お蕎麦とシナリオのネタ出し

 つるりとした食感が特徴的な、二八蕎麦が咽喉を滑り落ちて行く。

 鼻に抜けていく葱とワサビのつんとした香りが蕎麦とそばつゆのそれと混ざり合い、得も言われぬハーモニーを奏でるのを目を閉じてじっと味わう。

(はぁ……)

 一歩外に出ればじりじりと照り付ける、肌が痛むほどの日差しと、降り注ぐアブラゼミの執拗な鳴き声。真夏の日曜日は空に雲のひとつもなく、容赦のない陽光に出歩く人影もまばらだ。だけど暖簾を潜って壁一枚隔てたここはしんと冷たく静まり返って、時折厨房から漏れ聞こえる調理の音と、ごくわずかな客が蕎麦を啜る音だけが響いている。ともすれば利き過ぎているとさえ感じられるエアコンの風が冷たく、むきだしの腕に吹き付けていた。

(理理さんなら、こういう場所では熱いお蕎麦を頼むんだよな)

 食の好みが微妙に違う同居人のことをふと思い浮かべながら、冷たい麦茶を一口。

 噛み締めることよりも咽喉越しを楽しむタイプの二八蕎麦は、こんな暑い日の昼間に食べるには丁度いい、というのが僕個人の意見だけれども。

 クーラーの下であえて熱々の料理や激辛料理を味わう人もいる。楽しみ方は人それぞれだろう。

(とはいえ、こう暑いと食欲もなぁ……)

 思わず苦笑しながら、二口目を啜る。今度はたっぷりのすり下ろしたとろろを一緒に。つるりとした食感が更に滑らかになって、噛み締める暇もなく殆ど飲むような勢いになった。夏バテ気味な身体には、むしろ有難い。

 そうして空腹が少し落ち着くと、お蕎麦以外にも思考を傾ける余裕が生まれる。僕は伏せておいたスマートフォンを取り上げて、店に入るまで開いていた検索画面へ視線を向けた。軽く調べ物をしたいと思ってたんだ。

 とろろをたっぷり絡めた、コシのある二八蕎麦を今度はすぐには飲み込まず、もぐもぐと噛み締めつつ、少しばかり思索にふける。

 つい先日。オンセ仲間と一緒に始めたセッションで、特にこれといった設定が無かったゲストNPCが、シナリオを転がすうちに妙なキャラ立ちをするようになった。

 セッションはナマモノだから、こういうことは割によくある。

 で、折角だから続きのシナリオを作ろうか、という話になり。

(あそこまでキャラを立てちゃったからには、あのNPC出したいよね)

 と、いう訳で、GM担当だった僕は何かいい具合に後付けで設定を加えてしまおう、と考え込んでいるところだった。

(PC2の過去の設定とうまく嚙み合いそうだから、少しそこはケンさんと調整して。死んだ娘が居る設定だったよね。……面影を重ねさせるような方向にもっていくか)

 うん。それならPCのモチベーションにもなるだろう。細かい部分は帰ってから組み立てるとして。

 幾らかアイディアが浮かんだところで、お蕎麦も綺麗さっぱりザルの上から消える。あらかじめ用意されているポットから蕎麦湯を一口。ややとろみのある、温かいそれでクーラーとざる蕎麦で少し冷えた胃腸を温めると、ほっと口から吐息が漏れた。

(ウチの面子は、話を重たい方に転がすのが得意だし)

 PCの心に抱えた傷跡に触れるような設定を投げておけば、後は勝手にプレイヤーの方で話を面白い方へ誘導してくれるだろう。そういう信頼があるから、あまり細かい部分までは設定を詰めすぎない方がいいはずだ。

 柔らかな蕎麦湯を、次に蕎麦猪口に注ぐ。

 ──蕎麦を煮ただけのお湯を、客が各自、好みの味に調節するのと。あるいは自作シナリオのセッションは少しだけ似ている。こちらから提示するのはある程度完成させたシナリオではあるけれど。それをどう味わうのかは、プレイヤー次第って訳だ。

(……。蕎麦湯、理理さん『味わい方がよく分からん』って前に困ってたな)

 彼女の郷里はそもそもうどん文化が色濃く、蕎麦を嗜むことは少なかったのだそうだ。

(今度連れてこよう)

 ついでに、今日考えたシナリオのアイディアを聞いて貰おう。理理さんは重たい話よりも明るい話やコミカルな話を好むから、違う視点から意見をくれるかもしれない。そんなことを考えつつ、僕は蕎麦猪口を盆の上に置いた。





 暖簾をくぐると、途端に強烈な日差しとむっと纏わりつく湿った熱気が襲い掛かった。一瞬で汗が噴き出す。やれやれ、ほうじ茶で摂取した水分、一瞬でカラっぽになりそうだ。

 駅前へ向かおうと汗を拭きつつ角を曲がったところで、僕は見慣れた姿に目を瞬かせた。

 あれだけの健啖っぷりながら、不思議なくらいにすらりとした立ち姿。朝出かける時に見かけたレモン色のワンピース姿そのままで、足元は買ったばかりのヒールの低いミュール。肩を覆うくらいに長い髪の毛は、夏場はいつも高い位置でひとまとめに結わえている。

 日差しの下ではあかがね色に見える、ウェーブがかった髪の毛を揺らして歩いているのは。

「理理さん」

 呼びかけると、少し先を俯き加減に歩いていた女性──理理さんが弾かれたように顔をあげた。

「えっ、ヒロくん、今日仕事じゃ……あ、早上がりだったっけ」

「うん。そこの蕎麦屋さんでお昼食べて、今から帰ろうと思ったんだけど」

 ちなみにここは僕と理理さんの暮らすマンションに程近い、駅から10分ほど歩いた場所だ。だからこそ、僕は首を傾げざるを得なかった。

「理理さんこそ、今日は外出って話だったよね?」

 何で家の近くでウロウロしてるんだろう。恰好はどう見ても余所行きの、ちょっと気合を入れたそれなのに。

 僕の指摘に、理理さんは途端に狼狽えた様子だった。

「あー、あのね、ちょっと急に、向こうが体調悪くしたとかで。暇を持て余してたの」

 目線を泳がせて少し早口気味に告げられる言葉は、どうにも言い訳がましく聞こえる。理理さんらしからぬ慌てぶりで、嘘をついているのが見え見えだった。

 何だかさっきまで、早く帰ってシナリオ作ろう、とそわそわしていた胸の内が急に冷えてしまうのを感じて、自分でも驚いた。

「何、僕に言えないようなことしてたの?」

 わざと冗談めかしてそんな風に問いかけてみるが、理理さんはやっぱり歯切れが悪いままだ。

 結局僕らはそのまま、居心地の悪い空気のまま帰路に就く羽目になった。




(……理理さんに訊いてみようと思ってたのにな)

 新しいシナリオのアイディアは、しばらくは寝かせておくことになりそうだった。

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