三、甘くきらびやかな闘いの始まり

 高貴な姿へと変化をげたユウは、衣装部屋から、いよいよこの宮中の主、錦ヶ屋にしきがや大瀬沼おおせぬまという方の部屋へと移動する。ユウはドキドキが止まらなかった。不穏ふおんな思いと緊張きんちょうからだろう。でも、生まれて初めての豪華ごうかで美しいおめかしに、ちょっぴりわくわくしている。主様は、どんな方なのだろうか。

「緊張されていますね」

 祐丹姫ゆうたんひが、後ろをかえって言った。

「あ…はい。私、今後、どうなるのかなって」

「貴方様は、ここでずっと暮らすことになります」

「ずっと?」

「はい。この宮中きゅうちゅうでは、多くの使いのものがいて、主様もご親切しんせつな方。美しい景色けしきに囲まれて、夜には毎晩、満月を見ることができる。夢のような毎日ですよ」

「それで、ここにきたのは、私だけ?」

「はい。特別、主様がおされたので」


 主の部屋の前まで来ると、祐丹姫ゆうたんひ障子しょうじの木のところを、軽くたたいた。

「失礼いたします」

「どうぞ」

 障子の向こうからは、クールで甘みのある男性の声がした。ユウの耳に深くきつくような。ぞくぞくとする。

 祐丹姫ゆうたんひは静かに戸を開けた。

「おかえり。祐丹姫ゆうたんひ

 部屋の中は、さっきの衣装部屋よりも、だいぶ広い。主様の部屋、ということに相応しく、きらびやかだ。そして、使いのものたちに囲まれて、一番奥で座っている、あの男性。水色と赤色の、派手な直衣のうしを着た、あの男性が主様らしい。

「はい。ただいま戻りました。錦ヶにしきが様」

 祐丹姫ゆうたんひは、中へと進んでいく。ユウも後を歩く。

「彼女だね。いらっしゃい」

 主様は、使いの後ろを歩くユウに、優しく挨拶あいさつをした。

錦ヶ屋にしきがやみやへ。僕が主の大瀬沼おおせぬま辰巳たつみ。よろしく」

 彼は名乗なのった。名前に相応ふさわしく、沼のような人だった。その姿を見れば、すぐに人をきつけ、深い沼へと落とし込める。沼は、一度はまって仕舞しまえば、そう簡単に抜けられるものではない。しかも、この沼は、かなり手強いものになるだろう。

 そして、意外にも、若い方だった。ユウとも大きな差がない。結構けっこう、年上の人だと思っていたユウは、少しだけ安心した。。男子にしては、長い髪型。前髪は、あともう少しで、目をおおってしまう。そして、その目は狐面きつねめんのように、細くするどい。そこから立ち込める、ムンムンの色気が、するど糸針いとばりと化して、ユウの瞳をした。

 ユウは、目を見開いたまま、しばらく静止せいししていた。

「やはり美しいですね」

 辰巳たつみが口を開く。それによって、ユウも元に戻った。

「この着物は、衣装係の小豆姫あずきひめたちに注文して、用意してもらたんだ。君にはこれがお似合いだと思ってね」

 さらに、祐丹姫ゆうたんひも言う。わくわくの衣装を称賛しょうさんされ、とってもうれしい気持ちになった。

「菊の花言葉は、『高貴』『高尚こうしょう』宮中のはなやかな感じにもおとらない」

「うん、それじゃあ、この宮中に相応ふさわしい。素敵な名前を授けましょう」

 名前? ユウは戸惑とまどった。

「『柑菊姫かんぎくひ』。貴方の名前は柑菊姫かんぎくひ

 またしても菊。ユウには、そんなにも菊の印象が強いのか。将又はたまた、この宮中では、菊が特別に重宝ちょうほうされているか。

「では、この宮中を見てまわろう。僕が案内あんないするよ。祐丹姫ゆうたんひは下がっていいよ」

「はい。失礼いたしました」

 祐丹姫ゆうたんひはこの部屋を出た。これで、柑菊姫かんぎくひ辰巳たつみの一対一となった。

「安心して。僕はそんなに厳しくはないから。もっと気楽にいこ」

 辰巳たつみは、優しくほほ笑む。「さあ、行こう」と、ユウをうながし、部屋の外に出た。


「ここは庭間にわま。お庭だね」

 縮景園しゅくけいえんのような、わびさびのある庭園ていえんだ。しかし、広い。さっきの主の部屋よりも、広い。

「……広いですね」

「そう。いろんなものを飾ってるからね。僕、蹴鞠けまりが好きでさ。よく、男房なんぼうたちとやってるんだ。そのために、お庭の白いところを多く取っている」

「けまり……。私は、まりつき昔やってました」

「へぇ、そうなんだ。上手いの?」

「まあ、かなり上手い方でしたよ」

「じゃあ、今度、君に蹴鞠けまりを見てもらおうと思うんだけど、そのとき、柑菊姫かんぎくひのまりつきも見てみたいな」

 主は、間髪を入れずに返してくるから、困ってしまった。

「……あ、でも、今はあんまりやってないです」

「そうなんだ」

 辰巳たつみは、ちょっと落胆らくたんしてしまった。

 それと、とユウは辰巳たつみたずねた。

「さっきから、女房とか、ナンボウとかって言ってますけど、何なのですか?」

「僕の使用人だよ。女房は女の使用人で、男房は男の使用人」

「あー、なるほど」

「まさか、お嫁さんだとか思ってた?」

「い、いや、違います」

 ユウは、即座そくざに否定するが、実は思っていた。近隣きんりんのおじさんは、奥さんのことを「ウチの女房」と言っていた。

「さすがに、そんなにたくさんいないよ」

 辰巳たつみは笑った。ユウは、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

「中に入ってみよ」

 庭間に降りると、ジャリジャリと音が鳴った。

「周りには、松・竹・梅。大きな盆栽ぼんさいみたいなものだよ」

 すごい。正月によく見る、縁起物えんぎもの三拍子さんびょうし。ずっしりとかたかまえる、松。生き生きとまっすぐに伸びている、竹。しぶい松竹の色味に、あかい華を咲かせている紅梅。厳しい環境の中で強くある、この三拍子の植物。日本人のわびとさび。心の強さを、渋く美しく象徴している。素敵だ。

「こっちの池にはかめがいるよ。つるはいないけど」

 これもまた、大きめな池だ。そこには小さな亀が数匹。のびのびと泳いでいた。

「鯉はいないんですね」

「鯉は、ここの下にたっくさんいるから」

 だんだん、いとおしくなっていく小さな亀たち。みんなでたむろって、じゃれあっている。なんとも、微笑ほほえましく、いとおしい。

 ユウも幼いとき、男子たちが空き地でごっこ遊びをしているのをよく見た。二人の兄たちも、その一員だった。とても楽しそうに遊んでいた。遠い記憶にしか残っていないユウの父も、二人の兄たちも、今頃いまごろどうしているのだろうか。

柑菊姫かんぎくひめ

「はっ、はい」

「まだまだ、見てる?」

「……あと、もう少しだけ」

「うん、いいよ。好きなだけ見てるといいよ」

 辰巳たつみのその優しさに、ユウはさらに、沼の深いところに沈んでいく。これは、かなり危険だとさっした。ユウには、愛する人がいる。海人うみとに会いたいのだ。でも、会えないきりで、ここに来たのだ。主様は、そのことを分かっている? それとも、知らず? で、ここに連れてきた?

 どっちとも言えなくて、よく分からない。ユウは沼に落とされながらも、負けてしまわないように、る必要があると思った。海人うみとに会いたいためにもだ。



 

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