第2話 ニキの過去

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ナニーとしてフェレイラ家に雇われたことを、嬉々として親友でルームメイトのパティに報告するニキ。これで大学に行くという希望に一歩近づいた。パティとこれまでの苦労を話しているうちに、過去の悔しい思い出がよみがえり……。


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 ニキはアパートの階段を駆け上がり、自分の部屋まで一気に走った。

その音を聞きつけたのか、ベルを押す前に、ルームメイトが中からドアを開けてくれた。

「受かったわ! 明日からフェレイラ家で働くのよ!」

 開口一番、ニキは叫んだ。

「おめでとう! きっとイケると思ってたよ!」

 小柄なパティが、真っ赤な髪をニキの胸に押し付けるようにしてハグしてくれる。

「それでそれで! どうだったのよ。ジャック・フェレイラは? ビジネス界のプリンスは噂通り、いい男だった?」

「パティ、ねえ、まずそこなの?」

「当たり前よ。あたしは保育の仕事なんかに興味ないんだから」

 パティは笑いながら言う。

 彼女とはコミュニティ・カレッジで出会い、二年前からこの部屋をシェアしている。アーティスト志望の彼女は美術のコースに通っていて、そのころからまわりの人が驚いてつい二度見してしまうような服装をしていた。今もスパンコールを縫い付けた赤いTシャツに、まだらに染め、裾をやぶいたようなフレアスカート、そして目はアイラインとマスカラで黒々と縁取られている。

髪はよく色が変わり、二年間一緒に暮らしているニキでさえ、本当はどんな色かわからない。

「ええ、あなたが言ってたとおり、すっごいハンサム。でも威圧感があって、ちょっと緊張した。若くして成功する人って、やっぱりオーラが違うのね」

「そんなこと関係ないよ。同じ人間じゃん」

 パティはそう言うと、ニキの腕をぎゅっとつかんで視線を正面から合わせた。

「ニキ、本当によかった……。これで大学に行く夢をかなえられそうなんでしょう? 三年間たいへんな思いしてきたもんね。また運がめぐってきたんだよ」

 涙で潤む彼女の目を見て、ニキは胸がいっぱいになった。

「パティ……ありがとう。あなたにはどのくらい助けられたかわからない」

 それは本当だった。派手な外見に似ず、パティは友人に対して細やかな心配りができる女性だ。父が亡くなってさびしい思いをしていたとき、どれほど助けになったかわからない。

 アーティスト志望だけあってセンスがよくて手先も器用なため、子供向けの教材やおもちゃをつくるときは、たくさんのアイデアを出し、つくるのも手伝ってくれた。

「あたしは人が喜んでくれるのがうれしいんだよ。自分がつくったものでさ」

パティが照れくさそうに言った。

「それでジャック・フェレイラはいい男だったとして……。他にめぼしい男はいなかった? できれば独身の」

 ニキは彼女の言葉に笑った。

「いたわよ。フェレイラ・インベストメントの統括副社長って人が。金髪に青い目で、やっぱりハンサムだったわ」

「いいねえ。黒髪でブラウンの目の社長とは対照的で。それで独身?」

「残念ながら子供をつれていたわ」

「なんだ! 期待させといて!」

「ごめんごめん。パティがあんまり興味津々だから。でもその彼に、どこかで会ったことなかったか聞かれたの。気づかれたかと思って、どきっとしたわ」

「ああ、あんたが昔ドラマに出てたってこと?」

「ええ。もう十年近くなるから、さすがに覚えている人もいないと思ったんだけど」

 実はニキは十三歳から二年ほど、子役としてファミリー向けのテレビドラマに出ていたことがある。それは父親が俳優だった影響だ。


 父親の芸名はニコラス・プレストン。地味な文芸作品への出演が多かったが、映画の世界では名脇役として、それなりの評価を受けていた。

「あたしはあのドラマが大好きだったよ。でもあのドラマが終わってから、あんたぷっつりテレビに出なくなっちゃったよね」

「このままじゃ高校を卒業できなくなるって、父が心配したの。しばらくショウビジネスの世界をはなれるように言われたわ。少し人気が出てきていて、私がうわついているのを見抜いてたのね、きっと。父は何より子供にはきちんと教育を受けさせたいと考えてたから。高校を卒業して一年間、海外のボランティアに参加して、大学に入ったら、あとは好きにしていいと言われていた」

「まじめなお父さんだったんだ……ニコラス・プレストンが死んだとき、私もちょっとショックだったよ。渋くてすてきな俳優だった」

「ありがとう……」


 父が亡くなったとき、ニキは大きなショックを受けた。ロケ先のメキシコで心臓発作を起こすという、予期せぬ死だったせいもあるが、それだけではない。父が多額の借金をしていたことがあとでわかったからだ。

 なぜ父がそんな借金をすることになったのか、いまだにわかっていない。熱心に取り組んでいた教育普及活動くらいしか、ニキには心当たりがなかった。

当時父の代理人だった弁護士が、家屋敷、別荘、母親の形見の宝石まで売却し、何とか借金を返済してくれた。

 それでも一部の芸能マスコミは悪質な噂を書き立てた。あのころニキはショウビジネスの世界から距離を置いていたが、半年ほどはしつこいリポーターに悩まされたものだ。

「あのとき本当にマスコミは怖いと思ったわ。いったん記事になると、それがあたかも事実みたいに広がってしまうんですもの」

「今まで聞いたことなかったけどさ……それが芸能界に残らなかった理由? 何年かブランクがあるにせよ、業界に知り合いとかいたでしょ? 子役の実績もあるんだし。女優として生きていく気はなかったの?」

 パティの言葉にニキは苦笑いした。

「ええ。私も最初はそう思ったわ。父が亡くなって、財産もゼロ。働かなければならないなら、少しは知っている世界に戻れないかしらって。それで以前少しの間だけつきあっていたアシスタント・ディレクターに連絡をとったの」

 ニキはこれまで話さなかったことをパティに話してみたくなった。セレブや芸能界が好きなパティは身を乗り出してくる。

「へえ。それで?」

「はっきり言われちゃったわ。いまの君には何の利用価値もないって」

「えー! ひどい! なにそいつ? 最低!」

 本当はもっとひどいことを言われたのだが、そこまで話したらパティの夢を壊してしまいそうだ。

「出世欲の強い人だったのよね。私とつき合ったのも、父がそこそこ有名な俳優だったからだとあとで気づいたわ。それで私もショウビズの世界とは、きっぱり縁を切ろうと決心がついたのよ。プレストンという苗字も使うのはやめた。もともと芸名だったし。父が俳優だったことも、信頼できると思える人にしか話さなくなった」

「話してくれたってことは、あたしのことは信頼してくれてるんだね。うれしいよ」

「もちろんよ。あなたのことは大親友だと思ってるわ」

 二人は顔を見合わせて笑い合った。パティは急にまじめな顔で言う。

「その最低男の名前を教えてよ。いつか私が一流アーティストになっても、そいつのつくる番組だけには絶対出ない!」

 威勢のいい言葉にニキもつられて声を出して笑う。

「アーノルド・ホイーラーよ」

「ホイーラーね。覚えた!」

 彼はその後、何本かのヒットを飛ばし、三十代半ばでディレクターとしての地位を確立しているらしい。たぶん利用できるものを最大限に利用し、価値のないものはどんどん切り捨てていったのだろう。

 いつかあんな男を見返してやる。そう思ってがんばってきたのだ。


「ようやく夢に一歩、近づくんだね。私も応援するよ」

「ありがとう、がんばるわ。それで、明日からあっちの家で住み込みになるんだけど、しばらくこの部屋はシェアしたままにしたいの。荷物を全部移すわけにはいかないし。家賃はこれまで通り払うわ」

「ああ、もちろん。当面いるものだけ持っていって、必要なものは取りにくればいいじゃない。たいして遠くないんだし。あたしだって、あんたがここを出ちゃったらさびしいよ。ときどき顔を見にきて」

「パティ……」

「あんたといると、なんだか癒されるんだよね。私が落ち込んでたとき、あんたはおいしい料理やあったかいお茶をいれて、ただ黙ってそばにいて、話を聞いてくれた」

「私はただ話を聞くくらいしかできないから」

「それがありがたかったんだ。話しているうちに心が軽くなってくる。本当にうれしかった。あんたには幸せになってほしいよ」

 ニキの目に涙があふれそうになる。「パティ、ありがとう」

そう言って親友をぎゅっと抱きしめた。

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