第八章

第八章 決戦の地、札幌都市跡その一

「あ、あそこが札幌市……だった場所ですかっ?」


 北海道の地区区分である道央地方に位置し、かつては北海道の政治・経済・文化教育・交通の中心地となっていたその都市の跡が、まりんの眼下に広がっていた。

 これまで見てきた東京などと同様に、季節外れの雪が深々と降り注いでいる。ただ、周囲の道路や街並みは、完全に崩壊している。

 その荒廃ぶりは、他のどこよりも酷い有様だった。何しろ、この辺り一帯は隕石が落ちた爆心地なのだから無理もない。

 そして最悪にも都市の跡地を、数えきれない数のキャンサー達が我が物顔で闊歩している。十年前まではそこにあったはずの人々の生活感はまるでなく、奴らだけの王国と化していた。


「おい、向こうを見てみるがいい、東郷まりん。天に向かって垂直に伸びている、赤い光の帯があるだろう?」


「見えますけど……あれが何だっていうんですかっ?」


「馬鹿め、分からないか? キャンサー共は、あの光の中心から現れているんだぞ」


 まりんは札幌都市跡の上空をカルジと並んで飛行しながら、言葉を交わす。この男と戦うために来たつもりだが、あまりの惨状に上手く言葉が出てこない。

 だが、世界が雪と氷に覆われてしまった原因が、この地にあることだけは目と肌で確かに感じ取っていた。

 カルジを倒して終わりではないのだ。元凶がいる、もしくは何らかの物があるのだとしたら、それも破壊しなくてはならないと、心に強く刻み込む。

 しかし、まず最初に死合うべくは、この男だ。旭川市からはずいぶん離れたし、もう周りを巻き込む心配はないと、拳に力を込めた。


「いいだろう、そろそろ頃合いか。人類にとっての害獣、キャンサー共ならいくら巻き添えになって殺されようと、誰も文句は言わんからなっ」


「……ええ! じゃあ、始めますよっ!」


 まりんが人差し指をカルジに向けると、その先端が青白く輝き出した。

 発熱体が発する、色ごとの温度は赤色が最も低く約千五百度、そして青は約一万度以上になる。

 熱を指一本に強く集中させて、超高音のエネルギーを作り出したのだ。彼女は指を拳銃に見立てて構え、銃弾のように指先から火の玉を撃ち出した。

 並みの炎ではない。溜めに溜め、凝縮させた、膨大な熱エネルギーが、あっという間に、着弾したカルジが身に纏うヒル達で形作られた覇竜王を、大炎上させた。


「くだらんなっ、俺は周到に準備してきた。俺が今、行動に出ているのは、世界を変革するだけの用意ができていると確信しているからだっ!」


 全身を青い炎で焼かれながらも、カルジが搭乗する覇竜王は、反撃とばかりに巨大な腕をまりんに伸ばし、掴みかかってきた。

 水とも肉ともつかない竜の体内は、先ほどのように赤い電流が帯電し、その右手がまりんが纏う炎のフィールドと接触する。

 二つの高エネルギーがぶつかり合い、周囲に激しく火花を散らした。


「全力を出したらどうだ、東郷まりん。周りを見ろ、キャンサー共しかいない! 何を躊躇する必要があるのだっ!」


「手加減なんてしてませんよぉっ! お前の力を確認していただけです!」


 まりんとカルジが、互いに能力の顕現である極炎と覇竜王を纏って、急降下。二人は揃って、札幌都市跡に降り立った。

 すると、餌が現れたと敏感に悟ったキャンサー達が、瞬く間に群がってくる。蜥蜴や大猿、他には獅子の姿をした連中までいた。

 まりん達を取り囲んだ奴らは牙を剥き、今にも襲い掛からんばかりだ。


「鬱陶しい、目障りな化け物共だ。ならば、俺も相応しい戦法で応じてやる」


 カルジが、刀を天に掲げる。それと呼応するように、身に纏っていた覇竜王は無数のヒル達に戻って周囲に散った。

 ヒル達は激しい水の流れとなり、キャンサー達を外側に押し流していく。そして奴らに断末魔の悲鳴を上げさせて、喰らった後、聳え立つ肉の壁となった。

 何者の妨げも許さない、二人の決闘のための円形試合場であるかのように。


「さあ、舞台は整えてやったぞ。これでキャンサー共に邪魔立てはできない。それに白兵戦なら、俺も人間サイズで戦うのが一番やり易いからな」


「ズルはなしのタイマンで、決めようってことですね。なら……っ!」


 能力を戦いのフィールド作りに割いていたカルジに応じて、まりんも纏った炎の範囲を肌から数センチにまで縮める。

 どうせ戦うなら、あくまで対等に勝負したかった。距離を詰めての格闘戦なら、炎を広げ過ぎると戦い難くなるからだ。

 そして、トンと軽い音が鳴る。まりんが地を蹴ったのだ。軽快な足音を響かせ、走りくる彼女を十分に引きつけながら、カルジは笑った。


「今日、俺の悲願は叶う! ついにだっ!」


「知ったことじゃないですよ! お前の悲願なんて!」


 まりんが叫ぶように返事を返し、炎を込めた拳を至近距離から放つ。

 拳と刀が真正面から激突した瞬間、激しい衝撃波が周囲に散る。カルジはそこから刀で拳を真上に斬り上げ、右足で踏み込んで、一気に加速。刀を横に奔らせた。

 その刹那、炎の防御壁に守られているはずのまりんの胸に、すうと切れ目ができたと思った時には、血が噴出する。

 痛みでまりんは胸を手で押さえるが、すぐに意識を目の前の敵に戻した。


「……い、痛くないっ。痛くないですから、こんなのっ!」


「ああ、まだ持ち堪えてもらわなければ困る。間もなく国連軍の残りが威信に賭けてでも、俺に報復にやってくるだろうからな。奴らも交えての混戦が始まるのだ」


「それも、お前の作戦ってやつですかっ?」


 カルジはすぐには答えず、身を捻った回し蹴りを放つ。それはまりんの横腹に、容赦なく炸裂した。

 まりんは数メートルの距離をふっ飛び、地面に背中から転倒する。


「その通りだ。俺が組織した三個大隊の部下達も、帯広市からここに今、向かっている。最精鋭による大軍勢の衝突によって、難攻不落の札幌の守りを崩す計画だ」


「それがお前の狙い……。私や国連の力まで当てにするなんて、そんなにこの札幌市を落とすのは困難だっていうんですか?」


「前に碌な下準備もせずに挑み、身を以って、理解した。札幌には一体だけ、強力無比なキャンサーがいてな。今まで人類がここを制圧できないのは、そのためだ」


 まりんは地に手をついて立ち上がると、辺りを見回す。肉壁の中に飲み込まれて死体となったキャンサー達が、浸食されつつある姿で浮かんでいる。

 まりんもカルジも、これまで幾度となく奴らを倒してきた。だから、脅威ではあるものの、決して倒せない敵ではないと思っていた。

 しかし、その認識は甘かったのだろうか。四方から、今も被害から逃れた生き残りのキャンサー達の雄叫びが聞こえてきている。

 これだけ仲間が殺されても、怯んでいる様子は微塵もない。血に飢え、人間を喰い殺すことしか考えていないかのようだ。


「だが、あくまで利用するだけだ。最終的には人類の裏切り者も国連軍ごと葬り、キャンサー共も残らず皆殺しにする予定だからな」


「そう、ですか。お前にも大義があるのかもしれませんけど、無関係な人にまで手を出そうとするのはやり過ぎですね。札幌を攻略するまでなら、その目論見に乗ってあげてもいいですけど、そこから先は絶対に止めてみせますからっ」


「やってみろ。話している側から俺達の血臭に気付いて、厄介なのがやって来たようだぞ。やり遂げる前に、殺されんよう立ち回ってみせるんだなっ!」


 まりんはカルジの言葉を聞くなり、頭上を見上げた。雪が降り続ける、雲空。違和感を……いや、何者かの接近を感じたからだ。

 それと同時に理知的とは程遠い、知性の感じられない、暴力的で野獣のような咆吼が響いた。


「グガァアアアアアアアアアアアアッ!」


 瞬間的に、まりんの身体は動いていた。本能で危機を悟り、後方に跳ね飛ぶのが僅かでも遅れていれば、空から降ってきた巨大な敵に押し潰されていただろう。

 同様にカルジも地を蹴って、敵の着地地点から飛び退いていた。そんな二人が固唾を呑んで見守る中、地に足をつけた敵は、ゆっくりと身を起こしていく。

 がっしりとした男性の体格で、身長はおよそ八メートル強だ。全身のほとんどが褐色の硬そうな皮膚に包まれ、長く伸びた手足の先は、人間のものに酷使している。

 まるで中年男性のような黒い口髭と、それに繋がった濃いもみあげ。そして左目が火傷のように潰れ、縦に三つの引っ掻き傷の痕がある。

 人間ではないが、これまで見たどのキャンサーよりも人間に近い姿をしていた。


「な、何ですか……これも、キャンサー?」


「ああ、こいつこそが札幌都市攻略における最大の障害にして、奴らの王だ。タロットカードの愚者にちなんで、俺はザ・フールと呼んでいる。他のキャンサー共とは、強さが違う。くれぐれも容易く殺されるなよ」


 完全に立ち上がったザ・フールから放たれる威圧感は、並外れたものだった。息を呑んで見上げるまりんに、長い右足が風を切って振り下ろされる。

 咄嗟に彼女は両腕をクロスさせ、炎の防御壁を前面に出して防いでのけた。

 意識して炎によって本腰で守りを固めれば、あらゆる攻撃を跳ね除けられる。その自信があったから、両腕から炎を前方に噴射させ、右足を弾き返してやった。

 だが、予想外にも相手はバランスを崩した訳ではなく、左足だけで立っている。意に介した様子もなく、ニタリと笑っているのだ。

 ぞっとする笑顔だった。それを見た途端、まりんの背筋に戦慄が走った程に。


「あ、あああぁっ! 頭に来るじゃないですかぁ、そのニヤケ顔っ!」


 まりんは、全身に纏う炎を拡張させた。言葉を強くしたのは、恐怖したからだ。

 炎はみるみると目前のザ・フールと同じ大きさにまで膨れ上がり、彼女は力を込めた右拳を後ろに引いた。

 このまま一息に畳みかけないと、反撃が来る。負けてしまうのではないか、そんな嫌な予感がして、突き動かされるように渾身のアッパーカットを突き放つ。

 拳と連動した纏った炎拳が、ザ・フールの顎にジェット噴射のように炸裂した。

 だが、倒れない。その場から半歩も移動せず、奴はゆっくりと仰け反った顔を戻した。そして笑っている、またしても。まりんの動悸が荒くなる。


「はぁ、はぁっ……そ、そんな……」


 これまでまりんは、気の赴くままに極炎の能力を振るえば、誰も彼も圧倒できた。

 それなのに、こいつには従来通りの戦い方が通用しないのだ。そのショックは、彼女にとって計り知れなかった。


「馬鹿がっ、戦闘中だぞ。意気消沈してどうする!」


 ザ・フールの右手の手刀が振り下ろされる。続けて、左腕も飛んでくる。かなり速く、まりんとザ・フールの間に割って入ったカルジが、二発とも刀で弾いた。

 焦燥感が、まりんの心の内を駆け上がる。戦い方を変えないと、殺されるだけ。放心している暇などないのだ。


「あ、あああぁぁっ!!」


 まりんは、叫んだ。そして地面を思いっきり蹴り、ザ・フールの胴体に突撃する。

 炎を纏い、足からも噴出させて加速した状態で。

 その上、更にザ・フールの胴体部分に激突しても、まだ勢いを緩めない。

 奴の足が、地面から浮いていく。そのまま押し上げられる形で、まりんと一緒にザ・フールは上空に舞い上がった。

 高く高く、彼女と奴は、どんどん高度を上げていく。火炎は激しさを増し、触れている奴の褐色の皮膚をちりちりと焼き焦がしていっている。

 致命傷ではない。しかし、確実にダメージが与えられているのだ。やがて雲の高さを追い越したまりんは、ザ・フールの硬い腹の皮膚を指で掴む。


「落ちろぉ、この高さからっ!」


 まりんは力任せにザ・フールを掴んだまま、眼下に向かって投げ落とす。そこから更に両腕を頭上に振り上げると、両手の平に炎を込める。

 そして両手を肩に構えてさっきのように一万度を超える青い極炎を溜め、それを大地に突き出しながら一気に放出――っ!

 放たれた青く燃える閃光が、今まさに落下中のザ・フールに直撃する。そのまま墜落スピードを上げさせながら、ヒル達で海になった札幌市の廃墟に激突させた。

 瞬間、極炎は地表を揺らして吹き飛ばし、天まで届くキノコ雲を発生させる。非常に強力な上昇気流によって出来上がったそれは、火山の噴煙さながらだった。


「はあっ、はあっ……まだまだ、こんなもんじゃ……ないですからね」


 塵埃が舞い、ザ・フールの姿が見えない。しかし、まりんには、まだ奴を仕留めきれていない確信があった。

 この程度で殺せる相手なら、カルジはまりんや国連軍を利用しようと考えないだろう。あのキャンサーは、これまで出会ったどの個体よりも規格外で強大だ。

 僅かの攻防だけで、それを肌で理解することができた。今の内に、息が切れかけている体力を回復させておく必要があるかもしれない。

 まりんは噴出させている炎を弱めて、ゆっくりと地上に降下していく。ザ・フールの居場所を、目で探りながら。


「ど、どこですか……ザ・フール」


 その時だった。また頭の痛みと共に、カルジの声が轟く。


(東郷まりん、奴なら地中に潜って逃げたぞ。当然、追跡するが、待ち人来たるだ。国連軍がやって来た。そして間もなく、俺の部隊もな)


「カルジっ、お前もあの爆発から上手く逃げ延びたんですかっ?」


(ああ、当たり前だ。俺の正義を果たせずに殺されてたまるか)


 空高くから東の方向を見渡すと、何機もの戦闘機がこちらに飛行してきている。

 それに遅れて地上からは、旭川市での惨劇から生き延びたらしい戦車部隊も左右の履帯を回転させ、接近中だ。

 目的は間違いなくカルジの抹殺と、札幌都市跡の制圧だろう。そしてカルジの言葉を信じるなら、救世ボランティアの過激派による三個大隊も向かってきている。

 カルジは勿論として、国連軍も完全に信頼できるか保証はない。十年前に人類を裏切った裏切り者の正体も、謎に包まれたままなのだから。

 だから、この先はただ闇雲に戦うのではなく、慎重に動かなくてはならない。そしてここ札幌は、まりんが父親から目指すように言われていた約束の地なのだ。


「……お父さん。ここに来るまで、十年かかりましたよ。大分、待たせましたね。でも、もう少しだけ待っていてください。お父さんが私に何を願っていたのか思い出せませんけど、きっと果たしてみせますから」


 まりんは首から下げた銀のペンダントを手に取って、そう呟いた。

 彼女も知りたかったのだ。父が何を自分に求めていたのかを。そして恐らくは、それがもうさほど遠くない位置にあることを実感していた。

 札幌市を訪れた時から嫌でも目に付く、天まで垂直に伸びている赤い光の帯。その中心地に答えがあると、雄弁に物語っていたのだから。

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