ざぼんラーメンと初心者さん対応、その後

 空港に近い店内は、ドアをくぐると懐かしい匂いが充満していた。思わず胸いっぱいに息を吸い込む。――実家に帰る積りはさらさら無いが、都会ではなかなか郷里のラーメンは食べられないのが数少ない欠点だ。

 店員のおばちゃんの指示に従って空いた席に座ると、メニューも見ずに私はラーメンを注文した。不愛想なおばちゃんがあいよ、ラーメン一丁、と厨房に声をかけるのを横目に、私はスマホへ目を落とす。心配性な両親には空港に着いたことと、あれこれ持たされたことについて一応礼を述べておく必要があるだろう。使い切れる気のしない大量の味噌を持たされそうになったのはさすがに正直に言えば辟易したけれど。

 そうしてスマホに目を落とした時、弟からの通知が届いていることに気が付いた。

 末っ子の弟から頼まれて、TRPG完全初心者の弟の友人達を相手にセッションをしたのは昨日のことだ。

(いや正直弟の、弟の行動の速さにびっくりしたわよ)

 まぁ、どうせ帰省している間に特にこれといって用事もなかったし。ルルブは基本だけなら実家にあったし、高校時代に使ってたダイスセットも置きっぱなしだったし。全然いいんだけど。

 向こうから希望のあった(といっても第二希望だった訳だが)システムは事前準備があれこれ必要なので、どうしたもんかと頭を捻っていたら、何と弟の友人さん達は出来る準備を全部やっておいてくれた。このシステムでは必須の狂気カードも、事前に伝えた通りにきちんと準備してくれたし、ルールブックは人数分とはいかなかったが、しっかり購入していた。

 TRPGのルールブックって、案外安くはない。ましてそれが大学生の懐事情であれば猶の事。

 そこまで事前準備をされてしまうと、ちょっとだけ怖気づいてしまったりなんかもした。完全初心者さんなら、私のやるセッションが「初めての体験」になる訳で、そこで楽しい体験が出来なければ「こんなもんか」と思われてしまうかもしれない。期待に応えられなかったらどうしよう。そんな風にプレッシャーを感じたりなんかもして。

 それで実際、セッションをやってみてどうだったかといえば――

 ――今一つ手ごたえがよく分からなかった。

(楽しんでくれてた…とは思う…そうだよね? いや分からん。うう、普段ほとんど身内とばっかり卓囲んでるのが裏目に出た…)

 残念ながらシナリオ自体は、全てのプレイヤーキャラが生還、とはならなかった。閉じられた館から脱出が叶ったのはメンバー中の一人だけで、エンディングは少し後味が悪いものにはなった。とはいえ、その場では脱出失敗したプレイヤーの子達もノリノリで「ホラー映画のラストみたいですね」と楽しんで演出をしてくれたし、うん、シナリオとしては大成功といえなかったとしても、セッションとしては悪くなかったんじゃないかな。

 そんなことを思いだしながら、私は弟の通知を開く。

<なんか、ユウ達が『お姉さんにお礼言っといて』だって。楽しかったってさ>

 ――そんな文面にひとまずは安堵する。社交辞令の可能性もあるけどね。

 返信をしようとしたところで、例によって不愛想な店員さんが小皿とタッパーを持ってきてくれたので、私はスマホから目をあげた。

(やっぱりラーメン屋といえば、これが無いとねぇ…)

 タッパーの中身は、大根の漬物だ。少し甘みが強い、甘酢漬けって奴なのかな。それを割りばしで小皿に好きなだけ移していく。

 私の郷里のラーメン屋は大体、ラーメンの前には漬物が提供される。他地域のラーメン屋には漬物がないと知った時はなかなかショックだった。

 食後に食べる分もあるから一枚だけお箸で摘まんで、口に放り込む。予想通りの甘酸っぱさが口の中に広がった。

(…動画とかで期待してた感じではなかったのかもなぁ)

 リアクションがあるかな、と期待したタイミングで、反応が薄かった子も居たし。

 私が初めてTRPGで遊んだのは高校生の頃だ。確かにその時、リプレイで読んで期待していたのとは違ってがっかりしたところもあったなー、なんてことを思い出す。

(それでも楽しかったから、今でも遊んでるんだけどさ)

 ぱりぽり。思わずもう一枚、大根漬に手が伸びた。

(……少なくとも戦闘の時にコマが足りなくて、筆箱に入ってた消しゴムをコマ代わりにしたのはだいぶがっかりさせたかもしれないわね)

 え、それでいいの、みたいな顔をされたのを思い出して、段々と気分が沈んできたところで、例によって愛想のないおばちゃんがラーメンを持ってきたので私は思考を切り替えることにした。今は過去の振り返りより、目の前のラーメンが大事。

「底から混ぜてくださいね」

 はいはい。小さい頃から通ってる店だから、よーく知ってる。ここのラーメン、スープのタレが底にたまっちゃってるから、まず真っ先に割りばしで丼の底からかき混ぜなきゃいけない。

 たっぷりのキャベツとモヤシ、ほろほろ崩れる柔らかなチャーシュー、その下の中細麺(っていうのかな?)を勢いよく割りばしとレンゲで持ち上げて、底の方からぐっとかき混ぜる。

 スープは白い豚骨ベースだ。でも豚骨っぽい臭みは、博多や熊本のラーメンに比べるとかなり薄い。鹿児島のラーメンは九州エリアで唯一、博多の影響を受けずに独自進化したらしい――ということは、私は郷里を出て初めて知った。

 …ぶっちゃけ、上京して、馴染んだ味が身近にないから代わりに九州豚骨系のラーメンを食べてみて、「なんか違う」と首を捻って初めて調べたことである。

 そうやってかき混ぜたら、私はまずキャベツともやしから食べていく。レンゲの上に野菜をたっぷり乗せて、スープと一緒に口へ。

(うん、うん、この味!)

 しゃきしゃきの食感といい、何て言うか、しっくりくる味。焦がしネギの香ばしさが口の中にいい塩梅に残るのが良い。

 これより美味しいラーメンは沢山ある。でも、私にとってこれは小さい頃から慣れ親しんだ、いわばラーメンの「基準」な訳で。

 もしも人生で、もう二度とラーメンを食べられないから最後に一杯好きなラーメンを食べていいよ、と言われたら、私は迷いなくこのラーメンを選ぶと思う。

 次に野菜と麺を半々くらいに調節してレンゲに乗せ、しっかりスープを含ませてから啜る。麺はもちもちしたストレート麵で、スープと野菜をよく絡めとってくれて美味しい。

(はぁ…)

 ここで一旦小皿のお漬物を口に放り込んで小休止。脂っこさを甘酸っぱい大根でさっぱりさせつつ、私はスマホに目を落とす。弟から追加のメッセージ。

<ユキが直接感想伝えたいって言ってるから、姉ちゃんのID教えていい?>

 ユキちゃんって、あの子か。唯一生還に成功したPCのプレイヤーだった子だ。ただ、セッション中はあまりリアクションが多い方ではなく、ともすると他のプレイヤーに出番を喰われがちだったので、私の方としてはかなり気を遣った。

 何をしたい? と尋ねても首を傾げてしまうので、「今何が選択できるか」「どういうメリットがあるか」を伝えてようやく動いてもらえる、と言う感じで。それでも生還したってことは、あのセッション内に私が提示した情報をきちんと整理して、自分の中できちんと咀嚼できていたということでもある。(生還の条件に関しては、プレイヤー間での話し合いが出来ないので、自分だけで考えなければならないのだ)

 感想かー、ちょっと怖いな。

 そんなことを思いつつも、弟に「OK」とスタンプだけ送って、私はラーメンに向き直る。

 昔から、私は野菜から食べ進める癖があるので、この頃には麺とチャーシューがほぼメインで残っている状態だった。いそいそとメインディッシュのチャーシューを一口、それから麺を頬張るくらいにたっぷりと啜る。

 ここのチャーシューはバラ肉で柔らかい。ぎゅっと噛み締めて肉の脂の甘みを堪能しつつ、麺をもぐもぐ。時々レンゲでちょっとだけスープも啜る。塩分過多になっちゃうからね、少しだけ、少しだけ。

 そうしているとスマホが何度か震えた。1回目は多分IDの追加、その後2回。メッセージが届いたのだろうか。

 丼の中身がだいぶ減って、ほとんどスープだけになったところで私はスマホを開いた。案の定、弟がIDを伝えたというユキちゃんからのメッセージだった。

 昨日はありがとうございました、というお礼に始まり。

<最初は戸惑ったけど、すごく丁寧に対応してくださって楽しめました。>

 思わず口元が緩む。 楽しんで貰えたのなら、GM冥利に尽きる。わざわざ私のIDを弟から聞き出してお礼を打ち込んでくれている、ということは、これはお義理とか社交辞令ではない感想だと思っていいのだろう。

 動画で見てたのとは違うことも多くて戸惑ったこと。TRPGって何でも自由に出来ると思っていたけれど、案外そうじゃなかったということ。でも、そんな中で出来ることを考えるのが楽しかった。

 そんな感想と、それから何より私にとって嬉しい一文があった。

<KPって、思ったより、気負わずにやっていいものなんですね>

 …消しゴムの件で余計にそう思われたのかもしれない。でも、気負う必要が無いのは確かだ。

 私なんて普段GMするとき、ルールの把握が曖昧だと普通にプレイヤーに尋ねるし。所詮は遊びだ、楽しむための準備は怠らないとしても、堅苦しく生真面目にやる必要なんかどこにもない。

<次は友人達と、持ち回りでやってみたいと思います。自分用のルールブックと、紹介されたインセインのサプリも買ってみます>

 買ってみます。そう言って貰えるのは何より嬉しかった。緩む口元を隠すようにして、私はラーメンの中身をレンゲでさらって、最後に残った小さなチャーシューの一切れを口に放り込みながら、こうも思っていた。

(うん、それにしても、KPじゃないんだけどな! GMだよ!)

 ――逐一指摘すべきなのかどうか、微妙に判断に迷う。なんか老害っぽくてうるさいとか思われないだろうか。



 店を出る。空港までは近いとはいっても、徒歩だと40分くらいかかる距離だ。腹ごなしに運動するには丁度いいが、飛行機の時間にだけは気を付けないと。

 私にとってのラーメンの基準で、原点の味を反芻しながら私は少し早足気味に歩き出した。

 願わくば、ユキちゃん達にとって、昨日のセッションが、私にとってのここのラーメンみたいに、TRPG体験の原点になってくれたらいいな。そんなちょっと大それたことを思いつつ。

(…いやー、でもよく考えたら人生最後のラーメンならここじゃなくて別のラーメンにするかも。前に食べた鴨ラーメンめちゃくちゃ美味しかったし)

 ついでにそんなことも考えたりしつつ。




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