第3話

「あの…何もおもてなし出来ずにすみません」

そう言って、明明はお茶の入った盆をユースィフたちの前に置いた。

五人分の茶碗は全て形が違う。

家中の至る所から器をかき集めてきたのだろう。

部屋の奥には彼の母親と思われる人物が、粗末な布団に横たわっている。

父親の姿はない。

家の中にある物の状態からして、おそらく母親との二人暮らしであろう。

まだ少し緊張している面持ちの明明に、士英は優しげに笑いかける。

「急にこんな大人数で押しかけてすみません。でも、取って喰うような悪い人たちじゃないのは、私が保証しますよ」

仲間内で唯一のヤオ人である士英の言葉に幾分か表情を和らげると、明明はそれで、とユースィフたちにと言葉を促した。

「今日はその…どのような御用向きでしょう」

恐る恐るといった感じで明明が問うと、ユースィフはその瞳をにこりと細め、壁にかかっている絵を指さした。

そこには、李喬の家で見たものと同じような趣の哀しげな男女の絵が飾られている。

「あの絵は、君が描いたのかい?」

「絵?ああ…はい、僕が描きました」

「そうか、大層素晴らしい絵だ。オレは商売柄絵を取り扱ったりもするが、こんな匂い立つような素晴らしい絵はなかなかお目にかかれない」

ユースィフの言葉に、明明は思わず面くらい、その後に少し照れたような、誇らしげなような表情を見せた。

「ありがとう…ございます」

「どうやったらこんな絵が描けるんだろうな」

「それは…」

ユースィフの言葉に、明明は困ったように言葉を濁した。

「見たままを描いているだけなので…」

「見たまま?」

士英はその言葉にわずかに目を細めると、すぐに表情を元に戻す。

「この絵には元となる人物がいるのですか?」

「ああ、ええと…そういうわけではなくて…」

明明はどう言ったら良いか分からぬ様子で、言葉に詰まった。

言いたくない、ではなく本当に言葉が出てこないと言った風情だ。

ユースィフはうん、とひとつ頷くとやんわりと明明へ視線を戻した。

「言えない事を無理には聞かないさ。色々事情もあるだろうしな。それに、今日ここに来たのはそんな事を聞くのが目的じゃない」

「えっ」

明明はユースィフの言葉に、弾かれたように顔を上げた。

「あの……ぼくの絵の…怪異の話を聞きに来たのではないのですか?」

そう言って、明明は自分の着物の裾をぎゅっと掴む。

「怪異?」

「は、はい…」

明明はそう言って俯くと、ぽつりぽつりと話をし出した。



初めは、ただ絵を描くのが楽しかった。

道端の花や、夕焼け、そういったものを無心に描いていた。

もちろん、病弱で寝込みがちな母親の世話をしながら。

初めて件の男女の絵を描いた時、不意に思い立って、路地に絵を広げ売ってみた。

なんと言っても貧民街。

絵を買う余裕のある民など居るはずもなく最初は見向きもされなかった明明だが、もう帰ろうかとした頃、たまたま郊外に出てきていた貴人がそれを見初めた。

「そのほう、ちとその絵を見せてみろ」

言われた通り貴人にその絵を見せると、殊の外その絵を褒め、明明にとっては見たことのない金額でそれを買い取ってくれた。

これで母親の薬が買える!

明明は喜び、その足で母親の薬と、滋養のつくものを買って帰った。

褒められた事、沢山の金額を得た事で嬉しくなった明明は、再びその男女の絵を描いた。

数日後、再び路地で絵を広げていると、また別の貴人が絵を見せてほしいという。

明明は喜んでその絵を見せた。

「ふむ、これは見事」

貴人は一頻りその絵を褒めると、最初よりも少し多い金額を明明へと渡した。

こうなると明明はもう楽しくて仕方がない。

更にその男女の絵を描き、同じ場所で絵を広げた。

しばらくの後、明明はその日も道で絵を広げようとしていた時。

その日も貴人はやってきた。

しかし、その貴人は今までの貴人とは違い明明の絵を褒めることはせず、ただ一言こう呟いた。

「ほう、これが件の絵か」

いつもと違う展開に、明明は僅かばかり違和感を覚えたが、その後はいつも通り貴人は高値でその絵を買い取り帰っていったため、明明はいつしかその違和感も忘れていった。

違和感か決定的になったのは、さらにそれから暫くしてからだった。

その日、絵を買い求めた貴人は、人目も憚らずこう言った。

「これだ!これが怪異の出る絵か!なるほど、いかにも出そうな絵だ」

怪異。

この貴人は自分の絵を見て『怪異の出る絵だ』と言ったのだ。

明明は、頭を激しく石で殴られたような衝撃を覚えた。

その後、自分の絵が『』として有名になり、出回っていることを知るのである。

最初、それでも明明は、良い方へ考えようとした。

どんな理由でも、絵が売れれば母親の薬が買える。

良い食べ物も、良い着物も買ってやれる。

明明は、しばらくの間『怪異の出る絵』を売り続けた。

しかしある日、自分の絵を飾っていた男が死亡したとの知らせを聞く事になる。

死因は怪異の所為ではないかと噂されているのを聞き、恐ろしくなった明明はそれ以降男女の絵を売るのをやめた。



「ぼくの絵が、人を殺しただなんて……」

明明は唇を噛んでそう言うと、押し黙った。

「ーー君は、自分の絵が人を殺したと思っているのか?」

「そんな事……!」

ユースィフの言葉に明明は大きくかぶりを振ると、彼をしっかりと見上げた。

「ぼくは、ぼくの絵で人が不幸になればいいと……そう考えて描いたことなんて一度もありません」

「そうか。それならそれでいいじゃないか」

ユースィフはそう朗らかに言うと、飲んでいた茶を置き明明へと向き直る。

「今日、ここにオレが来たのは、君の絵を買うためなんだ」

「え?」

「ああ、曰く付きの絵を物見遊山で買いに来たわけじゃないぞ。君の絵が気に入ってね。君の絵を専売で取引できないかと思ってきたんだ」

ユースィフの言葉に、士英の通訳を受けていた他の面子が息を呑んだ。

そんなこと初耳だ。

そもそも、ここに来る事ですら、初耳だったのだが。

「……本当、ですか」

明明の目に、僅かに光るものが見える。

「本当だよ」

明明は握りしめていた着物の裾を離すと、小さく吐息をついた。

「でも……怪異が出るとの噂がある以上、絵は……お売りできません」

無理もない。

自分の絵で人が更に死ぬかもしれないのだ。

その瞳に映し出された明明の意思は強い。

ユースィフはふむ、と一つ頷くとしばらく考え込んだ。

「では、この怪異騒ぎが収まったら取引をする、というのではどうだ?」

「えっ!」

思わぬユースィフの申し出に、明明は面食らったように目を見開いた。

「それなら問題ないだろう」

「え…あ…はい…」

半ば惚けたように、明明はそう返事をした。

怪異が収まったら……。

本当にそんな事があるのだろうか。

けれど、そうなったら……。

なんの怯えもなく、絵を描くことができる日が来るかもしれない。

明明の目に、僅かな希望が灯る。

「そうなったら……ぜひ、お願いします」

そう言って、明明は深々と頭を下げた。



「まったく。なんの相談もなしにいきなり商談を始めないでください」

今度こそ自分達の房へ帰る途中、ジュードはため息混じりにそう呟く。

「はは、すまん。けど、なかなかいい案だろ」

全く済まなそうでもなく、ユースィフは笑った。

今回も、ジュード達は黙っているだけだったが、士英のおかげで内容は把握している。

「士英殿はご存知でしたか?」

「いいえ。この家に来る事までは知っていましたが、それ以外は」

苦笑をしながら、士英はそう言った。

「まあ、どのみち怪異騒ぎは収めなきゃならねえんだ。この商談もまとまりゃ一石二鳥だろ」

ハーシムの言葉に、ジュードはそれもそうだと頷く。

「それに……あのガキも救われる」

ボソリと呟くハーシムに、士英が微笑した。

「お優しいですね、ハーシムさん」

「……うるせえ。大人の都合で引っ張り回されるガキを見ていられないだけだ」

照れたようにぶっきらぼうにそう言うハーシムを横目に、アスアドは真剣な目をした。

「しかし、これで二つの意味で怪異騒ぎを止めなくてはならなくなりましたね」

アスアドの言葉に、ユースィフは頷いた。

「まあ、オレ達はやれることをやるだけさ。そうすればなんとかなるだろ」

飄々とそう言うユースィフに、一同は顔を見合わせてため息をついた。

自分たちの敬愛する主人は、全くもって奔放なのである。

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