第11話

明明は自分の身に起こった事を思い出しながら、話し始める。

「ある暑い日…母の看病を終えて、外で夕涼みをしていた時の事でした」

明明はふと、何かに呼ばれたような気がして周りを見渡した。

しかし、周りには誰もいない。

部屋の中を覗くと、母親が静かな寝息を立てている。

明明は首を傾げると、再び外へ出た。

残暑の強い日ではあったが、夜ともなればそれなりに涼しい。

明明は用意したお茶を飲んでいた。


「ーーーー」

「……?!」


再び何かに呼ばれたような気がして、明明はキョロキョロと周りを見回す。

しかし、やはり誰もいない。

明明は何となく、声のしたような気がする方へ歩を進めた。

その声は微かで、そこで聞こえたかと思ってそちらへ行けば、また更に遠くで聞こえる。

明明はそれを続けるうち、いつの間にかある廃寺へたどり着いていた。

不思議と怖さは感じない。

歩くうち、明明はふわふわとしたなんともいえない高揚感につつまれていた。

明明は声のする方へひたすら歩き、ある墓碑の前に辿り着く。

吸い寄せられるようにその墓碑の前に立つと、明明はその碑を見上げた。

不意に、生暖かい風が明明の髪を巻き上げる。

じんわりとぬめるような湿気った空気があたりを満たし、霧のような『もや』のようなものが立ち込めた。

明明は、なぜかそれでも怖いとか嫌だとかそういう気分になることはなく、っとそのもやを眺め続けている。

次第にそれは形を取り始め、人のような姿をなした。

まず最初に、悲しい表情をした青年が。

もうしばらくして、今度は若く美しい女性が、同じく悲しそうな目をして明明を見つめている。

「ーーすけ…て」

青年の口が、何かを発するように動いた。

「え?何ですって?」

明明は思わずそう口にすると、もやへ手を伸ばす。

次の瞬間、もやは霧散しあたりは元の闇に包まれた。

「あっーー!」

明明が自分の手を見つめると、一粒きらりと涙のような物で濡れていた。

翌日、明明は母親の看病を終えると、同じように戸口に立っていた。

また昨日と同じ声が聞こえないかと耳を澄ませる。

「ーーー」

まただ。

明明は意を決して昨日と同じように声のする方へ歩き、平安寺へたどり着いた。

門をくぐり、境内を抜け、墓碑の前まで歩き続ける。

墓碑の前に辿り着くと、明明は二人が現れるのを待った。

しばらくすると、生暖かい風が明明を包み、もやが形を取り始める。

昨日同様、まずは青年が現れ、次に女性が現れた。

相変わらず二人の表情は悲しげで、何かを訴えようと口を動かすのだが聞き取れない。

明明は持ってきた莚をしき、腰を下ろした。

「ーーよし」

そして、地面に画材を広げると二人の姿を描きだしたのである。


三日ほどそれを続けた時、ふとこの絵を道で広げてみようという気になった。

もしかしたら、誰かがこの二人のことを知っているかもしれないと、そんな興味も有ったからだ。

明明は昼の仕事を終えると、描いた絵を持って目抜き通りへ出かけた。

もっとも、この貧民街ではも抜き通りと言っても、数人の物売りがいる程度。

中には物乞いもいる。

絵など買ってくれるわけはないと思いながらも、明明は絵を広げて待ち続けた。

一刻ほどそうしていたが、絵を買うどころか見向きもされない状況に、明明は流石に諦めようと絵を仕舞いかける。

そこに、貴人が通りかかった。

明明は

「なぜこんなところに貴人がいるのか」

「なぜ自分のようなものから絵を買う気になったのか」

など、本来気になる筈のところが全く気にならなかったことに、気付いてすらいなかった。

絵が売れ、薬と食べ物を買い意気揚々と帰った明明は、取り憑かれたようにその後も絵を描き続けたのである。

しかし、彼の絵で死人が出た。

直接の関係はないというが、それでも全く関わりがないわけではない。

明明は、もうあの絵を描くのはやめようと決意した。

ーー筈だった。

なのに、なぜか夜になると自らの意思とは別に、ふらふらと平安寺へ向かってしまうのである。

いよいよ、明明は怖くなった。

そんな折に、ユースィフ達がやってきたのである。


「なるほど……」

見れば、明明の目には隈が浮いている。

何日も夜も寝ずに絵を描き続け、昼は母親の看病をしていればそうなるだろう。

ユースィフは思案げな表情を浮かべた。

「あの……柚先生」

おずおずといったように明明はユースィフに声をかける。

「ん?なんだ」

「柚先生にも、あの人たちが見えるんですか?」

明明の問いにユースィフは笑う。

「ーーああ、見えるぞ」

ユースィフの答えに、明明は少しだけ安堵したような表情を浮かべた。

「良かった……ぼくだけじゃなかったんですね」

「ああ。しかし……このまま放っておくわけには行かない」

「え?」

「このまま毎夜出歩いていたのでは、君がいつか倒れてしまう」

「……はい」

ユースィフは「うん」と独りごちると、その顔に笑顔を乗せる。

「とりあえず、今日は帰ろうーー」

ユースィフの言葉に、一同は揃って平安寺を後にした。


「ーーで、どうするんです?」

景興は、アスアドの背に揺られて眠る明明の顔を見ながら、ユースィフに問う。

「そうだなぁ」

ユースィフは頭の後ろで手を組みながら空を仰いだ。

「景興殿が手がかりをくれたお陰で何となくやることは見えて来たんだが……になるものが見つかってない」

「肝になるもの?」

「ああ」

「それは何です?もったいをつけるのはあなたの悪い癖だーー」

景興の言葉に、ユースィフ以外の四人は苦笑いをした。

彼らは今でこそ慣れてしまったが、あまり付き合いのない人間ならそう思うだろう。

「ーー遺灰さ」

ユースィフは、景興の言葉に笑いながら言った。

「遺灰?」

「そう。羊桂英の、遺灰だよ」

「なぜ、そんなものが要るのです」

それには答えず、ユースィフは明け始めた空に視線をやる。

「何でだろうなぁ」

「あなたも、わかっていないのですか?」

「半々ってところだな。予想はついてるが、確信じゃない」

「では、その予想とやらをお聞かせ願いたい」

「まあ、それは見つけてからの楽しみということにしよう」

「あなたという人はーー」

景興のため息に、四人は再び苦笑をした。

こうやって、皆このユースィフという人間に囚われていくのである。



「では、次は桂英の遺灰を探すということでよろしいんですね」

邸に戻ると、ジュードはユースィフに茶を入れながらそう確認した。

「そうなるな」

「どこにあるか目星はついてるのか?」

ハーシムの言葉に士英が書物を見ながら答える。

「恐らく、羊桂英が周宗帝の女官だったことを考えると、ゆかりの深い東明寺トンミンシィが妥当でしょうね」

「ならば、早くそこに行きましょう」

今にも飛び出していきそうなアスアドを、士英はため息まじりに止める。

「アスアドさん……いきなり縁もゆかりもない東明寺に行って『百年前の女官の遺灰をください』と言って、素直に渡してくれると思います?いくら、ユースィフ殿のを使っても無理でしょう」

「ならば、どうするんだ」

アスアドは不満げに椅子に腰を戻すと、士英を見やる。

「こういう時は、確実に根回しをしてからーーー」

「いや、直接行こう」

士英の言葉を遮るように、ユースィフは明るく言った。

「え?!」

ユースィフの言葉にジュードは目を見開き、ハーシムは茶を吹き出した。

士英はその口をあんぐりと開けると、しばらくの後にはたと気がつき一つ咳払いをしてユースィフに質す。

「そんな強力なつてがおありなんですか?」

「いいや、ない」

「ならば、なぜーー」

「根回しは時間がかかりすぎる」

ユースィフはそうキッパリといった。

「それに、どんな根回しをしても、周宗帝の女官の遺灰なんかくれると思うか?」

「それはーー」

士英はそう問われ、言葉に詰まる。

「では、どうするのですか?」

士英に代わりジュードがそう問うと、ユースィフはその瞳に悪戯っぽい光を灯して答えた。

「強行突破。黙って貰い受ける!」

ユースィフの言葉に、アスアドは大きく頷き、ハーシムは天を仰ぎ、士英はため息をつき、ジュードは神に祈るような仕草をした。

そうして、今夜の決行に向けて策が練られることとなったのである。

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