十、お箏の稽古

 朝食を済ませた後。ユウと辰巳たつみ。それから、祐丹姫ゆうたんひで、楽間がくまに行った。宮中の中でも、珍しい部屋であった。歌舞伎かぶきでも、行われているような舞台ぶたい。ここの部屋だけ、江戸時代な感じがある。他の部屋は、平安時代なものが多い。この、ぬくもりのある、ヒノキの匂い。本当に、森の中にいるみたい。舞台ぶたいの真ん中には、おことが置いてあった。

「わぁ、おことだ」

 おことの側にいる女房は、最初の演奏えんそうの時にもおことを弾いていた、凄腕すごうでを持つ方である。彼女に、今日はおことを教えてもらうのだ。

「よろしく、千両姫せんりょうひめ

 辰巳は、女房に挨拶をした。

「はい。任せてください」

 彼女は、自信満々じしんまんまんに言った。活力かつりょくあふれていて、たのもしい方だ。

「では、始めますね」

「じゃあ、僕は部屋に戻るね」

 そう言って、辰巳は、楽間がくまを後にした。今日は、主様と一緒ではないみたいだ。

「よろしくお願いします」

 ユウは、講師こうしの女房に言った。

「では、まず、この楽器の簡単な紹介から」

 彼女による、おこと講座こうざが始まった。

「この楽器は、そうと言って、多分よく見るであろう、きんの方とは、別の楽器です」

「おことじゃなくて?」

「一般的には、ことと読みますが、きんの方もことと呼ぶし、違いをつけるために、そうと呼びますね」

「はい」

「では、弾いてみましょう。祐丹姫ゆうたんひちゃん、つめを」

「わかりました」

 ユウの右の、親指おやゆび人差ひとさゆび中指なかゆびの三本の指に、先のとがったつめがつけられた。

違和感いわかんとか、ないですか?」

 女房が尋ねた。

「はい。ないです」

 この三本の指に、ピッタリと合っていた。

「それでは、まず、上から全部のげんをなぞってみてください」

 言われた通りに、上から下まで、なぞるようにして、弾いてみた。

 タラララ、ララ、ララ。

 ちょっと、ぎこちなかったが、華麗かれいな音が、かなでられた。面白おもしろい。と思った。もう一回。

 タラララ、ララララ。

「さっきよりも、お上手ですよ。では、曲の方へ」

 女房は、着物の中にしまっていた、紙を取り出した。おこと楽譜がくふの紙らしい。楽曲は、ユウも歌ったことのある、簡単なサクラの歌だ。

「この歌は、おことを習いたての、初心者の定番ていばんの曲です。一部分を弾いてみましょう」

 頭の部分だ。

「せっかくの機会きかいですので、主様の前で、披露ひろうしましょうか」

 祐丹姫ゆうたんひが言う。

「えーっ!」

「だったら、皆の前でやりましょう」

「そうですね」

 勝手に女房たちの間で、話が進められている。ちょっと待って。聞いてないよ。でも、練習するからには、披露ひろうはするものか。一気にプレッシャーがかかる。

 気持ちがえてしまったユウに、講師こうしの女房は笑った。

「大丈夫。簡単なやつなので、マシな程度ていどにはできるようになると思います。では、早速」

 実際の練習が始まった。さすがは、プロの腕前うでまえなだけあって、教えるのも上手じょうずだ。しかも、イチのところから、わかりやすく丁寧ていねいに教えてくれた。弾いている曲の、はずむようなリズムが覚えやすいものだし、おことの音色も綺麗きれいだから、弾いていて、楽しい。

 弾き始めて、思っていたよりも早く、だいたい良いところまで、上達じょうたつした。

 女房の二人からも、「センスがありますね」「すごいです」と大絶賛だいぜっさん

「早くも、皆に見せますか?」

「い、いいえ。まだ、練習したいです」

 早く上達してしまうと、披露ひろうする時も、前倒まえだおしでやってきてしまう。もうちょっと、おなべのように、コトコトとじっくり煮込にこみたい派だ。

 

 緊張の時。ついに来てしまった。緊張でえっぱなしだ。

「そんな、ガチガチにならなくっても良いのですよ。すごくお上手じょうずになりましたから」

「頑張ってくださいね。柑菊姫かんぎくひ様」

 二人に後押しされるも、緊張というか、羞恥心しゅうちしんに近い気持ちがいてくる。でも、これはやらなきゃいけないやつらしい。


 皆が見ている前で、おことだけを見て、演奏を始めた。早く終わりたい気持ちを抑えて、ゆっくり丁寧に弾く。

 演奏が終わると、おことから顔を上げる。拍手はくしゅった。緊張と羞恥しゅうちの気持ちが混ざっているが、おことを弾くのは楽しかった。まあ、結果はよろしいというところか。

「素晴らしかったよ。前から、おこととかって、弾いたことあるの?」

 主様は言った。

「いえ、今回で、初めて弾きました」

「なのに、この出来できはすごいよ。才能さいのうがあるんだね」

 才能。そう言ってもらえるのは、もちろんうれしい。

「でも、すごく、丁寧ていねいに教えて下さったんです」

 すごく尊敬する。

「そりゃあ、千両姫せんりょうひめは、宮中でもトップの腕を持っていんだもん。他の人に教えるのも上手だし」

「主様にそう言ってもらえるなんて、光栄こうえいです」

 彼女は、満足まんぞくげな表情でいた。そんな彼女の表情に、主様も微笑ほほえんだ。その主様に、ユウはさらにふかぬまへとしずんでいく。


 このままじゃ、本当にまずい。まさに、今が勝負時しょうぶどきである。ここで、勝つか負けるかで、ユウの運命は、大きく左右さゆうされる。ずっと、このまま宮中にいるか、それとも、別の道に動くか。このまま、宮中にいては、海人うみとには、絶対に会えないだろうから。

 それは……、絶対にいやだ。


 海人とは、ただの恋人っていうだけの関係ではないのだ。彼には、母の、家族の愛情も、詰まっているのだ。


 ユウは、引っ込み事案じあんな女の子だ。人見ひとみりで、母や兄の後ろによくかくれた。末っ子だということもあってか、家族からは、とても愛される存在だった。

「ユウ、兄ちゃんはな、大きくなったらのぉ、立派な海兵さんになるんじゃ」

「わしも、大きくなったら、強い海兵さんになるんじゃ」

 二人の兄たちは、ずっと昔から、幼いユウに対して、そう言っていた。

「んで、ぶちデッカい軍艦ぐんかんに乗ってのぉ、てき発見はっけんしたら…」

「ドーン、ドーン! て大砲たいほうをぶっぱなす」

「敵国なんて、わしら日本がコテンパンにする!」

「そうじゃ、コテンパン」

 楽しそうに夢を語る、兄たちを、ユウも楽しく聞いていた。

 ちなみに、ユウの父は、ユウが生まれてすぐに、海軍へ行った。だから、ユウに父の記憶はない。母や兄たちが、父のことをよく話していたので、存在自体は知っていた。

 その、父の背中を追うように、長男が海軍へと巣立って行った。それを追って次男も、海軍へ

と入った。巣立つ直前の、兄二人の姿は、凛々しきものだった。

「お母さん、タケル、ユウ。行ってきます。お国のため、天皇てんのう陛下へいかのため。命をして、たたかってまいります」

「お母さん、ユウ。行って参ります。お国の勝利のため。お父さんやお兄ちゃんのように、強く懸命けんめいに、戦います」

 敬礼けいれいをする、二人の姿は、すごくカッコいい。まだ、小さな子供ながらに、そう思った。



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