第10話
その日景興は、件の詩を彼に依頼した主を訪ねていた。
先日の絵の怪異に触れ、どうにもこれは詩を書くだけで済む話ではなさそうだと感じたからである。
そして、自らが開いてしまったこの絵の怪異に対する封印の相談のためでもあった。
「お茶をどうぞ、景興殿」
ジュードがそう言いながら、良い香りのする茶を出す。
特別に取り寄せた高級品だ。
同じ茶をユースィフの前にも置いて、ジュードは一歩下がる。
景興は出された茶とジュードをチラリと見て礼を述べると、ユースィフへ向き合った。
「何か、言いたそうな顔をしている」
ユースィフがそう口火を切ると、景興は一つ嘆息する。
「ええ、その通りです。そして、そこまでお分かりでしたら、既にわたしの言いたい事もお分かりでしょう?」
景興の言葉に、ユースィフは微笑んだ。
「ああ、わかっている」
ユースィフは一口茶を口に含むと、景興に話の先を促した。
「では、説明していただきましょうか。ーーなぜ、わたしに悲恋の詩を書かせようとしたのです?」
「ふむ」
景興の言葉に、ユースィフは笑顔を浮かべたまま答える。
「恋の歌が、必要だったからさ。あなたなら、良い歌を作ってくれると思った」
「それだけですか?」
ユースィフの言葉に、景興はその拳を握る。
「ーーでは、この怪異の件とは全く関係がないとでも?」
そう言って、景興はユースィフの前に件の絵を押し出した。
ユースィフはその絵をチラリと見ると、景興へと視線を戻す。
「まあ、関係がない事はないなぁ」
「では、このようなまどろっこしい事をして、いったいわたしに何をさせたいのです?」
景興はそう言うと、じっとユースィフを瞳を見つめる。
ふむ、とユースィフは困ったように笑う。
「まず、恋の歌を書いて欲しかったのは、純粋に必要だったからだ」
ユースィフはそう言うと、広げられた絵を見下ろした。
「今抱えているこの問題を円満に解決するために、な」
「……」
「そこから先はまぁ、もし何か事が進めば儲け物、ってところだな」
「事が進めば?わたしには何も出来ません」
景興はその眉根を寄せると、言葉を続ける。
「私はただ、この絵の昔の記憶を呼び覚ましただけです。その為にこの絵に施されていた封印まで破ってしまった……」
「それだよ」
「それーー封印を破った事ですか?」
「いや、その前だ」
そう言ってユースィフは男女の絵に手をかざす。
フワリ、と何色と言って良いのかわからない柔らかな光が絵を包み、そこからじんわりと熱を発する。
次の瞬間、その絵を包んでいた不思議な違和感がピタリと無くなった。
「この絵の記憶を呼び覚ます…それに何の意味があるのです?」
景興は理解できないと言ったように頭を振った。
「この絵が何をして欲しがってるか、が分かる」
「この絵が?」
「そうだ」
景興はマジマジと件の絵を見て、そっとその男女に触れてみる。
しかし、その指先には何の感覚もない。
ただの絵になっていた。
「オレには、この絵の記憶を見る事出来ない」
ユースィフはそう言うと「それは貴方の特別な能力だからな」と笑う。
「ーーこの絵は……わたしに周宗皇帝時代の、若い男女の悲恋を見せました」
「ほう」
興味深そうに、ユースィフは相槌を打った。
そうして、景興は自分が見た『この絵の記憶』をユースィフに語る。
「ーーなるほどな」
話の区切りがついたところで、ユースィフは得心したようにそう頷いた。
「今ので何かがわかったのですか?」
「まあ、いくらかはな」
ユースィフの台詞に、景興はその生真面目そうな眉を寄せる。
「ーーあなたはいったい何をしようとしているのです?」
景興の言葉に、ユースィフは温くなった茶を一口飲むと口を開いた。
「そうだなぁ」
にっこりと、ユースィフは笑った。
「それが知りたければ、今夜ちょっと付き合わないかーー?」
景興は、「そもそも巻き込んだのはそっちだろう」と言う言葉を飲み込み、仕方なく頷いた。
「お付き合いしましょうーー」
その日の夜、いつもの五人組に景興を加えた六人は、永平房の明明の家へと向かっていた。
「こんな夜にどこへゆこうというのです?」
「まあまあ。着いたらわかるさ」
ゆったりと歩きながら、ユースィフはそう景興にいう。
景興はため息をつきながら、ユースィフに従った。
「ここは?」
一行が先日訪れた明明の家の裏手にたどり着くと、景興は辺りを見回しながらそう聞く。
「件の絵師の家ですよ」
そんな景興に、ジュードが答えた。
「件の絵師……怪異を起こす絵の?」
「そうです」
「何故そんなところにーー」
「しっ!彼が出てきました!」
あの日と同様、明明が家の外へ現れた。
まるで何かに誘われるように、フラフラと道をゆく。
ユースィフたちは、この日も静かに明明の後をつけた。
前回と同じ道を通り、同じように平安寺へ辿り着く。
景興は先ほどからこの寺に妙な既視感を感じていた。
勿論、訪れるのは初めてのはずだ。
しかし、なぜか、どこを通ればどこに行くのかというところまで知っている感覚に襲われる。
景興は、気持ちを切り替えるように頭を振った。
明明は全く前回をなぞるように、ある墓碑の前に行くと、筵をひき、絵の道具を広げた。
「彼はーー」
「彼があの絵を描いた絵師ですよ」
明明が筆を取り虚空を
ゆるゆると生暖かい空気が周りを包み、その闇の中にもやがわだかまっていった。
ふわふわともやが集まり、人の形を作ってゆく。
周りの形はゆらゆらと変わるのに、その表情だけはしっかりと見る事ができた。
景興はその姿を見て、思わず「あっ!」と声を上げる。
「あの男はーーー」
景興は、我が目を疑った。
彼の目の前に現れたのは、あの時映像で見た男ーー陸曄であったのだ。
「ーーあの男は、陸曄……あの絵の記憶で処刑された、羊桂英の恋人ですーー」
そして、この寺に妙な既視感があったのも当然の事だった。
この寺は、彼が最後に処刑された寺だったからである。
「ーーー誰か、居るのですか?」
「あっ…!」
気がつけば、明明の視線がこちらを向いていた。
「……柚先生?」
明明はそう言って立ち上がると、ユースィフに近づいて来る。
「すまないな、驚かすつもりはなかったんだ」
ユースィフはそう言うと、頭をかいた。
「こんなところで何をしているんです?」
明明は先程までのフラフラとした足取りとは違いしっかりとした足取りでユースィフの前まで来ると、その首を傾げた。
「君が絵を描くところを見ていた」
「えっ?!」
明明は驚いたようにそう言うと、はたと気が付いたように周りを見渡す。
「絵を……?」
その顔から血の気を引かせると、明明は視線を下げた。
「またぼくは、こんなところで絵を描いていたんですね……」
「どう言う事だ?」
景興は、思わずといった体で口を挟んだ。
「……?!」
「あ、すまない…わたしは景興という」
驚く明明に、景興は素直に謝罪をする。
「景興先生ーーえ、あの詩人の景興先生ですか」
「わたしを知っているのか?」
「ええ、もちろん」
明明は、持っている絵筆を見つめ、自分を囲む大人たちを見回し、困ったように聞いた。
「その景興先生と柚先生たちがーーぼくに何の御用です?」
ユースィフは、穏やかに笑い、その質問に質問を返す。
「君はこんなところで何をしてるんだ?」
「ぼくはーー」
明明はその繊細な眉根を寄せると、口を閉じたり開けたりした。
何かを言いかけるが、言葉にならない。
「ぼくは……ここで絵を描いていました。けど…なんでここで描いているのか、何故この絵を描いているのか、それが分からないんですーー」
言葉を選びながら、明明はゆっくりとそう口にする。
「なるほど」
ユースィフは表情を変えずにそう答えると、人型の「もや」がいた方へと視線を向けた。
今や既に「もや」は跡形もなく消え、暗闇だけがそこに存在している。
明明は、全員を見回すと、ゆっくりと話を始めた。
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