誘拐

 藤井は醜悪な見た目をしていた。幼少期は片親であった母と恋人に虐待を受け、シャワーで熱湯をかけられた事で、顔の右側の額から首にかけて皮膚がただれていた。耳も左側に平手を受けた事で聞こえ難かった。

 やがて中学を卒業した藤井は親から逃げるように街を出て一人暮らしを始めた。仕事は真面目にしたが、職場でもプライベートでもコンプレックスから人付き合いが上手く出来なかった。もちろん友人や恋人、理解者など出来るはずもなく、仕事を転々としながら、その当時は警備員の仕事をして一人寂しくアパート暮らしをしていた。

 そんな藤井だが子供が好きだった。結婚などはとっくに諦めていたが、せめて子供だけでも欲しいと思い、特別養子縁組の里親候補に登録しようとした事もあった。しかし未婚である事、職業や収入などクリア出来ない事が多々あり、それも諦めざるを得なかった。

 そんなある日、いつも帰路で通る道すがらに三階建てのアパートがあった。そのアパートの二階のある一室から、いつも声が聞こえてきた。子供の叫び声だ。幼少期の自身の経験からトラウマが藤井を襲い、いつも足早にアパートの前を去っていった。

 そんな日々が幾日か過ぎた頃だった。その日は肌を刺すように寒い日だった。アパートの前を通ったが、いつものようには声が聞こえなかった。どうにも気になり部屋を見上げてみた。するとベランダに小さな女の子が膝を抱えて丸まっていた。藤井は思わず足を止め、その場に立ち尽くした。藤井の視線に気付いたのか、少女は手摺りの隙間から顔を覗かせた。初めは驚いた表情をしたものの、警備員の格好をしていたからか、助けを求めるような顔で見つめてきた。

 厄介な事に巻き込まれるのはごめんだ、と藤井はいつものように足早に去った。帰宅した藤井は流し台で顔を洗った。その水はなんとも冷たかった。脳裏を少女の姿が占領する。

 あのまま放って置いたら、死んでしまうかもしれない。居てもたってもいられなくなった藤井は、押し入れからロープを取り出し、少女のアパートに向けて駆け出していた。下から見上げると、少女はそのままだった。

 藤井はロープを肩にかけたまま雨樋を伝って少女の元にいった。時折、様子を見て人差し指を口に充てがい言葉を発しないよう指示した。

「静かにね。おじちゃんが助けてあげるから」そう言って少女を背中に括り付け、下へ降りた。

 自分のアパートに帰った藤井は野菜がたっぷり入ったインスタントラーメンを食べさせてやった。美味しそうに食すその姿は、藤井の胸を締め付けた。その後、おじちゃんと警察に行こうか、と言ったが少女は藤井の袖に縋り付くように掴まった。仕方なくその日は泊めてやる事にした。

 少女の寝姿を見ている内に、様々な思惑が脳内を闊歩した。そして少女の親になる覚悟を決めた。

 当初はすぐに親が捜索願いを出すのではと案じたが、一ヶ月ほどは静かに暮らす事が出来た。そして何故、一ヶ月も経ってから警察が動いたのかは分からなかったが、捜索が始まり藤井は大いに迷った。一ヶ月の間に本当の親子のような絆を結んだような気がしたからだ。

 色々と調べたが少女を児童養護施設へ連れて行く事が一番良いだろうと決めた。施設で状況を必死に訴えた。施設の人間は何とか理解してくれたようだったが、中の動きから、警察に通報している事が予測された。そして藤井はトイレに行く振りをして逃げ出した。

 あちこちを彷徨い歩いて紫色の灯りに誘われるようにバーLIFEへ入店した。

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