十二、広敷乃倉

「ユウのお兄ちゃんたちって、どんな人?」

 ある時、海人うみとたずねた。

「上のお兄ちゃんは、すごくしっかりしていて、下のお兄ちゃんは、元気で動き回るのが好きなんだよ」

 ユウは答えた。

「わしんところは、きびしい人たちだじゃったよ。父ちゃんが海軍の人だったこともあってさ」

「優しかったりするの?」

「いや、おにじゃよ。すぐ、ポカポカなぐってくるもん」

「うちのお兄ちゃんは、殴ったりすることはしなかったよ」

「えー、えーのぉ」

 二人は、初めて対面してから、七日もたずに、仲がよくなった。たがいにうまが合うのだろうか。小学校が同じところで、登下校も一緒にした。学校が終わったら、どちらかの家に入って、一緒に宿題をする。それが終われば、ユウが好きな歌集を、一緒に読んだり、海に出かけたり、多くの時間をともにした。それが、かれこれ四年と続いた。四年の月日の中で、二人の間には、愛情が芽生めばえた。そして、それは、大樹たいじゅのように、大きく深くと育っていった。

 ユウは、海人うみと無邪気むじゃきあいらしい、天使のようなやわらかい笑顔に、心の底から安らいだ。

 戦争の方が、思っていたよりも、長引いた。その影響えいきょうで、国民たちの日々の生活は、日に日にまずしくなってゆく。もちろん、ユウたちのところも例外ではない。ひもじい思いもしながらも、食べるものに関しては、庭の畑でイモやカボチャを育てて、道端みちばたにある雑草ざっそうんで、近所の間でも協力し合って、何とかしのいでいる。一番の気がかりは、戦いの最前線さいぜんせんにいるであろう、家族の身だ。ユウのところの家族と、海人うみとの身をあんじる、不穏ふおんな日々であった。


 あの後、広島の街はどうなったのだろう。海人うみとは、母は、近所の人たちは、どうなったのだろうか。無事ぶじでいて欲しいけれど、わからない。

 あの一撃で、こうも街が一変いっぺんしてしまうなんて。立派な建物たちも、多くいた人々も、皆が一瞬で、はいになってしまった。

 あれがなければ、今も海人うみとと一緒にいることができて、また一緒に海に行くこともできた。母とも一緒に、もの足りないものだろうけれど、一緒にご飯を食べることもできた。

 それが、全部が全部、あの一撃で、全てが吹き飛んでしまった?


 皆に会いたい。海人にも、母にも、兄にも、父にも。


 今が、一番重要じゅうよう局面きょくめんなのだ。今、動かなければ、ユウは、甘いたたかいに負けて、永遠えいえんにこのままだろう。ユウは、皆に会いたい。どうにか、ここを抜け出して。

 大切なのは、ハッキリすること。自分の意思を。負けないこと。逃げないこと。私が一番好きなのは、海人うみとである。

 自分の意思いしをハッキリさせてみると、ゾゾゾとユウはふるえた。ユウの心中しんちゅうに、根をおろして、がっしりと絡みついているのが、自分の本当の気持ちをオモテに表すことへの、恐怖感きょうふかん。学校などで、植え付けられたものだろう。それが、目をまし、ユウにするどいトゲを向けたのだ。

 兄二人が巣立すだった後、一度いちどだけだが、海軍に入った三人へ、手紙を書いた。そこには、『日本が戦争にって、ゆたかな生活せいかつもどったら、一緒に海を見たいです』と書いた。でも、正直しょうじきなことを言えば、たとえ日本がたなくとも、裕福ゆうふくではない生活が、つづこうとも……。一人ぼっちは、つまらない。でも、そんなことは言えないし、手紙にも書けない。そんなことは絶対ぜったいに、ゆるされないことだ。

 主様は、すごく優しい方だけれど、もし、それを言ってしまったら、どうなるだろうか。ひょっとすると、すごく怖い人になるのかもしれない。

 すると、祐丹姫ゆうたんひが入ってきた。

「ずいぶんと、なやまれていますね」

 どうして、それが? かお背中せなかなどに、表れていただろうか。何かをつぶやいたおぼえもないのに、どうしてわかった?

「主様には、がたいことですか?」

 何だか、まるで心を見透みすかされているみたいだ。

「……ものすごく」

 祐丹姫ゆうたんひは、口をかくすようにして、クスクス笑った。

「主様には、秘密ひみつにしておきますから、わたくしにでも、話してみてください」

「……絶対に?」

「はい。絶対にです」

 ここは、一つ言ってみようと思った。

「……実は、私には、恋人がいて。でも、あの、閃光せんこうの、すさまじい空襲くうしゅうがあったきり、会えていなくて。会えないまま、ここに来て、どうしようかなって。会いたいんだけれど」

 こわかった。考えたくもないことが、浮かんできてしまって。

「……おそらくですが、その方は、『広敷ひろしき』というところに、いらっしゃるかと、思います」

「ヒロシキ?」

「うーん、私もよく存じ上げないのですが……。図書室に行けば、何かわかるかも知れません」

 そこに行けば、何かわかるかも。……確かに、最初にお部屋を見てまわった時、書物しょもつ関連かんれんのところだけ、みょうに短かった。そこに秘密ひみつが?

「ご案内あんないしますね」

 

 書斎しょさいと図書室だけは、障子しょうじかこまれた部屋ではなく、きちんとかべがあった。祐丹姫ゆうたんひの言うところだと、図書室への入り口は、二つあって、内側の正面のところに一つと、書斎しょさいから入るのとで二つだ。主様が利用りようされるところなので、主様が出入りするのに便利べんりつくりになっている。

「主様は、おとなり書斎しょさいでご作業中なので、おしずかになさってくださいね」

「はい」

 祐丹姫ゆうたんひは、そっと戸を開けた。

「では、どうぞ」

 部屋に入って、まず目につくのが、黄金おうごんかがやく、りゅう置物おきもの窓際まどぎわにある、低い机の上に置かれていた。外から差し込んでくる、月光げっこうで、黄金おうごんがより綺麗きれいかがやいている。

 その両端りょうはしには、立派な本棚ほんだなならんでいた。本がぎっしりまっている。本好きのユウにしたら、夢に見る、図書部屋だ。

 ここに、何かあるのかな。とりあえず、遠目とおめで見てみることにした。左右の本棚ほんだなを見てまわると、強く目を引くものがあった。高貴的こうきてきな、紫色むらさきいろの書物。周囲から、浮いていた。その書物をよく見ると、“広敷ひろしきくら”と書かれていた。

 倉! あそこのやつだ。ユウは、むらさきの書物を手にとった。

広敷乃倉ひろしきのくら』。ユウは書物を開いた。

『宮のはずれに、不思議とあるのは小さな倉。倉を降りれば真赤まあかに燃える、かぎりなき広敷ひろしきがある。そこには、空を渡った行き場のない鯉供こいども流浪るろうする」

 もしや……、海人うみとは、そこに……。


書斎と通じる戸が、ゆっくりと開く。隣で書きものをしていた、辰巳たつみが、ひょこっと顔を出す。

柑菊姫かんぎくひ

「ひゃあ!」

 ユウはおどろいて、悲鳴ひめいをあげた。本を閉じ、ビクビクしながら、辰巳たつみの方を見た。

「こういう書物とか読むんだね。意外だよ」

「……私、本読むの好きで」

 でも、こんなカタブツには、基本きほん、手をばさない。退屈たいくつなやつは苦手にがてだ。

「好きなのはいいけど、寝不足ねぶそくにならないようにね」

「はい」

 戸が閉められると、ユウは頭を抱えた。もう、まよいはないはずなのに。なぜか、心がらいだ。もしかして、すでにふかいところまで、しずんでしまっている? すことは、むずしい? ユウはこわくなった。本をいて立ち上がり、障子しょうじいきおいよく開けた。大きな音が響く。向こうの部屋には、誰もいない。

 それを確認かくにんすると、ユウはもう一度、頭を抱え、うずくまった。頭の中は、大混乱だいこんらん。大きな二つの勢力せいりょく対立たいりつしていた。

 

 

 

 


 


 

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