献杯

 誰にともなく杯をかざしてから、カウンターで澄んだ日本酒をひとくち含んだ。

 甘く、口当たりは柔らかい。鼻に抜けていく香りは良く熟した果物のようだ。――これは辛口好みの同居人のタイプの日本酒ではないな、と苦笑しつつ、私はそれを堪能してから、差し出された突き出しに手を付ける。私は甘い酒の方が好きなのだ。

 今日の突き出しは酢の物。少し甘ったるい酒には合わないかもしれないが、構わずくしゃりとキュウリを齧る。そうしながら、カウンターから聞こえてくるぱちぱち、という美しく心躍る音に耳を澄ました。

 天婦羅割烹を謳う近所の小さな店だ。元は良いところに店を構えていたのであろう老店主は、無言でじっと弾ける油を眺めている。

 私も無言だ。

 嗚呼――良いゲームだった。

 公式のシナリオだが、あのシステムの公式シナリオはやたら歯ごたえがあり、プレイヤーからは概ね「殺意が高い」なんて笑いながら語られることが多い。ボスの取り巻きはひたすら厄介な特技を持っているし、地形に置かれた障害物で移動を遮られたらたった1マスに泣かされるなんてこともしばしば。

(…たまたまタレントに『障害物の破壊』の一言があるのに気づかなければ、今日のは詰んでたかもね)

 気付いてくれたのはいわゆるアルファプレイヤー型の友人――戦略性の高いゲームだと周りを引っ張って、時にはゲーム自体を支配してしまうこともあるようなタイプのプレイヤーだ。尤も、私のように戦略性の高いゲームを「眺める」のが好きな人間はニコニコそれを眺めてしまうので、問題の発生のしようもないが。

 敵を倒す順番。どの位置に移動するか。ボスに攻撃をすべきか、すべきではないか。今手元にあるリソースがどれだけあるか。そのリソースでどれだけの行動をとれるのか。行動順は?

 ありとあらゆる要素を検討しながら、追い詰められた状況を変えていく。

(モノノケの常時特技が基本的に厄介なのは、良く出来てるわよね。雑魚を『雑魚だから』といって無視して良い存在にはしていない。どの敵を倒してボスからバフを剥がしていくか、それを考え続けなければ一人二人はキャラクターが死んでもおかしくはない、死ななくても霊紋の消費が激しすぎて闇落ちしかねない――)

 霊紋、つまりリソースをあまりにも消費し過ぎた場合、戦闘後の判定次第ではいわゆる「闇落ち」――キャラクターのロストが発生することもある。

 今回は正直、あまりにも霊紋の消費が激しすぎた。それこそ一人くらいは「帰ってこられない」かもしれない、と覚悟していたのだが、最後の最後の判定でそれが覆ったのも大変に爽快であったし、「奇跡だ!」なんて快哉をプレイヤー全員であげてしまった。

 ――嗚呼。いいゲームだった。

 二口目の日本酒を口に含むタイミングで、ことり、とカウンターに皿が置かれた。揚げたての、まだぱちぱちと衣が音をたてているような獅子唐の天婦羅と茄子の天婦羅が並んでいる。

 どうも、と店主に無言で会釈してそれを受け取り、少し思案してから塩を少し。

 熱々の獅子唐の天婦羅を二度、三度と吹き冷ましてから口へそっと運び入れる。

 さくりとした薄い衣の食感の後に、熱でぎゅっと凝縮された獅子唐の苦みとジューシーさが広がった。ほう、と息を吐いて、それから三口目の日本酒で追いかける。

 美味しい。

 シンプルに美味しい。

(…次の酒は辛口に変えるか)

 そんなことを考えつつ、次は茄子を箸で挟んだ。思わず笑みが浮かんでしまう――私は野菜の天婦羅なら、紫蘇と茄子がツートップで大好物なのだ。

 衣の向こうでつやつやと光る茄子は見るからに美しく、薄い衣に覆われていてもなお既に食感を予感させる佇まいを見せる。既に、目に美味しい。

 天つゆを使うか――少し考えて、やっぱり塩にした。最初はシンプルなのが、一番。

 ――さくり。

 歯でほんの少し力を籠めるだけで、衣が崩れて口の中で音を立てる。ああ、口から耳へ抜けるこの音のなんて贅沢なことか。その後を、ぎゅう、と熱で身の部分がとろけた茄子が柔らかく満たし、僅かに振った塩のしょっぱさがそれらを全て纏め上げていく。

 そこへ更にお酒を一口。

 ――そうすれば口の中には幸福があった。茄子の旨味と、衣と、追いかけてくる少し甘いお酒、鼻へ抜ける香りと舌に残る柔らかな茄子のとろとろの食感。僅かな塩気。

「…美味しい」

 小さく呟くと、店主が微かに頭を下げる。

「今日は、いいアナゴが入っていますよ」

「連れが来たら是非。お願いします」

 旬の揚げたてを食べるのなら、一人より二人がいい。そうしてちびりちびりと野菜天を突きながら飲んでいると、からりと小さな店の扉が開く音がした。振り返り、笑いかける。住宅街の中の店だ、来る客なんてそう多いものではない。案の定、見知った顔がそこに居た。

「何頼む?」

 挨拶もそこそこに言えば、彼は笑ってメニューを指さした。

「そうだね、辛口の…この辺がいいかな」



 店主の奥さんが、新しい猪口と酒を持ってくる。

 二人で猪口をこつり、とぶつけあった。

「乾杯」

「…っていうか、献杯?」

「そうね。――本当に、いいゲームを作る人だったのに」

 ゲームは残る、私達はまだまだ楽しめる。それだけが、唯一、慰めになるのかもしれない。

 このゲームシステムを作った故人となってしまったデザイナーに、ほんのひと時、思いを馳せた。




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