鯨とドラゴン
鯨の肉についてとやかく言う人が多いことは知っているが、私が言えることは「鯨の刺身を食べるならごま油と塩に限る」という一点である。
赤身の肉は――まぁ哺乳類なので当然なのかもしれないが――魚のそれよりもいわゆる「肉刺し」と呼ばれるようなものが近しいかもしれない。岩塩をがりがりとミルで削り入れたごま油にちょいちょいと赤身肉をつけて口へ放り込む。しっかりとした歯応えに、噛み締めると微かな脂の甘みと肉の旨味、ごま油の香りがそれらを包んで一体にしている。岩塩の、少し粗目に引いた塩がざらりと、それらを引き締めていった。
飲み込み、口の中の余韻を味わいつつ、グラスの中身をゆっくりと口に含む。このお店ではサワーか焼酎と決めているのだけれど、今日は芋焼酎、魔王である。お高い焼酎として有名だが、大変に癖の少ない、良くも悪くも「芋らしくは無い」焼酎だ。仄かに香る芋焼酎独特の匂いが鼻から抜ける頃には、ごま油の香りも脂の甘みも口の中からすっきりと消えている。
(少し強めにニンニク混ぜて、と)
薬味のすりおろしニンニクを、ごま油と塩を混ぜておいた小皿に投入し混ぜる間、ゆっくりと私は今日のセッションを反芻することにした。
(…結局あのグリーンドラゴン、倒すべきだったのかしら)
思い返したのは現在の私たちパーティのレベルでは到底敵わないであろう、モンスターのことだ。盗まれたアイテムを追いかけて旅をする私たちのパーティの耳に入った、廃墟となった塔に住むドラゴンの情報。
とはいえ先に述べた通りで、現在の私たちはとてもドラゴンなんて相手にできるレベルではない。
(でも、推奨レベル以上のモンスターが出てくるなんて意味深じゃない)
――もしかしたらこれは、何か重要な情報があるのでは。あるいは貴重なアイテムがあるのでは?
そんな感じでプレイヤー間での意見は、割れた。ちょっかいだけ出してどうしても敵わないなら逃げようとか、今のレベルでドラゴンなんて相手に出来る訳ないんだから、ここで出てくるなら何か倒せるようなギミックがあるんじゃないかとか。
結局、随分と長く話し合っていた気がする。
最終的にはDMが「まぁ正直、これはオマケみたいなもんだから…」とささやかながら部分的な情報開示をしてくれたおかげで、話し合いはあまり拗れずに済んだ。なら本筋を優先して、もう少しレベルが上がってまだ居座っているようなら戦いを挑もう。そんな風に話を纏めて、私たちのパーティは盗賊団のアジトへ向かうことになったのだ。その後は――まぁ、ドラゴンほどではなくとも大変な激戦だった。
この辺の難易度を知っていたからこそ、DMはあそこで情報開示をする選択をしたのだろう。話し合いに時間を取られ過ぎては困ると判断したのかもしれない。
(相変わらずあの人はマスタリングが上手いなぁ。この辺の匙加減は私も見習いたい)
そんなことを考えながら、私は二切れ目の鯨肉を摘まみ上げる。
社会人同士のキャンペーンの最大の敵は「スケジュール調整だ」なんてことは界隈ではよく言われる。だからこそ、こうして予定を合わせて集まれた時、時間を無為にしないためにプレイヤーを動かせるマスタリングの腕前っていうのは重要だ。
シナリオの秘匿情報を「ぶっちゃける」のは、確かにシナリオの楽しみを損なわせる恐れもあるけれど。
そこに執拗に拘ることで、遊ぶための時間を浪費するのも、頂けない。
そんなことを考えつつも、私は一方で全然別のくだらないことも考えていた。
(ドラゴンの肉って美味しいのかな)
――爬虫類と考えると、近いのはワニ肉だろうか。ワニ肉は美味しいって聞くけど。そんな他愛もないことを考えながら、私は二切れ目をたっぷりのニンニクとごま油と塩に浸して、口へ放り込む。ニンニクとごま油の食欲を否応なく刺激する香りの後から、噛み締めた肉の味が染み出してくるのを目を閉じてじっと追いかけていくのが楽しい。
鯨もドラゴンのような巨大生物であることには変わらないから、或いはドラゴンもこんな風にごま油と塩とニンニクで頂けるのかもしれない。
くだらないことを考えて、スマホに目を落とす。帰る道すがら届いたメッセージに、少しアルコールが入っている今なら、勢いで返事が出来るかもしれない。
――りりちゃん、DMやってみない?
ちょっと苦手意識のあるシステムだから敬遠していたけれど。ここのところ何度か遊ばせてもらって、勘は掴めてきた――とは思う。
――大丈夫、データ面はこっちでもサポートするから。
そこまで言って貰えるなら、断る理由も、あんまりない。
三切れ目を口に放り込む前に、私はスマホに返信を打ち込む。送信ボタンを勢いよくタップして、それから三切れ目を口へと放った。
ドラゴンを倒して美味しく頂くシナリオなんてのも、アリだろうか。そんなことを考えながら。
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