第7話 惹かれ合う二人
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子どものバースデーパーティとはいえ、保護者には大物が多い。無礼な人たちもいて、ニキには理解しがたい世界だった。それでもジャックと踊って夢心地になるニキ。その余韻のせいか、家に戻った二人は思わずキスしそうになり……。
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初夏のやわらかい日差しが降り注ぎ、ガーデンパーティには絶好の日よりとなった。
簡単な乾杯のあと、子供たちのためにピエロが登場し、いくつも風船をふくらませて、舞台のまわりはあっという間にカラフルな風船でいっぱいになった。
ピエロは、今日の主役シェリルに何かとアクションをしかけている。シェリルは目の色と同じ水色のサマードレスで、頭にリボンを結んだ金髪が日差しを浴びて輝き、本当にお姫様のようだった。
「やあ、ジャック! こんなところで会えるとは思っていなかったよ!」
急にうしろから声をかけられて、ジャックとニキは振り向いた。大柄で腹の出た男が、なれなれしくジャックに話しかけてくる。仕事の関係の人だろうかと、ニキは思った。
「久しぶりだな。前に会ったのはいつだったっけ?」
「……僕の記憶に間違いなければ、初対面だと思うよ」
ジャックが穏やかな微笑を浮かべて男に言う。初対面だと言われて、男がたじろいだ。
「や……、そうだったかな。前にどこかのパーティで会ったと思ったんだが」
「いや、僕はパーティは苦手でね。できるだけ出ないようにしている」
「そうか。それなら勘違いかもしれない。よく経済誌で見てるから、知り合いのような気がしてしまったかな。しかしせっかくここで会ったんだから、名刺だけでも受け取ってくれ」
男が胸ポケットからカード入れを出そうとしたのを、ジャックが手で制した
「子供のパーティに名刺を出すなんて、野暮なことはよそう。きょうはお互い保護者として出席してるんだろう? ビジネスではなくて」
そう言われて、男がきまり悪そうに手を内ポケットから出した。
「エリザベス、一緒に風船をもらいにいこう」
ジャックは男がさらに何か言う前に、エリザベスの手をとって、ピエロのいる舞台のほうへ歩いていってしまった。取り残された男は、そばにいるニキに、きまり悪さをごまかすような笑みを見せて、反対の方向へと行ってしまった。思わぬ場所にジャックがいるのを見て、近づきになろうとしたのだろう。みごとに失敗に終わってしまったけれど。
ニキは少し離れたところから、ジャックが子供たちと風船を打ち合うのを見ていた。ふだんエリザベスと接しているときは、どこかぎこちないけれど、今はとても生き生きとして楽しそうだ。
ふと、横から自分を見ている視線を感じて、ニキはその視線の主のほうを向いた。黒髪に目のまわりをくっきり縁取った女性が、ニキを見ている。その化粧といい、丈がやや短すぎるドレスといい、子供のバースデーパーティにふさわしいとは思えない。しかしニキは礼儀にのっとって笑顔を見せた。
「ジャックにエスコートしてもらうなんて、ラッキーなお嬢さんね」
「え、ええ……」
「私はサラ・ガードナー。息子がシェリルと同級生なの」
「ニキです。どうぞよろしく」
「ジャックはパーティ嫌いで有名なの。ビジネスが関わっても、華やかな席にはほとんど出てこないわ。だからエドワードがこうしてその穴を埋めようとするわけだけど。まさかエリザベスにつきあって出てくるとは思わなかった。しかも女性連れで」
このパーティにはいろいろな思惑がうずまいているようね。ニキは思った。
「あなた、ジャックとはどういうお知り合い?」
上から下まで値踏みするような視線に、はっきりとした悪意が感じられた。
「会社のかたとも思えないんだけど」
「私は……エリザベスのナニーです」
サラ・ガードナーの目が大きく見開かれた。
「あら、彼の家の使用人だったの?」
「そうです」ニキは不愉快な女の目をまっすぐ見て答えた。
「なるほどね。あまりこの世界では見ないタイプだと思ったわ。エリザベスのお守りのごほうびというところかしら。あの子の世話はたいへんですもの。ジャックもいくらお兄さんの娘とはいえ、あんな子を引き取ることになるなんて、貧乏くじを引いたものね」
ニキはその言葉に憤然とした。
「エリザベスはいい子です! 私は彼女と一緒にいて楽しい思いをさせてもらってます。ジャックも真剣に彼女を支えようとしているわ」
「まあ、使用人の立場で、ずいぶん偉そうだこと」
あからさまに使用人を見下す態度だ。
「もっとも彼の家にいられるなら、たとえ使用人でもいいからって求人に応募する若い娘もいるらしいけど」
そう言ってニキのほうをちらりと見る。
「私はエリザベスのナニーとして働いていることに、誇りを持っています。それ以外の気持ちなんてありません」
ニキはその女の目を正面から見て、腹に力をこめて答えた。そうだ。何を恥じることがあるだろう。だがその女は、そんなニキを見て、ふんと鼻で笑った。
「仕事にプライドをお持ちなのね」
そのときちょうど、飲み物のトレイを持ったボーイが通りかかった。サラがそのボーイを呼びとめた。
「それは子供用のジュースかしら」
「はい、オレンジ、アップル、グレープフルーツがありますが、お飲みになりますか?」
「いいえ、けっこうよ。でも……」
サラはニキのほうを向いて言った。
「そのトレイはこちらの女性に持っていってもらったらいいわ。彼女は子供たちの世話をすることに誇りを持っていらっしゃるの」
「いや、それは……」
遠慮のない侮辱の言葉に、ボーイも驚いた顔をしている。
ニキは呆然としたが、ボーイからトレイを受け取ろうとした。こんな女と話しているくらいなら、子供たちにジュースを配っているほうがましだ。
「ミセス・ガードナー、その役割は僕が引き受けましょう」
いつのまに来たのか、ジャックがニキのうしろに立っていた。
「ジャック、まさかあなたがそんなこと……」
突然のことにサラがうろたえた。
「いや、僕は学生時代、ずっと家のレストランで働いていたから。食事のサーブは得意なんです」
そう言って、ボーイからさっさとトレイを取り上げ
「まずきみからどうぞ」
ジャックはそう言って、ジュースのコップをニキに渡してくれた。
「ありがとう……」
ジャックはウィンクを一つすると、トレイを持ったまま子供たちの集団のほうへもどっていった。ミセス・ガードナーは悔しそうにその場を離れていった。ニキはジャックのウィンクにぼうっとなり、彼女が離れていったことにも気づかなかった。
ジャックは子供たちにつかまって、なかなか離してもらえないようだ。あるいは大人同士の面倒な会話を、彼のほうが避けようとしているのかもしれない。ニキはそんな彼の姿をほほえましく見ていた。
もともと彼は子供に好かれるタイプじゃないかしら。ビジネスの世界で生きる厳しい姿ばかりがクローズアップされて、それに気づく人は少ないかもしれないけれど。
「ジャックが子供と遊んでいる姿を見られるなんて、それだけで来たかいがあるわね」
ニキが振り返ると、品のいい白いワンピースを着た女性と、ダークカラーのジャケットを着た、すらりと背の高いスマートな男性が立っていた。垢抜けた美男美女のカップルだ。
「私はリンジー・ホリングスワースよ。こちらはパートナーのマーティン」
名前を言われて、彼女が最近売り出し中のデザイナーだと気づいた。たしかシングルマザーで、となりの男性は、最近できた恋人だと、パティに見せてもらった雑誌に出ていた。
「こんにちは。ニキです」
「私の娘もシェリルたちと同じ学校に通ってるの。今ちょうど反抗期で手を焼いているわ」
リンジーの服はさりげないが、よく見ると白い生地に細かい模様が刺繍してあり、とても凝ったものだ。ニューヨークのファッション界で注目され、雑誌にもひんぱんに出ているが、それでも家に帰れば一人の母親として娘と向かい合っている。ニキは彼女の気取らない態度に好感を持った。
しばらく話がはずんでいたが、リンジーが少し離れたところに知り合いを見つけたらしく「ちょっと失礼」といって、ニキのそばを離れた。恋人のマーティンはそのまま横にとどまっている。
「あなたは、彼女の娘さんとはうまくいっているのかしら?」
ニキはたずねた。
「ああ。最初はどうなるかと思ってたけどね。あまり子供の相手って得意じゃなかったし。でも思いのほか、僕になついてくれたんだ。ほら、いま舞台にのぼってる、ピンクのドレスを着た子だ」
マーティンが手を振ると、その女の子も気づいて手を振りかえした。
「まあ、かわいい」ニキは思わずほほえんだ。
マーティンはリンジーより若く、一見遊び人風だが、意外にまじめなのだろうか。
「きみはジャック・フェレイラと来ているんだね。彼は初めて見たけど、やっぱりオーラあるなあ」
「そうね。私も初めて会ったとき、圧倒されたわ」
「あんな男がそばにいたら、他の男になんて目がいかないかな。たとえば僕とか」
え? この人、いったい何を言っているの?
「きみはとてもきれいだ」
マーティンが薄いグリーンの瞳で、ニキをじっと見つめた。
たしかにハンサムで魅力がある人だ。けれどもニキは、自分のパートナーやその子供がいる場所で、他の女を口説こうとする男などごめんだった。
「一度ぜひ外で会いたいな。よかったら連絡をくれないか」
マーティンはポケットから小さな紙を取り出すと、さっとメモした。
「僕の携帯番号だ」それをニキの手に握らせた。
破り捨ててやろうかしら。一瞬そう考えたが、ニキは思いとどまった。これはただのパーティではない。さっきサラ・ガードナーに言い返したときはジャックがフォローしてくれたけれど、不用意なことはしないほうがいい。あまり目立つことは避けなければ。
ニキは何も言わず、ただにらむようにマーティンを見つめていた。彼は最後ににこりとほほえむと小さく手を振って彼女から離れていった。
ニキが知らない男と二人で話しているのを見たとき、ジャックは腹立たしい気分になった。少し前まではその男の連れらしい女性がいて、三人で話していた。だが連れの女性が去ると、男はあからさまにニキに興味を示し、その目には欲望がにじんでいた。子供が主役のパーティにパートナー同伴で来て、他の男の連れに色目を使うなんて、いったいどういうやつなんだ!
「やあ、ジャック。彼女はなかなか目立っているようだな」
ジャックの気持ちを読み取ったように、エドワードがとなりへやってきて言った。
「そうだな。きょうの参加者の中では若いほうだし」
エドワードがにやりと笑う。
「パーティ嫌いの君だが、たまにはこういう気分を味わうのもいいだろう」
「なんのことだ?」
「仕事以外の世界にも、自分の思い通りにならないことがあるってことさ。ほしいものを手に入れるには、それなりの努力がいるんだ」
エドワードが何を言っているか、ジャックにはわかっている。彼はおせっかいにも、以前からジャックに、早く理想の女性を見つけて身を固めろと言っていた。それでも女性を紹介するようなことはなかったし、身近にいる女性との仲を取り持とうとするそぶりも見せなかったのだが。
「ほら、バンドの演奏が始まるぞ。自分のパートナーを奪われないよう、ダンスにでも誘ってこい!」
エドワードに背中をどんと強く押され、ジャックはニキのほうへ向かった。
小さな舞台の上で、五人の楽団による演奏が始まっていた。子供向きの選曲で、ディズニーのテーマやよく知られた映画ナンバーなどだった。子供たちは思い思いに体を動かし、中にはカップルで踊っているおませな子もいた。パーティを盛り上げるピエロが、周囲の大人たちもダンスに誘っていく。
ニキはシェリルとエリザベスと一緒に体を動かしていたが、そこに赤い鼻をつけ、顔を白く塗ったピエロがやってきて、うやうやしく前にひざまずいた。ニキは笑って彼に手を差し出す。ピエロは彼女の体を抱え、飛び跳ねるようにして踊る。ニキは小柄なピエロに振り回されそうになり、大きな笑い声をあげた。
そのときジャックがやってきて、ピエロの肩をぽんとたたいた。
「悪いが代わってくれないかな?」
ピエロは大げさに驚き、おどけたしぐさで握っていたニキの手をジャックに渡した。ジャックも彼女の前でていねいなおじぎをした。
「ジャック……」
ニキは驚いて目を丸くした。
「楽しんでるかい?」
ジャックに手を取られ、声をかけられて、ニキははっとした。
「ええ。とっても楽しいわ」
そう言ったあと付け加えた。
「ちょっと私には理解できない人たちにも会ったけれど」
「それは僕も同感だ」
ジャックは小さく笑って言った。それを聞いて、ニキもほほえんだ。自分を見上げる彼女の顔は美しく輝いている。彼はその青い目をじっと見つめた。ニキもまた彼の目を見つめ返す。
そうだ。君は僕さえ見ていればいい。他の男など目に入らないよう、僕だけを見ていろ。ニキを抱くジャックの腕に力がこもる。
ニキは音楽とジャックの動きに合わせて体を動かした。つないだ手から彼のぬくもりが伝わってくる。胸の鼓動はどんどん速くなってきて、なにも考えることができない。やさしいブラウンの目に見つめられ、視線をはずすことができなくなってしまう。まるで何かを語りかけるような目。彼はいったい何を伝えようとしているのかしら。
「君はとてもきれいだ」
耳元でささやくジャックの声に体の奥が震えた。ニキは彼の突然の言葉にぼうっとしてしまった。これは夢だわ、きっと。パティが教えてくれたメイクのおかげ? ジャックのやさしいブラウンの瞳にじっと見つめられ、心ごとさらわれそうだ。
まわりでは子供たちがはしゃぎ、にぎやかなバンドの音楽が響いている。それなのにニキは、まるで二人だけの宇宙にいるような、どこか遠い世界に行ってしまったような、そんな気持ちで何も目に入らなくなっていた。
ジャックの運転で家に戻ったときも、ニキはまだ夢見心地だった。ジャックとダンスをした余韻がまだ体中に残っていて、ふわふわと雲の上を歩いているような気分だ。
昼間のパーティだったので、まだ日は暮れていない。けれどもエリザベスは疲れてしまったらしく、家に戻るとすぐ、眠いと言い出した。それでニキは彼女をそのまま部屋に連れて行き、着替えさせてベッドに入れた。
ニキは自分の部屋に戻る前に、バッグを取りに階下へ戻り、キッチンで水を一杯飲んだ。それでようやく気分が落ち着いた。
あんな華やかなパーティなんていつ以来だろう。おまけにジャックとダンスもしたなんて。まるで夢みたいだわ。
バッグの中からハンカチを出そうとして、中に紙切れがあるのに気付いた。あのマーティンという男から渡されたメモだ。ニキはそれを取り出すと小さくちぎってごみ箱に放り込んだ。騒ぎを起こしたくなくてそのまま持ってきてしまったが、バッグに入れておくのも不愉快だった。これですっきりしたわ。
キッチンの入口のところで、たまたま通りかかったジャックはニキがバッグからメモを取り出すのを見かけた。足を止め、どうするのかと見ていたら細かくちぎって、ごみばこに放り込んだ。そのときの晴れ晴れとした顔を見て、ジャックも喉につまったものがとれたような、すっきりした気分になった。
「やあ、ニキ。パーティは楽しめたかい?」
ジャックが声をかけた。
「ジャック……」
彼の顔を見ると、また心臓の鼓動が速くなり、体が熱を発するような気がする。
「ええ、とても楽しかったわ。エスコートしてくれてありがとう。パーティは嫌いと聞いていたけれど……」
「いや、たまには悪くないと思ったよ」
「それならいいけれど」
「男たちは全員きみに注目していた」
「そんな、まさか」
「いや、本当だ。きみはとても美しかった」
ニキの顔はかっと熱くなる。私はまた夢の続きをみているの? 吸い寄せられるようにジャックが近づいてきてニキの体に腕を回す。ニキはごく自然にその腕の中におさまった。
「ニキ……」
ささやくような声に、ニキの体が震える。ここちよいぬくもりに体を預けていると何も考えられなくなりそうだ。
「ジャック……」
吐息まじりの声で彼を呼ぶと、腕にぎゅっと力がこめられるのを感じる。彼の指がニキのあごをとらえ、上を向かされた。そして唇が近づいてきた。
あと少しでお互いの唇がふれそうになったとき――。
「ニキ! だんな! もうお帰りなんですかい?」
玄関のドアが大きな音をたて、カルロスが入ってきた。
ジャックはぱっと体を離した。ほんの少し二人の視線がからみあったが、彼は玄関のほうへ歩いて出て行った。
ニキはしばらくそのままぼんやりと立っていた。
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