十一、強き母からの愛情

 二人の強い男子を育てた、母も強い人だ。父が海軍に行き、家を開けてからは、母が一人で家を支えた。その力強い腕で、工場で働いて、家族をやしなっていた。もちろん、裕福ではない。子供が三人いるから、なかなかの、貧しい暮らしであった。四人皆で暮らしていた頃は、とにかく子供たちが第一でいて、食べる量も、一番少ない。

 兄二人は、「わしらのも食え」と茶碗ちゃわんを差し出す。しかし、母は強き笑顔でことわる。

「ええよ。アンタらは、立派な海兵さんや、およめさんにならにゃあ、いけんのですよ。今がそだざかりじゃけぇ。食べんさいな」

 我が身を犠牲ぎせいにしてまで、子供たちを大切にする、母の姿や言動に、ユウはいつも感銘かんめいを受けていた。兄たちもそうだろう。母が、働いていて、家にいない時には、兄たちが家の仕事をしたり、ユウの面倒を見ていた。

「ユウは、鞠突まりつきが上手いのぉ」

 皆が注目するくらい上手な、ユウの鞠突まりつきも、最初にすごいとめてくれたのは、兄二人。ユウが歌を歌うと、一緒になって、歌ってくれた。そして、最後を決めると、手をたたいてめてくれる。それが、うれしくて、皆に見せびらかすために、近くの空き地に行って、たくさんの子供たちがいる中で、鞠突きをした。その上手さに、同じく鞠突きをしている女の子たちや、戦争ごっこをしている男の子の目にもとまった。

「あの子、ばり上手じゃのぉ」「すげぇ、すげぇ!」

 皆が、ユウを見て、歓声かんせいをあげた。そのうち、鞠突きをしている女の子に声をかけられたり、子供だけでなく、大人の目にまでとまったこともあった。

 ユウはうれしくて、よく母や兄たちに自慢じまんをしていた。また、時間が空いた時には、鞠突きをした。それも、たまたま通りかかった人の目にかかって、次第しだいに、家にも、ちらほらと集まってくるようになった。子供だけでなく、大人も近隣きんりんの話題を聞きつけてか、ユウの鞠突きを見るために、おとずれてきたという人もいた。

そんな人たちからは、「鞠突きちゃん」と呼ばれた。

 それで、ユウが鞠突きをしていなくて、勉強や読書をしていると、「鞠突きちゃん、鞠突きはせんの?」と声をかけられることも、しばしばあった。


 最年長の男子である、長男との思い出で、印象に残っているのは、雨の日だ。ご飯の買い出しで、雨の中を歩くとき。一つの傘に二人で一緒に入る。互いの距離が近くなるから、長男とユウだけの空間ができて、貴重な時間なのだ。兄妹の中で一番年上で、一番しっかりしている長男は、母のわりに、ご飯を作ったり、お風呂をかしたり、洗濯せんたくをしたりする。家にいる時は、母がやったり、次男やユウも手伝ったりするが、基本、家の事をするのは、長男だ。それで、学校の勉強もしなきゃいけなかったりするので、大変だ。だから、一緒に遊んだり、どこかへ遊びにいくことも、あまりなく、時間も取れない。お風呂に入ったり、ご飯を食べている時に、世間話をしたり、海軍の夢を語るのを聞いているぐらいか。

 そんな長男と、二人きりでいるのは、滅多めったにないから、幸せな空間だ。

 梅雨や夏の時期には、急に雨がふり出してきて、帰りが不安になる。すると、長男が傘を差して迎えに来てくれる。ユウは、不安な気持ちがんで、ポカポカな気持ちになった。


 次男とは、近所を走り回っていた。次男は常に元気な人で、じっとしていられない。座って話をしている時も、上半身の身振り手振りで、話を大袈裟おおげさに伝える癖があった。それで、長男に突っ込まれることもよくあった。

 普段は静かなユウだが、次男の元気さにみ込まれ、一緒にいると、自然とノリノリになる。

 海兵になりたいと言っているくらいだから、兄たちも、海が好きだ。次男は、ユウや近所の友達を連れて、海岸かいがん沿いを訪れた。

 海は平坦へいたんで、静か。青空のもとでは、青いけれど、夕焼ゆうやけになれば、空が赤くなって、海も赤くなる。青いばっかりではない。

 てしない青、それをじっとながめている、兄の目は、キラリと光っていた。

 

 顔も見たことのない、父に、手紙を書いた。それは、学校の授業の中で、お国のために戦っている家族に、手紙を書こうというものだ。そこで、ユウは、父に手紙を書いた。

 私が生まれてすぐに、海兵さんになって、顔も知らないけれど、お国のために、命をかけて、戦ってくれて、ありがとうございます。日本が戦争に勝って、お父さんの顔を見ることができることを、楽しみにしています。

 といった内容である。書いてポストに投函とうかんしても、実際に父のところへ届いたのかもわからないし、届いたとしても、お返事へんじがくるかもわからない。来ない確率かくりつの方が高いだろう。実際、郵便ゆうびんポストに投函とうかんしてから、数ヶ月以上がたったが、いまだに来ていない。


 ユウと二人の兄とは、大きなとしがあった。次男とはやっつの差。長男とはとおがあった。

 二人とも、ユウが小学校を卒業しないうちに、海軍の方へと巣立すだっていった。家族の皆や、近所の人たちで、戦地へ向かう男子たちを見送った。長男が行くときも、三人そろって見送って、次男が行くときも、母とユウで見送った。母は、戦地へと向かう息子たちに、右手いっぱいに手を振り、大きな声で、エールを送った。兄たちも、それにこたえるように、敬礼けいれいをした。

 次男を見送った後、母はしばらくうつむいて、静止せいししていた。あやしがったユウは、顔をのぞもうとする。

 パシン! と母は、自分のっぺたをぱたいた。そして、母はユウに言った。

「これから、寂しくなるのぉ。でもな、ユウも兄ちゃんたちや、お父ちゃん見たいな、強き男子を支える、強いおよめさんにならにゃあいけんのよ。ユウも強くいなさいな」

 めずらしい。母から出た、弱気な言葉。でも、結局は、いつも通りの強い言葉だ。心がふるい立つ。どの言葉からも、母の気の持ちようの強さが、にじみ出ていた。

 

 兄二人が巣立ってからは、ユウは一人になった。完全に一人になって、急に毎日が、つまらないものになった。

 鞠突まりつきも、誰も見てくれる人はいないから、やったって、誰もめてはくれない。うれしくもならないから、やらなくなった。

 突発的とっぱつてきな大雨の中、かさもなしで、家へと走った。

 基本的には、ずっと家にいるようになった。たくさん本を読むようになり、図書館にも行って、本を読んだり、りたりするようにもなった。古典に目覚めざめたのもこの辺りからだ。本屋さんで、古琴和歌集こきんわかしゅうや、万葉集まんようしゅう百人一首ひゃくにんいっしゅなどの歌集を買って、熟読じゅくどくした。特に、恋に関連かんれんする歌は、胸にさるものが多くて、大好きだった。

 一人で、さびしくしているユウに、母は同じ職場の友達の息子を、許婚いいなずけとして、紹介してくれた。彼にも二人の兄がいるのだけれど、皆、戦地へと巣立っていき、一人でいて不憫ふびんだから、恋人でも作ってやりたいと。彼こそが、海人うみとだった。

 海人というのは、子供思いの母からの、とても大きなおくものなのである。ユウにとって、彼は、恋人という存在だけでなく、母の愛情も、ギュッと詰まった、何にも変えがたい、宝物たからものなのである。

 

 

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