【漫画原作】恋は翼に乗って ― Fly Me to Your Island ―
スイートミモザブックス
第1話 若きビジネスプリンスとの出会い
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好条件のナニーの仕事の面接に大邸宅にやってきたニキを待っていたのは、三十代で金融界に君臨する若きイケメンCEOだった。両親を事故で失った姪を引き取ったということだが、心に傷を抱える少女の世話は、まだ父親の経験のない彼には重荷のようで……。
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ニュージャージー州。高級住宅街の一角にたたずむ広い屋敷の外では鳥がにぎやかにさえずっている。
しかしいまのニキの耳には、鳥の声など入っていなかった。
意識はすべて目の前にいる男性の話に集中している。口がからからに渇いてうまく声が出なくなりそう。汗ばむ手をぎゅっと握り締めた。
「それで仕事の内容について、派遣会社からはどう説明された?」
「
この家の六歳の子供の世話をして、時間があるときは家事を手伝う。
人材派遣会社の社長はそう言った。それで破格の給料がもらえると。
だからこそこの仕事に応募したのだ。
ここで一年間、住み込みで働ければ、大学へ行くという夢に大きく近づく。これからの人生がかかっていると言ってもおかしくない。
けれどもこれほど緊張しているのは、それだけが理由ではなく、目の前にいるこの男性のせいかもしれない。
「ハウスキーパーのほうは付け足しのようなものだ。料理人もいるし、そうじはハウスクリーニングを定期的に頼んでいる。きみにはおもに子供の世話をしてほしい」
彼が手に持った履歴書から目を上げる。視線が合うとニキの緊張はさらに高まった。
この家の主であるジャック・フェレイラは、ビジネス界のプリンスと呼ばれている。
ハーバード・ビジネススクールをはじめ、名門大学出身のエリートがひしめくウォール街の住人の中にあって、地方の州立大学在学中に、実家である一介の田舎レストランだった〈エスぺランサ〉を自らの腕一本で人気チェーン店に育て上げた彼の経歴は異色だ。
その後、引き抜かれた投資銀行を経て、今は自らの名を冠した〈フェレイラ・インベストメント〉を設立し、ニューヨーク金融界の若きトップリーダーとして名をはせている。その自信に満ちた態度は、他人を圧倒するようなパワーを感じる。
ルックスも超一流だ。
ラテン系の浅黒い肌、髪は漆黒より少し明るいやさしい栗色。切れ長の目も髪と同じように柔らかいブラウンだ。やや厚めで形のいい唇は、女性誌の「キスされたい唇ランキング」の上位にランクインしていると、昨日ルームメイトのパティが教えてくれた。
彼女はセレブ好きで、ハリウッドスターからIT長者、世界的なスポーツ選手まで、いい男の情報をくまなくチェックしている。その彼女から見ても、ジャック・フェレイラは「トップレベル」なんだという。
「面接相手の顔を見に行くわけじゃないのよ」
ニキは強がって出てきたものの、こうしてジャックを前にすると、とんでもなくハンサムだと認めないわけにいかない。彼と視線を合わせていると、そのブラウンの目に吸い込まれそうになった。
「ミス・リース?」
ジャックの声に、ニキははっとわれに返った。
「し、失礼しました! はい、子供は大好きなので、望むところです!」
ジャックの唇がかすかにゆるむと、クールな顔が急にやさしげになり、思わずとろけそうになった。だめだめ! ニキは心の中で自分を叱った。今の私に必要なのは、この家での仕事よ。
いくらジャック・フェレイラがすてきでも見とれている場合ではない。
「あの……コミュニティ・カレッジで保育もきちんと勉強しましたので、安心しておまかせいただけると思います」
「体力に自信は?」
「体力、ですか?」
子供の相手をするナニーなら、たしかに体力が必要かもしれない。だが、世話をする子供は六歳だと聞いている。二歳や三歳の子供ほど手はかからないはずだ。けれどもニキは素直に答えた。
「子供のころからスポーツは得意です。水泳のインストラクターをやっていたこともありますし、今もジョギングとエクササイズは欠かしません。去年は州のマラソン大会にも参加しています」
「ほう、マラソンをね」
ジャックは表情には出さなかったが、内心驚いていた。
部屋に入ってきたニキ・リースを見たとき、華奢すぎて頼りない感じがしたからだ。活発でやや問題のある子供の世話など続けられるのかと思ったからだ。しかし言われてみれば、たしかに長距離ランナー向きの体型かもしれない。
「世話をしてもらう子供は、かなり元気がよくて……まあ、他にもちょっと理由があるんだが。今ここに連れてきてもらうから待ってくれ」
ジャックは携帯電話を取り出してボタンを押す。しばらくすると木製のドアが開いて、金髪でスーツ姿の男性が二人の少女を連れて入ってきた。一人は彼と同じ金髪。そしてもう一人は栗色の髪で、赤のTシャツにカットオフジーンズをはいていた。その子をさしてジャックが言う。
「この子がエリザベス。僕の姪だ」
「姪ごさん……ですか。娘さんではなくて」
「おやおや、天下のジャック・フェレイラが独身だということを知らないのかい?」
明るい金髪の男性が口をはさんだ。
「彼は女性誌の『最も魅力的な独身ビジネスマン』ランキングでは常連のはずなんだがな」
「エドワード、よけいなことだ」ジャックがむっとして言う。
「失礼しました。ミスター・フェレイラのビジネス界での評判はもちろん知っています。でも、私生活のことはあまり……」
女性に注目されているのは、その「キスされたい唇」だけではないわけね。もちろん彼なら、女性の理想の結婚相手ランキングで上位に入っていても、ちっともおかしくないけれど。
「たしかに求人を出すとき、家族についての事情は知らせなかった」
ジャックが苦笑いして、ちらりとエリザベスを見る。エリザベスの髪は天然の巻き毛らしく、くるくるとカールしてあちらこちらを向いている。ちゃんとブラッシングしてしばってあげれば、もっとすっきりするのに。
ずっとそわそわと体を動かし、ニキと目を合わそうとしないのも気になった。六歳の子供はふつうもっと明るい目をしているものなのに。
「エリザベスは僕の兄夫婦の子供だ。彼らが一年前に南米で事故死したので、僕が引き取った」
「事故死……お気の毒に」
「ああ」
短い返事のなかに彼自身の悲しみとエリザベスへの深い思いがこめられているような気がして、それ以上、くわしく聞くのはためらわれた。
さっき「他にもちょっと理由がある」と言っていたのはこのことだろうか。
「きみ……さっきから気になっていたんだが、どこかで会ったことなかったかな?」
金髪の男性がまた口をはさむ。それを聞いてニキはぎくりとした。彼はジャックの隣に座り込むと、ニキの履歴書をのぞきこんだ。
「エドワード! プライバシーという言葉を知らないのか? ああ、失礼。この男はエドワード・ミルトン。〈フェレイラ・インベストメント〉の統括副社長だ。あちらにいるのが彼の娘のシェリル」
「自称ジャックの右腕にして腹心の部下というところかな」
美しい金髪に水色の瞳。そして新進注目企業の副社長!
彼もとても魅力的な男性だ。ジャックとは違い、話している相手をリラックスさせる人当たりのよさがある。けれども単なるいい人のはずはない。おそらく鋭い目で人を観察しているのだろう。
「名前は、ニキ・リース……うーん、思い出せないな。人の顔と名前をおぼえるのは得意なんだが……」
ニキの鼓動が速くなる。落ち着きなさい。私は何も悪いことはしていない。堂々としていればいいのよ。
「高校卒業後、一年間、海外でボランティア活動に参加していたとあるな」
ジャックが履歴書に目を戻して言った。
「はい。タイの孤児スクールで、子供たちの世話をするボランティアをしていました。父が教育熱心で、子供への教育を普及させる活動にも取り組んでいたのでその勧めです。その後、私は大学に進む予定でしたが、父が亡くなって、大学進学はあきらめざるをえませんでした」
「お父さんが亡くなったのは、きみがタイから戻ってきた直後くらいか?」
「はい。それで今の人材派遣会社にお世話になっています。働きながら二年間、コミュニティ・カレッジの夜間コースにも通って、保育の資格を取りました。それでこの一年は、保育の仕事を専門にしています」
若いのに思ったより苦労しているらしいな。
ジャックはそう考えながらニキを見た。今の彼女はブルネットの長い髪をひっつめてアップにし、銀縁のメガネをかけている。身長は百六十五くらいだろうか。紺のパンツスーツで、白いシャツのボタンは首元まできっちりと留められていた。
就職の面接にはふさわしいかもしれないが、とてつもなく地味だ。はっきり言えば野暮ったい。しかしそれはマイナスポイントではない。むしろ地味で野暮ったいくらいのほうが安心できる。
これまで面接を受けに来た女性たちのほとんどは、仕事の内容を誤解しているのではないかと思うような服装がほとんどだった。スーツこそ着ていても、スカートの丈が非常識なほど短かったり、シャツのボタンが必要以上にあいていたり。そんな女性の目的は、別にある。ニキはそんなタイプではないように見える。あとはエリザベスとうまくやっていけるかだ。
「こちらとしては長期的にエリザベスの世話をしてくれる人間をさがしている。住み込みのナニーを募集したのもそのためだ。その点は大丈夫か? 住み込みだと拘束時間は長くなるが」
うつむいていたニキがぱっと顔を上げた。メガネの奥の青い瞳が強い光を放つ。ジャックは一瞬、胸を締め付けられるような感覚をおぼえた。
「はい。大丈夫です」
ニキはきっぱりと言った。
「少し時間はかかってしまいましたが、私はやはり大学に行きたいと思っています。そのためにぜひこちらで働かせていただきたいんです」
「そうか。それならいい」
ジャックはそう言い、ふと思いついたようにたずねる。
「大学では何を勉強したいんだ? やはり幼児教育や心理学といったものか?」
急に質問されて、ニキは口ごもった。
「いえ……経営学です」
ビジネス界のヒーローの前で、経営を学びたいというのはかなり気が引ける。しかし彼は特に何も感じていないよう言った。
「ビジネスか。まあ、そういう考えなら、うちの仕事に差し支えはないだろう」
「はい、ご迷惑をかけるようなことはしません」
「関門を一つ突破だな。しかし先に言っておくけど、この一年でエリザベスの養育係は八人も変わっている」
エドワードがにやりと笑って言った。
「エドワード。それもよけいなことだ」
「八人ですか!」
平均すれば二か月続かないということだ。ニキがそう考えていると、エリザベスが顔を上げて言った。
「ジャック、プールで泳ぎたい」
「エリザベス、きょうは寒いじゃないか。家の中で遊んでいなさい」
エリザベスはほおをふくらませ、軽くソファの脚をけって、ドアに向かって駆け出した。
「エリザベス!」
シェリルが戸惑ったようにまわりを見回す。
「大丈夫だ、シェリル。家の中にいる分には心配ない」
ジャックが少女をなだめるように言った。しかし彼女はエリザベスのあとを追って、部屋を出て行った。
ジャックは小さく息をつき、そしてニキに向かって言う。
「ナニーが一年で八人も変わっているという話が出たし、先に言っておく。エリザベスはこの家になじんでいるとはいえない状況だ。父親と母親をいっぺんに亡くし、住み慣れた家を離れたんだ。精神的に不安定になるのはしかたないだろう」
ジャックは言う。
「体力はふつうの子供以上にあって、ちょっと目を離すとどこかへ行ってしまう。なかなかついていけるナニーがいなかった。それを前提に仕事をする自信が君にはあるか? もしやっていけそうにないというのなら、ここで面接は打ち切りにする」
どうやらジャックは姪にずいぶんと手を焼いているらしい。そのわりに「君には自信があるか?」ですって。まるでこれまでのナニーが無能だったみたいな言い方ね。
ニキは背筋を伸ばして、ジャックの目をまっすぐに見て答えた。
「私はさまざまなタイプの子供を見てきました。タイでも両親を亡くしてさびしい思いをしている子供の世話をしました。その経験が役に立つと思います」
そしてさらにもう一押しする。
「水泳のインストラクターをしていたこともあるので、いつでもエリザベスと一緒にプールで泳げます」
さっき、プールで泳ぎたいと言っていたエリザベスの言葉を思い出しての言葉だった。
ジャックは強い視線でニキを見返す。ここで目をそらしてはだめ。どうしてもここで働きたいという気持ちを彼に伝えるのだ。
ジャックはすっと視線をはずして履歴書をファイルにはさむと、ソファの背もたれによりかかった。
「スポーツは何でも得意だったんだな。それはいいがエリザベスはまだ六歳だ。あまり無理してけがなどさせたくない。そこはよく心得ておいてくれ」
「え、それでは……」
「先にエドワードと話があるから、正式な雇用契約書類はあとでつくろう。いま家のことを取りしきってる者を呼ぶから、彼にいろいろ教わってくれ」
「ありがとうございます。ご期待にそえるよう一生懸命働きます!」
ジャックは軽くうなずいて立ち上がり、エドワードをともなってドアへと向かった。
ジャックに呼ばれて現れた男性は、五十代半ばだろうか、ヒスパニック系のがっしりした体格の無骨な印象の男性で、屋敷の家事を取り仕切っているという。ジャックの運転手も務めているそうだ。背はそれほど高くないが腕も脚も太くてたくましい。ニキは彼のあとについて階段をのぼっていった。
「
ニキが言うとカルロスは顔をしかめた。
「そんな貴族趣味な呼び方は似合わないな。まあ、
「どうしてみんな長続きしなかったの?」
「エリザベス嬢ちゃんが、やんちゃってのもたしかなんだが……そもそも仕事より雇い主に興味がありそうな、若い女ばっかりでさ」
「ああ……」
「あんただってジャック・フェレイラがどんな男か知ってて来たんだろ?」
「それは……実業界の若きヒーローとして有名だもの。ビジネス界の伝説で若き億万長者」
「なら、おれが何を言っているかわかるだろう?」
「ええ。でも私はそういうナニーたちと同類だとは思わないで。私はとにかく大学に行く費用を貯めたいだけなの」
「あんた、いくつだい? ハイスクール卒業したばかりには見えないが」
「二十三歳よ。三年前に父が借金を残して亡くなって、なにもかも失ったわ。もちろん家もね。それから遠い親戚がやってる小さな派遣会社のお世話になって、必死で働いてきたの。この一年で、ようやく将来のことを考える余裕ができたのよ」
「おふくろさんは?」
「私が小さいころに亡くなったわ。母の記憶はあまりないの」
カルロスの持つ気やすい雰囲気から、ニキはつい、面接でも言わなかった自分の身の上についてしゃべっていた。
「若いのに苦労してるわけだ……さて、ここがあんたに使ってもらう部屋だ」
カルロスは二階の廊下に並ぶドアの一つの前に立ち止まると、鍵を差してドアを開けた。
中には広々とした空間が広がっていた。ごてごてした飾りはなくシンプルだが、高級そうな木材を使った床や壁はぬくもりを感じさせる。部屋の片隅には、やはり使い心地のよさそうな大きなベッドがあり、その上に清潔なカバー類が置いてあった。ニキはほうっとため息をついた。
「いい部屋だろ」
「ええ、まさか住み込みのナニーにこんな部屋を与えてもらえるなんて」
「フェレイラ一家はもともと、貧しい土地で店を始めたからね。近隣の人間との結びつきも強いし、使用人を大事にしてくれる」
「そうなの?」
「ここの仕事にありつけたのはラッキーだよ。嬢ちゃんとだんなの力になってやってもらいたいな」
「ええ、もちろん。これから荷物を取りに帰って、明日からすぐ仕事を始めるわ。いろいろ助けてね」
「ああ」
カルロスはニキに鍵を渡して出て行った。ニキはまたぐるりと部屋を見回す。ここで働くことができるなんて夢みたいだ。あの副社長……エドワードが以前私を見たことがあると言い出したときはどうなるかと思ったけれど……。
これからは、きっとすべてうまくいくわ。ニキは新しい生活の始まりにわくわくする気持ちを抑えることができなかった。
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