第23話

『もう100年は昔のことだ。我は人間と共存しておった』

炎龍は、懐かしそうにその頃のことを話し出した。

100年ほど前といえば、丁度周宗皇帝の時代。

陸曄と羊桂英がいた時代でもある。

『我の力を持って、この地の地下泉に熱を入れ湯を沸かし、その湯に浸かることで人間の病や怪我などを癒しておったのよーー』

しかし、と炎龍は苦々しい口調で言葉を継いだ。

炎龍は、自らの力を人間のために使っても、人間にその見返りを求めなかった。

炎龍自身は食べることも飲むことも必要としない。

炎龍はこの自然の力を吸い上げて生きている精神生命体であるからだ。

ただその力のほとんどを人間のために使った。

それはひとえに炎龍の優しさからである。

そして、人間もその炎龍に感謝し、崇めている事によって関係性は成り立っていた。

しかし、徐々に人間は炎龍の力に慣れ始めた。

巨大な力というのは、持てば持つだけ、もっともっと欲しくなるものなのである。

次第に、人間は炎龍の力を我が物として制御することを求めるようになる。

また、その力を独占しようとする王すら現れた。

最初は甘んじていた炎龍も、次第にその限りない人間の欲に嫌悪感を抱くようになっていく。

そこで、炎龍は一芝居打つこととした。

当時の人間で一人だけ、心を開いていた人物……当時の東明寺の僧であった龍樹へ自分を封印するように頼んだのだ。

『ーー表向きは近くの村の妖物よけ、という名目でな』

そうして、龍樹は炎龍の望み通り彼を封印した。

炎龍が姿を表さなくなり、炎龍の恩恵を受けていた人間は大いに混乱する。

中には祟りを恐れるものまで出始め、同時に温泉の出なくなったこの離宮は次第にうち捨てられ、誰も寄り付かなくなっていった。

そして、人々の記憶の中から炎龍は少しずつ薄れていく。

その全ては、炎龍の計画通りであった。

封印自体炎龍自身が望んだことであったため比較的簡単に行うことができたが、問題はその封印の維持にあった。

龍樹自身、それほど頻繁にここに訪れることはできないし、何より自分の死後も封印が働くようにしなければならない。

そこで、結界の中心に呪物を置く事にしたのである。

その呪物を羊桂英の簪にしたのは、この地に因縁のある強い呪物だったからに他ならない。

そして、龍樹は打ち捨てられた離宮跡に祠をつくり、そこに羊桂英の簪を祀り、封印を強化した。

それは龍樹の死後もしっかりと役目を果たし、今日に至ったというわけである。

『であるからな。封印を解いたそなたらが我と関わる資格を持つものかどうか、試す必要があったのだ』

炎龍はそういうと、懐かしげに祠を見つめる。

『我を封印した人物ーー東明寺の僧だが、それを差し出すような私利私欲に走るような輩であれば、その時点で消し炭にしておった』

なおかつ、心が強く機転の効く人間であるかどうかを試すために戦ったのだという。

「それで、オレたちは合格か?」

『そうだな、よかろう。しかし、なぜ我の封印を解いた?』

ユースィフは羊桂英の簪のこと、氷漬けにされた人間のことを手短に話した。

『なるほど。その氷ならおそらく我の温めた温泉に浸ければいずれ溶けるだろう。そなたはそこの池から水を出せたな?』

「ああ。水なら出せる」

『ならば、我がその水を温めてやろう。凍った人間を連れてきて、その湯に順につけると良い』

「ありがたい」

『ふむ……しかし不思議な縁だな。ここにきて羊桂英と我がつながるとは……』

炎龍は一つ頷くと、ユースィフを見下ろす。

『考えれば、あの娘も不幸な娘だった……。簪一つであの娘の魂が救われるならそれもよかろう。それは持ってゆくと良い』

「だが、まだ代わりの品が見つかってない……」

申し訳なさそうにいうユースィフに、炎龍は笑う。

『よい。我も久々に外に出た。しばらく外に居ろう。そなたたちのような面白い人間とも出会えたしな……』

「良いのか?」

『そなたはどこか龍樹に似ておる。面立ちは違うが、どこか人を引き寄せてしまう、魂の清らかさが同じだ…』

炎龍はそう言うと少し考える素振りをした。

『そうだな、また封印されなくてはならない事態になったら……その時はそなたらに封印を頼もう。それでも良いか?』

「わかった。任されよう」

ユースィフは爽やかに笑って請け負った。


ユースィフが炎龍と別れた凡そ一刻後、馬車や荷台に乗った氷漬けの人間が次々と華潤宮へと運ばれてきた。

「兄ちゃん達!!無事だったんだね!!」

村人の中には、あの山道でユースィフ達を付けてきて居た少年もいた。

「だから、大丈夫だって言ったろ?」

ハーシムの言葉に、少年は笑う。

「円覚先生と同じくらい強いってのは、本当だったんだね!」

「ああ、そう。同じくらいな」

村の人間が総出で氷漬けの人間を運び出している。

その中にはジュードも居た。

相変わらず氷の中でピクリとも動かない。

庭にはユースィフが皆が来る前に魔術で出した水を、炎龍が湯を沸かした温泉が湯気を立てていた。

既に炎龍の姿は見えない。

アスアドは、しっかりとジュードを持つと、そっとその湯の中につける。

じわり、と何をしても解けなかった氷が、湯の中で少しずつ解けていった。

「おおおお!」

村民からも歓声が上がる。

しばらくすると表面の氷は全て溶け、その青かった顔色にも赤みが刺してきた。

アスアドは、再び注意深くジュードを引き上げると、布の上に寝かせる。

「…おい、ジュード!」

「いい加減目を覚ませ!」

アスアドとハーシムの言葉に、僅かにジュードの瞼が揺れる。

「……!!」

それから瞬き一つか二つ分の時間の後、ジュードの目にゆっくりと光が灯った。

「ジュードさん!」

「あ…れ?わたしは……」

ジュードの言葉に、ユースィフは人知れずほっと息をついた。

身体中の力が抜ける。

「よかった……」

「ユースィフ様?」

ユースィフは地面に座り込むと、ふうと長いため息をついた。

「ユースィフ様?じゃないぞ!こんなに心配をおかけして!」

アスアドが目に涙を溜めながらそう言って怒る。

「まあまあアスアドさん。無事だったんだから良しとしましょう、ね」

ジュードは士英の手を借りながら身体を起こすと、徐々に記憶を取り戻してゆく。

周りでは、次々と村人達が目を覚ましていっていた。

「随分とご迷惑、おかけしてしまいましたね…」

ジュードが申し訳なさそうに言うと、ユースィフはおおらかに笑う。

「いや、無事ならそれでいい。ひとまず良かった」

ユースィフがそう言って立ち上がると、村人から人一倍大きな声が上がった。

「兄ちゃん!!兄ちゃん!!良かった!!生きてた!!」

見れば先ほどの少年が、1人の青年に抱きついて泣いている。

青年は溶かされたばかりで何が何だかわからないと言った風だったが、とにかく少年を慰めた。

「良かった。彼の兄も無事に戻ったのですね」

士英の言葉にハーシムが頷くと、さてと、と立ち上がる。

「戦ったりしてたやつには悪いが、おれたちにはあまり時間がない…」

「それはそうですね」

「簪は手に入ったのですか?」

ジュードの言葉に、ユースィフは羊桂英の簪を取り出してみせた。

「ああ、この通りだ」

「流石ユースィフ様ですね」

ジュードの言葉に士英は周りを見渡して言う。

「ジュードさん、起きたばかりで申し訳ありませんが、この隙に我々はお暇しましょう…」

村人に見つかってしまえば、感謝の宴やら何やらで時間をとられそうな事この上ない。

先を急ぐユースィフ達にとって、それはあまりありがたくない話だった。

それに、そもそも簪という目的があってここにきたわけであって、ユースィフ達は単純に人助けできたのではない。

だから、そう盛大に感謝されるのも筋違いなような気がするのだ。

「はい、その方が良さそうですね」

察したジュードは素早く着替えを済ませると、温泉を背にする。

『ーーまた来い』

不意に頭の中で響いた声に頷きながら、ユースィフ達はそっと村人達の輪の中から出た。

そして、再び大きくなった小狼の背中に乗る。

そのまま傾き始めた陽の中を、永泰まで激しい速さで戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る