第20話ミスとミスリード

「ちょっと! 伊月さん? これ何?」

「はい?」


 朝井主任に呼び出された。


「私が言ったのは、新鮮さって言ったのに、何故赤なの?」

「えっ……? アピールポイントは価格じゃないんですか?」

「違うわよ……。何を聞き間違えてるの?」

「すっすみません……」


 今日の私はミスばかりだった。先日入社したばかりのジャパンリビング。初日こそうまく事が運んでミスなく、褒められたものの、2日目はミスばかりが目立った。それに苛立った朝井主任の注意を受けていた。


 やってしまった。昨日、由雄さんに襲われそうになった件とその後のナンパ、そして助けてもらった神崎さんのことなど、昨日から今朝にかけて色々ありすぎて、私は仕事が手につかない状態だった。


 反省の意味をこめて少し一息入れて、気合いを入れ直そうとドリンクコーナーへ、コーヒーを入れ行く。


 すると見崎みざき部長が打ち合わせが終わったようで、同じようにドリンクコーナーに現れた。


「あら? 伊月さん。どう? 慣れた?」と聞いてくる。

「あっ、まだちょっと、勝手がわからないところありまして……」


 2日目にして慣れるわけもなく、しかし見崎部長は「あなたすごいらしいわね? なかなか初日で、あのデザインを出すことできないわよ? 頑張ってね?」と私を褒め称え消えて行った。


「ありがとうございます」と、気合を入れ直した。


 しかし、昨日の神崎さんは魅力的だったなぁ……。あんなに強くて優しい男性が彼だったら、毎日ハッピーなんだけど……。って私は、また神崎さんのこと考えてる……。やばいやばい。これじゃあ、仕事の息抜きになってない……。


 それに今日、姉マンションに帰らないと、荷物も財布も置いてけぼりだし、今夜マンションで寝付けるかなぁ? 色々仕事以外にも心配事はいっぱい出てくるもんだと、コーヒーをクイっと飲み干すと、私はお手洗いを済ませ。部署の自席についた。


「遅い! どこ行ってたの? 修正早くしてちょうだいね?」


 あぁあ。また朝井主任に小言を言わせてしまったと、反省して「かしこまりました」と言うと、隣の席の富沢さんが小さく声をかけてくる。


「あんまり、気にしないことよ? 朝井主任、個人的なことあると、よく周りにアタルから……」


 そう言われると、私も色々あるのよね? と思ってしまい、思わずイライラしてもいいものかバチ当たらないかな? などと思ってしまう。


 ※※※※


 そんなやりきれない思いを感じた2日目の仕事はあっという間に終わった。残業とかと思った。

 だが「なるべく定時で帰れる時は帰りなさい」と見崎部長の一言で、私は定時を10分ぐらい回った時間に帰宅することができた。


 真っ直ぐ家路に着こうか、でも、鍵を持っていない私は、姉のスマホに連絡を入れた。


「あら? 美玲みれいじゃない。どこ行ってたの? 今日ご飯食べるの?」

「あっ、和姉かずねえ、家にいるの?」 

「ええ、家よ? どうしたの?」

「お姉ちゃん、出張はもういいんだ?」

「ああ、帰ってきたわよ?」

「ならいいの。由雄さんいる?」

「えっ……。あぁ、まだだけど、それがどうしたの?」

「うううん? いいの。じゃあ今から帰るね……」


 そう言って私は電話を切った。由雄さんがいない今なら、帰って荷物を持って出ていける! そう思った私は家路を急いだ。


 会社から姉マンションは数駅行ったところ。18時も少し回った時間帯、近所では夕食の時間帯なのか、芳しい食事の匂いが、姉マンション付近に立ち込めていた。


「ただいま〜」


 玄関の扉を開けて、1日振りに姉のマンションに着いた。

 玄関口からもう晩御飯の匂いが立ち込めていた。いい匂い……と玄関を抜けてリビングへ入った。


 あっ……。私は思わず体が硬直した。


「おかえり」


 そう言ってきたのは、姉の旦那の由雄よしおさんだった。なんで居るの? リビングにもキッチンにも姉はおらず、旦那の由雄さんは、一人キッチンテーブルの椅子にかけて、一人晩酌をしていた。


「どうしたの?」

「……」

「何固まってるの? 荷物置かないの?」


 何の違和感もなく聞いてくる由雄さん。私は一瞬でイヤ〜な空気感に囚われた。

 何でこの人、こんなに落ち着いて私に挨拶できるのよ……。少し怖いながらも、私は小さく「ただいまです……」と由雄さんに挨拶をした。

 居場所に困っていると、由雄さんが何食わぬ顔で聞いてくる。


「自宅に着いたんだから、服装、着替えなくていいの?」


 この人、私の何を求めてるのよ……。そう思い「いえ……。ところでお姉ちゃんと和馬くんは?」と端的に聞き返す。


「ああ、居ないよ? 今お泊まり会のお迎えに行ってると思う」

「……そっ、そうなんですか……」

「どう? 美玲ちゃんも一杯やりなよ? 仕事疲れたでしょ?」

「い、いえ……。私は……」


 そう言い返すと、由雄さんは、「じゃあ着替えないの? 家やで? 身軽な格好の方が落ち着くし……」と上目遣いで私の顔を覗き見るように見てくる。


 「あっ、いえ……」


 私は由雄さんの言葉と、ちょっとした上目遣いに恐怖心を感じた。

 和馬くんの部屋に荷物を取りに行こうと小さな和室に入る。電気をつけようと手をスイッチに伸ばした。するとスッと私のすぐ後ろに立つ由雄さんの気配を感じた。


「えっ……」


 私はびっくりして和室の隅に急いで身を縮み込ませた。


「なっ何なんですか?」

「フッ……」


 電気もつけずに由雄さんは、和室のふすまを閉めた……。


 えっ……。ちょっとやだ……。何してるのよ……。この人……。


「ふたりだよ……」


 由雄さんの思わぬ言葉に、私は恐怖を感じた……。

 ゆっくりと閉めた襖から私の元へ歩み寄る由雄さんは、膝をついた。そして赤ちゃんがハイハイするように屈み込むと、頭を急に下げた。


「ごめん! 美玲ちゃん!」


「……」私は黙ったままだった。


 急に頭を下げて由雄さんは和室に電気もつけずに、私に膝をつき、土下座をするように頭を下げた。


「だから、ごめん……美玲ちゃん……許して欲しい」


 私は身をよじらせながら、由雄さんの行動を見守った。


「幾ら酔っているとは言え、俺、義妹に女性を感じてしまったんだ。和美かずみには黙ってて欲しいんだ! お願いします! 悪いと思ってる。でも俺……、美玲ちゃんのこと一人の女性として思ってしまったんだ……」


「えっ……」


 この人……何言ってるの? 正気なの?


 由雄さんの私へのあらぬ告白めいた言葉とは逆に、和姉の旦那を保っていたいと言うチグハグな思いがあることに私はこの男に気持ち悪さを覚えた。


 何言ってるの? この人……。義妹に手を出そうとしただけでもキミ悪いのに、ストレートに義理の妹に好きなんて言ってて恥ずかしくないの?


「美玲ちゃん……。君に女性を感じたんだ……。ダメなことぐらいわかってる! でもこの衝動は抑えられないんだ……」


 由雄さんは土下座をしながら、ゆっくりと私に近づこうとしてくる。


 いや……。こないでよ……。何なのこの人……。


「ヤメてよ。言い訳がましいこと……私……こわっ……こわっ……かった……」


 私は言葉にならない言葉を、由雄さんに浴びせた。

 すると由雄さんは、私に土下座をしながら、叫ぶように言った。


「ごめんなさい! 許してください!」


 この状況、私はどうすればいいのよ……どうしたらいいの?

「だから、君は悪くない……。悪いのは俺なんだ……。でも……、好きなんだ!」


 だから、何を言ってるのよ……この人。気持ち悪い……。


「だから!」


 由雄さんはそう叫ぶと私の両腕を掴もうとしてきた。


「イヤッ! ヤメてよ! 何なの……何なのあなた……。それでも和姉の旦那なの?」


 そう言うと私は、由雄さんの腕を振り払った。


「ちがっ、違うんだ……!」


 何が違うのよ! 何が! 私は怒りと恐怖を同時に感じた。この家にいると私がおかしくなると思い、和室の隅にあったスーツケースと財布、鞄を持ち土下座する由雄さんの横を通ろうとした。


 すると由雄さんは私の足にしがみついてくる。何? 何なの? この男……。怒り任せに私は、「ヤメてよ! 姉に言うわよ!」と言うと由雄さんの腕は私の足を持つのを辞めた。

 このままこの家にいることは、恐怖の生活があると思い、私は襖を開けるとリビングを抜けて玄関口に急いだ。


 その時だった。「ただいま〜」と姉と和馬くんの声がして玄関の扉が開いた。


 玄関で靴を履こうとしていると、姉が和馬くんを連れて帰ってきた。


「あらら? 美玲……どうしたの?」

「美玲、あちょ〜!」


 何食わぬ顔をしている姉が可哀想になり、私は無言で靴を履き、姉のマンションを後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る