九、夢の中の、神様のお告げ

「……失礼します」

 勝手かってに出ていった身なので、ちょっと気まずい思いがあった。心臓をビクビクさせながら、お部屋に入った。

 主様は、数が少なくなった使用人たちとお話をされていた。歌のやつは終わったらしい。

「おかえり。柑菊姫かんぎくひ

 その一言だけだった。意外とあっさり。でも、その一言がすっごくあたたかかった。冬のこおりつくほどに冷えたときに飲む、お味噌汁みそしるみたいな。すっごくポカポカする。

 皆が集まっているところに、近づく。でも、一番、後ろの方に座った。

柑菊姫かんぎくひ。こちらに来てもいいよ」

 主様は、すぐに声をかけてくださった。使用人たちのユウを見る目も、ゆるくて、あたたかなものだった。安心したユウも、すぐさま、主様のそばに座った。ちょっと、罪悪感ざいあくかんみたいなものも生まれたが。


 浴衣姿で、今日も変わらずまんまるに光る、お月を見上げている。ユウの想いは、変わらない。変わることのない想いが、石みたいにカチコチで、重たくなる。それがユウを苦しめる。ずっとずっと、こんな苦しい思いを抱えたまま、ずっと、このままが続くのか。きっつい。

 コン、コン。

「失礼します」

 主様だ。瞳だけでなくて、声までもが、糸針いとばりのように細くするどい。

柑菊姫かんぎくひ

 細く鋭い、糸針いとばりのような声で、急に明るく言うのは、意外すぎて、地味じみおどろいてしまう。この驚きが、すごく危ないことになる前ぶれのような気がして、緊張きんちょう感が高まる。たたかいだ。闘いが始まる。ユウは身構みがまえる。

 辰巳たつみはユウのすぐとなりに座った。

「昼間、大丈夫だった?」

「……はい。すみません、勝手に抜けてしまって」

「気にしないで、もう君の番は終わっていたし、何かしらの事情があったんだと思うから。しつこくとがめたりなんてしないから、安心して」

 ……。ち、近い。とつとして、主様のクールな美しきお顔が、目と鼻の先に! 近すぎる!

「そうだ、明日は楽間がくまに行きましょう。おことを実際にいて見ましょうか」

 そして距離を離すと、

きばらしには、良いかも」

 とほがらかに言った。

 ユウは、プルプルと固まっていた。

「お邪魔じゃましました。また、明日ね」

 辰巳たつみは部屋を出た。

 バタン! 

 ユウは倒れた。あまりにも、突然なことだったから、スナイパーにでも、かれたかのようだ。

 ダメだ。ダメだ。私には、何よりも大好きな、愛する人がいるのだから。負けるな、負けるな。負けてしまったら、私が、私では、なくなってしまうような気がした。私ではない、何かに変わってしまうような。だから、なんとしても、闘い抜かないと。

 ユウは、起き上がった。つんいになって布団ふとんの方へ移動いどうする。布団代わりの着物を裏返うらがえして、とこいた。頭はウトウトしているから、ぐっすり眠りそうだけれど、これから眠るっていう時に、楽しかった記憶きおくや、空想くうそうやらが浮かんできて、それにひたっていると、結局けっきょく全然ぜんぜんねむれなくなる。

 眠れない時は、数を数えるといいよ。と言われたので、目を閉じながら数を数えるが、数えている最中さいちゅうに、別のことが浮かんできて、それにとらわれてしまって、しに戻ってしまう。寝るのにさえも、一苦労が、かかってしまうのだ。


「ウミちゃん、海に行こうよ!」

 珍しく、ユウの方から海人うみとさそった。

「ん? ええよ」

 そのとき、ピカッ、と強い閃光せんこうが走り、視界をさえぎられた。ドーン、とすさまじい爆烈ばくれつの音が、辺り一面に、とどろいた。

 しばらくは、目を開けられなかった。

 目を開けると、そこに、海人うみとの姿はなかった。

 それどころか、違う世界に来てしまったみたいだ。

 意味が分からなかった。

「水……水……水を」

 全身がまるげになって、衣服も、全てがボロボロになっている、人たち。ひどい姿の人たちが、「水……水……」と言いながら、こちらにやってくる。まるで、妖怪ようかいだ。

 恐ろしいと思ったユウは、走って逃げた。しかし、当然、彼らは追いかけてくる。「水……水……」と言いながら。

 ユウは、必死に走っている。無我夢中でだ。だが、ふと正面を向くと、そこにはまた、たくさんのボロボロの人たちが。はさちの状態じょうたいとなってしまった。

「水……水……水を」「水をくれぇ」

 絶望ぜつぼうして、立ち止まっていると、背後はいごから、つよいきおいでたおされた。


「ユウちゃん」


 気がつけば、目の前には、一人の女性が立っていた。綺麗きれいな夜空の中にいた。背の高くて、美しい女性だった。

「どうして、逃げているのですか?」

 彼女は、たずねた。

 逃げている? 私が。

「逃げてばかりていても、何も突破とっぱすることは、できません」

 彼女の口調は、おだやかながら、きびしさもあった。

「力なら、十分にそなわっている。あとは、“貴方あなたの、ハッキリとしたおもい”。貴方あなたはこれから、どうしていきたいのですか。何をのぞんでいるのですか。それを明確めいかくにし、行けば、きっとこの先の運命は、変わってくるでしょう」

 言葉が終わるなり、彼女はきびすを返して、夜空の中へと去っていく。

 ユウは、何だか、ものすごく惜しい気持ちになった。

「あ、ちょっと、まって!」

 しかし、彼女は止まらない。やがて、星々ほしぼしのまたたく、やみの中へと、姿を消していった。ユウは、一人、その場に取り残されてしまった。

『逃げてばかりいても、何も突破とっぱすることは、できません』

『力なら、十分に備わ《そな》っている。あとは、貴方あなたの、ハッキリとした想い』

『貴方はこれから、どうしていきたいのですか』

 彼女の、重い一言、一言が、ユウの頭に、ずしんと伸し掛かる。

 何だろう。自分は、どうしていきたい? 望んでいるもの。答えは、最初っからあるはずなのに、なぜかぼんやりしている。だから、問わずにはいられない。それが、逃げている。ということなのだろうか。


柑菊姫かんぎくひ様」

 パッと、目を開けた。そこには、祐丹姫ゆうたんひの顔があった。

「おはようございます」

 祐丹姫ゆうたんひは、笑顔で言った。

「おはよう」

「お食事の準備が終わりましたよ」

「はーい。あ、そうだ」

「? どうしました?」

 ユウは、祐丹姫ゆうたんひに、まだ、うっすらと残っていた、夢のことを話した。あの、神秘的しんぴてきな、なぞの女性のことを。

 すると、ニコリと口もとを微笑ほほえませた。

「それは、おそらく、神様のおげというものでしょう」

「神様のお告げ」

「今は、柑菊姫かんぎくひ様のこれからにおいて、とても大事な局面きょくめんなのでしょう。そんな時に、神様に関する夢をみられるのだとか」

「そうなんだ」

「そのお告げは、大切になさってはどうでしょう」

「……そうだね。大切にする」

 まだ、覚えているのが、ハッキリさせること。負けないこと。立ち向かうこと。だったはず。それを大切に。今が、大事な局面。

 ユウは、ハッとして、すぐさま部屋を出た。早く、ご飯に行かなかれば!

 

 



 

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