クリスマスのサーモンとシナリオクラフト

 溜息のひとつも出ようってもんである。クリスマスイヴなのだ。

 頬を切るように冷たい空気の中で吐いた溜息が、賑やかな夜の飲み屋街で白く凝る。もう一度スマホの画面を見たところでメッセージの内容が変わる訳はなかった。

<ごめんね、残業になっちゃった>

 仕方がないことだ。そう理性では納得できる。私だって社会人だもの。

<一人で先に帰っててくれる? 多分、終電になっちゃうと思うから>

 ごめんね。もう一度、今度はスタンプで。

<折角予約入れてたのにね>

 彼だって残念なんだろうな、というのもその一言でよく伝わった。

 その日はクリスマスイヴだから、という口実で、二人でお気に入りのビストロに行ってちょっといいものを食べて飲んで帰ろう、と約束していた夜だった。定時で上がって意気揚々と電車に乗った私のスマホに届いた悲報が、以上の文面である。「仕方がないよね」「お仕事頑張ってね」以外に何のコメントもしようがなかった。

(はーーーー。残念…)

 ビストロにはキャンセルの連絡をしておいた。直前になってしまったのが申し訳なかったのだが、恐縮する私に馴染みの店主さんは、また今度ね、と笑ってくれた。優しい。折角のクリスマスイヴだし私達が空けてしまった席の分、良いお客さん掴んで欲しい。

 自分自身の白い息を恨めしい気持ちで睨みながら私はゆるゆると歩き出した。落ち込む気持ちを切り替えて、さて。問題は。

(じゃあ何か食べて帰りますかね)

 このクリスマスイヴの夜に、何を食べるか、ということだ。


 パートナーの不在で「美味しいものを食べたい」と言う欲はすっかり薄れていた。明日は休日だから多少のんびりすることも許されるけれど、一人でじっくり腰を落ち着けて飲みたい気分でもなく、さっと食べて帰って炬燵に入って次のセッションのシナリオでも練りたいところだ。となるとーー

 駅の近くまで来た道を戻り、私は目星をつけた回転寿司チェーンのお店に入る。幸い一人分くらいの席は空いていて、店員さんの示す先に滑り込むように腰を下ろした。湯呑にお茶を用意して、それから席に用意されたタッチパネルを突っつく。

 頼むのは、まずはお店のイチオシとして表にも張り出されていたサーモンといくらの盛り合わせ三貫セットだ。

(クリスマスにはやっぱり鮭よね!)

 他にあおさのお味噌汁と、数点の寿司を適当に注文し、温かいおしぼりで手を温めつつ私はスマホへ視線を落とした。クリスマスイヴにパートナーが仕事で不在である旨をSNSに呟けば、「可哀想に」だの「ざまぁ」だの友人達が好き勝手なことを好き放題言い始める。SNS上で繰り広げられる、私にとってのいつもの光景だ。

 そんなメッセージの中に、友人の一人からのこんな誘いが紛れていた。

<りりちゃーん、暇ならショートセッションしようぜー。シナクラやりたーい>

 シナクラーーシナリオクラフト。シナリオ無しで、用意された表を使ってランダムに要素を決定していく即興性の高い遊び方のひとつである。やり方次第では確かに3、4時間もあれば終わるか。

<おー、いいねいいね。私も明日休みだし!やろう!>

 夜更かししたところで何の問題もないし、何よりちょっぴり物寂しいところに誘われたのが嬉しかったので私が勢い込んでそう返すと、「いいなぁ!混ぜて!」と元気よく別の人からもリプライが飛んでくる。

 こういう時は、つくづく人に恵まれたなぁ、なんて実感したりする。

 TRPGに限らずボードゲームなんかもだけど、「友人は付属していません」なんて自嘲交じりの冗談が通用する界隈だ。一人では決して完結できないからこそ、人との縁はとっても重要である。

(んじゃあスミスくんと今リプ飛ばしてきたから神住姐さん入れて、あと私で…3人?)

 回せないことはないが、あと一人くらい欲しいか。

<ちなみに誰がGMすんの>

<可哀想なりりちゃんのために俺がGMしてあげるよ。キャラ作成の時間はないから、サンプルでよろしく>

<マジかよスミスくん、サンキュー。ヒロくんが居なければ惚れてるとこだわ>

 後で同居人でパートナーの彼に見られたら拗ねられそうな返信を飛ばしておく。

 そのタイミングで、ぴんぽん、と私の席のチャイムが鳴った。――料理が届く合図だ。専用レーンに届いたお皿を机に下ろし、私は一旦スマホを伏せた。いただきます、と手を合わせて小さく唱えて、まずはお椀をひとくち。

 暖房で温まったとはいえ端々に冷えの残る身体に、温かいお味噌汁がじんわりと染みる。あおさの香りが心地よい。

(さて、まずはっと)

 並んだ三点盛りの上、お行儀悪く少し箸を彷徨わせて、まず、一番端っこのサーモンを掴んだ。ひと口。

 たっぷり脂の乗ったサーモンはくどいくらいだけど、その上にちんまり乗せた大根おろしとポン酢、それに酢飯の酸味がそのくどさを相殺してくれている。ぷりぷりとした身の噛み応えも良く、私はその場で思わず目を閉じた。

(うーん、美味しい)

 そのまま炙りサーモンにも手を付け、ぺろりと二貫を食べ終えたら、濃いめに淹れたお茶をすする。口の中の脂をさっぱりさせてから、次は、と視線を動かした。

 残るのは大本命のいくらの軍艦巻き。あとは三貫セットと一緒に頼んだ寒ブリとヒラメ。

 幼少からいくらが大好物の私としては、いくらは最後のお楽しみにしておきたい。

(…ヒラメ行くか。刺し身なら食べるけど、あんまり寿司では頼まないネタなのよね)

 本日のオススメ欄にデカデカと表示されてたので試しに頼んでみたのである。

 口に放り込むと、弾力のある淡泊な身。しっかり噛み締めればじわりと脂の旨味が伝わってくる。シャリの甘みと相まってなかなか美味しい。

(ヒラメは冬が旬なのよねぇ)

 もう1貫のヒラメを口へ放りこみつつ、私はスマホの画面へ視線を戻す。リプライ欄の方に変化はなく、ただ、ぽつりとさっきの「シナクラやろうぜ」宣言に「いいね」が付けられていた。

(おや)

 アカウントを確認。――随分と前に今回と同じシステムのセッションで同卓したことのある人だった。あれきり機会がなくて遊べていないし、それほど交流がある訳でもないけれど。

 ヒラメを食べ終えたお皿の上に寒ブリのお皿を乗せながら、私は過去に彼女と同席した卓のことを思い返そうとしていた。いつの卓だったっけ。

(仮面ちゃんGMだったのよね。あ、そういえば中華系ファンタジーに強い人だったっけ。あの時は武侠モノっぽい雰囲気のキャラだったわよね)

 私の周囲ではあまりそっち方面のジャンルに明るい人が居ないので印象に強く残っていた。寒ブリに手を付ける前に私はスマホでメッセージを打ち込むことにする。

<良かったらご一緒しませんか?>

 余計なお世話だったかもしれないが、セッションの話題に「いいね」でリアクションを取ったからには興味を持ってくれたのに違いない。

 返信が来るのを待つ間に私は寒ブリを口に放り込む。脂の乗ったこってりした味わいの寒ブリに、少し甘めのたまり醤油は良く馴染む。ヒラメと違って歯応えはそれほど強くはなく、むしろ口の中で溶けてしまいそう。嚙み切れるのでこれはこれで有難い。

 一口を飲み込んで、濃いめのお茶を啜り。またもう一口。冬のブリはひと際美味しい。焼いて良し、しゃぶしゃぶして良し、勿論お寿司や刺身でも。脂の甘みを堪能し終える頃には、通知欄に新しい通知が届いていた。

<ありがとうございます、是非! あまり同卓したことなかったし、急に声をかけていいものか迷ってしまって、声をかけてくださって助かりました!>

 お茶を啜った私は一人でにっこり微笑んだ。分かるよ、その気持ち。声をこちらからかけて良かった。

 満足感を胸に、最後の一貫、お楽しみにとっておいたいくらを手に取る。

 口へ放り込むと、ぷつぷつと楽しい食感の後で、潮の香りと一緒に魚卵らしい濃厚な味わいが口に広がっていく。とろりとしたそれが酢飯に絡まり合うのを、私は目を閉じてしばし堪能した。

 それから最後にお椀を手に取り、残り少なくなっていたお味噌汁をぐいと飲み干す。注文用のタッチパネルの「お会計」ボタンを押して、私は再度、スマホへ目を落とした。今度はメッセージ画面じゃなくて、電子書籍を開く。出先でサンプルキャラのチェックが出来るんだから、良い時代になったもんだ。

(…お初じゃなくてもお久しぶりの方がいるし尖ったことはしないのが吉よねぇ)

 冬ならブリみたいな。あるいは好物のイクラみたいな。安定して美味しい王道を選ぶ方がいいだろう。楽しむにはそれだって十分だ。

 立ち上がり、店を出る頃には、すっかり寒々しい気持ちは胸の中から消え去っていた。

(軽くしか食べてないから、帰りにコンビニでデザートも買って帰っちゃお。ケーキ安くなってないかなー)

 鼻歌交じりに、スキップしたいくらいの気持ちで私は帰路につく。帰ったらルルブ引っ張り出してセッションの用意して。そんなことを脳内で思い描きながら。

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