七、思い出の海人の歌

 鞠遊まりあそびを終えて、間食をました後の、午後の時間。辰巳たつみの部屋にて、皆が集っていた。

 皆に、紙がくばられた。たてに長い、長方形の紙。俳句を書くときに使う、紙のようだ。紙というよりも、しろいたと言った方が良いか。板を手に持つ。これから、歌でもむのだろう。

「歌ですか?」

 ユウの隣に座る、祐丹姫ゆうたんひは言った。

「もちろん。だから、この紙を配ってもらったの。暁代姫あきよひめには、すみってもらっているから」

 辰巳たつみは言った。その近くで、女房が墨をっている。

「なるほど」

 その女房が手を止めた。

丁度ちょうどり終わりましたよ」

「丁度良いところだね。ありがとう、暁代姫あきよひめ

 辰巳たつみは、女房にお礼を言う。それを見たユウは、きゅんとなった。れてしまってはいけない立場だというくせに、素敵なところばかりに目が行ってしまうのが、厄介やっかいな悩みごとだ。

「この墨を皆に回すから、好きな歌や、即興そっきょうで詠んだ歌でも良いから、その短冊たんざくに書いてって」

 辰巳たつみがそういうと、皆は、ざわついた。自信ありげの者から、自信のない者。様々だ。

「歌……、和歌のことだよね」

 ユウは、祐丹姫ゆうたんひたずねた。

「はい。そうでしょう。万葉集まんようしゅうや、古琴和歌集こきんわかしゅうなどにあるような歌」

 祐丹姫ゆうたんひは答えた。

柑菊姫かんぎくひも、よかったらやってみて」

 と辰巳たつみは、ユウに言った。ユウは、腕を組んで、天井てんじょうを見上げる。

「うーん、短歌は、けっこう読んできたけど、よく思い出せない」

 頭の中に眠っているはずの、過去に何度もかえし読んでおぼえようとした、古典こてん和歌集わかしゅうの短歌をり起こそうと、奮闘ふんとうしている。でも、ちらりと、一部分は出てくるものの、はっきりとは出てこない。

「出てこなければ、新しくんでも良いとおっしゃっていましたよ」

 それもひとつの手である。しかし、ユウはどうしても、どうにか思い出して、書きたいのだ。

 使用人たちが、次々に思いついた歌を書いて発表をした。その中には、知っている歌も多くて、ハッとさせられるたびに、ちょっぴり悔しくなる。そして、余計に思い浮かばない。

 女房たちを中心に、恋の歌が多い印象があった。

「いとせめて こいしきときは むばたまの よるの衣を かへ()してぞきる」

 小野小町おののこまちの歌だ。恋しくてたまらない時は、布団がわりにしている着物のを裏返しにして寝よう、とか言う意味の歌。

「うたたねに 恋しき人を みてしより 夢てふ()ものは たのみそめてき」

 これも、小野小町おののこまちの歌。うたた寝で、恋しい人の夢を見てからは、はかない夢をたよりに、想い始めた。などの意味の歌。またもや、小町こまちのロマンチックな夢系ゆめけいの恋の歌である。小町こまちの歌にはけっこう多い。ユウも小町こまちの夢系の恋の歌が好きだ。一時期、小町こまち感化かんかされ、歌と同じようなことを思っていた。小町でなくとも、共感できる歌が好きだった。ユウの恋人である、海人かいとや、兵隊へいたいとなって、どこかで戦っている、家族に対してだ。寝るときに、これらの歌を思い出していた。おそらく、小町と同じような思いで眠りについていた。

 宮中でも、小町こまちは人気らしい。何度なんども、小町こまちの歌が出てきた。さすがは、絶世ぜっせいの美女。古琴和歌集の中でも代表的な六人である、六歌仙ろっかせんの一人である。

 ユウは、必死に思い出そうと記憶をめぐらせるも、思い浮かばないまま、順番が回ってきてしまった。もうちょっと時間が欲しいと、祐丹姫ゆうたんひに先に発表してもらった。

しのぶれど いろいろにけり こいは ものおもふ()と ひとふ()まで」

 百人一首ひゃくにんいっしゅにある歌だ。

平兼盛たいらのかねもりの歌です。人に知られないようにしのんでいたけれど、ついに表情に出てしまった。物思いでもしているのかと、他の人に尋ねられるほどに、という意味です」

 何だか、チクリとむねされたような感じがした。これは、あまり目をつけたことがなかった。そんな意味だったんだな。

「次こそ柑菊姫かんぎくひだけれど、大丈夫そう?」

 辰巳たつみが気にかける。

 でも、ユウはハッキリと、歌が浮かんだ。祐丹姫ゆうたんひの出した歌によって、ふっと降りてきたのだと思う。

 思い出したのだ。海人うみとが、自分の歌だと言った、思い出の歌。

『浜辺より 我が打ち行かば 海辺より 迎へも来ぬか 海人の釣舟』

 どうして、忘れてしまったのだろうか。愛する人との思い出が詰まっている歌なのに。正確には違って、大伴家持おおとものやかもちの歌だ。でも、海人うみとは、自分の歌だと言った。名前と同じ二文字が入っているからだろう。

浜辺はまべより、かば、海辺うみべより、むかえもぬか、…海人あまの、つりぶね

 辰巳たつみは、ニコッと微笑ほほえんだ。

大伴家持おおとものやかもちの歌だね。海が好きなの?」

「はい、もとは海に近いところに住んでいたので」

 広島市の中でも、海が近くにある地域に住んでいた。海人うみと二人で、よく一緒に海を見て、いろいろ話していたものだ。

 心が揺らいだ。さっき、刺されたときに生まれた、傷がうずいたのだろう。あれは、チクリではなくて、グサリだったか。傷がうずいて、いろいろなところが揺らいでいく。それが苦しくて、とりあえずこの場から、離れたいと思った。一人になりたい。

 今は、他の人の番になって、皆そちらの方に目が行っている。その目をぬすんで、障子しょうじの方へと下がっていく。そして、自然な感じに障子を開け、部屋の外へと出た。

 あふれでてくる涙をぬぐい、早足はやあしで、自分の部屋へと歩いた。過去の思い出が次々にあふれでる。

 

『浜辺より 我が打ち行かば 海辺より 迎えも来ぬか 海人の釣舟』

「これ、わしの和歌じゃのぉ」

 まだまだ、成熟せいじゅくしきっていない、四月の終わりぐらいの若葉わかばのような声でそう言った。その丸みをびた、ウサギのような可愛らしい顔。元気いっぱいの子の証である、小麦色の肌。そんな彼の無邪気な顔は、反則級はんそくきゅうに愛くるしいのだ。

 それでいて、力強い、男らしいところもあり、活発な男の子である。

「これは、大伴家持おおとものやかもちの歌だよ」

「いいや! これはわしの歌じゃ。海人うみとって書いておるもん」

 完全に、作者の名前が書いてあるので、否定のしようもない。けれども、力尽《ちくで無理くりに押し切ろうとしているみたいだ。

「あー、作者っつうより、この歌自体がわしのもんって感じじゃのぉ」

 あんまりよく分からないが、雰囲気ふんいきはつかめた気がする。

浜辺はまべより、かば、海辺うみべより、むかえもぬか、ウミトの釣舟つりぶね

 彼は、『海人あまの釣舟』の『海人』のところを、自分の名前である「ウミト」と言った。

 ユウが訂正ていせいを言っても、「いいや!」と否定するだろうから、だまっていた。

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