第22話

ユースィフが簪を取り出してから、たっぷり二呼吸分立ったその時、ふわりと温かい風が四人の頬を撫でた。

その風は次第に強くなり、びゅうびゅうと着物の裾を巻き上げる。

「きたな」

「何がです?!」

「オレの想像が正しければ……火の精霊だ」

「なん、ですって?!」

ユースィフの顔には、まだ微笑が浮かんでいる。

「それは、どういうーー」

「説明は後だ。皆、何があってもいい準備をしておけ」

そうしているうちに風はどんどんと強くなり、その風の熱さが増してきた。

もう既に熱風と言っていいほどの温度に、一行はめまいがするのを感じる。

『ーー結界を解いたのは、そなたらか』

不意に、頭に直接響くような、不思議な声が一同を襲う。

それは、堯語でもなく、イスハーク語でもない。

しかし、その場にいる全員がその言葉を理解できた。

「そうだ、オレが結界を解いた」

ユースィフはイスハーク語でそういうと、目の前の熱風を発する存在を見上げた。

いつの間にか、ユースィフたちの前に、炎の塊が出現している。

その炎の塊は次第に形を変え、見覚えのある形ーー龍へと姿を変えた。

炎でできていながら、龍の形をしたそれを一行は見上げる。

「なんと、いうーー」

士英の言葉は飲み込まれて聞こえない。

それほどに圧倒的な存在だった。

『なぜ、結界を解いた』

「あなたを解放するためさ」

『ふむーー。それは礼を言わなくてはならないな』

相変わらず、何語かわからない言葉が頭の中で響く。

「もしかしたら、これは良い傾向では……」

アスアドの呟きに、ハーシムはフンと息を吐いた。

「そんなに簡単にことが運べば、苦労はねえけどな」

『ところでーー。そなたたち、我をこの結界に閉じ込めた奴らを知っているか?』

炎龍はそういうと、その身をくねらせた。

「……」

『知っているなら教えるがいい。我はその人間どもに礼をしに行かねばならぬ』

「ーー悪いが、知っていてもその人間が危害を加えられると知って、教えるわけにはいかないな」

ユースィフの言葉に、炎龍は冷静に答える。

『人間よ。妙な正義感は捨てるが良い。そなたらは我を解放した人間。素直に居場所を教えるならば危害は加えぬし、礼もしてやろう。しかしーー』

そこまで言って、炎龍は轟とその身体から強い炎を出した。

『我を邪魔だてするのであれば、容赦はせんぞ』

その赤い瞳は強い怒りで溢れている。

「容赦しないとは、どのようにだ?」

ユースィフの台詞に、炎龍は怒りをあらわにする。

『消し炭にしてやる!後悔するなよ、小僧ーー!』

炎龍は激しく喉の奥から炎をちらつかせると、その口を一向に向けた。

「やっぱり、そうなるんだよなあ!!」

ハーシムの言葉に、アスアドは剣を抜きながら答える。

「くだらないことを言ってないで離れてろ!」

アスアドとユースィフは炎龍の前に並ぶと、剣を構えた。

「ユースィフ様。今回おれはどれだけ戦力になるかわかりませんが……精一杯戦います」

「それはオレもだ」

『何をごちゃごちゃ話しておるーー。それ、行くぞ!!』

炎龍がその口を大きく開け、激しく炎を吐いた。

ユースィフとアスアドは両側に散ってそれを避ける。

一瞬後に、轟轟とすごい熱の炎が二人がいたあたりの地面を抉った。

今まで戦ったどの敵よりも強い炎だ。

さすがは精霊と言わざるを得ない。

ユースィフは低く呪を唱えると、アスアドの剣にその呪を飛ばした。

途端に、アスアドの剣から電気が走るほどの激しい冷気が迸る。

「ありがとうございます、ユースィフ様!」

その様子を見て、炎龍は楽しそうに目を細める。

『フン。なるほど、そなたは魔術師か』

炎龍はその身をくねらせると、ユースィフに向き直る。

『だが、並の術士では我は倒せぬぞ……』

そう言って、その炎で巻かれた尾を振るう。

城壁の一部がその勢いで壊され、石が崩れ落ちた。

アスアドはその一瞬の隙を狙い、その上体へ剣を振り上げた。

ユースィフの呪のかかった剣が激しく炎を切り裂き、炎龍の炎の勢いを弱める。

「効いた!」

『ぬ……』

しかし、実態を伴わない炎龍の炎は、すぐに勢いを取り戻した。

『ふ……ははははは。無駄無駄。我は精霊ぞ。普通の攻撃が効くと思うてか』

「くっ……おれは諦めん!」

再びアスアドが剣を構える。

ユースィフは短く呪を唱えると、その指を炎龍へ向けた。

ぴしゃん、と水音がし、中庭の枯れたはずの池からじわじわと水が滲み出てくる。

『何をするつもりだ』

炎龍の声と同時に、どどどどどと低い地鳴りがし、池の後から大量の水が噴き出した。

その水は激しい水柱になると、炎龍に向かってすごい勢いで襲いかかる。

『むむ!』

炎龍は身を躱そうとするが、水柱の勢いは止まらずその身体を直撃した。

炎龍の身体が水柱に巻かれる。

その体に巻かれた炎が水流によって次第に小さくなり、勢いを減らした。

『ぬ、ぬおおおおお!』

炎龍は小さく身悶えをすると、悲痛な声をあげる。

「やったか?!」

「どうかな……」

『ーーなんて、な』

炎龍はそういうと、身体中に力を込めた。

ごう、と炎の勢いが増し、炎龍を身体を取り巻いていた水柱が跳ね返される。

『こんなものでは、我は倒せぬぞ』

「何?!」

「あちゃあ。やっぱり駄目か」

炎龍の言葉にユースィフは苦笑しながら呪を唱えると、水柱が消える。

「ユースィフ様の魔術でも効かないなんて……」

「単純に力の問題か、或いはそれ以外か……」

アスアドの言葉に、ユースィフはそうひとりごちた。

「それ以外の問題とは?」

「ん?例えばだけど、オレがいくら魔力が強くても、精神力か体力のどちらかが切れれば魔術は使えない。魔術は無限でも、無敵でもないからな」

だから、いくら精霊とはいえ、力が無限にあるわけではないだろうし、全くの無敵でもないだろうとユースィフは思う。

無尽蔵、とはあくまでも言葉の綾であり、実際に無限であるわけはないからだ。

魔術は一見なんでもできる、出鱈目な能力と思われがちだが、それなりに理論体型が存在する。

その理論体系を少し紐解いて、魔術師以外でも使えるようにしたのが『法力』だ。

それは人間が飛ぶ鳥を見て、飛行機を思い描くことと似ているかもしれない。

話を戻そう。

そうであるから、この炎龍も全くの無敵ではないだろうと、ユースィフは踏んでいるのである。

攻撃しても効かないのは、何かカラクリがあるに違いない。

「しかし、そのカラクリとはーー」

「それがわからないから困っている」

全く困っていなさそうな顔で、そうユースィフは言った。

『何をゴチャゴチャ話しているーー』

炎龍はそういうと、再びその口を大きく開けた。

喉の奥でチリチリと燃える炎が見える。

「炎が来るぞ!」

叫んだと同時に、炎龍の炎が激しく二人を襲った。

間一髪、二人はそれを逃れると、再び二人は炎龍と対峙する。

「方法がわからない以上……判るまで攻撃を続けるしかないでしょうね」

アスアドはそういうと、隙のない構えでジリジリと炎龍へにじり寄った。

炎龍はそれを見ると、アスアドへその炎の爪を振り下ろす。

ごうという激しい音と共に、爪がアスアドを襲った。

アスアドはその爪を避けずに剣で受けると、強い力で跳ね返した。

『むっ?!』

炎龍はその力に僅かに体制を崩すと、アスアドを睨みつける。

アスアドはその隙を逃さず、第二撃目を反対の手に向かって繰り出した。

ガキンッと炎龍の炎の爪が折れる音がし、折れた爪が地面に突き刺さる。

「?!」

「効いた!」

『むぅ!』

炎龍は折れた自らの爪を見下ろすと、アスアドたちを見回す。

『ふむ。やりおる。だが爪の一本くらい、どうということはない。くれてやるわ』

炎龍はかかかと笑うと、再びその尾をアスアドへ振り下ろした。

アスアドはその尾を叩き斬るべく、激しくその剣を上へと跳ね上げる。

ズバリとアスアドの剣が尾を切断し、跳ね上がって地面に落ちた。

「やったか!」

『ふん、甘いのう』

炎龍はそう言って笑うと、落ちた尾を見る。

すると、地面に落ちたはずの尾が一人でに動き、その炎龍の切断面に近づくとぴたりとついた。

そのまま、切れ目がなかったようにまた轟々と燃え始める。

「なっ……!」

『一度くらい攻撃が効いたからといって、二度続くと思うなよ』

炎龍はその赤い目をニヤリと細めると、その尾を振ってみせた。

『しかし、良い戦士であることは認めよう。相手が我でなければ勝っておったろうな』

ユースィフは至極冷静に炎龍を見ていた。

爪を切り落とした時と、尾を落とした時……何が違った?

まだだ。

まだ、これだけの情報では解らない。

ユースィフはその唇に指を当てると、低く呪を唱える。

次第にユースィフの周りの空気が冷え、ビキビキと無数の氷の刃が空中に現れた。

「いけ!」

ユースィフの指が炎龍に向くと、その無数の刃が激しく炎龍に向かいその身体を貫く。

一瞬、それらは炎龍の身体の炎の勢いを弱めるが、しばらくするとまた轟々と炎の勢いがました。

『ふははは、無駄である』

ーー駄目か。

ユースィフが次の呪を唱えようとした時、ふとある一点に気がつく。

「ん?」

「どうしました、ユースィフ様!」

「いや……」

一点だけ、炎の勢いが戻らない箇所があったのだ。

ーーなぜだ?

あれだけ飛ばした氷の矢の中で、一つだけが損傷を与えている。

「ハーシム!!」

「なんだ?!」

ユースィフは剣を構えながら叫ぶと、ハーシムを振り返った。

「お前の『眼』で、何か見えないか?!」

「!!」

言われてハーシムはその眼帯を取ると、その赤くゆらめく炎を宿した瞳で炎龍を見る。

深呼吸をし、意識を集中した。

『ーー鬼眼の者がおるか』

炎龍はそうひとりごちると、再び戦闘体制を取る。

『だが、もう遅い。次の攻撃でそなたらは黒焦げだ』

炎龍はその口を大きく開けると、ハーシムに向かって激しく炎を吹いた。

意識を集中しているハーシムが一瞬それに対応が遅れると、少し身体を大きくした小狼が咄嗟にハーシムの首元を口で掴み、掻っ攫うようにして助ける。

「すまん!お前はすごい犬っころだ!」

「キュウウウン!!」

ハーシムはくるりと身を翻して小狼の背に乗ると、再び意識を集中する。

ーー弱点……こいつの弱点は……

「ーーあれは!」

ふと、ハーシムは炎龍が左手に何か透明な玉のようなものを持っている事に気がついた。

それはかなり薄ぼんやりとで、集中力を切らしたら見えなくなってしまうほど淡い球だったが、今のハーシムの目にはがしっかりと見えた。

さらによく見れば、その玉には極小さい傷が二つばかりついている。

「おい!!」

「なんだ!?」

「お前らには奴の左手に何か見えるか?!」

「左手……?!何もないぞ!」

「ーーそういうことか!」

得心したようなユースィフに、ハーシムは重ねる。

「そうだ!お前らには見えないかもしれないが、オレには見える!その左手の玉が奴の本体だ!!」

『気付きおったか』

炎龍は再び口を開けると、その口から業火を放った。

首を回し、あたり一面を焦がしてゆく。

二人と一匹はそれらを器用に避けながら、炎龍へと近づいていった。

炎龍は炎を吐くのをやめると、その尾を激しく振る。

鞭のようにしなったそれは、激しくアスアドへ向かった。

アスアドは下半身に力を込めそれを剣で受け止めると、先ほどと同じく力を込めてそれを叩き切る。

尾は勢いよく回転しながら千切れ、城壁まで飛ばされた。

『むう!』

アスアドは炎龍の尾が戻るまでに体勢を整えると、その剣を振りあげ炎龍へと大きく飛んで斬りかかる。

「うおおおおおおお!」

その剣は正確に炎龍の左手の空間を切り裂いた。

瞬間、炎龍の左胸が割れその部分の炎が小さくなっていく。

炎龍は冷静に自分の傷口と一向を見比べ、ふうと息を吐いた後、まるで血の底を這うような声を出した。

『なるほどーーなかなかやりおる。だがーーあそびは仕舞いだ』

ぞ、と背筋の凍るような感覚が一向を襲う。

この炎龍は、まだ全くもって本気ではなかったーー。

流石のユースィフも、この事態には想定外だった。

つ、と背中に冷たいものが流れる。

「ユースィフ様……」

「ああ、こいつはちょっとまずいな」

『どうした?かかってこんのか……ならば、こちらからゆくぞ』

炎龍はくわと口を開くと、その奥のチリチリとした炎を見せ、息を吸った。

「くっ!!」

ユースィフは咄嗟に障壁の呪を唱えようとした。

と、炎龍はその姿勢のまま止まって動かない。

『ふ……ふふ…ははははははは!!』

突然、炎龍は炎を噴くのをやめ、笑い出した。

「ーー?!」

『良い、なかなかに面白かった。人間、なかなかやるではないか』

そういうと、炎龍はその身を空中でうねらせるとさも愉快そうに笑った。

「ーーどういうことだ?」

混乱するアスアドに、ユースィフはようやく肩の力を抜いて笑う。

「試されたんだよ、オレたちは……」

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