第六章

第六章 いざ、世界救済の旅へその一

 カルジが操る空中母艦との死闘を制したまりんは、翌朝目を覚ました。

 全身のどこにも痛みはなく、疲労もない。元の自分の身体を返してもらってから、父親譲りの身体能力とスタミナが戻ってきた実感があった。

 ただ、寝起きのせいか何かを忘れている気がする。昨日、あの戦いの後に何をしていたかを……。


「あっ。そ、そういえば……大佐さんはっ」


 最後の記憶をやっと思い出し、まりんはベッドからがばりと跳ね起きる。昨夜は遅くまで、ミリルや集落の人達と一緒に大佐の帰りを待っていたのだ。

 しかし、いつまで経っても大佐が戻ってくる気配はなく、おぼろげだが、途中で寝てしまったのではなかったか。

 我ながら子供みたいで情けないと苦笑する。けれど、もしかしたら自分が寝ている間に帰還しているかもしれないと、急いで身支度を整えた。

 その最中、ミリルに貰ったファー付きコートと紫色のニット、カジュアルなデニムが、いつの間にか洗濯されていることに気付く。

 誰かがまりんが眠っている間に、洗っておいてくれたのだろう。ひょっとして、集落の人達の仕業だろうかと、気を利かせてくれた誰かに感謝する。

 そして、父から貰った銀のペンダントを首に下げると、自分に割り当てられた部屋を飛び出した。


「あ、まりんお姉ちゃんだー。おはようー!」


「おはようー、まりんお姉ちゃん!」


「あ、君達はっ……」


 部屋を出るなり、まりんに声をかけてきたのは、集落にやって来たばかりの時、ショッピングセンターの入り口で会った姉弟達だ。

 しかも、部屋の外で待ち構えていたのは、二人だけではない。彼らの背後には、小中学生程の年頃の子供達がずらりと並んでいる。

 何やら、前と比べると、ずいぶん親しげに接してくるなと思った。それは決して気のせいではなく、彼ら彼女らが向けてくる眼差しが事実だと物語っている。


「あ、あの……どうしたのかな、君達?」


 まりんがおずおずと尋ねると、子供達は目を輝かせて黄色い声援を上げ始めた。


「お姉ちゃん、格好良かったよ! あんなに大きい空飛ぶ船を倒しちゃうなんてさ!」


「犠牲者が誰も出なかったのは、お姉ちゃんのお陰だって皆が言ってた!」


 子供達は口々に叫びながら、まりんに駆け寄ってきた。

 しかし、まりんはミリルと違うのだ。他人からこんな羨望の眼差しを向けられることに慣れていない彼女は、困惑気味に後退る。


「え、ええとっ……」


 子供達の目は、まるで救世主でも映っているかのように輝いている。まりんは、ようやく自分が行ったことの重大さを理解する。

 三百人もの人々を、集落を一つ救ったという実感が今になって湧いてきたのだ。悪い気分ではないが、他人から持ち上げられるのは、どうにも背中がむず痒い。

 そんな所へ子供達の人だかりの向こう側から、聞き覚えのある低い男性の声が届いた。


「よう、東郷まりん。もうすっかり英雄扱いだな」


「え、あっ! た、大佐さんっ! 戻ってたんですね!」


 そこに現れたのは、大佐だった。怪我をしている様子もなく、五体満足なようだ。

 ただ、今の彼は、防寒マスクとニット帽を外している。初めて彼の顔を正面からまともに見た気がするが、不良少年がそのまま中年になったような印象を受けた。

 頭はスキンヘッド、口元から頬にかけて横に走った傷痕があり、強面ではあるものの、目だけは優しさを宿している。

 そして口には今日も煙草を咥えて、くゆらせていた。


「ああ、何とか生還できたぜ。お前さんが航空母艦に憑りついてたカルジの分身を消し去ったお陰だな。それより話がある、ついて来いよ」


 まりんに声をかけた彼は、そのまま背後を向いて通路の奥に歩いていく。まりんも子供達を掻き分けながら、慌ててその後を追った。


「ま、待ってくださいよ、大佐さん!」


 大佐は後ろを振り返ることなく、歩き続けていった。子供達からの黄色い声を背中に浴びながら、まりんは急いで彼の隣に並ぶ。

 詳しい理由も語らず、この人はやや有無を言わせない所がある。ただ、この場で話せないということは、かなり重要な内容なのだろう。

 もしかしたら、ミリルも同席させて話をしたいということなのかもしれない。二人は通路を通り、エスカレーターを上がって、やがて四階に出る。

 目を向けると、前にまりんが炎を暴発させて壁などを吹き飛ばしたミリルの自室入り口が、ブルーシートで塞がれていた。

 大佐は、どこに向かうのだろう。そう思って歩いていると、しばらくして、パソコン教室の看板がかかった部屋の前で立ち止まる。

 そこで、やっと振り返った大佐は、まりんに言った。


「ここだ、中でお嬢も待っている。さあ、入った入った」


「は、はい。お邪魔しますぅ」


 ガラス張りの両開き扉を開け、大佐が先に入室すると、まりんも続く。中はずいぶん整頓されていたが、中央に椅子で囲まれた正方形の大きなテーブルがあった。

 その椅子の一つにミリルは腰かけていて、どうやら二人を待っていたようだ。カーテンが左右に開かれた窓からは朝日が差し込み、彼女を照らしている。

 ミリルは笑みを湛えながら、まりんと大佐に座るように促した。


「おはよう、まりんちゃん。そして大佐、ご苦労様。昨日は二人のお陰で、あの憎たらしいカルジの襲撃を退けることができたわ」


 ミリルは、いつにも増して嬉しそうだ。今の言葉にも、カルジに一杯食わせてやったという痛烈な棘があった。

 彼女の指示に従い、まりんと大佐は揃って椅子に腰かける。それを見届けてから、ミリルは本題を切り出してきた。


「よく聞いて。カルジの奴が大部隊を引き連れて動き出したと、さっき国連から連絡がきたわ。行き先は北海道だと思われるそうよ」


「おいおい、マジか? 今や、北海道を制した者が世界の覇権を握ると言われている時代だぜ。ついにあの若造も野望のために、痺れを切らしたみてぇだな」


「もしかしたら、まりんちゃんに触発されたのかもね」


「え、ええっ! 私のせいですかぁ!?」


 まりんは、素っ頓狂な声を上げた。しかし、カルジが自分を同志に迎え入れたいと、執着していたようだった自覚はある。

 俺を追って北海道に来い、と誘いを受けていたことも。面倒そうな男に目をつけられたものだと、まりんは気が滅入ってしまう。

 そんな重い気分で俯いていると、ミリルは話を先に進めた。


「それで私達も、北海道に向かおうと思うの。実は国連から要請があったのよ。私と大佐にもカルジを迎え撃つために助力して欲しいってね」


「だろうな。今の弱体化した国連の戦力じゃ、カルジが率いる私設軍隊は止められねぇ。猫の手も借りたいってこったろう」


 二人だけで勝手に納得しているようだが、まりんだけは話についていけなかった。

 今、北海道や国連がどうなっているのか、詳しい知識がないからだ。

 十年前は、札幌の隕石跡からキャンサー達が溢れ出した。そこから世界中に寒波が広がり、キャンサーの被害も拡大していったことまでは知っている。

 あれから十年が経過し、現在はどこまで事情が変わっているのだろう。迎え撃つということは、国連軍もそこに駐留しているということだろうか?

 そんなことは誰も教えてくれなかった。勿論、自分が聞かなかったせいでもある。

 今更ながら、今の世界情勢をほとんど知らないことに、まりんは自分だけがこの世界からぽつんと取り残されている疎外感を覚えた。


「あの、すみません。話が見えないんですが、北海道の状況は今、どうなってるんですか?」


 このままでは駄目だと思い、まりんは二人の会話に割って入る。ミリル達も隠す理由はなかったようで、質問すると快く答えてくれた。


「まさに群雄割拠さ。国連だって一枚岩じゃねぇ。露国と中国が、欧米諸国と対立して、覇を競い合っている有様だ。どこの国も、相手を出し抜いて、自分達が世界のリーダーになろうってな」


「そう、デストック社と救世ボランティアの過激派に対抗するため、何とか足並みを揃えているって所かしらね。案外、十年前に人類を裏切った国も、しれっとした顔で国連軍に参加しているのかも」


「て、敵だらけじゃないですか。その中で信用してよさそうな国は……。そ、そうですよ! 日本の自衛隊はいないんですか?」


 まりんの口から自衛隊という言葉が出た途端、ミリル達の表情が陰った。日本がすでに国としての機能を失っていることなら、前にミリルから聞かされている。

 だが、各国の軍隊がまだ残っているなら、自衛隊も……と淡い期待を待ったのだが、何か不味いことを言っただろうかと、まりんは不安になった。


「まりんちゃん、自衛隊と日本の首脳はね。真っ先にカルジに皆殺しにされたわ。十年前、戦いもせず他国に亡命したのが、あいつの癇に障ったんでしょうね」


「あくまで一時避難ってことだったらしいが、キャンサーの大群が迫ってきている東京を見捨てたんだからな。あの若造にそんな理屈は通用しなかったってこった」


「そ、そんな……そんなことが。じゃあ、日本はもう……」


 総理大臣も各国務大臣達も、国家を動かしていたような偉い人達は、もう死んでいた。指導者を失っては、いつか日本を立て直す際に、それを主導する人物はいないということだ。

 しばらくの間、室内に気まずい沈黙が流れる。そんな中、まりんは俯き加減で自分が殺される間際のことを思い出していた。

 まりんの頭を撃ち抜く前に、訛りのある日本語であの男が話していたことを。

 所々、聞き取れなかったが、日本国民は見捨てられ、彼らはこれから何かを迎え撃つつもりだと言っていたはずだ。

 今、疑問が解けた気がした。あの頃、自衛隊が人命救助に出動しなくなったのは、首脳達の亡命に付き合わされていたから。

 そして代わりに救世ボランティアの過激派達が、東京に向かって南下してくるキャンサーの群れを撃退するために武装して東京に集結していたのだ。

 ああ、なんてことだと、心の中で嘆いた。食糧難も治安の悪化も、偉い人達が何とかしてくれると信じていた自分が、裏切られた気がしたからだ。


「どうしたの、まりんちゃん?」


 ミリルに声をかけられても、すぐに返事をしなかった。湧いてきている感情は、何も知らずにいた自分自身への無気力感と失望だ。

 よくよく思い返せば、これまで自分は周りに流されてきただけで何も考えていなかった。だから今のように平和な世の中が壊れ出した時には、それまでのツケが回ってきてしまうのだ。

 そんな思考停止した人間でも平穏に生きていける時代は、とうに終わりを告げている。だから、生き抜きたいなら、これを契機に成長しなくてはならないと思った。

 肉体的にも精神的にも、今とは違う強い自分に――。そうした決意を抱きつつ、まりんはようやく顔を上げた。


「ミリル、約束でしたよね。私が寝言で漏らしていた、向かわなくてはいけない場所ってどこだったんですか?」


「うん、実はこれから話そうと思ってた所なの。奇しくも、同じ北海道よ。それも災害の中心地である、札幌都市跡。君が寝言で言っていた、行き先はね」


「札幌……ですか。これって偶然なんでしょうか? 何だか、運命を感じます」


「うん、そうだよね。私もそう思う」


 十年前から父の言葉に従い、ずっと目指しながらも彷徨い続けていた。だが、探していた目的地が、ようやく明らかになったのだ。

 きっとそこに何かが……もしくは、誰かが待っている可能性もある。でなければ、父はそこに行くよう、まりんに伝えることはなかっただろうから。

 まりんは首から下げている、父に貰った銀のペンダントを手に取り、思いに耽る。

 しかし、今も大好きなはずの父親の顔が霞がかっていて、はっきりと思い出せない。

 どうしてなのだろうか。今更だが、変だ。ずっと一緒に暮らしてきた親しい家族の顔が出てこないなんて、あり得ないことなのに。

 その疑問の答えも、札幌に行けば分かるのだろうか――?


「ミリル、大佐、私も同行させてください。どの国が世界の覇権を取るかなんて興味はないですけど、私も北海道に向かう理由ができましたから」


「うん、願ってもないことだわ。君がいれば、単騎で戦況を変えられる。誰が敵に回っても、打破する切り札になってくれるはずよ」


「んで、お嬢。国連の連中は、俺達に足を用意してくれたのかよ?」


 当然の疑問だろう。今いる東京から北海道までは、何百キロも離れている。車で陸路を行けば、どうしてもキャンサーとの戦闘は避けられなくなる。

 ヘリコプターで空路を行こうにも、燃料補給の必要があるはずだ。北海道まで向かうためには、長距離を安全に移動できる乗り物が必要になってくる。

 そんな、大佐らしい質問に対して、ミリルはすぐに答えてくれた。


「米軍厚山基地に、固定翼機を待機させてくれているらしいわ。それで北海道まで来てくれって指示よ」


「なるほど、そりゃ手厚い歓迎ぶりだな。じゃあ、すぐに出掛けるぜ。厚山基地なら、ヘリコプターでひとっ飛びで行けるはずだ」


 大佐の言葉に、まりんとミリルが頷く。遠出になる覚悟を決め、まりんが椅子から立ち上がると、他の二人もそれに倣った。

 全員が部屋を退室していく中、まりんの心は感慨深さに支配される。なぜなら、彼女にとって十年越しの旅が、ようやく再開したのだから。

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