ホットケーキと新作ルールブック
ルールブックの一か所にぺたりと付箋を貼った。
(ああ、成程ね。だからPC同士で絆を結んでおく必要があって……んで、手番の制限があるから……)
普段は馴染みのないシステムの、新しいルールブックだ。読み込みながら、私はページを繰ってシナリオパートへ戻り、今の理解が正しいかを確認する。流れからして違和感はなさそうだから、多分大丈夫だろう。多分。間違ってたらまぁ、ゴールデンルールを適用させてもらうことにしようかな。
(戦闘ルールは割とシンプルね、エネミーのデータも参照先が少ないから楽でいいな…ん? 待って、この記載の処理ってどういう順序なのかしら。FAQに掲載あったかな)
横に置いたスマホで公式サイトのFAQを手繰る。記載はなさそうだ。うーん、これも要検討ね。別の色の付箋をぺたりと貼りつけ、そこで私はぐい、と大きく腕を伸ばした。それから一旦、テーブルの端っこに付箋とルールブックを寄せる。
代わりに引き寄せたのは、机に置かれた白いお皿、その上のホットケーキだ。少し冷めたせいで元々大した厚みもないのにぺしゃんこになっていた。
ほかほかの状態で食べてあげられなくて申し訳ない。ルールブックをちょっとだけ確認する積りがすっかり夢中になっていた。とはいえまだほんのり温かいから温め直す程ではないかな、と判断して、私は次にお皿の横のタッパーを開く。中身は手作りのさくらんぼのコンポート。ちなみにこんな女子力の高いもの、私には作れない。作ってくれたのは卓仲間の仮面ちゃんで、この間のセッションの時に「作り過ぎちゃったんであげます! 感想教えてくださいね!」と念押しと共に渡されたものだ。
白ワインたっぷりのコンポートはほんのりとワインの香りが残っていて、さくらんぼそのものの甘い香りと相まってそれだけでワクワクしてきてしまった。うーん、大人のスイーツの香りだわ。
(コンポートなんて簡単ですよーって仮面ちゃん言うけどねぇ)
──私は自炊はそこそこするんだけど、何分大雑把な性分なもので、お菓子作りは本当に苦手だ。
(あれってきっちりレシピ守らないと駄目になっちゃうもん)
スイーツは科学、なんて言葉をいつぞやSNSで見たこともある。ひとつひとつの手順や分量にしっかり意味があるから、ひとつ飛ばすと大変なことになるんだよね。
料理だって勿論、レシピをしっかり守った方が美味しいのは事実なんだけど、手順を飛ばしてもリカバリーが効きやすいというか。そこまで厳密じゃないのは少し不思議だ。
ところでホットケーキである。
コンポートを乗せたホットケーキをナイフで切り分けながら、私はその焼き色に惚れ惚れと息をついた。綺麗なきつね色に焼きあがったそれは、普段作るちょっと焦げたり焼きムラの出来るそれとは見た目から雲泥の差だった。
(……手順に『熱したフライパンを冷ます』って書いてある理由がずっと分かんなくて無視してたんだけど、成程意味があったのねあれ)
レシピの記載に無意味なことなんか一個もないのだ。当たり前のことを痛感しつつも、切った生地にさくらんぼを乗っけて、大きくひと口かぶりつく。
ホットケーキの香ばしさ、しっとりとした食感、そこに微かに酸味も覗くさくらんぼの甘みとほんの微かなワインの香り。それをちょっぴり冷めてしぼんだ生地に染み込んだシロップの甘みが、噛み締めることでじゅわりと後から追い掛けてくる。思わず瞼をぎゅっと閉じて、私は口の中をじっくり堪能した。自作のホットケーキだからたかが知れてると思ったけど、焼きムラが無いだけで随分と舌触りも味わいも違うような気がした。
(今まで箱に書いてあるレシピ無視して作っててごめんなさいホットケーキのメーカーの人達…!)
いやまぁ適当に作ってもそれなりに美味しいけどね。ご家庭のホットケーキって。
開発してる側が想定している美味しさを引き出すんなら、消費者の側にもきちんとその意図を汲み取って対応するだけの手間は必要だってことかな。そんなことを思いながら口の中のアンサンブルを堪能していると、ルールブックの記載がふと目に入った。
(……あ、そっか。こっちのアビリティの回数制限があるから、この記載の処理は……)
──作り手の意図したものを引き出す、という意味では、こっちもおんなじかな。ま、新しいルールブックは案外、記載そのものに穴があったりもするから、ホットケーキほどに厳密ではないのかもしれないけれど。エラッタとルールブックを並べて眺めながら、私は二口目のホットケーキを、これまた大きめに欲張りに切り分ける。さくらんぼもたっぷりと乗せた。次のセッションではこのさくらんぼのコンポートの感想を是非とも仮面ちゃんに伝えておかねば。
そんなことを思っていたら、取り残されたらしいさくらんぼの種がガリ、と歯に触れてしまって苦笑する。ま、一人の人間がやることだもの。穴はあるわよね、これくらいはご愛嬌。
「え、これ、エラッタじゃないの!?」
「エラッタではないけど、デザイナーさんは修正したいって言ってたからそのうち修正されるんじゃない?」
──翌日。セッション中に、そのシステムの発売前にβ版で遊んだことがあるという心強い助っ人が笑いながらそう言ったもので、記載のない処理に頭を悩ませていた私は脱力してしまった。そういうことはもっと早く…いや、うん、TRPGの業界って割と小さな会社が多いから、たまにあるんだけどさこういうこと。
溜息をついて、私はルールブックから目を上げる。記載の無いことまでは、さすがにGMの私、責任取れないわよ。
「……んじゃ、今回は私の裁定でいいわよね。ゴールデンルール!」
「GMが言うなら」
「ま、いいんじゃないの。GMのやりやすい方で」
GMの裁定が卓の最優先。それがゴールデンルールである。
という訳で、私は開発者の意図をあっさり無視して、自分の処理しやすい方を選ぶことにしたのだった。いいじゃない別に、セッションがスムーズに進んで、プレイヤーが楽しくなれる方が、システムデザイナーの意図することより、今この瞬間はよっぽど大事なんだから。
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