サイゼでの豪遊と初心者さん対応

 壁の絵画も、目の前に並ぶメニューもすっかり見慣れた、普段暮らしている都会ならその辺りにあるチェーン店だった。

 ――なのだが、自分の実家の方面ではまだこの店舗は珍しい。何でも最近進出してきたそうで、物珍しさに惹かれてか、店内はこんな平日でも存外に混雑している。

 そんな中で席についた私がまず選ぶのはワンコインのハウスワイン。問題は白か、赤か、どちらを選ぶか。昔どこかの偉い人が、「飲むワインに迷ったらとりあえず合わせる食べ物の色に近い方」って言ってたことがある。

 白ワインならエスカルゴか鶏肉かな。赤ならラム串あたりか、あるいはサルシッチャなんかもありかもしれない。そんなことを一人で悩むことが出来るということには、ちょっとした解放感があった。

(…久々の実家、まぁ、居心地が悪い訳じゃないんだけどさ)

 久方ぶりの帰郷で、兄弟の多い我が家では何年かぶりの一家揃い踏みでもあった。

 私を含め兄も弟も独立しているし、両親はもっと顔を出してくれてもと愚痴りはするが、こんなもんじゃないかなと思う。大体、帰郷するだけで往復5万は飛んでいくので、そんな頻繁に帰郷できないことは両親も分かっていてくれるはずだ。

 加えて言えば、既婚者の兄のお嫁さん、私から見たら義理の姉と姪っ子たちも帰郷しているから気も遣うし。

 まぁそんな訳で、実家帰省中の私は羽を伸ばすべく、この辺りではまだ目新しいチェーン店にやってきたのだった。勿論一人である。

(自分の財布と胃袋と肝臓だけを気にしてメニューを選べる…! ああ至福っ!)

 しかもここなら2千円もあれば十分すぎるくらいの豪遊が可能だ。飛行機代ですっかり寂しくなった財布にも優しい。

(…サルシッチャ…うーん、フリコも食べたいのよね、それから『煉獄の卵』…)

 目移りしつつも注文を終えて一息。それからスマホに目を落とす。

(――んっとに、我が弟ながら調子のいい)

 ドリンクバーから持ってきたお冷をがぶりと飲みつつ、届いているメッセージをもう一度読み返した。

 メッセージの送り主である末の弟は、良くも悪くも図々しくて甘え上手。交友関係も私なんかよりはずっと広い。趣味としては私と同様オタク寄りだが、私は彼のことを密かに「光のオタク」と呼んでいる。

 その弟からのメッセージは例によって図々しい内容で、


『ねーちゃんTRPGってやつやってるだろ? 俺の友達がやりたいって言ってるから、KP? だっけ? なんかそういうのやってくんね?』


 まず漏れたのは嘆息だった。

(…弟じゃなければ即却下してるとこだわ)

『KPってことは、システムはCoCでいいの? シナリオの希望とかはある?』

 私が挙げたのは動画を中心としたリプレイの流行で、一気に流行ったシステムである。

 ただし流行っていると言っても私にとっては馴染みの薄いシステムで、それなりに長いTRPG歴の中でも片手で数える程しか遊んだことは無い。だからシナリオの自作は難しいし、KPを出来るかと言われると――しかもTRPG初心者を相手に、だ――自信は無い。しかも最近新しくTRPGを始めた層で流行っているシナリオ、というのも、古参のプレイヤーの私からすると馴染みの薄いものが多くて、つまりなんだ、要するにやっぱり自信がなかった。

(うーー、でもなぁ、やってみたい、って言ってくれてる初心者さんには優しくしたいもんなぁ…せめて私の得意なシステム…までは言わないから、少しでも慣れてるシステムなら回したい…けどなぁ、ううーん…)

 私自身が対応するのは難しいかもしれないけど、近場のコンベンションに繋いであげるか、あるいは別のTRPG熟練者を紹介するくらいはしてやりたい。そう思って質問だけ投げておく。

 そうこうしていると、弟からの返信よりも先に、ワインと料理が卓上にずらりと並んだ。結局ワインは白をグラスで。トマトとニンニクをたっぷり使ったソースに卵を落とした「煉獄の卵」に、イタリア風のソーセージであるサルシッチャ、マッシュポテトにたっぷりとチーズの入ったフリコ。

 まずは、とサルシッチャを切り分けて、添えられたレフォールソースを乗せて口へ放り込む。西洋わさびをベースにしたソースなのだけど、辛味はそこまで強くなくて、酸味とハーブの香り、それからシャキシャキしたキャベツの食感が病みつきになる味だ。それが肉のぎゅっと詰まったサルシッチャと合わさると――絶妙な相性。

 たまらずワインを一口。ここのワインは値段の割には美味しい。勿論、「凄く美味しい」という訳ではないのだけど、程ほどの酸味と香りに微かな甘さで癖が無いので、どんな食事でもそれなりに合わせることが出来る。――ファミレスチェーン店のワインとしてはこれが最適解なのだろう。

(そう…初心者だからっていって、これが正解、ってシステムがある訳じゃないし)

 流行りのあのシステムをやりたい、流行っているシナリオを遊びたい、という気持ちは尊重されるべきだ。私だって今食べてる組み合わせに「サルシッチャなら赤ワインにすべきじゃないの?」とか言われたら親切心だったとしても「うるせー!文句あるか!」って気分になるし。

 …自分で思い浮かべて何だけど、この例えはなんか違うか。

 肉感たっぷりの重たいサルシッチャだけど、レフォールソースが爽やかでパクパク食べ進めてしまう。半分も食べたところで、おっと、と手を止めた。このままでは「煉獄の卵」とフリコが冷めてしまう。

 真っ赤なトマトソースの中に浮かぶ半熟の卵をつんつん、とフォークの先で突く。少し躊躇ってから先にソース部分だけを、お皿に添えられたパンでディップして口に運ぶ。

 名前と見た目で勘違いされることがあるのだけど、この料理は全然辛くはない。むしろ甘くさえ感じるからびっくりするくらいだ。トマトの酸味と細かく刻んで炒めた玉ねぎの甘み、それにイタリア料理ではたっぷり使われるニンニクの香りが、少し鈍くなっていた私の食欲を刺激する。

(さて、お楽しみ…)

 ふひ、と口元が緩むのを抑えきれずに私はフォークを手に取り、半熟の卵をつぶそうとして、

「姉ちゃん相変わらずまだるっこしい食い方するよな」

 突然現れた手が私より先に半熟の卵をつぶした。あまつさえ、容赦なくぐちゃぐちゃとかき混ぜていく――!

「……! …!!!!」

 声にならない怒りで震えながら私は顔をあげた。何たる、何たる暴虐!楽しみにしてたのに!半熟卵をつぶす瞬間は神聖なものなのに!!

「いやどうせ口の中で混ぜるだろ。ここで混ぜたって一緒じゃん。あ、ワイン俺も頼んでいい?」

「何でここに居るのよ!」

「お袋に聞いた」

 …確かに母にはランチはここで食べると伝えてある。言うんじゃなかった、と頭を抱える私を他所に、末の弟はにっかりと笑うとワインの追加オーダーを始めた。ちゃっかりデキャンタで。それから私に許可も得ずに、「煉獄の卵」に添えられていたパンを取ってそこに黄身をたっぷり絡ませたトマトソースを乗せていく。ぱくりと一口でパンの半分ほどを口に放り込み、満足気に舌なめずりをした。

「へー、旨いんだな。俺ここの店来たことなかった。安すぎるし警戒してたかも」

「……そんなのどうでもいいわよ。楽しみにしてたのに、卵…」

「姉ちゃんそういうとこホントうざいよな」

 ケラケラと笑いながら弟は容赦なく私をこき下ろす。こういうところが本当に苦手なのだ。

 むっつりとしながら私は残されたもう一枚のパンを手に取った。たっぷりと黄身をメインにディップして口に放り込むと、さっくりとしたパンはトマトと玉ねぎの甘み、黄身のこってりとしたコクを吸い込んで、その食感だけでもワインが進んでしまうくらいだ。目の前の弟のことを瞬間忘れて、私はゆっくりとワインのグラスを傾ける。

 満足を乗せて息をつけば、弟が苦笑するのが耳に入った。

「でも姉ちゃん、昔から、マジで美味そうに食うよな」

「…実際美味しいんだから、当たり前だと思うわよ」

「チェーン店の料理でそこまで満喫できる奴もそういねぇよ」

 そうだろうか。私の周りにはたんと居る。同居人だってそうだし。

 そう思ったけれど、まぁ確かに私は割と食道楽の気があるから、自然と周りの人間もそういう属性を持っていることが多いのかもしれない。だから弟の周りの人達とは、ちょっとだけレイヤーが違うんだろうな。

 そう。TRPGの古いプレイヤーと、動画で興味を持って流入した新しいプレイヤーとが、ちょっとばかり異なったレイヤーに居るように。

 そんなことを思いながら、私は最後のパンを口に放り込み、少しばかり冷めつつあるフリウリ風フリコを見遣った。マッシュしたポテトにクリームを混ぜ、チーズをたっぷりかけてオーブンで焼いたみたいな料理で、大変シンプルだ。それをスプーンですくい、まずはそのまま一口。

 丁寧にマッシュされてクリーミーになったジャガイモにほんのりとした塩気とチーズのコク。焼いたチーズの香ばしさも合わさって、これだけでも勿論充分に美味しいし、何というか、「やめられない止まらない」系の味だ。つい二口目もスプーンですくってそのまま食べてしまった。

「…で、さっきの話なんだけどさ」

 そんな私を他所に、弟が机に頬杖をついて話を始める。口の中のフリコをもぐもぐと味わいながら、私は目線だけで話を促した。

「俺はぶっちゃけ詳しくないからよくわかんねーんだけど。『システム』って何?」

「…」

 ちなみにこの沈黙はフリコを飲み込む沈黙である。チーズの香りをワインで追いかけたい衝動を堪えて、私は口を開いた。まずは確認から。

「あんたが遊びたい訳じゃないのよね」

「うん。俺の友達でそういうの興味あるって奴が何人かいて、飲み会の時にちらっと話聞いたから、俺の姉ちゃんがTRPG遊んでるよって言ったら、紹介してくれって言われて」

「…あのね、『TRPG』ってのはジャンル名…ゲームで言うとハードの名前みたいなもんなの」

 乱暴な例えだがこれで一応伝わるだろう。だいぶ、かなり、乱暴だけど。

「だから『TRPGで遊びたい』って、『Switchやりたい』って言ってるようなもんよ。APEXやりたいのか、あつ森やりたいのか、スマブラやりたいのか、それによって私が手伝えるかどうかが変わってくる訳よ」

「そのあつ森なのかスマブラなのか、ってのが『システム』? …まー、確かに、あつ森やりたい人とAPEXやりたい人をマッチングしちゃったら、上手くいかないか」

「そういうこと。…多分、動画とかを見て興味を持った人なら、『CoC』だろうと思うけど」

 KP、という単語はこのシステムでしか使われないはずだからまず間違いなくそうなのだろう。

「…生憎私は殆ど遊んだことないシステムなの。だから初心者相手にきちんとKPできるか、って言われたら、難しいわ」

「えーマジかよ。俺、ここまで来たのに出向き損じゃん」

「知らないわよ」

 勝手に人を紹介する、なんて気軽な口約束をするからだ。さすがにそこまで私は責任持てない。

 わざとらしく大袈裟に目の前でしょげて見せる弟を無視して、私はスプーンでたっぷりと滑らかなフリコを掬い取った。それを、まだ残っている「煉獄の卵」の中へと浸す。

 マッシュポテト、チーズ、それに玉ねぎの甘みをたっぷり含んだ、卵黄を絡めたトマトソース。

 これが合わない訳がない。とろりと口の中で混ざり合う二つの料理を堪能して、ワインを一口。口の中の余韻をワインの酸味がさらりと流していくのをしっかりと味わってから、私はゆっくり口を開く。ちゃっかりサルシッチャを口に運ぶ弟をスプーンで指して、

「KP経験の多い友達でよければ紹介するし、相談くらいには乗れるわよ。あと自分で食べる分は自分で選べ」

「ええー。姉ちゃんの選んだ飯の方が絶対的にハズレが少ないんだから仕方なくね?」

 うるせー知るか。あとこの店なら大抵のメニューは旨いから自分の胃袋に従っとけ。

「あと友達には姉ちゃんの案伝えて、それでいいか聞いてみるわ」

 是非ともそうしてくれ。

 これで解決した、と、私は改めて食卓に向き合った。何だかんだ、男子大学生の弟の旺盛な食欲に圧されてフリコも減っていっているし、サルシッチャに至っては空っぽだ。お酒もそろそろなくなるし、追加を注文するとしよう。ラムとキノコの木こり風なんか美味しそうで良い。赤ワインをお代わりして、ついでにチキンなんかも追加しちゃおうかな――

 そうして赤ワインと、辛味チキンがテーブルの並んだ頃。うきうきわくわくで見るからに辛そうな赤いチキンを手掴みでがぶりとやろうとした時だった。

「あ、返事来た」

 私は弟のそんな声には反応せず、辛味チキンにかぶりつく。見た目ほどの激辛って訳じゃなくて、「旨辛」と呼ぶのに丁度いい塩梅だ。柔らかジューシーなチキンを噛み切って口の中いっぱいに広がる肉とスパイスの共演を堪能していると。

「――姉ちゃん、『インセイン』って分かる? 『CoC』が駄目ならそっちもやってみたいって言われてるんだけど」

 私は赤ワインを飲み込んで、一度大きく息を吐きだした。マジかよ。

「……出来るわよ。それなら。GM」

「マジ? じゃあOKって返事していい?」

「………日程とセッティングはそっちに任せるからね」

「任せて!」

 笑顔と共に宣言されて、私は嘆息した。やらなきゃならないことを頭の中で再調整する。シナリオに希望がなければこちらで初心者でも楽しめそうなものをチョイスする必要があるだろう。家にシナリオ集があったはずだから、あの中から選ぶかな。それともルールブックの付属シナリオにするか。

 忙しない私の脳内を他所に、末の弟はニコニコ笑顔だ。呑気に店員さんを呼び止めて、何を注文する気やら。

(まぁいいわ、奢らせてやる。GM代の先払いよ)

 ふん、と鼻息を荒くして、私はこの超格安店での豪遊プランに一旦集中することにした。

 

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