第15話

一行は、房の扉が開くとすぐに永平房へと向かう。

白々とした朝日が眩しい。

「夜でなくても、大丈夫でしょうか?」

アスアドの言葉にユースィフはどうかな、と零した。

「でもまあ、行ってみる価値はあると思うぞ」

永平房は早朝である事を除いても、相変わらず活気がなくがらんとしている。

ユースィフは明明の言っていた事を思い出し、頭を捻った。

そもそも、なぜこんな場所に貴人が訪れたのか。

偶然と言って仕舞えばそれまでだが、不良師でもない普通の貴人が用のある場所とは思えない。

そう考えながら平安寺までの道を足早に歩く。

「おい、ユースィフ。いいかげん今から何が起こるのか、教えてくれてもいいんじゃないのか?」

ハーシムの言葉に、士英も頷いた。

「私もお聞きしたいですね」

「そうだなぁ」

ユースィフは歩きながら仲間をみやると、その口を開く。

「あの男の怪異は陸曄の魂の残滓だということは、皆もう見当がついているな?」

「ええまあ、それは」

ジュードが頷いた。

景興が絵の記憶を垣間見た100年前の悲恋の物語。

その主人公、陸曄の魂の残滓……成仏できずにこの世に留まっている魂と言い換えることもできるだろう。

彼は、ここ平安寺で斬首され、そのまま遺体は家には返されずこの寺に葬られた。

成仏できない彼の魂はここに留まり続け、やがて『怪異』を起こすようになる。

しばらくすると、ここ平安寺は「幽霊の出る寺」として人々から敬遠されるようになった。

困り果てた寺は、何人もの高僧や祈祷師など呼び怪異の終息に全力を注いだが、それらのどれもが失敗に終わる。

祓っても、成仏するよう祈っても、彼は悲しい顔でそこに居続けるだけ。

やがて、この寺には人が寄り付かなくなり、廃寺となった。

そうして、人が来なくなったこの寺の怪異は、しばらくして人々の記憶から忘れ去られていったのである。

100年の後、そこに現れたのが明明だ。

明明はその力と絵の技術を持って、再び怪異を注目さしめた。

「つまり……怪異の男ーー陸曄が成仏するのに、羊桂英の遺灰が必要ということなのですね?」

ジュードの言葉にユースィフは多分な、答えると言葉を続けた。

「陸曄がこの世を離れられない原因は、羊桂英だ」

自分の死後、羊桂英が幸せに暮らしていたとしたら、あるいは怪異は起こらなかったかもしれない。

しかし、自分の死後、後を追うように羊桂英も亡くなってしまった。

それも、最悪な形でーー。

陸曄はいかほど無念であったであろう。

羊桂英はその遺骸を周宗帝のゆかりの墓所に埋葬されることとなった。

死してもなお、二人は周宗帝によって引き裂かれてしまったのである。

「だから、陸曄が成仏するためには、羊桂英の遺灰を一緒にしてやることが必要だったのさーー」


平安寺は朝に来ても相変わらず寂れていた。

五人は門を通り、庭をぬけ、墓碑の前までやってきた。

「そもそも、明明がいなくても、あの男は現れるのでしょうか?」

ジュードはそう言って墓碑を見上げる。

「さあな。しかし、現れなきゃ終いだ」

ぶっきらぼうにそう言うハーシムを睨むと、ジュードは再び墓碑へと視線をやった。

「まあ、物は試しだ。やってみよう」

ユースィフは懐から羊桂英の遺灰を取り出すと、サラサラと墓碑に巻く。

一同はごくりと唾を飲むと、男が現れるのを待った。

「……出ませんね」

士英の言葉に一同がため息をつく。

「やっぱり、夜じゃないからでしょうか……」

「どうでしょう……」

と、次の瞬間、生温かい湿った風が五人の頬を撫で上げた。

「ーー来たか!」

朝にも関わらずどこからか雲が現れると、陽の光が翳りあたりはまるで食の時のように薄暗くなる。

ふわり、ふわりと「もや」がわだかまり、人の形を作ってゆく。

それは次第に『二人』の人影になると、ゆらゆらと五人の前に姿を表した。

今度はジュードたちの目にも『二人』の姿が見える。

二人はユースィフたちを見下ろすと、その口を開き、声にならない声をあげる。

「ーー何か言っているようですね」

「礼でも言ってるんじゃないのか?」

「いえ、違いますーー」

ジュードは注意深く、二人を観察する。

二人は悲しげな顔で一同を見つめると、女ーー羊桂英の口が閉じたり開いたりし何かを訴えかけた。

「何かを言っていますが……私には堯語がわからない」

「なんだよ、まだ何かあるって言うのかーー」

ハーシムが頭を掻きむしると、再び羊桂英は口を開く。

尭語と聞いて、今度は士英が注意深く羊桂英の口元を見た。

「か」

「ん」

「ざ」

「し」

「ーー簪?」

士英がそう繰り返すと、羊桂英は頷いて自らの髪を指さす。

「おい、ちょっと待て。どの簪のことだ」

ハーシムが困ったように言うと、ジュードは肩をすくめる。

「どんな簪でもいいーーというわけではないでしょうね」

「かといって、高級なものであればいい、というわけでもないでしょうし……」

士英はため息混じりにそう言った。

「あの……」

おずおず、といった体で声を上げたアスアドに、ハーシムは面倒そうに視線をやる。

「ーーなんだよ」

「簪、というのは髪にさす飾りのことですよね」

「それ以外に何があるんだよ」

イライラしてそういうハーシムをわずかに睨むと、アスアドはユースィフに向き直った。

「そのーーおれが思うに、その簪とは、羊桂英が自害するときに使った簪ではないでしょうかーー」

「あっ!」

合点したようなジュードの声に、ユースィフは頷く。

「うん、オレもそう考えていた」

ユースィフの賛同を得て、アスアドはホッと安堵の吐息をついた。

「よく思いつきましたね」

感心したように士英が言うと、アスアドは口籠る。

「それはーー印象に残っていたからです。簪で自害するのは難しい」

景興の話を聞いたとき、女性の力で刃のない簪を刺し、死に至るというのは相当の力と覚悟がないとできない芸当だと、武芸を嗜むアスアドは思ったのだ。

「で、その簪とやらはどこにあるんだ?」

「それは、おれにはーー」

ハーシムの言葉にアスアドの困った顔を見て、ユースィフは何事か考える。

「仕方ない。蜻蛉返りになるが、1番知っていそうな人間のところへ行くか……」

「え、それは誰です?」

ジュードの言葉に、ユースィフは笑顔で答えた。

「円覚のところさ」



一同が東明寺に着いたのは太陽の光がかなり高くなってきた頃だった。

昨晩忍び込んだ時とは違い、聖域特有の清々しい空気が一同を包む。

「なんだ、お前たち。もう茶を飲みに来たのか」

一行を出迎えた円覚は驚いたものの、五人を快く迎え入れた。

「寺の様子はどうですか?」

士英に問われ、円覚はかかか、と笑う。

「朝には、壊された結界とは違う結界を張っておいた。ま、能力がないものには結界の種類の違いなんぞ分かりはせんさ」

円覚は悠長に茶を啜りながらそう言い放つ。

「ところで、こんな急にここにくると言うことは、羊桂英の関係で何かあったのであろうな。それも急ぎで」

頭の回転の早い円覚はそう見当をつけると、茶の杯を卓へ置いた。

「何があった?」

円覚の問いに、ユースィフは単刀直入に切り出す。

「羊桂英が自害した簪を探している」

「ふむ?!」

円覚は黙り込むと、その顎を撫でた。

「知っているのか?」

「まあ、な」

円覚はしばし思案げな表情をすると、ユースィフに向き直る。

「今は廃墟と化している『華潤宮』にあるはずだ。しかしーー」

「何か、問題があるのか?」

「ある」

円覚はそう言うと、華潤宮の簪について話をした。

「あの辺りは、昔から怪異が多くてなーー」

近隣の村の住民は、魔獣や妖物の類に人が襲われることが多かったという。

そこで、村人たちは村に結界を張ることにした。

しかし、ただの結界では強い妖物は破ってしまう。

村人たちはそこで、東明寺を頼ったのである。

頼まれた東明寺は、結界の方法について思案した。

自分たちがその場にいれば、内側から結界を張ることは容易い。

だが、今回の依頼は永泰の外の村を守る方法である。

常にそこにおらずして、強力な結界を張らなくてはならない。

散々思案した結果、結界の要に呪物を使おうと言う話になった。

その呪物の力を使い、結界を内側から補強しようとしたのだ。

そこで選ばれた呪具が『羊桂英の簪』だったのである。

「『羊桂英の簪』が呪具ーー?」

円覚の言葉に、士英は首を捻る。

羊桂英自体は魔術師でもない、普通の女性だった。

その道具が、なぜ。

そう言う思いが士英にはある。

「あの簪にはなぁ、未練も怨念もたっぷり詰まっておる」

生前の強い思いが注ぎ込まれた物には、そういった力が宿ることがあるのは士英も知っていた。

「あれには羊桂英の強い負の力が膨大に詰め込まれておったのよ」

その力を使って、内側から結界を保っているのだという。

「あれ自体は負の力だが……ま、毒を持って毒を制す、みたいなものだ」

「つまりーーその簪が無くなってしまえば、結界が弱まってしまうと言うことか」

ユースィフの言葉に円覚は「そういうことだ」と頷いた。

「ーーどうなさいます、ユースィフ様」

困り果てたように聞くジュードに、ユースィフはしばし考え込む。

「何か、代わりのものを持っていくしかないな」

「あてはあるのか?」

「ない」

円覚の言葉に、ユースィフはあっけらかんと答える。

「ふっ……お主らしいな」

円覚はそう言って笑うと、その両腕を組んだ。

「ならば、一つ頼まれてくれんか」

「何をだ?」

「妖物退治だよ」

円覚はニヤリと笑うと、そう提案した。

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