二、青と赤の世界、錦の國

 青空を泳ぐ。鯉は池を泳ぐように、空をスイスイと泳いでいた。不思議ふしぎなことに、広島の街は、気が付くと全く見えなくなっていた。わりに、空の青にかこまれていた。なんだか、青に飲み込まれてしまったみたいだ。濃淡のうたんのついた青。清々すがすがしい気持ちになれる。

 やがて、空の青に、波があらわれた。海のようにだ。

 どういうこと? ユウは思った。空は海へと変わったの?

 波は次第しだいに海流へと変わった。鯉の行先ゆくさきしめしているように。

 これは、海ではなく川だと、ユウは思った。だって鯉は淡水たんすいの魚なのだから。

 この流れは、激しさをましていった。鯉の泳ぐ速さも、どんどんスピードをしていく。

「うわわあ」

 ユウは、つい声が出てしまった。それくらい、迫力があった。白波が立つほどに、流れは強く激しくなっていく。ぎゅと鯉の祐丹姫ゆうたんひに強くつかまった。じゃないと振り落とされてしまう。

 そこに追い討ちをかけるように、今度はさからいの波が流れてきた。それでも、鯉は負けず、むしろさっきよりも、いきおいがしたような。そんな気がする。

「あっ」

 とユウは、またもや声をらした。これはもしや、鯉のぼりみたいなやつ? みたいだ。 あの中国の伝説のたきのぼり。そう思うと、ユウの心はあつえた。ユウの家も、兄が二人いて、端午たんご節句せっくには、鯉のぼりを上げていた。広島城は鯉城りじょうとも呼ばれるから、鯉には思い入れが強いのかもしれない。

 滝のような、激しい流れにも逆らい、いさましく泳ぐ鯉。波は、あざやかな青。見たことのないくらい鮮やかな青色をしている。そんな青を見ていると、なんだか目がくらんでくる。必死に開けようとこらえるも、ユウは、目を開けていられなくなった。

 

 パッと目を開けた。そのときには、もうすでに、目的地もくてきちいていたようだ。しかし、その世界は、異様いようだ。一面が、んだ青一色の世界。空も水面も一色の青色で、アクリルの絵の具で、塗ったみたいな、不透明ふとうめい感。まったくムラがない。極上に澄んだ、鮮やかな青色。くっきりと、目に飛び込んできて、ユウの身体からだも青く染まってしまいそうだ。

「ここが、にしきくに。ここのぬし様、錦ヶ屋にしきがや大瀬沼おおせぬま様が、貴方あなた様を美しいとお気にされて、ここに連れてきました。」

 ユウの目の前には、えるような赤い色の鳥居とりい。その奥には、またもや赤い、なんとも立派な宮殿きゅうでんらしき建物が。青一色の背景の対した、派手はでな赤色がアクセントとして、綺麗きれいえていた。

 きれい。厳島いつくしまの神社みたい。海の上に浮かぶ、鳥居とりい宮殿きゅうでん

 そして、錦ヶ屋にしきがや大瀬沼おおせぬま。苗字だろうか。長く立派な名前である。

「では、まいりましょう。わたくしの後についてきて下さい」

 祐丹姫ゆうたんひの後を歩き、鳥居の中をわたった。彼女は、小柄こがらな女の子だ。おそらく、ユウよりも少し年下の。それなのに、すごくしっかりとしている。上品な大人の女性のような、すごく落ち着きがある。

 この世界には、風というものが存在しないらしい。さっきからずっと、風の気配けはいがしない。なぎというものだ。朝と夕方の一時的な時間帯には、全く風が吹かない。だから、波もおだやか。海人うみとは、凪の穏やかな状態じょうたいこのまない。「なぎは本当になんもねぇから、退屈たいくつなんじゃ」と言っていた。

 そういえば、ユウと祐丹姫ゆうたんひの歩いている周りには、たくさんの赤い鯉たちが集まってきていた。皆が、同じ方向に向かって泳いでいる。この世界の様々なことにおどろいているうちに、玄関げんかんらしきところに着いた。中に入ると、受付うけつけがあり、女性が立っていた。

「あら、おかえりなさい、祐丹姫ゆうたんひ

「ただいま、波瑠果姫はるかひめ。お客様がおしになりましたよ」

「はい。お待ちしておりました。祐丹姫ゆうたんひ、引き続きお願い」

「もちろん。こちらへどうぞ」

 神殿に上がった。また、祐丹姫ゆうたんひの後ろをついていく。

「まずは、お着替えをしましょう。おし物がかなり汚れているので」

 広島にいたときに感じていた、痛み苦しみは、気づけば、なくなっていた。残っているのは、今は大きく豹変ひょうへんしてしまっている、元水色のモンペ。

「主様にもお見せするのですから、美しくドレスアップしましょう」

「……主様って?」

「大丈夫ですよ。気さくですごく優しい方なので。わたくしみたいな使用人にも優しくて、女房立ちからも人気。容貌ようぼうも、甘いマスクをお持ちになられていて、けてしまうように美しい方。まぼろしなのではないかと疑ってしまうほど。きっと、貴方あなた様も沼にけてしまいますよ。甘いチョコレートみたいなぬまに」

 すごく長々としゃべっている。主様という方は、余程よほどきれいな人なのだろう。

 衣装部屋らしき、着物などが多く収容しゅうようされていた。その着物というのが、どれもきらびやかな、高貴なものばかり。とてもユウの今までの日常とは、無縁むえんだ。そんな高貴な着物たちを見て、ユウはカチンと固まってしまった。今、目の前にある状況がうまく飲み込めない。

「どうぞ」

 ハッ! ユウは我に返った。祐丹姫ゆうたんひや、部屋の中で待っている二人の女房たちが、こちらを見ている。

「……ごめんなさい」

「大丈夫ですよ。さあ、こちらへ」

わたくしたちが、貴方様をより美しくしてみせましょう」

「主様の心をわしづかみにしてしまいましょ」

「お願いね。二人とも」

「もちろんです」

 女房たちは、ユウにぴったりだという着物を着せ、髪をくしかし、化粧けしょうほどこす。


「できあがりました」

 全身をうつす大きなかがみに、うつしだされた姿は、まるで別人のよう。天女の思わす、ドレスのような着物。菊の文様もんようあか色。おびは、快活かいかつな黄色。そこにも、菊の文様がある。全体的には、赤と黄色で秋の紅葉こうようのような色合いになった。華々はなばなしく、美しい姿。そんなユウの姿に、女房たちも皆、れしていた。

「素敵ですよ」

「ええ、お美しい」

「お似合いですよ。では、主様のところへご案内いたします」

 ついに、主という方との対面。女房たちがいうには、とても素敵な方らしい。でも、すごく不穏ふおんな感じがする。どんな人なんだろうか。


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