最終章

最終章 因果の終結、そして……

 凍結した東京に女王として君臨していた、ミリル・ベーカーは死んだ。顔面は跡形もなくなり、首のない胴体だけがクレーターの底で仰向けのまま倒れている。

 この手で殺害してしまったことで、まりんの感傷は一際大きかった。

 誰一人いない凍り付いた東京で目覚め、心細くて何も分からなかった時に、手を差し伸べてくれたのが、他ならないミリルだったのだから。


「ミリル……こんなことになって、悲しさしかないですよ。何でそこまで……」


 まりんは空を見上げながら、ミリルの名を呟く。初めて会った頃は、彼女のことが本当に心強かったし、信頼もしていた事実がより心を痛ませるのだ。

 正体がかつての年下の男児だと分かった今も、その気持ちは変わらなかった。しかし、ミリルを倒し、隕石を破壊したとしてもまだ終わりではない。

 隕石に付着したDNAに触れた際、脳裏で再生された映像の中で見た三人は、生前の人間だった頃の父と露軍将校のセルゲイ。

 そして……最後の三人目は、ミリルではなかった。あそこにいたのは、常に彼女の傍らにいた人物の方だ。


「事情を説明してくれますか。貴方、父やセルゲイと面識があったんですよね。なら、どうして今まで話してくれなかったんですか、大佐?」


 クレーターの上から大佐は煙草を咥えて、仰がせていた視線をまりんに向けた。そして片手で首根っこを掴んでいた、セルゲイの遺体を横に放り捨てる。

 その空いた手で鞘から抜き放った刀の切っ先を、まりんの側で満身創痍な姿で立つカルジの方に向けた。


「話してもいいが、俺としちゃ……東郷まりん。お前の生殺には関心がねぇよ。俺がケリをつけなきゃいけねぇのは、この野郎だ」


「それは……道を踏み外した弟子への、元師匠としての務めってやつからですか?」


「違ぇよ、俺の目的は昔から一貫している。デストック社の完全壊滅だ。創始者の血を引く最後の一人、こいつを葬ることによって目的は完遂するんだ」


 カルジがデストック社創始者の血縁だったことに、まりんは特に驚きはない。

 ミリルの話だと、彼は同社のマザーAIと蜜月関係にあるそうだし、恐らくそんな所だろうと憶測は立てていたからだ。

 ただまりんには、大佐の意を計れなかった。どうしてミリルと目的を同じくしていながら、さっき助けようともしなかったのか。

 十年間、ずっとこの世界で生きてきて、一切の情がないとは思えないのだ。それにこれまで顔をつき合わせてきて、大佐はそんな薄情な人間にも見えなかった。

 しかし、そこまで考えて、まりんは首を横に振る。会って間もないのに、人の本性まで分かるはずがないと、一度ミリルに騙されたことを思い出したからだ。


「どうしてそこまでデストック社を? 貴方と何か因縁があるんですか?」


「まあな、俺とお前の親父さんと露軍のセルゲイは、各々の思惑はあったが、そのために手を組んだんだ」


 大佐の話に耳を傾けながら、まりんはちらりと隣にいるカルジの方を見た。

 彼も黙ったまま、話を聞いている。しかし、呼吸は乱れ、刀を持つ手も震えており、かなり消耗しているようだ。

 無理もない、連戦だったのだから。この調子では大佐に戦いを挑まれたとしても、勝つのはもう厳しいかもしれない。

 そう思ったまりんは、カルジを身を挺して守るようにその前方に立った。すると、彼女の取った行動を見て、大佐は意外そうに目を細める。


「ほう、いつの間にかそいつに情が芽生えたって訳かよ、お前。まあ、若ぇし、一緒に激戦を潜り抜けたんだもんなぁ。そんな感情が湧いてもおかしくねぇか」


 大佐はまりんと戦うことに気が進まないのか、頭をポリポリと指で掻いた。

 しかし、それも僅かな間のことで、大きく息を吐き出し、目に強い殺意を宿す。そして煙草を捨ててから、クレーターを上から滑るように下り始めた。

 その間にまりんは、カルジを更に後ろへ下がらせようとしたが、彼は震えていた手で刀を握り直し、それを拒んだ。


「余計な心配をするな、東郷まりん。俺はまだ戦える。それに誰かに守られるなど、俺はそんな柄じゃないんでな」


「で、でも……そんなフラフラの身体で」


「余所見をするな、大佐が来たぞ!」


 まりんが視線を前に戻すと、大佐がクレーターの底まで下り切っていた。そのままこちらに歩いてきているのを見て、彼女は身構える。

 そしてお互いまで七メートル程の距離で、彼は立ち止まった。しかし、すでに大佐の攻撃射程に入っているにも関わらず、一向に仕掛けてこない。

 その眼差しには殺人も厭わない漆黒の意思が宿っているが、やはり彼は好き好んで人を殺める狂犬とは違うように思えた。


「そう警戒すんなよ、東郷まりん。約束しちまったし、やり合うにしても、お前が知りたいこっちの事情を最後まで話してからだ」


 そう言いながら、大佐は刀を再び腰の鞘に納める。昔の遠い記憶を掘り起こしているのか、視線は前ではなく、空を仰ぎ見ながら話を始めた。


「露軍のセルゲイは、巨大になり過ぎたデストック社の台頭を警戒していた。で、お前の親父さんの方はな。デストック社から共同研究を持ちかけられていたんだ」


「デストック社は、民間による軍事的支援組織です。お父さんのキャンサー研究を、軍事利用しようとしてたってことなんですね」


「察しが良くて助かるぜ。ああ、奴らは博士の研究を、自社がかねてから続けてきた独自研究に取り入れようとしてやがった」


 まりんがずっと知りたくて求めていた、父に関しての話だ。なぜ父があんな姿になったのか、その真相が分かるかもしれないと思うと、気が急いてくる。

 早く事の顛末が聞きたくて、余計な口出しはせずに大佐の話に耳を傾けた。


「その独自研究ってのはな、デストック社の創業者キルツ・カーティケヤの再創造だ。そのイカれた研究に、博士のキャンサー研究が役立つと考えたんだろうな。そうして博士の協力の元、作り出されたのが、カーティケヤシリーズだ」


 大佐からそれを聞くなり、カルジの眉がピクリと動く。カルジのフルネームは、カルジ・カーティケヤだが、この話と無関係ではないだろう。

 そしてシリーズと呼ぶからには、カルジ以外にもまだ被験体がいる訳だ。キャンサーの力を投与された強化人間の類かもしれないと、まりんは想像した。


「俺以外のシリーズとは、研究所を出てから一度も会っていない。あんたはあいつらの行方を知っているのか、大佐?」


「まあな、カーティケヤシリーズ合計二十七名。その内の二十六人は、すでに俺が殺した。だから、残りはお前一人だけなんだよ、カルジ」


「……そうか、あんな連中に仲間意識もないが、貴様に大人しく殺されてやる気もない。来るなら、受けて立つぞ、大佐」


 背後から殺気が膨れ上がるのを感じ、まりんが後ろを振り向くと、カルジは刀を両手で握って構えていた。

 だが、彼の息は乱れている。まだ戦ってもいないのに。


「虚勢を張るんじゃねぇよ、カルジ。戦う前から、すでに息が上がっているじゃねぇか。それともそいつは武者震いか?」


「ちっ……!」


 カルジは、震えていた。大佐から放たれる眼光が、彼を威圧して押さえつけている。そして仕掛ければ斬られるというイメージが、カルジを委縮させていた。

 もしカルジが万全の状態だったなら、また違っていただろう。消耗している今、戦っても勝ち目は薄いと自覚しているからこそ、本能が怯えているのだ。

 まりんは、大佐の方に向き直った。カルジには悪いが、やはり戦いになったら自分が体を張るしかないと、彼女は覚悟を決める。

 しかし、まだ話の途中で、大佐は襲ってくる様子はない。戦うのは最後まで話し終えてからだという、彼の言葉は信じられるのだろうか。


「いい加減に観念しろよ、若造。東郷まりんとの話が終われば、俺はお前も殺す」


「……舐めるなよ、大佐。いくら俺達が、デストック社創業者キルツのクローンだろうと、意地があるっ。マザーAIを従えて、キャンサーをも倒す社の後継者として貴様から教育を受けたのだっ! 俺達は、選ばれた救世主だっ!」


「きゅ、救世主……」


 父がよく言っていたのは、誰かの救世主になれという言葉だ。ただある時を境に、まりんはそれが言葉通りではなく、もっと重要な意味がある気がしていた。

 父は救世主を自らの手で誕生させたかったのでは……と、そんな考えが過ぎる。

 誰を誰から救うため……? 決まっている、十数年前から世界を蹂躙し始めたキャンサー達から人々を救うためだ。

 父はその目的を果たすために、自分の研究成果を惜しげもなくカーティケヤシリーズに注ぎ込んだのかと思うと、まりんは悲しくなる。

 結果、作り出されたのが、カルジ達クローンだったのだから。父とデストック社との共同研究というのは、完全に禁忌に手を染めた行為だという訳だ。

 理想はどうあれ、法律にも生命倫理のタブーにも触れている。父はそこまで思い悩み、切羽詰まっていたのかと、彼女は憐れみを覚えた。


「いや、カーティケヤシリーズは失敗作だぜ、お前を含めて全員な。誰一人としてキャンサーの王、ヘルタイラントのDNAに適応できなかったんだからよ」


「汚らわしい名前を出すなっ。あんな化け物に適応できる人間が、存在する訳がない! ヘルタイラントなしでも俺達の完成度は、限りなく完璧に近かったっ!」


「ほう、そうか? 実際にいるんだぜ、あの強力無比だったヘルタイラントのDNAに適合した最強の救世主様がよ」


「な、何だとっ。誰だというんだ、そいつはっ!?」


 カルジは血相を変えて、大佐に聞き返す。大佐は言い難そうな表情で俯いていたが、やがて右足を一歩だけ前に踏み出した。

 そして緩やかに鞘から抜刀し、刀の切っ先をピッとまりんに向ける。その鋭さに気がついたまりんはびくりとしたが、切っ先はすうと彼女を横切った。

 しかし、数秒経過しても何も起こらない。まりんが今の動作の真意を計りかねていると、大佐が嬉しそうに口を開いた。


「なあ、見たろ。このお嬢ちゃんがそうだ。数多くの人類を殺した最強のキャンサー、極炎のヘルタイラント適合者にして、博士が作り上げた救世主だ」


「わ、私がっ……?」


「東郷まりんが……救世主だというのかっ」


 まりんが顔だけ後ろを向くと、カルジは信じられないといった表情で見ている。

 肩をわなわなと震わせているが、責めているような顔ではない。

 それも動揺したのは、ほんの少しの間のこと。すぐに平常心を取り戻し、まりんの隣に進み出て肩を並べた。


「敵から目を離すな、東郷まりん。さっきお前は、あの男から攻撃されたんだぞ。殺気を刀に込めて、心を斬った。普通なら気を失っている。効果がなかったのは、お前が……いや、お前に眠るヘルタイラントのDNAが屈さなかったからだ」


「わ、私が……私の中に、そんな大層なキャンサーがいるっていうんですかっ」


「身に覚えがないか。ヘルタイラントは、たとえ死しても一度だけ蘇る。お前は十年前、俺に殺されたと言っていたな。死んだお前が、なぜ今生きている? それが答えなんじゃないのか、東郷まりん」


 ずっと分からないままだった、死から十年の時を経ての蘇生。その答えが、ようやく判明したということなのかもしれない。

 まりんは首から下げた銀のペンダントを右手で握り締め、父のことを想う。今や父の形見ともいえるこれを貰ったのは、いつだったか……。

 彼女がペンダントを大事そうに手にしているのを見て、大佐は言った。


「そのペンダント、博士が簡単な小物入れとして使っていたものだ。中に小型の注射器が入ってたんじゃねぇのか? そいつは博士がお前に託した希望なんだぜ」


「っ! こ、このペンダントが……」


 大佐の言葉が刺激となり、まりんの脳裏にその時の光景が蘇る。混迷していく日本で助けが欲しい時、父はこれを使うように言ってくれていたことを。

 そしてまりんに背を向けて、家を出て行ったのだ。日米合同の調査団として、北海道の札幌都市跡にどうしても行かなくてはならないと言い残して。


「まあ、博士も途中で自分の行いを恥じて、デストック社との研究から抜けようとしてたんだ。俺がそれを手引きし、露軍のセルゲイも協力してくれてよ。けど、そっから先は中々、大変だったんだぜ」


 大佐は今度もまた口にし難いことでもあるのか、少しの間、視線を泳がせる。そして大きく息を吐き出してから、覚悟を決めた顔で口を開く。


「俺と博士とセルゲイはな、共謀して人類を裏切った。当時の俺達は、他国やデストック社に高エネルギー源を渡す訳にはいかない目的で一致してたんだ」


「あ、貴方達が、裏切り者!? ……で、でもっ! どうして世界をこんな極寒に変えてしまったんですかっ!? これじゃあ、誰もメリットなんてないはずです!」


「ああ、ねぇな。土壇場でセルゲイが、俺達のことまで裏切りやがったせいだ。あれを露国の利益のために使おうと言いやがってよ。だから、仲間割れに発展して、博士が自分にも薬を使っちまった。結果、どうなったか、お前もよく知ってるよな?」


 そう聞かれて、まりんは父をこの手で殺めたことを思い出し、言葉に詰まる。

 耳を塞ぎたい気持ちが芽生えるが、それでも実の娘の務めとして、最後まで聞く義務があると思った。


「今のことは、貴方でも言い辛かったことなんですね。続きを話してくださいよ。私は最後まで聞くつもりですから」


「ああ、聞いてくれよ、救世主。俺にはな、デストック社を壊滅させなきゃならねぇ理由がある。なぜなら、それが創業者キルツから俺に託された、友としての遺言だからだっ」


 ここに来て大佐の語気が、初めて強くなった。恐らく今、口にしたことは彼にとって、かなり大きなウェイトを占めていることなのだ。

 全身から怒気と殺気を放ち、苛立ちながらも、彼はまだ続きを話す気でいる。抱え込んでいた秘密を吐き出すことで、楽になりたいように、まりんには見えた。


「デストック社はキルツの晩年にはその手を離れ、独り歩きしていたんだ。知っているか? 救世ボランティアの前身になった組織だって、当初は紛争地での人命救助や人道支援を目的としていたものだったんだぜ」


「だから、貴方はキルツさんの意思を汲んで、今まで戦ってきたんですね」


「ああっ、夢見がちなお姫様を戦力として育て上げてまで、カーティケヤシリーズを抹殺するのを手伝わせたっ。だが、その目的もこいつで最後だ。この若造を殺せば、俺は解放される。ようやく肩の荷が下りるんだっ!」


 大佐は大声を張り上げ、憤っている。そんな彼の方に、まりんは一歩進み出た。しかし、大佐は刀を構えもせずに、無防備状態で立ち尽くしたままだ。

 その反応を確認してみて、まりんは思っていた通りだと思った。彼にカルジを殺す気など最初からないのだ。

 大佐が最初にこの場に現れた時の、興味なさげな態度。そして濁りのない目を見て、もしかしたらと思ったが、案の定だった。

 いや、この状況に至るまで、かなり葛藤していたのだろうが。


「それが貴方の答えなんですね、大佐」


「っ!」


 まりんに問いかけられて、大佐は驚いた顔をした。まるで、対人関係が苦手な小娘如きに、自分の心を見透かされるとは思いもしなかったという表情だ。

 少ししてから彼は観念したかのように両手を下ろし、項垂れる。


「……ああ、カルジを殺せばデストック社は終わりだ。兵器工場のマザーAIに命令できる者は存在しなくなるからな。けど、今の世界を見ろよ。キャンサー共が、まだ至る所を闊歩してやがる。世界の復興には、まだデストック社が必要だろ」


「本当にそれだけですか? 貴方達は師弟関係にあったんですよね。だったら……」


「……情なんてねぇよ。ミリルにもカーティケヤシリーズにも。ただ、やっぱり俺も作られた側の人間だ。最初期のキルツクローンだったんだぜ、俺も。人に言われたまま生きるだけの人生に、ちょっとは反抗してみてぇだろ」


 そこまで言ってから、大佐は踵を返す。その際に見せた彼の顔は、心の内に溜っていたものを全部吐き出して、どこか満足げだった。

 そしてもう用は済んだとばかりに、掲げた右手をヒラヒラさせながら立ち去ろうとする。


「じゃあな、東郷まりん、カルジ。元気でやれよ。もう金輪際、俺らが会うことはねぇだろうからな」


「あ、貴方はこれからどこへ行くんですかっ? 大佐っ!」


 咄嗟にまりんが呼びかけると、大佐は立ち止まる。そして少し後に答えた。


「高エネルギー源はお前が破壊したし、徐々に地球は温まっていくだろうが、俺は気が向くままに旅をして、キャンサー退治だ。俺にできるのはそれくらいだしよ」


「分かりましたっ! でもっ、金輪際なんて言わないで、たまには会いに来てくださいね! 歓迎して出迎えますからっ!」


「……ああ、考えとく」


 大佐は地面を蹴ると、クレーターの上まで一気に飛び上がって着地する。そこから最後に一度だけまりん達を振り返ると、そのまま何も言わずに去っていった。

 後に残されたのは、クレーターの底にいるまりんとカルジの二人だけ。まりんは意識することなく自然に空を見上げると、亡き父に告げるように呟いていた。


「私、貴方に言われた場所に辿り着いて、託された事をやり遂げましたよ。だから、どうか安心して眠ってくださいね、お父さん」


 死者に声が届く訳がないことは、まりんにも分かっている。それがただの感傷に過ぎないのだということも。

 しかし、これは意味があることだった。すべてを終わらせた最後の一区切りとして、死んだ父に報告しないと気が済まなかったのだ。

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