第三章

第三章 陰りを見せる、仮初めの平和その一

「さあ、集落を見て回ろうね、まりんちゃん。今日から君もここで暮らすんだよ」


「は、はいっ。よろしくお願いします、ミリルさん!」


 まりんは歩き出したミリルに両腕で抱えられながら、辺りをぐるりと見回す。

 人々が過ごしているショッピングセンターの外観は所々経年劣化がみられ、凍結した敷地には雪が止むことなく深々と降り続けている。

 男達が敷地内の除雪作業に励み、もう一方では別の男達が銃器で武装し、公道に続く出入り口付近を哨戒中だ。側には重戦車までが、何台も配備されている。

 キャンサーの襲撃に備えているに違いない。しかし、そんな過酷な環境で生きているにもかかわらず、人々の表情には笑顔があった。


「なんていうか……皆さん、こんな世界なのに活気があって、目が生き生きとしてるんですね」


「うんうん、でしょ? ここにはデストック社製の兵器が残っているからね。これまでキャンサー達が襲ってくることがあっても、撃退できてるんだよ」


 確かに、あの漆黒の機体に髑髏の死神をモチーフにしたロゴが描かれている重戦車や武装ヘリコプターは、敷地内の要所要所にあって嫌でも目に付く。

 個人的にあれらの黒い機体には、苦い思い出がある。しかし、その兵器によって守られていることが、人々に安心を与えているのも事実のようだ。

 複雑な気持ちだったが、口には出さなかった。今、人々の暮らしを維持するのに役立っているのならそれでいいという想いも強かったからだ。

 やがてまりんを抱えたミリルは、ショッピングセンター入り口前で立ち止まる。同時に、タイミングよくガラス製の自動ドアが左右に開いていった。

 勿論、自動で開いたのではない。二人の子供達が楽しそうな顔で、快く開けてくれたのだ。


「ミリルお姉ちゃん、どうぞー!」


「どうぞー!」


 姉弟なのだろうか。顔立ちがよく似た、小学生ぐらいの子供達だ。髪の毛は黒いが、青い目をしているため、生粋の日本人ではないようだ。

 ただ、顔立ちは日本人とまったく見分けがつかないため、ハーフなのかもしれないと思った。

 この子達も日本語が流暢で、ミリルをよく慕っているのが表情から伝わってくる。


「ありがとうね、二人共! 今日もいい子にしてたかなー?」


「うんっ! してたよー、ミリルお姉ちゃん!」


「うん、してたー!」


 姉弟二人は揃ってミリルの両足に抱きつき、戯れながら答えた。子供達がこんなに楽しそうに笑っていられるのは、平和である証拠だ。

 本当にこの集落は安全地帯なのだなと、まりんは微笑ましくなった。

 それに、さっきからここに来るまで見かけた顔ぶれが、ずいぶんと多国籍なことにも驚かされる。

 白人と黒人とアジア人とが一か所に混ざり合って暮らしているのに、いがみ合っている様子がないのだから。

 人種差別が絶えなかった十年前とは、まるで違う世界がここにはあった。

 もしかしたら、世界全体が凍り付いた過酷な環境と、人を襲うキャンサーという共通の脅威が、人々をここまで強固に団結させたのかもしれない。


「ねえ、まりんちゃん。まずは私の部屋でお風呂に入ろっか? あまり言いたくないけど、少し臭いよ、君の身体」


「ふえっ? そ、そうですか!? す、すみませんっ!」


 ミリルは、他の誰にも聞こえないように、まりんの耳元で囁いてくれた。それを聞いたまりんは、顔から火が出そうな程、恥ずかしくなる。

 考えてみれば、十年間も死んだまま野ざらしになっていたのだ。全身が汚れて臭っていたとしても、少しも不思議なことではない。

 人前で恥をかく前に教えてくれた彼女の優しさに、まりんは声には出さず涙した。


「それじゃあね、二人共。これから私、このお嬢ちゃんとお風呂に入らないといけないの」


「あー、知らない人。いいなー、新入りさんなのに、ミリルお姉ちゃんとお風呂に入れるなんてさ。じゃあ、それが終わったらまた遊んでよね、待ってるからさー」


「ふふふ、君達がずっといい子にしてたら、またそのうちにね」


 ミリルはまだ名残惜しそうな姉弟に別れを告げると、二人に背中を向けて靴音を鳴らしながら内部を進んでいった。

 どこか上機嫌だな、とまりんは思う。集落は彼女を中心に回っているのだということが、ここにいる人達の態度を見れば分かる。

 まだ二十代前半程の若さなのに、美人で、しかも人望まであるとは。それに比べて自分はどうだろうかと、まりんは自問自答した。

 いわゆるコミュ障の上に、あがり症。それに、今まで無我夢中で気付かなかったが、確かに着用している服や肌から汗臭さが臭ってきている。

 輝いている彼女とは大違いの惨めな自分が恥ずかしくなり、頬を赤く染めた。そんな気恥ずかしさを湯船に浸かって早く忘れたいと思った所で、はっと気付く。

 どんよりとした雪空のせいで常に薄暗い外と違って、中は照明で明るいということに。


「イ、インフラ、今も生きてるんですね。天井には電気が点いてるし、それに風呂まで沸かせられるってことは……」


「そ、凄いでしょ。うちには機械や電気とかのエンジニア、医者や看護師、コックまでいるんだよ。皆がそれぞれ培ったスキルで生活の質を高めてくれてるんだ」


 最初、まりんは集落と聞いて原始的な生活をしている人々を思い浮かべていた。それが蓋を開けてみれば、まるで違っていた。

 滅びかけのこんな世界にありながら、文明の利器が機能している事実。まだまだ人類は、凍てつく寒さに負けた訳ではなかったようだ。

 必死に生き延びようとしている人間の底力を間近で見て、頼もしさすら覚えた。


「この調子なら、きっと世界中の色んな場所で人類は生き残ってますよね、絶対」


「うん、だろうね。国連だって、まだ完全になくなった訳じゃないよ。今も定期的に連絡を取ってるんだから」


「じゃ、じゃあ……お父さんもきっとどこかで……」


 まりんは、言いかけて途中でやめた。希望を口にしてしまうと、願いが叶わなかった時の絶望がより大きくなる気がしたからだ。

 しかし、それにしても……いい加減、ミリルにお姫様抱っこされたこの格好は恥ずかしくて堪らないと思った。

 そろそろ自分の足で歩きたい旨を伝えたい所だが、彼女はまりんを嬉しそうな顔で力一杯、抱き抱えており、それを許してくれそうにない。

 もうこれは諦めるしかないと、唇をぎゅっと噛み締める。この扱いを甘んじて受けることにしようと、身を預けた。


「お、姐さん。そちら新入りですか? 後で紹介してくださいね!」


「うおっ、新顔はべっぴんさんか! けど、まさか東京に俺達以外にまだ人が生き残ってたなんて……っ! こりゃ、めでたい!」


「こらこら、男衆。見世物じゃないんだよ? この子に失礼なこと働いたら承知しないんだからねっ」


 ミリルが二階、三階とショッピングセンター内を上階に向かって上がっていく途中、すれ違う人達は皆、笑顔で挨拶してくれている。

 誰もが新しく集落にやって来たまりんに興味津々で、特に若い男性からの食いつきがいいのが、誰の目からも明らかだった。

 まりんが若く、容姿に恵まれた女性ということも大いに関係している。

 彼らに悪気はないのだろうが、十年前、暴徒の男達に襲われた出来事をつい思い出してしまった。

 身体が微かに震え、まるで父に縋るようにミリルの腕を掴んだ。


(お父さん。私、言いつけは決して破りませんから……)


 本音では、父譲りの身体能力を持つ自分であれば、並大抵の男など一捻りできる自信があった。

 しかし、暴力を固く禁じた父との約束がある。そして幼少期にあれだけ家族に迷惑をかけてしまった負い目も。

 だから、先ほどのミリルの人間的魅力を前にして、力を貸すとつい口にしてしまったことをすでに後悔していた。

 彼女には敵がいると言っていたが、場合によっては、その敵を倒すことを断らなくてはならない。

 多少なりとも勇気がいるであろうそのことが、まりんの頭を悩ませていた。


(う、ううぅ。でも、やっぱりそんなこと言い難いですよぉ……)


「さ、着いたよ、まりんちゃん。ここが私の部屋」


 自分の世界に浸ってあれこれ考えていたまりんは、ミリルの声によって現実に引き戻される。

 顔を上げると、そこはショッピングセンター四階の一画にある洋装店の前だった。

 ガラス一枚を挟んだ向こう側には、今もレディース服が飾られている。それを見て、平和だった頃の日本の面影を思い出し、懐かしくなってしまう。

 ミリルはここでようやくまりんを床に下ろしてくれると、その手を引いて仕切り用のカーテンを潜っていく。

 中はさほど広くはなかった。中央には机や椅子、隅には天井から下がった室内物干しに吊られた洗濯物、一杯になったゴミ箱などがある、生活臭が感じられる空間だ。


「どうぞどうぞ、遠慮なく。少し散らかってるかもしれないけど、自分の部屋だと思って寛いでいいからねー」


「は、はい、お邪魔します。でも、まずはやっぱりお風呂に入りたいです。身体が汗臭いと、皆さんの気分を害してしまいますから」


「いいよー、分かった。それじゃ一緒に入ろっか、まりんちゃん」


 壁際近くの仕切りカーテンを開けると、そこにあったのは木製浴槽と蛇口。

 ガラス張りの窓から、雪が積もった東京都内の展望が眺められる風呂スペースになっていた。

 湯気が立っていることから、湯はすでに沸いているようだ。誰かが予め準備しておいてくれたのかもしれない。


「わあ、綺麗ですっ」


「でしょ? 私のお気に入りの場所なんだ、ここ」


 この雪と寒さは、人類を滅亡寸前まで追い込んだ一因だ。しかし、理屈抜きに見た瞬間だけは、ここから見渡せる雪景色が、ただ純粋に美しいと思えたのだ。

 感動しているまりんを余所に、ミリルは着ていた防寒具を脱ぎ始めていた。防寒マスクとウールニット帽とフリースを、順番にバスケットに投げ入れる。

 露わとなったミリルの白く豊満な肢体は、同性であるまりんすら見惚れさせた。首筋にある火傷痕など気にならない程、女性として完璧なボディーラインだ。

 胸のサイズが控えめな自分と比べてしまい悲しくなるも、そんな心中を悟られまいと、まりんも慌てて衣服を脱ぎ捨てる。


「さあ、入ろ!」


「は、はいっ!」


 まりんとミリルは、揃って湯船に浸かる。元々、まりんの身体は隅々まで熱を帯びていたが、それでもお湯に浸かると身体が芯から温まった。

 湯船はあまりサイズが大きくないため、二人は向かい合いながら密着して浸かる形となる。


「私以外の皆はね、一階にある銭湯を使ってるんだよ。けど、私が火傷痕を気にしてるんじゃないかって思った男衆が、この部屋に私専用の風呂を作ってくれたの」


「そ、そうだったんですね」


 そうは言っているが、ミリルは火傷痕に劣等感を抱いている様子はない。何しろ、先ほども自分からこの火傷をまりんに見せてくれた程なのだから。

 なぜこんな痕が残ったのか、きっと彼女なりの事情があるはずだ。しかし、今は他人の事情を詮索する気はなく、ただ疲れを癒すことに専念したい。

 そう思って湯船に浸かっていると、ふとまりんは彼女の視線が自分に注がれていることに気付く。

 何を確認しているのだろうかとドキドキしたが、やがてミリルは笑いかけてきた。


「うん、いいね、完璧。思った通り、君は最高の逸材だったよ」


「え、えっ? 完璧って、どういう意味ですか?」


 ミリルの発言の意図が読めず、まりんはぎこちなく聞き返す。それに対して、彼女は事もなげに答えてのけた。


「身嗜みを整えれば、君はお姫様にだってなれるってこと。風呂から上がったら、髪をセットしてあげるよ。服も良さそうなのがあれば、見繕ってあげる」


「え、えっ! そ、そんな……おだてても何も出ませんよぉ!」


 気恥ずかしさのあまり、まりんは顔までざぶんと湯船に浸かった。これまでの人生、引っ込み思案な性格が災いして、おだてられた経験はほとんどない。

 それがこんな物語に出てくるような西欧美人からお姫様の素質があると言われて、平静でいられる訳はなかった。


「そんなに照れなくてもいいのに、まりんちゃん」


「だ、だってぇ……」


 すごすごと湯から顔を出しながら、まりんはぼやく。しかし、女性からすれば、容姿を褒められたことは悪い気分ではない。

 まだ、女性と呼ぶよりも少女と呼ぶ方が似合う年齢のまりんにとっても、それは例外ではなかった。


「前にも言ったけど、たとえ世界がどんなになったとしても、女は身嗜みをきちんとしないと駄目だからね。常に最高の自分を周囲に見せなきゃ……」


 ミリルは最後に少しだけ言いよどんだ後、言葉の先を続けた。


「実は私ね。ここだけの話だけど、今の世界が結構好きなんだ。十年前は人間同士で醜い争いが絶えなかったでしょ。でも、今は違う。皆が協力して暮らせている」


「それは……そうですけど」


 まりんの脳裏にも、人間達の血みどろの争いの記憶は刻み込まれている。

 度々、ニュースで見てきた人種差別や、かつて自分を含めた大勢の人々を殺した救世ボランティアの構成員達の残虐な殺戮行為の数々が。

 人が生きることさえ苦労する今の氷漬けの世界も、最良とは言えないだろう。

 しかし、ミリルが人間同士の争いがない現在の世界が好きだという気持ちも、分からないでもなかった。


「でも、この世界にもまだ敵がいるの。せっかく苦労して築いた、この集落の平和を壊してしまいかねない敵が。これまでは私が奴らから皆を守ってきたけど、それももう限界に近いかもしれない」


「敵って、キャンサーのことだと思ってましたけど……違うんですね?」


「そう、奴らは確かに脅威だけど、差し迫った敵はキャンサーじゃないの。敵はね、同じ人類にいるんだよ」


「じ、人類に……この状況で敵対する相手がいるんですか?」


 まりんは、改めて思い知る。争い、殺し合うのが人間という生き物なのだと。

 十年後の世界でも、こんな過酷な状況に追い込まれていても尚、人は同種での争いをやめられないのかと、軽く失望すら覚える。

 そんな落胆を隠し切れないまりんに、ミリルは敵の正体を告げた。


「今も現存するデストック社、その支援を受けた救世ボランティアの過激派連中よ。あいつらは、世界がこんなになった今でも活動を続けている」


 多少の緊張を顔に湛え、ミリルは答えた。あいつらが、自分を殺した連中が、今もまだ悪事を働いている。

 その事実は、まりんのトラウマを抉るのに十分だった。背筋が寒くなっていくのを感じ、ガラス張りの窓の向こう側に視線を向ける。

 そこにあったのは、これまで見てきた通りの雪景色の東京の街並み。しかし、今はこれまで以上に、冷たく街そのものが息絶えているように見えた。

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