみ悶えているミリルは、まりんの接近に気付いていない。頭の痛みで、それどころではないといった様子だ。

 そんなミリルにまりんは、すぐ真後ろから声をかけた。


「ミリル、こっちを振り向いて下さい」


「え、あっ。お、お姉……ちゃんっ!?」


 まりんを振り返ったミリルの顔は、恐怖で引き攣っていた。なぜなら、まりんは拳に青い炎を込めて、今にもミリルに叩き込もうとしていたのだから。

 しかし、まりんはこの状況に至っても、出来ることなら殴りたくなかった。現にミリルが考えを改めてくれるなら、すぐにでもやめる気でいるのだ。


「ミリル、やめてください」


 まりんの口から精一杯強く絞り出されたのは、その一言だった。しかし、それによって逆に覚悟が決まったのか、ミリルの顔から怯えが消える。

 そしてミリルは、真っ直ぐにまりんの目を見つめて言い返した。


「さっきはごめんね、お姉ちゃん。でも、集落の平和は、君が来る前から何度も脅かされてきたの。あの二十七人とデストック社にね。それに見たでしょ、国連加盟国だって信じられない。皆のささやかな平和を守るには、もうこうするしか……」


「だからって……! 考えを改めて下さい! 本当は貴方を殺したくないんです。ただ一言、やめると言ってくれたなら!」


「だから、無理なのよ、お姉ちゃん! 私達は十年間、世界を脅かすデストック社と戦ってきたの! 奴らや他の国が隕石を悪用する前に、私は集落の皆の平和を願いたいだけ! 邪魔するなら、いくらお姉ちゃんでも……っ!」


 ミリルが隕石に右手を伸ばし、左手で襟を下ろして火傷痕を見せる。途端に、再び頭にふらつきを覚えたまりんは、説得はもう不可能だと悟った。そして猶予もない。

 かつて、自分が助けた男児をこの手で殺すのは良心が咎めた。

 しかし、今こうしている間にも、身体は自由に動かせなくなってきている。まりんは、重い決断を迫られた。

 右の拳を固め、後ろに引く。右腕には、青い炎が絡みつくように燃えている。

 最後にまりんは、心の中で謝罪した。ごめん、ミリル……と。そして僅かな躊躇の後、決意を込めてぶん殴った。

 ミリルの美しい顔面に拳がめり込んで、彼女は背筋を大きく逸らせ、そのまま背面から隕石に激しく叩き付けられる。


「あ、ああぁあーーーーーーーーーっ!!」


 ミリルの顔面ごと隕石を砕くべく、青い炎を拳一点に集めて全開で放った。それも血が出る程に、拳を強く握り締めて。

 あの美しかったミリルの銀髪や顔は血や肉片となって飛び散り、隕石の表面にはビキビキと細かいヒビが入っていく。

 それはたちまち大きな亀裂へと変わり、放出された炎は爆発を引き起こした。粉砕した隕石をぶち抜き、まりんは放った拳をクレーターの底に叩き下ろす。

 粉々となった大量の隕石の破片が、高く舞い上がった。粉塵となって、空に吸い込まれていく無数の赤い輝き――それを見上げて、まりんは一筋の涙を流した。

 今の彼女の心に去来していたのは、地球を凍結させていた災いの大元がこれで消えてなくなった確かな実感以上に、それを上回る悲しみだったのだから。

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