戦火に裂かれた想い
微睡みの午後
陽だまりが差すリビングでロッキングチェアに腰かけながら、須藤 直道は空想に耽っていた。空想と言うよりも自分の人生を振り返っていると言った方が適当だろうか。
がむしゃらに働いてきた。戦後は物がなかったし、周りの人々の目に希望の光も見えなかった。
"戦争に負けたから仕方ない"そんな世の中の風潮がたまらなく嫌だった。いつ会えるとも分からないが、静子と再会できた時は笑顔で会いたい、そう思ったし、明るい未来に胸を弾ませて、共に生きていきたいと願った。だからどんな苦労をしようとも耐える事ができたのだ。
静子とは出征前から恋仲であったと信じていた。二人は高等小学校(現中学校)の同級生だったが、出会った頃から互いに意識し合っていたとの自負があった。出征時にもらった千本針も静子から手渡された。
二十年以上経った今でも静子の美しい心と優しい笑顔は忘れていない。しかし結局、再会を果たせぬまま四十を過ぎてしまった。
この歳まで独身なのは事業に心血を注いできたから、と人には言うが、本当のところは静子との結婚を望んでいたからに外ならない。
昔を想い
それでも道子にまったくそんな気が起きなかったと言えば嘘になる。言葉で言うと難しいが、つまり立ち居振る舞いに至るまでが、静子のそれを彷彿とさせるものがあった。考えればそれでも静子一筋と言えば笑われるかもしれないが、自分を貫いたから会社も今のように軌道に乗ったと言えるかもしれない。
道子は時間になると帰っていく。朝の六時から出てきて、余程の事がない限り夜の七時には帰る。どこに住んでいるかも知らないし、家族構成も知らない。だけれどもたまに話してくれる道子の姉の話を聞くのが好きだった。そんな道子は今日も帰っていく。
昔を思い起こしたからだろうか。無性に寂しくなった。普段は予定さえ決まっていれば、衣服も道子が用意してくれているのだが、今夜は珍しく自分で用意した、お気に入りのコートとハットを身に付けて外出した。
どこか宛てがある訳ではない。人に会い、人と話したい。それだけが目的だった。しばらく歩くと、見覚えのないウッドボードをぶら下げた店が目に入った。ウッドボードには"LIFE"と書かれており、紫色のランプで照らしていた。気が惹かれた直道は、吸い込まれるように店に入っていった。
店内は薄暗く、アメリカン調になっていると感じられた。そんな雰囲気が、直道の記憶を呼び覚ましていった。バーテンダーにスコッチウィスキーを頼み、その
ガダルカナル戦線で直道は部隊とはぐれた事があった。九八式小銃と数個の手榴弾を携えて森林を彷徨っていた。そんな時、敵兵のショーンと出会った。
ショーンは丸腰だった。直道は銃を突きつけ、精一杯に恫喝した。何も殺す気がある訳ではない。自分が静子の元に無事に戻る為だ。するとショーンの懐から一枚のフォトグラフが落ちた。美しい女性が写っている。
英単語の一つも分からない直道は、身振り手振りで伝えようとした。
お前は祖国に愛する女性を残してきたのか。俺もそうだ。死にたくはない。生きて彼女と人生を共に生きたいのだ。必死の身振り手振りはショーンに伝わったようで、言葉は分からないまでも、一時の友情を育んだように感じられた。ショーンも自分の身の上を伝えようとしてくれた。ショーンはスコットランドから強制的に戦地に送られたようだった。当時の日本ではイギリスと一括りにされていたが、ショーンのいるスコットランドはイングランドからの迫害も酷く、徴兵も強制的に行われていたようだ。
同じような境遇にいた二人は心を通わせて、ショーンはスキットルに入ったスコッチウィスキーをご馳走してくれた。喉が焼け、酔いが回り、一時、死線にいる事を忘れさせてくれた。
スコッチウィスキーは戦場の味がする。瞬く間に店内が更に闇を深くしていった。
「せっかく無事に帰ってきて、これでは刹那いですね」隣に見知らぬ男が座っていた。
「そうだろうか。俺は自分が生きて帰る為に、人を殺したかもしれない。そんな人間に静子に会う資格はあるんだろうか。ないから会えないんじゃないのか」死線を潜り抜けた男は、動じずに受け答えた。
「なるほど。如何にも自分本位な考え方です」男は正面を向いたまま、赤い目だけをこちらに向けてきた。
「自分本位?なら教えてくれよ。静子はどうしてる。今、何をしてる。何を考えて生きているんだ」直道は激昂するように男を問い詰めた。
「ここに一枚の契約書があります。これに署名捺印ください。そして静子さんの本意を確かめるのです。この世の為に」男の言う意味は、直道には分からない。しかし本質は分かったような気がした。直道の脳内を、帰国する際に乗ったシベリア鉄道の汽車の、軋轢のような音が響いた。
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