第2話無理は禁物
「あっ!」
思わず声に出た。すると検査医が声を出さないようにと促す。
電車に飛び込もうとしている記憶が甦って声にしてしまった。
「何も考えないでください。今指針が触れてますので、お願いしますね」
優しく諭す検査医に無言で応える。
しばらくすると、検査医からまた声がかかった。少し長くも感じた脳波の検査が終わったようだ。そしてすぐにベッドは別の部屋に入れられた。検査医服の女性と男性が現れ、私の体の下に布を敷いた。
「只今から、記憶の検査をします。脳のCTを取りますので、点滴は外しますね」
点滴を外され、頭と足元の布敷きを上に持ち上げられて台に乗せられる。頭を固定されると検査が開始された。天井の空模様がゆっくりと動きだす。いや私が乗せられた台が動き出したのか。
上下に2回ほどCTの輪っかの中に頭が入り、間も無く検査は終了した。またベッドに移し替えされて、病室へと運び込まれる。すると検査前に私に声をかけた男性と、両親が話し込んでいるようだった。
「美玲終わったようだな」父親が私を見て声をかけた。
「この方は、お前を助けてくれた
「本当よう!この方が近くにいなけりゃ今頃あなたはいないのよ?美鈴?」母親が続けて言う。
男性は安堵の表情を浮かべながら、私を見つめた。私は、笑顔で返す事もなく、黙ったままだった。すると、母親が急にきつく態度を変えて声のトーンを挙げた。
「美玲!お礼ぐらい言ってもバチは当たりませんよ?」
少し強い口調で言う母親に対し、神崎と言う男性はその言葉を制止するように声を出した。
「まあまあ、お母様……。美鈴さんもまだ落ち着いてらっしゃないでしょうし、今はそっとしておいてあげてください」
私は、その言葉に、男性の方に向き返し、頭を少しだけ下げ会釈をする。すると男性も会釈で返し、両親と私に言葉をかけた。
「じゃあ、僕はこれで……。でも良かったです!本当に!ゆっくりと養生してくださいね?」
「あ……ありがとうございます」そこでようやく小さく言葉を発する事が出来た。
「いえっ!でも助かって良かったですよ!じゃあ……」
男性は会釈をすると病室から出て行った。両親たちも下までお見送りと、頭を何度も下げて病室を出て行く。
そのひとりぼっちの深夜の病室で私は、ようやく自分がしたことに涙した。頰を伝い、生暖かい雫が耳へと流れた。片手でそれを拭いながら、瞳を閉じた。自分のやったことの甘さと自分自信の気持ちについて。声が声にならない泣き方だった。病室に足音が近づく。その足音2つは、病室に入ることなく遠くに消えていった。多分うちの親たちだろうと泣きながら眠りについた。
安堵の眠りだったとえない。風が感じた瞬間にオレンジ色の電車の記憶が甦り目が覚めたからだ。小さく体を動かした時、看護師が窓を開けて部屋の換気をすると声をかけていた。現実世界に戻ったのだと思い返した。夢にまで出てきたオレンジ色の電車。昨日の私は、かなり疲れていたのだろう。そう思いながら昨日流した涙がまだ頬あたりに微かに塊となって残っていた。
毎日の残業の日々、人間関係、クライアントとの距離感。全てが空回りしてうまくいかない時期だったんだと無理矢理に自分に言い聞かせると、看護師が点滴を外し、朝食をベッドボードに置く。
「気分悪いなら、あまり無理なく食べてくださいね。無理は今は禁物ですよ?」
優しくもあり、心強い言葉をかけられる。私の心境を察した言葉なのだろう。確かに私は昨日飛び込もうとした。いや、脳裏に過ぎった楽になりたいという意味が、もっと別の方向に向けられればとも思った。
そうだ。あまり無理なく……。そう私は考えた。今無理をしても結果また同じ過ちを繰り返すことになったら、母親も父親も、昨日のような言葉だけでは済まされないだろう。
ゆっくりと体を起こし、スプーンを手に取り、スープを飲む。薄い味付けだったが、なぜかお昼にコンビニで買って食べるスープの味とは違い、格別に美味しさを感じだ。優しい味というべきか、もう自分にも優しくなろう。無理は禁物。そんな考えをしながら朝食を摂っていると、父と母が病室に入ってくる。
「良かったわあ。ちゃんと食べれてるわね。もう昨日はどうしようかと思ったぐらいよ!」
「まあまあ、母さん、今はその言葉は無しだ」
父親が母を諭す。昔から私には厳しかった父親も、もう少しすれば定年を迎える。昨日の件も考えれば、今の私には優しさが必要なのだろうと感じた言葉だった。母親も父に促されると私をじっと見つめてベッド脇の椅子に腰をかける。
「ゆっくりお食べ。胃に悪いわよ……」
「はい……」
もうすぐ25になろうと言う娘に、子供の頃を思い出させるような物言いだった。朝食中に看護師が昨日の結果報告次第で、今日にでも退院準備の話を持ち出してきた。私は笑顔で応えた。
朝食をすませると先生が現れて、昨日、駅での男性からの倒れ方と、挫傷についての説明、検査結果が告げられる。脳に以上は見当たらない。そして、頭の傷もすぐに癒えるだろうとのことだった。
安堵になりながら、私と両親は退院準備に取り掛かる。その時私は一言親に言った。
「私、会社を辞める」
母親は、その言葉に動揺を隠せない様子で、強い口調でこれからどうするのと問うてくる。しかし今の私には、静養も心のケアも必要だと感じ、自分の意見は曲げないと強く母親に応えた。父親は、
「自分が決めたことなら、それもいい。歩いていける脚があるなら別の道もありだろう。俺たちの頃とは時代が違う。こいつも考えてるはずさ」
そういう言葉で母親を説得してくれていた。その言葉の後、父親から昨日の男性の連絡先を聞いていると告げられた。
「今日はお休みだから、葛城に住んでるそうなんで、行って来い!今度は自分の言葉でお礼をちゃんと言いなさい」
「うん。そうする! 昨日はまともに話せなかったし。お礼はちゃんとして来るね」
「そうだ」
そんな会話をしながら病院の玄関口に差し掛かる。すると慌てながら入ってくる長身の姉の姿。
「はあ……疲れた……。何よ! ピンピンしてんじゃない?」
「……ごめん」
「ああ、良かった。昨日の夜、母さんから連絡が入った時はびっくりしたわよお!慌てて車飛ばしてきたんだからね?」
「ごめん……迷惑かけて」
「まあ無事ならいいけど、悩みあるんなら、私にまず相談しなさいよ?」
大阪に住む7歳離れた姉の
後ろから、子供の
「ああ! 美鈴ちゃん! 良かったぁ!」嬉しそうに私に近づき頬ずりをするように肩を抱く。
「いや、
旦那の由雄さんは女好きだと自負しているのを知っていた私は、ちょっとその抱きつき方に違和感を感じ、手で押し返した。
会計を済ませると父親に促されて駅へと向かおうとする私を姉の和美が引き止める。
「電車に乗れる? また同じこと繰り返すかもしれないから、うちの車に乗っていきなよ?」
「しないってば!」
そうは言ってみたものの、オレンジ色の電車の恐怖は夢にでも出てくるぐらいだと、姉夫婦に甘えることにした。そう言う姉だったが、私はだいたい姉の目的が何なのか知っている。男性に助けられたと聞いているので、姉はその男性がイケメンなのかを確かめたいだけだと。内心困った家族だとも思いながら、車に乗り込んだ。
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