欲に満ちた世界
北条むつき
第1話夢破れて
「
その言葉に気づき目を覚ます。白いカーテンに囲まれた一室。ピンク色のナース服の女性が声をかけていた。左手首には名前を示すバンドと点滴の管が腕から天井部に伸びている。
看護師が病室から先生を呼びに出て行く。私は、何度か瞬きをしながら、なぜここにいるのかを思い返そうとした。その瞬間だった。脳裏に浮かんだオレンジ色の電車が私に迫ってくる映像だ。
脳裏に甦った最後の映像が私を恐怖に陥れた。体が硬直して拳をグッと握りしめた。唇が震えて、歯を食いしばった。
そうだ。私は死のうとしていた。だから環状線のホームから電車めがけて飛び込もうとしたはずなのに、死にきれていない。どうやって助かったんだろう?
その時だった。先生とうちの親が一緒入ってくる。
「
母親が私の名を呼ぶ。父親がホッとした目つき母の肩を抱いた。
先生も「伊月さん大丈夫なようね?」と聴診器を胸に当てるように看護師が私の胸元の服をたくし上げる。
「お母さん……」出てくる言葉は余りにも小さく力がなかった。
その言葉に母親も泣きそうにハンカチを目尻に当てながら私に問いかける。
「何てバカな真似!生きてて良かった!本当美鈴……どうしてもっと話してくれなかったの?」
「お母様、少し今はやめていただけますか?目を覚ましたばかりですので、この後検査もありますので、今は……」
母は、小さく頷き、父親の肩に頭を寄せた。
看護師たちが私のベッドごと検査室へと移動させる。病室を出ると、一人のスーツの男性が声をかけてくる。
「良かったあ! 大丈夫のようですねえ!」
手には包帯が巻かれてあった。その男性はベッドに横たわる私を見て、拳を胸元に挙げた。私はキョトンとしながら、その男性を動くベッドから眺めていた。
「脳波の検査と、記憶障害の検査がありますので、ご両親は検査室の前でお待ちください」
看護師が両親にそう告げると検査室へベッドごと入っていく。頭に吸盤のようなものを付けられて、検査が開始された。およそ30分、検査中は寝ていていいという事で目を閉じた。先ほどみたく、恐怖映像が飛び込んでこないよう、いらぬことを考えないでおこうと思って目を閉じた。
短大を出て、私は小さな広告代理店に入社した。そこで一つ一つの仕事を自分なりにこなしてきたつもりだった。入社はじめは、何もできない私だったが、先輩のディレクターと仕事をすることで、広告のコツを身につけようと必死になって色々と覚えた。最初は、ただ単に先輩ディレクターについていくだけの存在だったが、そのうち一人抜け二人抜けていくと、自分でもデザインしないといけなくなった。
自腹でデザイン学校に通いながら、パソコン操作から、デザインの基礎知識を必死で毎晩、帰ってからも本とパソコンを使いながら覚える。もう必死だった。小さな広告代理店でやっていくためには、なんだってやる。
その内、ディレクターから打診されて、Macでのデザイン作業の上にクライアントへのプレゼンテーションまで任されるようになると、毎晩の帰りが午前様。最終電車に揺られて帰る事なんてザラだった。そんな勢いで続けた3年間だった。
限界が近づいたのは、クライアントへのプレゼン作業がうまくいかなくなった瞬間からだった。イベントのため広告を打ちたいクライアントへのプレゼンテーション。そこで私はミスをした。
もちろん事前準備は怠らなかったものの、このプレゼンが競合だったからだ。そこに現れたのは、元うちの社員だったディレクターだった。
私の上に就くそのディレクターが、うちを去り突然競合他社のディレクターとして現れた。
私のやり方考え方を熟知していたそのディレクターは、当日のプレゼンでとんでもない企画を持ち出してきた。
それは私の会社と同等の案だった。もちろんそれを避けるために必死で考えていたものをボツにしてまでも、これならと思う方向へ持って行ったにも関わらず、その元先輩ディレクターは私の考えを予測してその企画を打ち出してきたのだった。
その企画内容は、風船を家族に渡す構成。全くうちと被った。しかし、デザインレベルは競合他社の方が上だという事で、そのプレゼンは落ちてしまった。
先輩ディレクターは私のデザインは悪くなかった。仕方がないと言ってくれたが、自分でやったプレゼンが全く歯が立たないと思い知らされた瞬間でもあった。
途方にくれた。もう私はデザイン業界でやっていく自信を失ってしまった。そこからだった。
もう一度立ち上がる気力に持っていくには相当の覚悟が必要だと思い知らされた。だが、その後、私のデザインとプレゼンは、やれどもやれども滑りまくりだった。その内、先輩ディレクターにも見放されて、きつい言葉を浴びせられるようになった。もう限界だった。
今日も夜23時を回る会社の最寄駅。俯きながら、ヨタヨタとボロボロな気持ちを抱えて、階段を上がり、ホームに着いた。空を見たらうちの会社の小さな看板が、ビルにかかっているのが見えた。
「何で私ってこんな会社にいるんだろう?」
ボソッと呟いた。
消えたい……。
ふとそんな事が脳裏に過ぎった。もう下しか見えない。何をやったってダメな私だと。
楽になりたい……。
そんな思いが、私の足をホームの前面に押し出した。遠くから聞こえる汽笛の音。風がホームに吹き込んだ。場内アナウンスが何やら言っているが、聞き取る事はもう出来ていなかった。オレンジ色の電車が斜め右から迫ってくるような感覚だけがあった。
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