第12話

その日の夜ユースィフたちは新昌房にある、東明寺へとやってきた。

東明寺は周宗皇帝のゆかりの寺とあって、古いが大層立派な寺院だ。

既に夜半過ぎと言える時間の今、その門扉はしっかりと閉まっている。

その門扉にはご丁寧に結界による封印までなされていた。

ユースィフはわずかに思案すると、ジュードを振り返る。

「ジュード」

「はい」

言われてジュードは門扉に手を当てると、低く呪を唱えた。

ジュードの手から淡い光が溢れ、次第にその光の色が赤くなっていく。

「ユースィフ様、この門扉の結界は破れば罠が作動するようにできているようです」

門扉から手を離しジュードがそう言うと「まあそうだろうな」とユースィフは頷く。

「仕方ない。どのみち今日は強行突破のつもりだった。……結界を破ろう」

ユースィフのさほど仕方なく思ってない様子に、ジュードは「まあそうなりますよね」と苦笑した。

ジュードは再び門扉に手を当てると、低く呪を唱える。

先ほどよりも長く、集中した様子で呪を繋いだ。

ジュードの手から今度はさっきよりも幾分か強い光が発すると、次第にピシリと何かにひびがはいるような音が聞こえ始める。

ミシミシと空間が揺れる感覚が五人を襲い、次の瞬間パシンと何かが爆ぜるような耳障りな音が聞こえた。

グニャリと空間が歪むような、何とも不思議な感覚が全員襲う。

しかし、もうその直後にはシンとした静寂の夜が広がっていた。

ジュードは額の汗を拭うと、ふぅと息をつく。

「いくぞ」

ユースィフはそう言うと、ハーシムが門扉に手をかけゆっくりと押し開く。

既にジュードによって結界が解かれていた扉は、ギギギと鈍い音を立ててゆっくりと開いた。

一行が中に入ると、ピリリと緊張した空気が全員の肌を刺す。

それは次第に殺気を強め、すごい速さで近づいてきた。

「ーーくるぞ!」

ユースィフの言葉に、全員が戦闘態勢にはいる。

「……こんなもんが役に立つ相手かねぇ」

ハーシムは自分の短剣を見ながら、溜息をついた。

迫り来る殺気をビリビリと感じながら、ジュードは請けあう。

「皆さんの武器は、全て退魔の武器として祈祷されたものです。怪異にも通用するはずので、心配は要りませんよ」

「いや、そうじゃなくてだなぁ」

ハーシムの言葉に、士英は仕方なさそうに答える。

「まあ、敵を倒すのはアスアドさんたちに任せて、我々は自分の身を守りましょう」

士英がそう言った瞬間、突き刺すような視線が一同を襲い、それと同時にものすごい爆風が巻き起こる。

ジュードは砂埃を避けて目を細めると、敵の正体を探ろうと視線を彷徨わせた。

ーーどこだ?!

闇夜な上、砂埃が立ち何も見えない。

「アオオオオオオォォォォォォン!!」

不意に、音にならない声が頭上から響く。

一同の視線が一斉に上を向いた。

更に爆風が巻き上がり、ズシン、と地響きが鳴るとジュードはその激しさに思わず蹌踉めく。

「ーーーー?!」

その瞬間ジュードの目に入ったのは、翼の生えた狼のような獣の姿だった。

しかも、通常の狼の何倍も大きい。

その身体は青い炎に包まれ揺らめいていた。

「アオオオオオオォォォォォォン!!!!」

その獣は再び声にならない叫び声をあげ、一同に生暖かい息を吹きかける。

赤い目がぎらりとひかり、一行を睨みつけた。

その目は敵意に満ちている。

「幻獣か!はは、こりゃすごい」

ユースィフは怯えもせずにそう言うと、スラリと鞘から剣を抜いた。

細身の美しい白々とした刃が闇夜に光る。

「ユースィフ様、お気をつけください!」

アスアドがそう言いながら、ユースィフを庇うように先頭に立った。

「グルルルルルルル……」

翼の生えた獣はザッザッと左前足で地面を何度か掘ると、その上体を低く構える。

アスアドの視線と獣の視線があった刹那、音も立てずに獣がアスアドへ飛びかかった。

風を切って伸ばされた前脚を、アスアドの剣が受け止める。

キィンと獣の爪とアスアドの剣が交差する音が聞こえ、アスアドはわずかに後ろに押されながらも獣の爪を弾き返す。

獣は数歩後ろへ後退ると、怒りをあらわにして鼻息を荒くした。

アスアドは剣を構えると、ぐっと下半身に力を込める。

隣では、ジュードが呪を唱えていた。

淡い光が一同を照らし、薄い光の衣のように全員にまとわりつく。

「皆さんに守りを固める呪をかけましたが、油断はしないでください!」

そう言いながら、ジュードは杖を構えた。

アスアドは獣との間合いを測りながらジリジリと距離を詰める。

不意に、ユースィフが持っていた何かを獣の足元へ投げた。

とん、コロコロコロコロ……

「グル?!」

獣がそちらに気を取られた一瞬の隙をつき、アスアドは獣へ斬りかかる。

「うおおおお!」

きらりと剣が閃くと同時に、獣の首筋に深い切れ目ができる。

そこから、どぷりと大量の血が噴き出した。

「グオオオォォォォォ」

獣は怒り狂った目をアスアドへ向けると、牙を剥き出しにして低く吠える。

カッと口を開き、アスアドを一飲みにするべく襲いかかった。

アスアドは横っ飛びに避けると、着地と同時に獣の目に向かって剣を薙ぐ。

その白刃は正確に獣の目をとらえ、切り裂いた。

「ギャアアアアア!!」

どろりと涙とも目の内容物ともつかない液体が流れ出し、獣は怒りの声をあげる。

獣は傷ついた片目を閉じると、闇雲に当たりを叩き散らした。

ユースィフはそれを避けながら、隙をついてその眉間に一撃を叩き込む。

眉間が割れ、あたりに血が吹き出す。

獣はその痛みに声をあげ、怒り狂ったようにその翼をバサリと動かした。

再び爆風が巻き起こる。

獣はバサリバサリと翼を動かし、その巨体をアスアド立ちの剣の届かない宙に舞わせた。

「くっ……」

アスアドは腕で爆風を避けると、獣を見上げる。

「どうするんだ!あんなところに逃げられちゃ倒せないだろ!」

叫ぶハーシムに、アスアドはムッとしながら答えた。

「うるさい!!今考えてる!!!」

あいにく、今回は潜入ということで遠距離用の武器は持ってきていない。

アスアドは舌を打つと、何か手はないか考えを巡らせる。

と、宙に舞っている獣がニィと笑った気配がして、アスアドは再び宙を見上げた。

瞬間、獣の口がパクリと大きく開き、深呼吸をするようにスウっと息を吸っているのが視界に入る。

「ーー皆、逃げろ!!!」

アスアドは瞬間的にそう叫ぶと素早くユースィフが逃げられたかどうかを探した。

ーーいない?!

アスアドが視線を獣に戻した矢先、轟という音と共に獣の口から勢いよく青白い炎が吐き出される。

腹を括り、アスアドは目を瞑って衝撃に耐えるように身構えた。

その身体が青白い炎の熱に晒される。

しかし、それはアスアドが想像したような激しい熱さではなかった。

「ーー?!」

アスアドが目を開けると目の前にはアスアドを庇うようにユースィフが立ちはだかっている。

ユースィフは片腕を前に突き出し、掌を獣へ向け、激しく吐き続けられる炎をその手から発せられた障壁により全て防いでいた。

「ユースィフ様!!」

「大丈夫か?」

ユースィフはニッと笑ってアスアドを振り返った。

獣は炎を吐き切ると、渾身の一撃を防がれた怒りから、次の攻撃目標をユースィフへ定める。

宙を舞ったまま、獣はその尾を鞭のように激しくしならせ、ユースィフへと振り下ろした。

その一撃を、再びユースィフの前に回り込んだアスアドが剣で受ける。

剣がゾブリと肉を切断しそのままゴキリと骨を砕く感覚が手をつたい、アスアドは更にその手に力を込めた。

ブツンと尾が切れる音と共に、それはバサリと地面に転がる。

「グギャアアアア!!」

獣は叫び声を上げると、バランスを失って地面へと落下した。

容赦なく、アスアドは落ちた獣の喉元に剣を突き立てようとする。

「くらえ……!」

「やめろ、アスアド!」

それを止めたのは、ユースィフだった。

「なぜ、お止めになるのです?」

アスアドは肩で息をして剣を獣に突きつけたままそう問う。

「こいつにもう戦意はないよ」

剣を突きつけるアスアドの手を自分の手でやんわりと押し返すと、獣に向き直る。

「なあ、お前ももう気が済んだだろ。そもそもお前は主人の命令で侵入者のオレ達を襲っただけだもんなぁ」

「グオオオォォォォ……」

獣は肯定するように小さく鳴くと、ユースィフを見つめたままその身を丸くする。

と、その獣の姿がみるみるうちに縮んでいき、子犬と変わらない大きさにまでなった。

獣はよろよろとユースィフに擦り寄り、その鼻を擦り付ける。

「こいつ……」

アスアドは実に不機嫌そうに、ユースィフに擦り寄るその獣を見た。

「ーーアスアドさん、獣に嫉妬は見苦しいですよ」

「なっ?!誰が嫉妬だ!」

「どう見ても嫉妬だろうが」

士英とハーシムの言葉にアスアドが噛み付くのを見て笑うと、ユースィフはジュードを呼ぶ。

「お前の力で、こいつの傷を癒してやれないか?」

「やれなくはないと思います」

言うと、ジュードは獣の額に手を当て呪を唱えた。

キラキラとした光が獣を照らし、徐々にその傷を癒してゆく。

刀傷が閉じ、片目の光が戻ると、切断されていた尾が接着した。

「ふう。これで、傷はあらかた治っているはずです」

ジュードによって癒された獣は、嬉しそうにユースィフの周りを回る。

「ーーまったく、うちのご主人様ときたらーー」

ハーシムはため息混じりにそうひとりごちた。

ユースィフ以外の誰もが、その言葉の続きを言われなくてもわかっている。

『人だけでなく、獣までたらし込んでしまうのか』

ジュードは苦笑いをすると、一同に向き直った。

「さあ、見回りが来る前に、ここを離れましょう」

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