六、鞠あそび

 障子しょうじを開ければ、息をむほどの、んだあざやかな青が飛び込んでくる。夜に抱えていたモヤは、不思議なことに、なくなっていた。空をスーっとけ抜ける雲のように。モヤは過ぎ去っていた。

「いつ見てもきれい。このスッキリするような、青色」

 ユウは、声に出して、つぶやいてみた。本当に、いつまでも、永遠にひたっていられる。それくらい綺麗きれいだ。

 縁側えんがわの、すぐしたにある、波のない水。その中には、鯉が泳いでいるのだ。真っ赤な鯉。紅白や、黒も入った、豪華ごうかな鯉もいる。錦という名に相応ふさわしく、優雅ゆうがに、気持ち良さそうに、泳いでいた。それを見ているユウは、気持ちが和やかになってくる。のどかだなぁ。

 ……。過ぎ去ったはずのモヤが、実はまだ残っていたみたいだ。復活ふっかつしたのか。人の心の天気には、快晴かいせいというものがないみたいだ。青空は見えていても、必ずどこかには雲があって、頑固がんことどまっているんだ。そして、数日もあれば雨になる。かみなりともなうような、大雨になる可能性も大きいのだ。それは、梅雨つゆの天気みたいだ。全然ぜんぜん晴れないくせに、雨ばっかり降る。ばりスゴい大雨にもなって、怖い雷。稲光いなびかりが走って、激しく光って、どエライ音が鳴り響く。その時は、昼の時間帯であっても、薄暗うすぐらくなっているから、その中で鳴り響く雷は、すごく怖い。家にいれば、布団にくるまいたくなってしまう。

 天気予報なんてのは、ウソばっかりつく。ちっともアテにならない。

「失礼します」

 お、その声は、祐丹姫ゆうたんひだ。朝ごはんの時間か。

「おはようございます。柑菊姫かんぎくひ様」

 祐丹姫ゆうたんひには、ずっしりとした、貫禄かんろくがある。言葉の一文字、一文字を丁寧ていねいに話しているから、あの幼い見た目だけれども、実は四十とか、五十とか、それぐらいの年齢なんじゃないかと、ユウはつくづく思う。

「お食事の準備じゅんびととのいました。まずは身支度みじたくのために、衣装部屋にいらしてください」

「あ、そっか」

 確かに、寝起ねおきの状態のまま、皆に顔を合わすわけにはいかない。

「はーい」

 ユウは返事をして、衣装部屋に向かった。

 


「わあ」

 身支度を済ませ、昼間の着物ドレスに着替えたユウは、またしても、立派な料理たちを前に、ぱあっと、笑顔が開花する。

「おはよう、柑菊姫かんぎくひ

 辰巳たつみが、さわやかな声で言った。

「あ……おはようございます」

 ユウは顔を上げて、挨拶あいさつを返すも、すぐに下げる。

 やはり、ずっと彼のことを見ていたら、取り返しのつかないことになってしまいそう。すごくさわやかで美しいけれど、それゆえに、恐ろしさもある。引っ張られすぎないように、深く深くへ進んでいかないように。

 料理の方を向くと、ピンと張っていた緊張きんちょうも、ゆるっと落ち着いた。

いしんぼうだな。柑菊姫かんぎくひは」

 それだけは言われたくなかった。いしんぼう。なんだか、太った男の子みたいなイメージがあって、あんまりいやだ。でも、まさにユウは、その食いしん坊である。どうも言えなかった。

「おはようございます。錦ヶにしきが様、柑菊姫かんぎくひ様」

 女房にょうぼうの方が、挨拶にやってきた。

「おはよう、朱華姫はねずひめ

「おはようございます」

 ならって、他の使用人たちも、次々に挨拶をする。

 ユウは、早く食べたいと思いながらも、彼らに挨拶を返した。

 

「ごちそうさまでした」

 朝食を食べ終えて、手を合わした。

「もう少ししたら、蹴鞠けまりに行こう。柑菊姫かんぎくひ

「楽しみ。蹴鞠けまりじかにみるのは初めてです。突くのは得意だったけれど」

 辰巳たつみはにっこりと微笑ほほえんで、

「じゃあ、柑菊姫かんぎくひ鞠突まりつきも、できるんだったら、見てみたいよ」

「できるんだったら、やってみたいです」

「でも、まずは蹴鞠けまりからですね。見る方も面白いですよ」

 祐丹姫ゆうたんひが口をはさんだ。

「もちろん」

 主様は、やはり運動の能力も優れているのだろうか。


「主様、変わらずお上手じょうずですね」

 女房たちがいている。広い広い庭間にわまでは、蹴鞠けまりが行われていた。辰巳たつみ男房なんぼうたちの、計八人で、円になり。まりを高くり上げ、他の相手に渡す。まりり上げるたびに響く、軽快けいかいな音が、一層、楽しさ増加させる。

「いくよ!」

 主様が、安定したパスを送ると、男房は綺麗きれいに受け取り、タン、タン、と、蹴り上げる。そして、パスを送る。そして、次の男房が受け取って、優雅ゆうがに蹴り上げる。最も上手さが光るのは、もちろん主様だ。運動能力も優れていた。でも、他の男房たちも、おとっていない。

 ある男房が、力を入れすぎて、それまでたもてていたつなぎが途切とぎれてしまった。ボールは、円から外れ、遠くの方まで行ってしまった。

「あー惜しい」

 主様は言った。

「申し訳ないです」

 男房は謝った。

「謝ることなんてないよ。だいぶ続いたし。次、次」

 何と心の優しい。前向きな方だ。ユウは見ていて感動したが、れてしまわないように、えるので精一杯せいいっぱいだった。

「悪いな。茜之彦あかねのひこ

 くわえ、まりを取りにいた男房にねぎらいの一言。ユウは、プルプルとこぶしを握って、こらえている。まるで、鉄棒から落ちてしまわないように、グッと堪えて、何とか耐えているみたいに。

 鞠を取ってきた男房の蹴りから、再会された。一回。スパンとたれた流れは、すぐに戻ったようだ。安定を取り戻した。やっぱり主様が一番上手い。

「主様の鞠は、安定していていいわね」

「ホント、お上手」

 女房たちからの評判も、すごく高いものだった。

 いくつか鞠を回して、主様のところへ来たとき、主様は鞠を両手で受け止めて、蹴鞠けまりは終了したみたいだ。

 鞠を手にし、辰巳たつみはユウの方を向いた。

柑菊姫かんぎくひ鞠突まりつきやる?」

 と、遠くの位置から鞠をかかげて聞いてきた。

「はい、やります!」

 ユウは手を上げて、庭間にわまに降りた。辰巳たつみから鞠を受け取った。

 鞠突きをやっていて、上手いと近所の子供たちの間で話題となったのは、かなり昔。歳の数字も、まだ二桁ふたけたたないくらいの頃。あれからもう、十年弱がっている。当時のその腕前は、いまだに残っているのだろうか。しかも、今は和装だから、洋服よりも、動きにくい。それに、皆からの注目を集めているので、その圧がすごい。

 ユウは、鞠を突いた。この鞠は、軽くてはずみやすい。何回か突いたあと、歌を歌い始めた。有名な、鞠突きの歌。歌に合わせて、鞠を突く。特定のフレーズのところで足を上げて、鞠をくぐらす。当時と変わらない腕前が残っていた。

 うれしかった。これで、家族や近所の子供たちなどから称賛しょうさんを受けていたのだ。

 最後のところで、鞠をスカートの中に隠して、終わり。

 すると、拍手喝采はくしゅかっさいの音が聞こえた。四方八方から、あの時のような称賛の声も聞こえてきた。こんなに、皆から賛美をもらえたのは、久々だ。

「すごいよ。柑菊姫かんぎくひ

 主様からも、賛美の一言をもらい、嬉しいの極みだ。

「僕もやってみてもいい?」

「いいですよ」

 ユウは辰巳たつみに、鞠を渡した。手拍子をして、歌を歌い、辰巳たつみの鞠突きを見ていた。さすがだ。ある程度はできていた。

 

 

 

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る