第8話 つきまとう過去の亡霊

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シェリルのバースデーパーティで急接近したかに見えたニキとジャックだが、なぜかパーティーで踊っている写真がタブロイド紙に出てしまう。ビジネス界のプリンスの熱愛発覚という記事で。そしてそこには、ニキが明かしていなかった彼女の過去まで書かれていた。それを話さなかった彼女に、ジャックは不信がつのり……。


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 エリザベスの学校脱出事件とシェリルのバースデーパーティのあと、ジャックは以前よりリラックスしてエリザベスと接しているように見えた。

 ニキはときどきぼんやりとして、ジャックにキスされそうになったことを思い出していた。

あれはいったいどういう意味だったのだろう? パーティで踊っているとき、そして二人でキッチンにいたとき、彼と心が通じ合ったと感じた。特別な空気が二人の間を流れていたのだ。


でも翌日からは、またふだん通りの日々が始まっている。あれは自分だけの錯覚だったのだろうか? そうではないと思いたい。少なくとも、私は彼に恋をしている。それまでも漠然とした憧れをジャックに抱いていた。

けれど、あのとき恋に落ちたことをはっきり自覚した。彼も私と同じ気持ちを持ってくれているのだろうか。


「ニキ」

 物思いにふけっているところ、うしろから声をかけられてニキは飛び上がるほどびっくりした。

「エドワード。びっくりさせないで。いつ入ってきたの?」

「今だよ。そこでカルロスに会って入れてもらった」

「今日はあなたがジャックのお迎え?」

 何かとフェレイラ家にやってくるエドワードをからかうつもりで聞いた。

すると彼は思いがけないことを言った。

「いや。きょうはむしろきみに用事だ」

 いつにない彼の深刻な表情に不安が広がる。エドワードはブリーフケースからタブロイド紙を取り出した。エドワードにはあまり似つかわしくないタイプの新聞だ。ページをめくると、半面が割かれた記事の写真を指差した。

 ジャックと私が踊っている写真! 

このあいだのパーティのとき撮ったものに違いない。いったいなぜそんなものがタブロイド紙に……。キャプションには『ビジネス界のプリンスの熱愛発覚』とある。

「なにこれ……」ニキは声を出さずに記事を読み進めた。


 某日、あるホテルで行なわれたパーティに、ビジネス界の若きヒーロー、ジャック・フェレイラ氏が女性とともに現れた。パーティ嫌いで有名な彼を、華やかな席に引っ張り出した女性は誰なのか……。


 読み進めるにつれて、ニキの顔は青ざめていった。

「写真の近さからして、あそこにいた人間が撮ったんだと思う。まさか参加者の中に、こんなことをするやつがいるとは思わなかった」

「そうね……」

 あそこにいたのは、むしろ写真誌や新聞のターゲットで、パパラッチのような行為を嫌う人たちばかりだろう。

「エドワード、来てたのか」

 二階からジャックが下りてきた。

「ジャック、きみはもう見たか?」

「ああ、ご親切なマスコミからの電話が早朝からひっきりなしだ」

「きみのパーティ嫌いをさらに悪化させそうだな。こんな写真が出てしまって、ホストとして責任を感じてるよ。すまない」

「いや。写真はどうということはない。おおかたあのパーティで恥をかかされた連中が、嫌がらせにリークしたんだろう」

「きみは変なところで敵をつくるからな」

 知り合いのふりをして彼に近づこうとした男、ミセス・ガードナー……ニキの頭に何人かの顔が浮かぶ。

「僕は芸能人でもなんでもない。こんな記事はすぐ忘れられてしまうはずだ……しかし問題は、最後に書いてあることだ」

 ジャックはニキが持っていた新聞を取り上げると、記事の最後の部分を指差す。


 小麦色の肌のこの美女は? 本紙の調べで驚くべきことがわかった。実は彼女、数年前に急逝した有名俳優の娘で、彼女自身もローティーンのころ人気ドラマに出演していたことがある。父親である某俳優は死後、多額の借金があることが明らかになった。借金の理由はいまもって不明だが、一時は海外の非合法組織に流れたという話もささやかれた。若くして数々の成功をおさめたビジネスマンにとって、黒い噂のある女性とのロマンスは前途多難か?


 ニキの顔からはすっかり血の気が引き、呆然としていた。

なぜ私の過去のことが書かれてしまったのだろう。しかもあのときの根も葉もない噂まで……。


「きみの父親が俳優だったというのは本当か?」

 ジャックは新聞を突きつけるようにしてニキに迫る。ニキはジャックの目をまっすぐに見つめて言った。

「はい、本当です。父はニコラス・プレストンという俳優でした」

「子役でドラマに出ていたというのも?」

「はい」

 ジャックはいらただしげに新聞をテーブルにたたきつけた。

「なぜ言わなかった?」

「……ナニーの仕事に、そんな経歴は不要と思いましたので」

「子供の安全を守る仕事だぞ。元芸能人なんていつパパラッチのターゲットになるかわからない。おまけに非合法組織に金なんて……」

「それはまったく事実無根の噂です。私自身は十六歳でショウビジネスの世界から身を引き、父が亡くなってからは完全に縁を切りました」

「しかし実際、こうして記事に書かれている」

 ニキはぐっと言葉につまった。

父は犯罪に関わるようなことをする人間ではない。それを証明できない自分が情けなかった。

「少なくとも、これほど重要なことを言わなかったきみが正直な人間とは思えない。信用できない人間に子供を預けるつもりはない」

「どういうことですか?」

「もうこの家にいる必要はないということだ。きみをいまこの場で解雇する」

「解雇……」

「そうだ」

 ニキの中で悔しさが渦を巻く。

「私より、興味本位の悪意ある新聞記事のほうを信じるんですね」

「たしかにこれは一流紙とは言いがたい。記事もいいかげんなものが多いだろう。しかし火のないところに煙は立たない、ということもある。少しでも疑惑がある人間を、エリザベスに近づけたくはないんだ」

「……そうですか。それなら私とあなたが熱愛関係にあるというのも、多少の根拠はあるということですね?」

「なに?」

「だって、事実こうして記事に書かれているんですから」

「いまはその話は関係ないだろう。それにこんなデタラメ、すぐに忘れられる」


 デタラメ、そうよね。

彼はエドワードへの義理で私をエスコートしてくれただけ。

キスしようとしたのだって、ちょっと気まぐれを起こしただけなのよね。


「ええ、そうね。あなたには力もあるしお金もある。きっぱり否定すれば、もう追求されることもないでしょう。でも……でも、私の父はもう記事を否定することも、自分で身の潔白を証明することもできないのよ」

 ジャックは黙ってニキの言葉を聞いていた。

「父は子供への教育普及活動に取り組んでいた。教育が何より大切と言って、貧困地区でシングルマザーのための保育施設も経営していたわ。犯罪組織と関わるようなことをするわけはない。でも私がそう信じていても、一度悪い記事が出てしまったら、そんなことは通用しない。世間はあなたみたいな人ばかりだからよ!」

「言いたいことはそれだけか」

 ジャックは表情を変えず冷たい声で言った。

「ええ……これでじゅうぶんです……。すぐに出て行きますから」

 言うだけ言って真っ白な頭のまま、ニキはゆっくりとリビングを出て、自分の部屋へ向かった。


「心配になって来てみれば……」

 それまで口をはさまなかったエドワードがぽつりと言う。

「なんだ? きみも何か言いたいことでも?」

「いや、ニコラス・プレストンと聞いて思い出したよ。彼女、十年ほど前にやっていたファミリードラマに出ていたんだ。最初に会ったとき、どこかで見たことあると思ったわけだ。名前が違うからわからなかった」

「……昔の芸名とはいえ、隠していたというのが気に入らない」

「ショウビズの世界と決別して、本名で生きたかったんだろうさ」

「きみらしくもない。ふだんは僕よりはるかに警戒心が強いくせに」

「僕は人を見る目には自信があるんだ。そうでなければ、どこかの田舎レストランから引き抜かれた男を信頼して、そいつがつくった会社にまでついてきたりしない」

 ジャックはきっとエドワードをにらんだ。

「止めるならまだ間に合うぞ」

「その必要はない」

 玄関のドアが開く気配がする。それからしばらくして、車が走り去る音が聞こえた。

「後悔すると思うがな」

 エドワードはそう言い捨て、玄関のドアへ向かった。

 ジャックは彼の車が出て行くのを見つめていた。たしかに三流紙の記事など本気にする必要はないのかもしれない。しかしけさファクスで、記事のほかにもう一つ不愉快なものが届いたのだ。

 ジャックはジャケットのポケットからその紙切れを取り出した。送り主の名はアーノルド・ホイーラー。そこには、新聞の写真に写っている女性とは以前からの知り合いであること、もし彼女の過去について知りたいならいつでも連絡を、とある。

 いかにも彼女と特別な関係にあったかのような、思わせぶりな書き方だ。

彼女に僕の知らない過去がある。それは当然のことだ。

頭ではわかっているのに、感情的に受け入れられなかった。

子役だったことを隠していたことも腹立たしかったが、このアーノルドという男のことも不信感を生んでいた。ニキに強く惹かれていると自覚したばかりだけに、自分が彼女のすべてを知っていないことが、なぜか腹立たしかった。そして、すべてを知る権利が自分にはあるように思えてならなかった。

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