五、群青の中の満月

柑菊姫かんぎくひ様。お食事の時間です」

 良いタイミングだ。ちょうど、おなかがすいてきたころだ。

「はーい」


 主様のお部屋に行くと、食事の準備ができていた。個々で使う黒く四角しかくの小さな台。平安時代あたりの食事は、こんな感じだった気がする。

 この小さな四角の台は、円を書くように真ん中に空間を作って、囲っていた。円というよりも、八角形の形だ。ユウと辰巳たつみと使用人たちで囲って、食事をする。ユウは、目の前のおぼんにある料理を見て、固まっていた。

柑菊姫かんぎくひ。どうしたの?」

 となりに座っている辰巳たつみたずねるも、ユウは固まったままだ。何に驚いているのかというと、目の前にある料理に驚いている。ここは宮中であるから、料理が立派なものだということは、予想づいていた。けれどもやはり、ここに来るまでは質素しっそで、どこか物足ものたりなさを感じる食事ばかりの毎日だった、ユウには、神々しく感じた。

「……すごい」

「食べないの?」

 ぐぅぅぅぅ。ユウのいた腹がった。あわててお腹をかくし、辰巳たつみを向けた。とてもずかしそうに。

「ほら。早く食べな」

「……はい」

 赤面せきめんのユウは、せっせと一口。そして、目をキラキラとかがやかせた。

 美味おいしい。ここまで美味しいものを食べたのは、いつ頃だろうか。これを早く完食してしまうのは、もったいないから、一口をゆっくりんで、味わって食べる。それゆえに、皆よりも、食べる速さが一段と遅い。

 他の皆が、食べ終わっても、ユウはまだ食べていた。至福しふくげな顔で。困惑こんわくぎみの様子で、辰巳たつみは、それを見ていた。

「すごいゆっくり食べるんだね。柑菊姫かんぎくひ

「こんな美味しいご飯は、貴重ですからね。大切に食べないと」

 パクり。すごく美味しそうに食べている。

 すると、正面しょうめん障子しょうじひらき、二人の芸者の格好をした女房にょうぼうと、三味線を持った男房なんぼう。皆、みやびな着物をしている。

「今から、彼らにまい披露ひろうしてもらう」

「よろしいですか。錦ヶにしきが

 三味線の男房が、辰巳たつみに尋ねた。

「うん、いいよ。お願いします」

「では」

 男房は、三味線の音を鳴らす。すると、女房の二人はおどりを始める。うたが始まり、歌詞の言葉に合った動きをする。二人の動きは、なめらかでそろっている。手に持つ扇子せんすを、閉じたり、開いたり、ときには口にくわえたり、別の道具へと、変化したりする。華があって、素晴らしい。ユウは、食べるのを忘れて、舞を見入っていた。

 最後に、すわってお辞儀じぎをし、三味線の音も止むと、部屋中に拍手の音が響きわたった。ユウも夢中で手をたたいた。

 さ、かたつけましょうか。との声が聞こえた。ユウはハッとした。

「はよ、食べんと!」

 味わって食べるだなんて、無視むしし、急いで食べた。

あせらなくてもいいんだよ」

「だって、ぶち(すごく)遅れとるけぇ」

 慌てているせいか、ユウにみついていた、方言が出てしまっている。

「大切に食べないと、とか言ってたじゃん。さっき」

 もう、辰巳たつみの言葉にはこたえない。


 自分の部屋に戻ると、ごろんと畳の上に転がった。あー、楽だ。大の字になって、天井をぼーっと見ていた。昔、兄たちがよくやっていた。ユウもやってみたいと思ったが、女の子のユウがやるのは、あまり良くないと思い、なかなかできなかった。

 今は、一人だけの空間だから、人の目を気にする必要もない。


 群青ぐんじょうの青。昼間の澄んだ青とは変わって、深く暗い青となった。そして、主様も言っていた通り、空には、まんまるのお月様が、暗い群青の世界を、明るく照らしている。

 ユウは、寝巻ねまきとして、菊柄きくがら浴衣ゆかたを着ていた。色味は、昼間の着物の色調を暗く落とした色味になっている。臙脂色えんじいろの浴衣。帯は黄土色おうどいろ

 あの月の光を見ていると、いつの間にか片隅かたすみにいる存在になってしまっていた、大好きな笑顔。あたたかみのある、小麦色の顔。あれ以降、私の前に現れない。どこにいるかも、わからない。やっぱり、彼に会いたい。あふれる想いが詰まった、あたたかなしずくが、肌を伝った。全く、忘れられなくなってしまった。会えないまま、ここに来てしまったから。もう、会うことなんて、ないのかな。

 ずっとずっとここにいて、綺麗きれいはなやかな生活を送って、一人で畳に寝っ転がることもできて、不自由なことも、少ないだろうか。主様も、使用人たちも、良い人たち。皆、容姿も美しい。心地の良い空間。まさに、夢のような暮らしが、ずっと永遠に続く。ユウが、ひそかに憧れていたような世界である。

 でも、意外と歓迎かんげいの気持ちは、そう多くはなかった。なにかが物足ものたりないような、どこか違うような。そんな思いがどこかにあった。

 コン、コン。誰かがきた。

「失礼します」 

 主様だ。戸が開き、主様の顔がのぞいた。途端とたんにユウの心臓も高鳴たかなった。

 え、そんな。まって、まって。そんなこと。

 ユウは、自分でもよく分からなくて、戸惑とまどった。

 さっきまで、強く想っていたことも、激しくかきぜられて、よくわからなくなってくる。

 主様が横に座った。ふわっとやってくる彼の優しさが、さらにユウを混乱に落とし入れる。

「やっぱり、美しい。君の、その清楚せいそな顔立ち。浴衣も似合うね」

 そういう、辰巳たつみも、藍色あいいろしぶき浴衣をしている。品のある着こなしをしているが、浴衣は直衣のうしよりもずっと薄くて、ずっと肌身を感じる。色気もよりムンムンと感じる。

「君をここに連れてきて大正解だったよ。すごく楽しそうだったし」

 こらえろ。こらえろ。ユウは、自分の高鳴る心臓に、何度も命じる。私には、愛する人。大好きな人がいるのだ。堪えろ。月を見上げる。

「でも、柑菊姫かんぎくひ。君の方は、急にここに連れてこられたけれど。大丈夫そう?」

「……はい。どこもすごくきれいでした。こういう和の感じ、好きです」

「それはよかった。明日は、庭間にわまで、趣味の蹴鞠けまりをやろうと思うから、よかったら見ててよ」

 と、立ち上がった。

「おやすみ」

 そう言って、辰巳たつみは部屋を後にした。

 ユウは、もう一度、月を見上げた。

 会いたいけれど、会えない。どうしたら会えるのか、わからない。ただ、そうやって悩んで、強敵の猛攻もうこうに踏ん張ってばかりで、そんな日々が、永遠と続くのであれば、身も心も持たないだろう。どこかに、突破口とっぱこうとかはないのだろうか。

 

 

 

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