第8話ごめんと苛立ち

「わかってる? お父さん半熟好きだからね?」


 今日会社を終わると、そのまま姉の家に行く予定の私は、朝早くに母に叩き起こされた。父との最後の食事。今度ここに帰ってくるのはいつになるかわからない。

 そんな思いからか、謝って、ちゃんと自分の意思を通しなさないとずっとギクシャクのまま。今度は逆に余計帰って来づらくなるからと、母は父との朝食の機会を持たせようとする。布団をめくられ憂鬱感丸出しでキッチンへ。


 先日の父の様子を見れば寂しいとは思うものの、どうしても父も頑固、私も頑固と、母はお互いの気持ちの埋め合わせをさせようと必死だった。

 炊飯器のご飯はもうすぐ炊きあがるようだった。準備は万端なのだと母はガッツポーズをして散歩に行くと言って勝手口から出て行った。うちの朝は日本食。


 私だけがパンだったが父は昔からご飯じゃないと食べない人間だ。

 まずは味噌汁を作り、ネギを冷蔵庫から探そうとしたがなく、勝手口のプランタンからネギを調達してこようと扉を開けると、母がわかっていたかのようにネギを手渡した。なんだそう言う意味か……。


 母はいない事にしてずっとそこで見守る予定なのだと気づく。慌ててキッチンに戻ると味噌汁が吹きこぼれそうな勢いで沸騰していた。やってしまった。父は熱すぎる味噌汁は嫌いなのだと、あわてて火を消し冷ます。目玉焼きを作ろうと冷蔵庫から卵を出していたら、父が新聞を持ちキッチンに入ってきた。


 私の顔を見るや否や無言で咳払いをしてキッチンから去ろうとするのを作り笑顔で止める。


「母さん散歩だって。代わりに私。お腹空いてるでしょ?」


 父は頭をかいて席に着いた。


「半熟だ!」


 一言父は告げると私も「うん知ってる」とわかった口調で返す。


 目玉焼きが出来上がるとご飯をよそい味噌汁を出した。私は自分のパンを焼き始めると、父が無言で手を合わせ食べ始めた。それを見たらなんだか可哀想に思い席に着く。

 父の食べる姿をじっと見つめていると、また咳払い。そんなに迷惑がらず食べて欲しいと一言入れた。また咳払い。不器用なところは親譲と思った。


 そんな不器用な私と父。ここで何も言わなければ、あと1時間少ししか一緒にいられない。思わず口に出た。


「ごめん……」

「……」


 父は黙ったままだ。

「だから、ごめん……」


 私は続けたが、やはり黙った父だった。


 やっぱりお互い不器用だ。父は新聞を読み始めた。もうダメだと思ったが私のパンが焼けた。パンをオーブンレンジから出し一緒に食べ始める。


「おいしい?」


 私の作った朝ごはんの味を確かめたが、その言葉にも父は無言を貫く。本当に何も言う事はないのかそんな事さえ頭がよぎるが、私が引けばそれで終わると思い食べるのをやめて真剣に父に向かい言う。


「勝手に出て行く事、許して欲しい。なぜお父さんが出て行くなという事もわかってるつもり。でも、心配しないで欲しい。大阪には和姉かずねぇもいる。それに残業で遅くなっても、今の会社みたく残業が多いところでもないし……。でも、やっぱりごめんなさい。ちゃんともっと早くに話したかった。気持ちの持って生き方下手でごめん。でも出て行って、今必要としてくれるところでもう一度頑張ってみたい。だからお願いします」


 頭を下げた。父に頭を下げたのは、受けたい学校があると受験の時以来だった。父は黙って味噌汁を一口飲むとゆっくりとおわんを置いて言う。


「お前の味噌汁もなかなか美味いな。最近いろんな事があったようだが、気をつけて行け。世の中は甘くはないが、うまいことだってある。それをお前が信じるのなら、俺は何も言わん事にしている。でも辛いと思ったらいつでも帰ってこい。ここはお前のうちだ」


 その物言いは、優しさに満ち溢れていた。


「ありがとう!」


 一言言うと父親は笑顔になった。二人笑顔で朝食をすませる。すると母が何食わぬ顔して戻ってきた。


「あら? 珍しい風景ね? さて、シャワーでも浴びようかしら?」


 何もかもわかったような物言いで、浴室へと消えていく母も笑顔だった。


 朝食が終わり、片づけをして準備に取り掛かる。ある程度の荷物は、先日姉のところに送っておいた。でも今日はいつもより少し荷物が多めだった。父と私はほぼ同じ時間帯に家を出る。荷物を持ち玄関口に行くと父が靴を履いていた。


「行ってくる! お前も気をつけろ! まだまだ世界広いぞ? 負けんな!」


 肩を叩いて父は先に家を出た。私も今日は歩いて最寄駅へ。


 そして最後の1日を頑張って働く。とは言っても、もう引き継ぎの最後だから仕事という仕事はほとんどない。

 夕方5時30分を回ると、事務所の人たちが集まってくる。上司が一言みんなに声をかけて、私の最後の挨拶が始まったが、一人だけ足りない。その一人を残して、みんなの前で最後の挨拶をした。面倒を見てくれていた先輩ディレクターが歩み寄り、握手を求めてくる。


「お前、もうちょっと頑張れると思ったけどな、残念だよ。でもこの仕事辞めんなよ? 結構向いてるよ?」


 みんな最後は笑顔と拍手で見送ってくれた。中には泣く後輩の女の子もいた。


「では、皆さん本当に3年間ありがとうございました」


 最後にお礼の言葉をかけて事務所を出ようとすると、笑顔でブーイングをする男子メンツ。ここも結構悪くはなかったのかもしれないと感じる瞬間だった。

 事務所階段を降りて玄関口。花園さんがすれ違いざまに強烈な一言を放つ。


「あんたさぁ! 逃げるのはいいけどさぁ、今度死のうとしたら、ちゃんと死んでよね?」


 その言葉に足が止まる。振り向き、花園さんを見ると颯爽と歩きながら中指を立てていた。


「私の事そんなに嫌いだったんですか?」

「さぁ? 自分の胸に聞いてみたら? ね? 今度のところでも、ディレクターとイチャイチャしちゃうの?」

「そんなのしてませんよ!」


 花園さんの足が止まり私に言い放つ。


「まぁ、もう仲のいい先輩ディレクターひいらぎさんは、もういなくなるけどね? 大丈夫かなぁ? あははははっは!」

「どういう意味ですか!」


 食い下がろうとする私を余所に花園さんは扉の奥に消えていった。

 最後の最後の一言、すごく胸に突き刺さる言葉だった。


 私は、そんなに女を売りに仕事やってきたんじゃないと自分に言い聞かせた。


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