輪廻転生
田中がバー《LIFE》に入店すると、客は疎らだった。昨夜の席に腰を下ろしながら辺りを見回したが、あの男はいないようだ。
バーテンダーにモスコミュールを注文して、席に着くと出される落花生を
モスコミュールを飲み干すと、次いでジンバックを頼んだ。半分くらい飲んだところで、店内がゆっくりと暗転していった。
「どうでしたか、田中さん」横を向くと昨夜の男が着席していた。
「こ…これはどうも。あの…一体あなたは何をしたのですか」田中は恐る恐る聞いた。
「人はその人生を一度しか経験出来ません。そうしてやがて人生の幕を下ろすと、次の人生が始まるのです」男は田中の方を見ずに正面を向いたまま話した。
「はぁ、なんか聞いた事あります。確か
「人は良く、自分は望んで生まれてきたのではない、とか、親は選べない、とか言いますがね。そんな事はないのですよ。生命は選んで今の自分の環境に生まれているのですよ」男は不気味な高笑いを発した。
「へぇ、そうなんですね。じゃあ生命なんて言うんだから害虫なんかも選んでるんですかね」正直なところ田中は男とのやり取りが的を射ていないような気がして冗談半分に相槌のつもりで言った。
「もちろんですとも。選んでいると言っても意識しているのとは違いますよ。言わば今世の行いにより決まるのですから、今あなたが何を選択したのか、してきたのかで決まるのですよ」男の言っている事が益々分からなくなってきた。何故、わざわざ人に嫌われる害虫に生まれる必要があるのだろうか。
「生命は環境によりその感情を一瞬一瞬変えていきます。それにより行動を選択するのです。害虫だって立派に人類に苦しみを与えるという使命を果たしているのだから、生まれてきた意味はあるのですよ」男は一切田中の方を向かない。それがまた不気味さを増幅させているように感じられた。
「そうなんだ、ははっ。一寸の虫にも五分の魂なんて言いますもんね」もはや愛想笑いをする事で精一杯だった。
「人間は業の深い生命体なのです。何故ならば考えるからです。他の生命体は自分たちの利だけを追求して行動しますが、人間は自分たちの事だけを考えて行動しますからね。それが厄介なのです」田中は早くこの空間から抜け出したい衝動に駆られた。
「あの、そう言えば契約と言うからには、何かしらの報酬をあなたに支払わなければならないのでしょうか」契約書には報酬についての記述がまったく記載されていなかったのだ。
「報酬はこれから生きるあなたの…笑顔でしょうか。良いですか。これは因果応報です。あなたは今の環境を手に入れたのですから、その幸せをあなたの縁ある人々に還元しなければならない使命を帯びたのですよ」店内が急に明るくなった。その光に田中の目が眩んだ。
辺りを見回すが男の姿は消えていた。カウンターテーブルの上には名刺が置かれていた。名刺は黒地に白抜き文字でたった七文字だけ印字されていた。
"人生屋 忌憚 伏平"
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