繋がれたバトン

 直道の会社は銀行からの融資もあり、不都合な事実を隠さずに公表した事が称賛を受けた事もあり、無事に危機を乗り越えて、逆に業績を上げていった。

 それから後継ぎの子供たちもでき、それなりの教育もできた自負はある。そんな子供たちは母から伝えられた教えである、社会貢献の精神の元に、安価で品質の高い製品を世に出し続けた。

 経営者継承前に亡くなってしまった直道亡き後も、今の社長である翔運しょううんがそんな経営理念を持ってやってこれたのも、母親の静子が立ち上げたボランティア団体“ねむの木”の存在が欠かせなかった。

“ねむの木”は静子、絶っての希望で設立された団体であり、用地に植樹をしようとなった時、日だまりが当たるその場所に直道が、夫婦円満の象徴である合歓木ねむのきを植えよう、と提案した事で、そのまま“ねむの木”が施設名になったのだ。

 “ねむの木”には、れっきとした運営方針があり、そのほとんどが、児童の保護と教育、にあった。今では余り珍しくない事だが、自身の子供に無関心で放置したり虐待を繰り返す親たちが、確実に社会に溢れ始めていた。

 そんな社会情勢を憂慮した静子が直道に相談して出来たのが“ねむの木”だった。直道は言った。

「僕たちがもし奇跡的に夫婦いっしょになれたのだとして、それに意味を持たせるのだとしたら、子供達みらいに僕たちが出来る事は、まさにそう言う事なんだろう」遠い目をして語る直道の心情を慮る事は出来なかったが、静子だけは静かで優しい微笑みを向けていた。

 結婚してからの直道は、すぐに静子の顔の手術が受けられるように手配した。銀行からの融資は超過融資と捉えられる額であったが、それを元手に顔の修復を受けさせると、まるで魔法をかけたように新商品の発売、在庫管理に追われるほどの売れ行きを上げた。

 そして僅か十年足らずで返済を済ませた。その間も、いくら忙しくとも静子を気遣い、出来た子供の事も蔑ろにはしなかった。それはもっと早くに静子を見つけ出し、過ごしていなければならなかった時間を取り戻す作業だったのだろう。それに呼応するように、静子も夫を影から支えた。そうして二人の心と身体は溶け込んで一つになっていったのであろう。

 今、こうして直道が他界した現在も、子供たちの目から見れば、いつも静子の隣には直道が側にいるような気さえする。そんな静子が縁側で手紙を読んでいる。長男で代表取締役の翔運が声をかけた。

「母さん、誰からの手紙を読んでいるんだい」その手紙は、明らかにエアメールだった。

「この手紙はスコットランドから来たショーンさんと言う人からの手紙だよ。英字で書いてあるから何と書いてあるかは分からないけど、何と言いたいかは分かる気がしてね」ある程度の英語を学んできた翔運は手紙を読んでみた。そこには大体、次のような事が書かれていた。

『親愛なる直道へ

 君と戦場で出会った事は忘れようとも忘れる事はできない。君は僕の、人を愛する気持ち、僕の生きる訳を知り、尊重してくれたからだ。だから僕も君の生きる理由を尊重したいと思う。

 無事に帰国できた後、僕のワイフに子供ができた。立派な男の子だ。僕は彼に“Nao”と名付けたよ。

 遠い国から最愛の友人、直道へ』手紙を読んで翔運はすべてを理解できたような気がした。ショーンの長男は自身の父親の名を取ってNao、そして父は自身の長男の名をショーンに準えて翔運としたのだ。

 祖国の為に戦地へ向かったはずの父は、異国の地で敵国の兵と友情を育み、そして現代の自分にそのバトンを繋いでくれていた。

 翔運の次なる使命は欧米進出であり、その足掛かりを探している時に声をかけてくれたのが、現在、契約寸前まできているイギリス企業のアイルアンドスコッチ社、代表取締役のナオ・ショーン氏だった。

 そんな想いを抱えて最終交渉に入った翔運は、衝撃を受ける。知らなかった父の想い、母の愛情を思い知らされる事になったのだ。

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