未来視
落ち着いた店内であったが、人付き合いのない藤井がこのような店に入ったのは初めてだった。当然、どんな店か知らない藤井は酎ハイを求めた。しかしそんなメニューはなく、バーテンダーはジンをトニックウォーターで割りレモン汁を加えたジントニックを出してくれた。
一口啜ったが、こんなに美味い酒がこの世の中にあったのか、と思った。一気に飲み干すと、店内は暗くなっていった。
「あなたのした事は果たして良い事なのでしょうか、悪い事なのでしょか、どちらなんでしょうね」驚いて隣を見ると、黒い男が座っていた。
「俺は今、逃げてるんだ。悪い事だよ」つぶやくように話した。
「世の中は因果応報の
「もう良いよ。どうせ俺の人生なんてそんなもんだ。人を救う資格もないし、幸せになる道理もないんだ」藤井はグラスの氷を噛み砕いた。
「じゃあ見ていらっしゃい。あなたの不穏な未来とやらを。そしてこれからどうするべきか考えるのです。さぁ署名捺印を」容姿が醜い藤井に、ここまで顔を近付けた人物は藤井の記憶になかった。男の言葉に催眠状態になり、脳内を金属音が鳴り響いた。目の前を青いフィルムが流れるように映像が物語を紡ぎ出した。
「じゃあ行ってくるね」ボサボサだった髪は綺麗に梳かされ、不器用な三つ編みにした莉奈が笑っている。
「あぁ、車には気をつけるんだぞ」した事もないエプロン姿の藤井が慣れない笑顔で笑い返す。ピンクのランドセルを背負った莉奈は、赤いリボンを付けたズックを履いて出て行った。
仕事を終えてスーパーで買い物をしている自分がいる。カゴの中身を見るからに、今晩の献立はカレーライスだろうか。
帰宅するとテーブルに紙やら色鉛筆を広げて莉奈が作業している。「おかえり、おじちゃん。これ見て」莉奈は誰か人物を描いた肖像画を見せた。無精髭面に右側の顔の色が少し違っている。
「今度の父親参観、絶対に来てね」はにかむ莉奈を優しく抱きしめた。フィルムはドリルに巻き付いた木片のように舞い散っていく。
莉奈が緑色の鉢巻きをして緑色のバトンを持って、運動場を一所懸命に走っている。藤井は莉奈の活躍の場面を逃すまいと必死でビデオカメラを回す。映像は雨に濡れた窓ガラス越しのように滲んでいく。再びフィルムは天に舞う竜のように消えていく。
桜の花が舞い散る中、中学校入学式と書かれた看板の横で、スーツ姿の藤井とブレザー姿の莉奈が記念撮影をしている。莉奈は藤井を見上げた。笑顔の莉奈の口の動きは、ありがとうお父さん、と言っている。
今まで住んでいたよりも少し小綺麗になったアパートの室内を、鼻歌を歌いながら掃除機をかけている自分が見える。すると電話が鳴った。
「お父さん、合格したよ。これでこの春から大学生だよ」
「おめでとう。良くやったな。すき焼きの用意をして待ってるから気をつけて帰って来るんだぞ」藤井は目の周りを袖で拭った。
豪勢な宴会場で数十人の人々を前に、莉奈と並んで座っている。莉奈は美しいドレス姿であり、隣には誠実そうな青年がいる。藤井はモーニング姿をしていて、莉奈は涙を滲ませながら手紙を読み始めた。
その後、中年の夫婦と藤井は、二人から花束を受け取っている。藤井は膝から崩れ落ち、中年夫婦が寄り添ってくれている。
まるで走馬灯のように様々な映像が藤井の脳内を走った。気がつけば隣の男はいなくなっていた。
「今のままじゃあ何も変わらないって事なのかな。この先どうなるかは分からないけど、どの道このままじゃあ、もう二度と莉奈ちゃんには会う資格はないって事だよな」藤井は店を出て、そのまま警察署へ向けて歩き出した。
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