第18話 対決

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かつて自分を侮辱した男から、父の汚名をはらすためという名目で協力を持ちかけられたニキ。しかしジャックを巻き込むことだけは避けたい彼女は、ある決意を胸にジャックのオフィスに向かう。


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 翌日、ニキは荷物をまとめ、自分の小さな車に積みこんで家を出た。ジャックの会社に行くのは初めてだ。

 そしてこれが最後ね。ニキはエンジンをかけながら思う。

〈フェレイラ・インベストメント〉は、もちろんウォールストリートにオフィスを構えている。この街は他と違うムードがある。ニキはまず通りを行きかうスーツ姿の人々に圧倒され、鏡のように光る建物にも圧倒された。

 ガードマンに誘導されて地下駐車場に車を入れ、一階の受付に行くまでに、ニキはすでに気おくれしていた。ジーンズ姿の自分がひどく場違いに感じる。それでもなんとか勇気を振り絞って、カウンターに座る女性に自分の名を告げた。

 高層階にあるジャックのオフィスに入ると、彼は窓のそばに立っていた。振り返ってニキの姿を見ると、走るように近づいてくる。

「ニキ、わざわざすまない。しかしどうしてもきみに聞いてもらいたい話があるんだ」

 さらに話そうとするジャックの言葉を、ニキは手で制した。

「私もあなたに言わなければいけないことがあるの」

ジャックがいぶかしげな顔でニキを見るが、ニキは彼の目を見ずに先を続けた。

「きょう限りでエリザベスのナニーを辞めるわ。すぐに出て行く」

 一気に言ってしまうと、無意識に目をそらした。ジャックの顔をとても見られない。

 ジャックは驚いたように息をのんだが、冷静な声で言う。

「なぜいきなりそんなことを考えた?」

「子役をやっていたころの知り合いが、プロダクションを立ち上げるの。それで私に共同経営者になってほしいんですって。その申し出を受けることにしたのよ」

「ちょっと待ってくれ。きみはショウビジネスの世界とは縁を切ったんだろう? それに、僕と一緒に生きてくれるんじゃないのか?」

「女優やタレントではなくて、プロダクションの経営者ですもの。あなたにはいい思いをさせてもらったわ。でもきのう昔の知り合いに会って思ったのよ。あなたと一緒になったら、これからずっとあなたのかげで生きていくことになるって。一度は自分の力を試してみたい。そのためには子供の世話なんかしてられないし」

 自分でも支離滅裂なことを言っているのはわかっている。けれどももう何でもいいのだ。ジャックが呆れて、もう私とは関わりたくないと思ってもらわなくては。

「ここにその知り合いを呼んでるわ。もうすぐ来ると思う。私の勝手で仕事もあなたのことも放り出すんだから、二人でひとことあいさつくらいはしておこうと思って」

 ジャックは驚いたように目を見開いた。

「きみが呼んだのか?」

「ええ、そうよ」


 これでジャックも、私を引き止めたいとは思わないだろう。フェレイラ家を出たら二度と会うことはない……。涙がこみあげそうになるのを、ニキは必死にこらえた。ここで泣いたらすべてがだいなしだ。

 そのときデスクの上のインターフォンが鳴った。ジャックは組んでいた腕をゆっくりほどき、デスクの前まで歩いていってボタンを押す。秘書の声がニキのところまで聞こえてきた。

「アーノルド・ホイーラーというかたが、社長と面会の約束があるとおっしゃってます」

「ああ、彼だわ」

 ニキは笑顔をつくってジャックのほうを向いた。

「通してくれ」

 ジャックはニキを見たまま、インターフォンに向かって言った。

 やがてオフィスに入ってきたアーノルド・ホイーラーは親しげな笑顔を浮かべ、ジャックに手を差し出した。

「やあ、ジャック。会えてうれしいよ。アーノルド・ホイーラーだ。ニキとは古い知り合いだ」

 ジャックはその手をちらりと見たが、自分の手を差し出そうとはしなかった。一瞬気まずい沈黙が流れ、アーノルドの顔から笑みが消える。

「ニキにプロダクションのパートナーになってほしいと言ったそうだな」

「ああ、その話か。そうだ。彼女も承諾してくれたよ」

 アーノルドが“そうだろ?”というように、ニキのほうを見る。

「あいにく彼女は僕の仕事をしている。従業員を勝手に引き抜くようなまねをされては困る」

「従業員って……。もうそれだけの関係じゃないんだろう? よし、それならはっきり言おう。彼女の父親は生前、メキシコで厄介ごとに巻き込まれていた。あんたが彼女を助けたいと思っても、たちの悪い犯罪組織が関わる問題だ。もし話が長引いたら、ニキだけじゃない、あんたの会社にまで影響が出る。悪くすれば金をむしり取られる。それ以上に、信用がものをいうこの世界で、あんたの評判は地に落ちるぞ」

 アーノルドはジャックのようすをうかがうようにして話を続ける。

「僕はメキシコのマスコミや有力者にコネがある。僕なら彼女の力になれる」

 ニキはそこで口をはさんだ。

「私も彼に力を借りるのがいちばんいいと思うの。なんといっても父の知り合いだし。だから彼についていくことに決めたのよ」

 ニキの言葉を聞いて、アーノルドがあわてたように彼女の顔を見る。

「ニキ、何を言ってるんだ……」

「アーノルド、あなたきのう“もし僕を頼ってくれるなら弁護士費用も、相手との交渉の実費も出す”と言ってくれたわよね」

「あ、ああ、でもそれは……」

「それなら問題ないわ。私はもうフェレイラ家とは関係ないの。家を出る準備もしてきたから、このままあなたと一緒に行けるわよ」

「おい、ニキ。それじゃ話が違う」

「あら、どういうこと?」

 ニキはとぼけた。

 アーノルドの顔がみにくくゆがむ。それにかまわずニキは彼の腕をつかむと、ドアへ向かおうとした。

「待て!」

 ジャックの声が部屋に響く。彼はゆっくりと歩いてデスクのほうへ戻った。堂々としたその姿には王者の風格が漂っている。

「アーノルド、きみが来たのは予定外だったが、むしろよかったかもしれない。実は二人にぜひ会ってもらいたい人がいるんだ」

「会ってもらいたい人だと?」

 いぶかしむアーノルドを尻目に、ジャックはインターフォンのボタンを押して秘書に声をかける。

「入ってもらってくれ」

 しばらくすると廊下に続くドアが開き、秘書にともなわれて一人の女性が入ってきた。それを見てニキはあっと声をあげそうになった。コーヒーショップでアーノルドが持っていた写真の女性だった。

「あんたは……」

 アーノルドも目をみはっている。

「紹介しよう。こちらマリア・デル・リエゴ。メキシコの貧困地区に学校を建てる活動をしている」

「学校を建てる活動?」

 ニキは思わず確認してしまった。

「でも、でも……アーノルドは、あなたと父が……」

「ニキの父親ニコラス・プレストンは、彼女の活動に共鳴して、資金集めで力を貸そうとしていた。彼女とは愛人関係なんかじゃなかったんだ」

 ニキは言葉を失った。アーノルドを見ると、顔が青くなっている。赤いワンピースを着たマリアが優雅な物腰でニキに近づいてくる。その目には一点の曇りもなく、誇りにあふれている。

「ミスター・プレストンとの関係については、あれこれマスコミに書かれました。でも彼は純粋に私の活動に協力してくれていたんです。ご自身も貧しい家に育ったとおっしゃっていましたから、同じような境遇にある子供たちに、きちんとした教育を受けさせたいという考えに共感されたんだと思います」

「父がそんなことを……」

「不幸なことに、活動がようやく軌道に乗りそうになってきたとき、悪質な犯罪組織にだまされて資金を奪われてしまったのです。それで彼は私財を投じて、警察やその組織との交渉もしてくださったの。彼があんな死に方をしたのは、心労が重なったためではないかと、みんな申しわけなく思っています」

 ジャックがアーノルドに向き直って言う。

「最近になって、その組織がまた彼女たちに接近してきたのは事実だ。しかし今度は警察が動き、組織の実態が明らかになりつつある。関係者は逮捕された。それなのにきみはニキに嘘を告げて、この状況を利用しようとした」

「アーノルド、あなたって人は……」

 ニキは思わずこぶしを握りしめる。

「ニキ、これは誤解だ! 僕は本気できみを助けようと……」

 ジャックが彼の言葉をさえぎる。

「アーノルド、ニキと僕の写真がタブロイド紙に出たとき、きみはおかしなファクスを僕のところに送りつけてきた。それで少し調べさせてもらったよ。彼女の過去の噂を新聞社に流したのもおおかたきみだろう。きみは映画製作のために多額の借金を抱えた。それでカモになりそうな人間をさがしていたんだ。しかしニキに近づくとは相手を間違えたな」

「なんですって? 本当なの? アーノルド!」

 ニキは思わず叫んだ。

 アーノルドは押し黙った。そしてジャックに真実を暴露され、なすすべがなくなったことで追い詰められた表情に変わった。

 この顔は危険だ。

 ニキがそう思った瞬間、彼はズボンのポケットから光る物を取りだし、それをジャックに向けた。

「ああ、そうさ。おれはおまえらみたいに、何もつくらず、何も生み出さず、土地を転がしたり、人の会社を乗っ取ったりして大金を稼いでるやつらが大嫌いなんだ。そういう金はおれたちみたいな芸術家が使うべき金だ」

「だったらそれだけの誇りを持て。人をだまして金をまきあげようとして、それができないとナイフを振り回す。そんなのはただの芸術家気取りのちんぴらに過ぎない」

「だまれ!」

 アーノルドはナイフを振りかざして、ジャックに飛びかかる。

「ジャック! あぶない!」

 ジャックはさっと体をかわしてナイフをよける。アーノルドはすぐ振り返って再びジャックにおそいかかろうとした。しかし今度もジャックはすばやい身のこなしで横に飛びのくと、アーノルドのうしろに回って、ナイフを持った手をひねりあげた。

「う……は、放せ!」

「警察が来たらな。人殺しにはならなかったんだ。感謝しろよ」

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