外伝

七十年後の八月六日

 八月六日。あの日から、七十年もの長い年月が過ぎた。けれども、七十年前のことは、今でも忘れていない。シゲルは、今は亡き家族たちの写真が置かれている、お仏壇ぶつだんの前にて、手を会わせていた。これは、毎日の習慣しゅうかんである。それをませると、朝ご飯に向かう。シゲルは、今年で九十六。むらさきのちゃんちゃんこを、今の家族たちからプレゼントされてから、もう六年もつ。そんな高齢だから、不便ふべんなことも少なくないけれど、今は戦争もなく、幸せな日々が続いている。

「今日は、和子かずこたちが来る日じゃよ。りょうちゃんたちも」

 長女の幸子さちこが言った。娘たちも、還暦かんれきをとうに超えている。幸子さちこも、十数年前に夫を病気で亡くし、今は二人で住んでいる。

「もちろん、知っとるよ。わしのイチバンの楽しみじゃけんのぉ」

「それと、りょうちゃんとの電話で、風太ふうた君が学校の自由研究に、原爆のことを調べるから、お父さんの話を聞きたいてさ」

 ひ孫の風太ふうたは、小学六年生になる。もう、そんなに大きくなったのか。時の流れ早さに、驚いてばかりいる。

「原爆のことか……。まあ、ええか」

 あまり気が進まないが、我がひ孫のため、そして、今は亡き下の兄妹のためにも、話すことにした。今でもやまれる。特に、戦争の惨禍さんかによって、命を落とした弟、妹たちのことは。長男の自分がここまで、長生きすることができているのだから、二人が生きていたのなら、今も元気でいただろうに。二人が、新たな家庭をきづいていく姿とかも、見たかった。それが、本当に悔やまれる。

 軽くため息をついた。


「こんにちは!」

 時計とけいの針が、午後の一時を過ぎた頃。家のインターホンがなった。幸子さちこが迎えにいくと、玄関げんかんの方から、若く元気な、二つの声が聞こえた。彼らがきたのだ。シゲルも玄関へ向かう。

「あー、お父さん。変わらず元気そうだね」

 次女の和子かずこが言った。シゲルの孫に当たる、亮太郎りょうたろうの四人一家も連れてきた。

「皆、いらっしゃい」

 シゲルが言うと、子供たちは、くついで、家の中に上がった。

「あ、ひいおじいちゃん。よろしくね」

 いつの間にか大人になった、風太ふうたが言った。

「ああ。ええよ」

「お邪魔じゃまします」

 亮太郎りょうたろうとその妻のあいは、荷物にもつを手に持ち、幸子さちことシゲルに会釈えしゃくをした。

 皆を部屋にあげた。手土産として、もも和菓子わがしをいただいた。

「おまつりに行ったあとに食べよう」

 幸子さちこがそういうと、風太ふうたの二つ下である、長女の小白こはくは、喜んだ。小白こはくは桃が好きみたいだ。


 亡くなった家族や先祖せんぞ代々のお墓のある、菩提寺ぼだいじには、それぞれ車で行った。シゲルは、幸子さちこの運転でお寺に向かう。そして『鈴江すずえ之墓のはか』と書かれた、お墓と対面した。ひ孫の二人によって、お墓にお水がかれた。

 シゲルは、お墓の前で、手を合わせた。今は亡き、皆の顔を思い出す。共に軍艦ぐんかんに乗り、目の前でてき攻撃こうげきにやられてしまった、弟。まだ幼かった妹。けずってまで、まもきたかった妹をうしない、しばらくは絶望ぜつぼうれていたという母。

 シゲルが、ひさしぶりに家に帰ってきた時のこと。てき攻撃こうげきを受け、弟は致命傷ちめいしょうってすぐに亡くなり、自身も片足かたあしを失う大怪我おおけがった。その周りも、すさまじい状況じょうきょうになっていた。怖いとは思わなかった。暗示あんじがかっているからだろう。でも、悲しいとは、少し思った。訓練くんれんを共にした仲間。長い時間を共に過ごした仲間。自分の弟が。

 戦争が終わり、シゲルは家に戻った。心身しんしん共につかった状態であった。れない足取あしどりで、松葉杖まつばずえをついて。

 家には母だけがいて、妹の姿は無かった。妹は亡くなったと母は言った。シゲルは、父と弟は亡くなったと、母に伝えた。くずれる母の姿を絶対に忘れることはない。

 顔を上げて『鈴江すずえ家之墓』と書かれたお墓をじっと見ていた。

 

 おまいりを終えて、家に帰った。桃の和菓子が食べられるから、小白こはくかえぎわむねはずませ、スキップしていた。


 和菓子を食べた後、シゲルは縁側えんがわに座り、お庭をじっとながめていた。そこへ、風太ふうた小白こはくがやってきた。

「ひいおじいちゃん。お話いい?」

「……そうじゃな。わしはその時、くれの海軍の方にいた。でも、そっから見ても、ぶちすごいもんじゃったよ」

「原爆は、ここら辺にも影響があったの?」

「ここら辺も、爆風とかで、ものくずれたりとかはあったらしいけれど、中心部に比べたら大したこたぁない。街は一瞬で吹き飛び、原爆ドームみたいに、残った建物も壊滅的かいめつな状態。そこにいた人々も、皆亡くなった」

 風太ふうた小白こはくは、真剣しんけん面持おももちで聞いていた。風太ふうたは、時々メモを取っていた。

「わしの妹も、原爆によって亡くなったと」

「どんな状態だったとか……」

「わしは、直接は見とらんけれど、お母さんは会うことができて、見ていられないほどむごたらしい姿になっとったって」

 着ていたモンペも、その色が豹変ひょうへんするくらいに。

「その妹って、どんな人?」

「引っ込み事案じあんで、よくお母さんや兄ちゃんの後ろにかくれるような女の子。じゃけど、結構けっこう、器用じゃったよ。特に鞠突まりつきがぶち上手うまい」

「まりつき、学校でやったことあるよ。すごいむずかしかった」

「そうか。でも、妹は本当に上手うまくて、近所の皆が見にあつまるくらいにのぉ」

「えぇ!すごい」

 すると、シゲルは立ち上がり、四角しかくはこを取り出し、中を二人に見せた。

「これは、お母さんが大切にしてた物で、このボールのようなものが、まりじゃ。これでよく、歌を歌いながら、鞠突まりつきをしていた」

「わたしもやっていい?」

「ええよ」

 小白こはくは、妹がやっていた鞠突まりつきを、歌を歌いながらやった。でも、鞠を突くのはいいけれど、足を上げて、鞠を通すのが難しいらしく、そこのところで、いつも不安定になって、鞠をはじいてしまう。

「むずかしい」

 苦戦しているものの、鞠突きをしている小白こはくの姿は、当時の妹の姿とそっくりだ。年頃としごろも、背の高さも、だいたい同じくらい。だから、当時の彼女の姿が思い起こされる。

 小白こはくを見守る風太ふうたも、弟に見えてきて、もう八十年とか前の、家族のしあわせな風景が、シゲルの目の前に広がった。なつかしい気持ちが込み上げてきて、それとともに、さびしさも現れた。容赦ようしゃなくビリビリにやぶかれた、この幸せな風景。

 全然できなくてつまんないと、小白こはくは、鞠突きをやめた。そして、風太ふうたは質問をした。

「じゃあ、弟の方は」

「弟も海軍に入って、わしと同じ軍艦ぐんかんに乗って、戦っていたんじゃよ。そんである日、相手国あいてこく攻撃こうげきらって弟は亡くなり、わしも右足みぎあしうしなった」

「そうだったんだ。やっぱり、大変?」

「そりゃあ、大変じゃけれど、生きとるだけ、まだありがたい。家に帰ってお母さんに会えたからのぉ。もし、わしが死んどったら、二人も生まれとらんかったけぇのぉ」

 おどろいた表情をした二人に、シゲルは笑顔になった。

「じゃけぇ、生きていられるのはとてもありがたいことじゃ。戦争中は、お国のために死ぬことが、良いざまだと教えられてきたけれど、そんなこたぁない。生きとる方がずっとええ。死んだら、ただ死んだだけじゃ。何の名誉めいよもありゃせんよ」

 風太ふうたは、ノートにメモをとった。

「やっぱり、一番、やむのは妹の命じゃのぉ。わしや弟は戦争に行った身じゃけぇ、死んでもいたし方ない。じゃけど、……妹は、一番下で、歳もかなりはなれておったけぇ。妹とお母さんだけでも、生きびてしかった。それに、恋人もおったらしいし」

「こいびと!?」

 小白こはくは、恋人の話にすぐいついた。

「わしは見たこたぁないけど、兄二人が戦争にいって、一人になって。さびしくしていたから、お母さんが紹介したんじゃ」

「お母さんが?」

当時とうじは、子供の結婚けっこんは、親が決めるものじゃったけぇのぉ。でも、二人はすぐに仲良くなって、家族のような関係になったと。……でも、それも原爆によってこわされてしまった」

「恋人の方も、原爆で」

「ああ。当時、街の中心部では作業があって、皆が集まっていた。そこに、恋人の子も行ってね。原爆を直接、らったんじゃないかな。妹は、その時、家におったらしいけれど、恋人が心配で飛び出したんじゃろうな。くつかずに」

「それで、二人は会えたの?」

 風太ふうたが尋ねた。

「……会えとらんままかもしれん」

 シゲルは、しょんぼりと言った。風太ふうた小白こはくも心を痛めた。

「でも、きっとどっかであっていると思うよ」

 小白こはくは言った。

「そうかのぉ」

「うん。だって、そんなに大好きな仲だったらさ」

「まあ、七十年もっとれば、どこかに生まれ変わったとしても、おかしくはないだろうけど」

「きっとそうだよ」

 そんなふわふわしぎたことを言う妹に、風太ふうた唖然あぜんとしていた。

「……それで、戦争については、どう思う?」

「戦争は……、ただ人間のよくにくしみにまみれたもの。それで何をたものかと言えば、大きな悲しみやむなしさぐらいじゃろうのぉ。戦争が終わった後も、しばらくまずしい状況が続いて、結局、何じゃったんじゃろ」

「……じゃあ、うれしかったことは? 戦争が終わった後の」

「そりゃあ、カープができたことじゃな。戦後まもなく、できたカープじゃけど、つらくさびしい日々の、心のり所となった。できたばかりの頃は、貧乏びんぼうで、弱い球団じゃったけど、初めてカープが優勝した時は、本当に感動した。ここんとこはあまり勝てとらんけれど、勝ち続けようが、負け続けようが、選手たちが必死に頑張がんばっとる姿を見るだけで、わしも頑張がんばろうかと思える」

 風太ふうたは、安心した表情で、ノートにメモをする。

「昨日のピースナイターは見たか」

「うん、もちろん見たよ」

「あ、今日もナイターだっけ」

 小白こはく風太ふうたに尋ねた。

「確かそうだったよ」

「わー、みなきゃ。先発だれだっけ」

「ありがとう。ひいお爺ちゃん」

「皆にも伝えるんじゃよ」

「わかった」

 そう言って、風太ふうたも部屋を出た。シゲルも立ち上がった。


 家に帰ってすぐ、風太ふうたは自分の部屋に行き、スケッチブックを取り出した。メモを残したノート。鉛筆を持って、夏休みの宿題にかる。その顔は、キラキラとかがいていた。

 

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タスケの鯉。 桜野 叶う @kanacarp

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